2025-07-08

【再掲】民主主義多数決ではない。"だから"杉田水脈のような議員必要

1.民主主義多数決ではない

民主主義多数決である。よって、少数民族を皆殺しにして財産没収する法案多数民族が多数を占める議会で、賛成多数で可決されました」

……のようなことはあってはならない。だが、残念ながらこのような政治が行われた例は多数ある。

暴力装置をもった政権が実際にこのようなことをした時に現実的にどこまで阻止できるか、というのは難しい問題である

だがそれとは別に、『少なくとも理念としては、あってはならないことだ』という点は強調しておく)

そのような事態を防ぐために憲法が制定され(厳密な成文憲法を持たない英国のような国もあるが)、

犯罪に対する刑罰を含め、法律によって国民権利制限する際はこのような手続きを踏まなければならない。

また、このようなことをしてはならない』ということが定められているわけである

2.議会とは何か

 民主主義における議会役割については2つの考えがある。

1つは、『多数決民主主義』と呼ばれるもので、『手続きに沿って皆が意見を出し合った上で(ここ重要)、最も良い意見を選ぶためにある』というものだ。

民主主義多数決ではないとは書いたが、実際には多数決を行わざるを得ない状況があることは否定できない。

ただし、『何でもかんでも多数決で決める、それ“だけ”が民主主義』ではない、というのが表題意味だ。

もう1つは、『熟議民主主義(または討議民主主義)』と呼ばれるもので、

『世の中にA,B,C,Dの意見を持つ人がいるとき、その代表者たちが議会で熟議を重ね、皆が納得するEという結論を出すために議会はある』というものだ。

この2つの考えはどちらが正しいというものではない。議題によって多数決よりになることもあれば熟議よりになることもあるが、2つともが議会役割である

3.議会における杉田水脈役割

 多少の誇張を含めて言うのであれば。杉田水脈は『ホモフォビアの人の代表である

現在の世の中には、ホモフォビア存在する。それは自明事実だ。

そのような『ホモフォビアの人の意見を、メディアでは取り上げません』というのはできるかもしれないし、

ホモフォビア的な内容を掲示板SNSに書き込むことを禁止し、削除させます』というのも、もしかしたら将来は何とか可能になるかもしれない。

だが、『選挙立候補者政見放送選挙公報でホモフォビア的な主張をすることを禁止します』というのは政治的に困難だ。

それを可能にすると、次は反安倍政権的な内容が規制されるかもしれないし、逆に反移民の主張が禁止されるかもしれない。

ましてや、『あなたレイシストから選挙権も剥奪します。投票できません』などということは二重の意味絶対にするべきではない

─1つには人の内面を、言動に現れていない部分まで正確に読み取る技術存在していないし、2つ目にはアウシュビッツ博物館の”差別心を持たない人の扉”が示すように、差別心の無い人はおそらく存在しないからだ─。

 だからこそ、ホモフォビアの人の代表として『俺たちの杉田水脈』が議席を持っている。

同時に、杉田水脈議席を持って活動しているにも関わらず『俺たちの杉田水脈の主張するホモフォビア政策議会で通らなかった』という事実こそが、

我が国にもホモフォビアはいますが、そのような政策は実現されません』という何よりの証明になる。

 『そうではない。市民代表ホモフォビア的な主張をすること自体が、同性愛者に対する圧力になるからそのような主張をさせるべきではないし、そのような人を議会に送るべきではない』

という考えの人もいるかもしれない。だが、そのような“政治的に正しくない”意見を遠ざけていった結果がトランプ現象を生んだという事実を我々、特にリベラル”な人たちはきちんと受け止めなければならないのではないか

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