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AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
気分はボヘミアンなミクスチャー

仏蘭西のジプシーパンクバンド「レ・ユルルマン・ドウ・レオ(Les Hurlements d'leo)」とドイツのフォーク・ミクスチャー・バンド「17ヒッピーズ(17 Hippies)」のコラボレーション・アルバム「ハードコア・トルバドールズ(Hardcore trobadors)」を聴いていた。

ギターにミュゼット、ホーン、ストリングスやらなにやらという編成でスカチューンやら悲しげなワルツやらの響きが実にジプシーな感じでよい。おまけに英語、仏語、独語で歌われておるので気分はボヘミア~ンである。ワールドミュージックなんつっていちいちカテゴライズする暇もないくらい多種の文化をチャンポンにしたような闇鍋感覚はかなり好きっす。

どちらのバンドも調べてみたらかなりの大所帯!このアルバムは6曲入りのスプリット・ミニ・アルバムだが、参加メンバの総数は20人越えの大編成!レ・ユルルマン・ドウ・レオの方はレ・ネグレス・ベルトやマノ・ネグラと比較されることの多いバンドのようである。17ヒッピーズはヨーロッパのあちらこちらのルーツ・ミュージックをベースにしておりジプシー・バンドっぽい雰囲気があるそうである。なので、そーゆー情報を元にこのアルバム聴きながら、この曲はどっちのバンドが主導権握っているのかなとか詮索してみるのも、ちょっと楽しいかもしれん。

でもって、連想したのがマノ・ネグラとロスト・グリンゴス、ブレッヒの3バンド。

マノ・ネグラは確か移民系仏蘭西人が中心のパンクバンド。といっても類型的なパンクとは一線を画しメンバの文化背景から自然発生したスカ、ロック。スパニッシュなんかのミクスチャード・ロック。ハイパーなノリがワールドミュージックという単語から連想されるお行儀のいい世界からどんどんはみ出していくところがかっちょよい。一時期日本でもガンガン紹介されまくったがいつの間にか、フェード・アウト。今ではフロントマンのマヌー・チャオのソロくらいしか情報は伝わってこない。「Casa Babylon」を聴き直してみたがやっぱしいい!

ロスト・グリンゴスは唯一のアルバムとシングルをカップリングした「バーゲルド・アモーレ」(WAVE盤)が日本でリリースされている。こちらはインチキ臭い怪しげなワールドミュージックが炸裂する怪盤と言ってもいいかも知れない。やる気があるんだかないんだかわからないような(多分)素人の女の子3人組がボーカルをとる「バーゲルド・アモーレ」から怪しげな日本語に脳髄がぐるんぐるんしてしまう「ニッポン・サンバ」まで、脱力してしまうようなこの世界はクセになるっす。なんっつーかフェリーニの「サティリコン」を観た時に感じたサイケデリック感覚みたいな・・・といったら誉めすぎっすか?

ブレッヒは独逸のバンドでキャバレーソングをテクノをいったん経由した感性で解体・再構築した感のあるバンド。「リーベスリーダーー愛の歌ー」が国内盤でリリースされているが頭がいいんだか悪いんだかわからないようなポップ感覚がキャバレーソングな曲調と相俟っていい。

とりあえず、レ・ユルルマン・ドウ・レオと17ヒッピーズは要チェ~ックっす!

説明責任を果たさないのは、国民に政府のオプションを強制しているということである。
銀行の窓口に所用を済ませに入ったのだが、何の気なしに手にした「Domani 12月号」で「Domaniジャーナル 村尾信尚」という記事を見かけてちと気になったことがある。この中で次のような指摘がある。

・今の日本は危機的状況である。
・「福祉を篤くしろ、だけど税金を上げるな」と政治を他人任せにするな。
・行政の無駄を省くことは前提だが国民も自分のことなのだから、増税というオプションも引き受けるべきだ。
・財務官僚経験から消費税10%は必要である。

拙い記憶で申し訳ない。もちっと頭のよさげな文章だったかもしれん。要は「お国の台所事情は厳しいのだから庶民も応分の負担をするべきだ」と言いたげな印象を受けたのだ。

はあ?

今まで「改革には痛みが伴う」として国民に増税を押し付けておいた挙句、状況は悪化する一方。説明責任は果たさない。政治責任は一切認めない。防衛省問題一つとっても本当に必要だった予算が幾らだったのか?対費用効果と実績についても納得できる説明は全くない。要はお金を何に使っているのか国民に全く説明しないで「お金が足りない、足りない」と政府は言っているだけだ。

説明責任を果たさないのは「国民の政治参加の機会を一方的に取り上げて、政府の提示したオプションだけ強制している」ということである。政治への積極参加というのなら、客観的なデータを国民が自由にアクセスできるようにしろ!

あと、毎度のことながら大手メディアもジャーナリズムとしてきちんと機能するようにしてほしいのだが・・・。村野瀬様のエントリ「従軍慰安婦への認識について読売新聞に向けて出された「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」からの抗議文」で読売新聞に対する抗議文が取り上げられてます。問題点がよくまとまっているので御一読を!



デス・カルトについて
デス・カルトの話をしようと思う。

某国を死に導く狂信者集団「日本会議」のことではない。勿論、オウムのことでもない。
ポジティブ・パンクを出自とするサザン・デス・カルトが米国でブレイクしたハードロックバンドのザ・カルトに変貌する前の過渡期的なバンド,デス・カルトのことである。単に名前が短くなっているだけじゃん・・・とツッコムあなた、ある意味それは正しすぎる。

ポジティブ・パンクというのはゴシック・ロックと呼ばれるジャンルの中でもオリジネイターであるバウハウス,ジョイ・ディヴィジョンの持っていた美意識やら知性、アート志向をキッパリ放棄し、ポストパンクの内包した暴力性、反社会性、反宗教的な部分を過剰に戯画化して黒尽くめ、白塗りひび割れなホラー映画さながらのビジュアルを積極的に纏った連中である。フツーの知性を持っていたらセックス・ギャング・チルドレン、サザン・デス・カルト、エイリアン・セックス・フィエンドなんてバンド名はぜってえつけないであろう。
80年代のフューチュラマ・フェスに参加したバンドをNMEが一絡げにポジティブ・パンクと総称したところが始まりと言う。前述したような連中のどこがポジティブなのかは理解に苦しむところである。おまけに縮めてポジパンと言ってみると恥ずかしい感と頭悪そ感が一気にブーストするので発語してみることをお薦めする。

ポジパン御三家のセックス・ギャング・チルドレン、サザン・デス・カルト、ダンス・ソサイティを代表格にエイリアン・セックス・フィエンドやらスペシメンと言えば、ゴスの本家本元バウハウスのメンバーやバースデイ・パーティーのニック・ケイブあたりから毛虫のように嫌われており、インタビューなんかでも「ゴスとひとくくりにしてあんなのと一緒にするな」とかクソミソに言われている存在である。実際、これらのバンドをゴスコンピで何度聴いてみてもピンとこなかったのは自分のセンスの問題ではなく、やはり単につまらなかっただけなのだと思う。

上記の理由からゴスを標榜しているにも関わらずポジパンと括られているバンドを聴くのは問題外であった。もちろんASフィエンドのPV集購入したりとかゴスコンピで網羅的にチェックしてみたりとか色々努力はしてみた。しかし、聴いてるだけで自分まで頭悪くなりそうな音世界には目の前がクラクラして無駄な努力は辞めたのだ。

にも関わらず、先日いきなりデス・カルトに手を出したのはレコファンでデスカルトの唯一の音源「GhostDance」が中古で安く出てたからに過ぎない。我ながらチャレンジャーである。ちなみに、この音源はリリースされた全シングル3枚をかき集めた代物だ。デス・カルトとしての活動期間中にフルアルバムが作られていないところが実に80年代のインディーズだ。まあ、ディストリビューションがベガバン(*1)だったことと、以降のザ・カルトとしての活動が普通に受容されている事実が、他の有象無象のポジパン軍団よりも購入へのハードルを低くする決定打であった。

正直言って、ザ・カルトを聴いた時「あまりに普通のハードロック」で「いい」とは思わんかったのだ。ゴスの欠片も感じられなかったし、どっちかとゆーとネイティブ・インディアンの雰囲気ものにかぶれただけのハードロックというイメージだったのだ。おまけにゴス・コンピで聴くSDカルト期の音も個人的には「なんだかなあ」という感じだったのだ。どっちに転んでもハズレしかないような気もしたが、中古で安いしい、ハズレでも仕方あるまい程度で聴いたのだ。その感想と言えば・・・。

あえて言う、ツボであると!

なんつーかSDC期のポジパン特有の音楽的輪郭の希薄さをザ・カルト期の骨組みで補強しているといったらいいのだろうか?ザ・カルトではその骨組みの方が勝ちすぎており普通にミュージシャンシップが発揮されている。そのためポストパンクの感性一発、山師的なノリがあまり感じられなかったのだ。むろん、山師的なノリだけでも駄目なのは言うまでもないが、そのあたりのバランスがデス・カルトは絶妙なポイントだったのだ。アングラ感がそこはかとなく漂うところがこのままでブレイクできなかった理由の一つだと推察する。この短期間でさえドラマーが変わったりとメンバは安定しておらず音楽的過渡期にあったことが、たまたまいい方向に作用しただけなのだと思う。問答無用の説得力があるかと言われれば勿論口篭もるしかない。しかし、そのB級っぽいアングラ感こそが好みだったりするのだ。

他人様に薦められるバンドかと言うと、真性ゴスな人にボソっと「いや~実はデス・カルトも意外とツボなのよ」と言えるくらいである。ふんとにT.REXやらジャム、スタカンを「いいぞ」と誉めるのと違って、「誉めるのもちょっと後ろめたいポジパンって・・・」と思う今日この頃である。

(*1)ベガーズ・バンケット。レコード屋を母体とする70年代末から出てきたインディペンデントレーベル。80年代初頭に会社が大きくなってからも、新人アーティスト発掘を目的とし小回りが効くように4ADやシチュエーション2等の子会社を設立する。ちなみに4ADはゴシック、耽美的色彩が強力なレーベルカラーを持っていた。リリースされるレコードデザインは23エンベロープというデザインチームが一手に担っておりレーベルとしての統一感もかなりのものであった。一時期、4ADであれば買うということをやっておりました。



何考えているのかなあ?と疑問に思うことしきり
「防衛技術の開発のために武器輸出3原則を緩和したい」などと、三菱重工の幹部がホザいている。(*1)

そもそも兵器の開発において防衛用技術とか攻撃用技術と明確な分類などありえないのに、防衛を口実に兵器開発をして輸出できるようにしようとする魂胆が浅ましい。そういえば先日も国産ステルス機の開発を進めようとしているという報道がされていたが、こちらも実験機を使用しての対ステルスの防空能力向上のための開発という口実が情けない。(*2)

兵器開発なんかに予算をつける余裕があるのなら食料及び資源自給率を改善するための政策見直しが先決だと思う。なんつーか国家の意思決定をする人間って、「海外からのライフラインがストップしても自分たちだけは無関係だ」と思えるほど想像力がないのだろうか?

*

あと3Kが「「集団自決」首かしげる記述が次々パスに」(*3)というギャグのような見出しで記事を出している。これ書いている人って「あなたのツッコミお待ちしてます」モードなのだろうか?3Kクオリティといえばそれまでだ。しかしジャーナリズムとして、も少しマトモな記事を書いて欲しいと思うのは贅沢な願いなのだろうか?

(*1)
武器輸出3原則の緩和を=三菱重工幹部-参院委が参考人質疑

12月25日13時1分配信 時事通信

 新テロ対策特別措置法案を審議する参院外交防衛委員会は25日午前、防衛装備品の調達に関する参考人質疑を行い、三菱重工業の加藤千之航空宇宙事業本部副事業本部長から意見を聴取した。加藤氏は、政府が武器輸出を原則禁じている武器輸出3原則について、兵器の国際共同開発を促進する観点から緩和すべきだと訴えた。
 加藤氏は「防衛装備は開発費も非常に多く掛かり、多国間の共同開発が今後ますます増えていく。そのときに声が掛からないということは、(技術が)世界の潮流から遅れてしまう可能性がある」などと指摘した。現在、兵器の共同開発は、技術の研究成果や部品の外国への提供が「輸出」とみなされ、3原則に抵触する。 

(*2)
防衛省:ステルス実験機「心神」開発に466億円--6年計画で

 レーダーで探知されにくいステルス技術を搭載した国内初の実験戦闘機に関する防衛省の開発計画の概要が5日分かった。開発総経費は466億円で、名称は「心神(しんしん)」。来年度から6年かけて飛行試験も含めた開発を進める予定で、初飛行は11年度中の実施を目指す。

 開発計画によると、「心神」は全長14メートル、重量9トン。急速な方向転換や超音速飛行を可能にする高機動エンジン(XF5-1)も初めて搭載。飛行中に全方位的に周辺の探査ができる高性能レーダーの研究開発も並行して進める。

 ロシアはすでにステルス戦闘機の開発を進めており、中国も開発を急いでいるとされる。こうした事情を踏まえ、実験機を日本のレーダーシステムで捕らえ、防空能力を高める狙いがある。一方で次期主力戦闘機(FX)の選定は、有力候補だった米国のF22(ステルス機)の禁輸継続が延長され先送りされた。自主開発も選択肢であることを示し、交渉力を高める思惑も働いている。【田所柳子】

毎日新聞 2007年12月5日 東京夕刊

(*3)
「集団自決」首かしげる記述が次々パスに

12月26日16時18分配信 産経新聞

 「強制集団死」「沖縄県民大会開催」「意見書可決」「検定制度批判」…。26日に公表された沖縄戦集団自決をめぐる高校日本史教科書の訂正申請記述では、検定の申請段階にはなかった記述が大幅に書き込まれた。断定的な記述や信憑(しんぴよう)性が疑われる記述、事実ではあっても教科書記述として首をかしげたくなる記述が次々とパスした。
 18年度検定では「日本軍によって集団自決に追い込まれた」とする記述が、「自決の主語が軍にあたる」として認められなかったが、訂正申請では、複合的な要因が加われば許容された。軍の強制を示す記述も、軍による直接的な強制と断定しない場合は通過した。
 当初、検定意見がつかなかったものの、訂正申請で大幅に加筆したのは第一学習社。訂正申請では「日本軍は住民の投降を許さず」とする断定的な記述を加筆した。渡嘉敷村の守備隊長が村民に対し「非戦闘員だから最後まで生きてくれ」と言ったとされる証言も否定しかねない書き方だが、「軍の方針は確認できるから不正確ではない」(文科省)という。
 三省堂の本文は「日本軍の関与によって集団自決に追い込まれた人もいる」。軍のかかわりを「関与」と弱めたが、側注で「日本軍によってひきおこされた『強制集団死』とする見方が出されている」と加筆した。軍強制を明示しているが、「最近の見方なので認められた」(文科省)という。
 東京書籍は本文以外での加筆が際立っている。「『集団自決』に日本軍の強制があった記述が消えたことが問題になった」として今春の検定を批判。側注で「沖縄県では、県議会・全市町村議会で検定意見の撤回を求める意見書が可決され、大規模な県民大会が開催された」とした。地方議会の意見書レベルが教科書記述に載るのは異例だ。さらに、囲み記事では「手榴(しゆりゆう)弾を手渡し、『一こは敵に投げ込みあと一こで自決しなさい』と申し渡した」とする自決訓示の情景描写が加わった。これは、検定審に提出された沖縄専門家の意見で「信頼性が低い」とされている。
 清水書院は、年表に検定意見撤回を求める意見書可決を盛り込んだ。今年を代表する出来事かどうかは疑問だが、「何を書くかは教科書会社の判断」(文科省)という。
 実教出版は「強制的な状況のもとで」などの記述を加え、強制性を鮮明にした。訂正申請の理由として「高校生が正確に沖縄戦を理解するうえで支障をきたすおそれがある」ことを挙げた。
 一方、山川出版は「日本軍によって壕を追い出されたり、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」とする簡明な記述。検定審から唯一、意見がつかなかった。


リトル・ダンサーのサントラについて

以前、拙ブログでも取り上げた映画「リトルダンサー」のサントラ盤を見つけた。

この映画は80年代の炭坑街を舞台にバレエ・ダンサーを夢見る少年の物語だ。
では、サントラはバレエ音楽のコンピかと言ったらさにあらず。T.REXを中心にクラッシュやらジャムの曲が収録された、思いっきりロックなアルバムなのだ。

この映画を見たときはT.REXの楽曲ばかりに目が行ってしまって気づかなかったのだが、80年代のさびれた街に流れるサウンドトラックがパンクムーブメント下にあるクラッシュとジャムだったのだ。特にジャムのポールウェラーはスタイルとしてはネオ・モッズでポップでお洒落な感じのインスツルメンタルに政治性の強い歌詞をぶつけておるので、なおさらサッチャー政権下のストライキ真っ最中の閉塞感の中の気分にはずっぱまりだったんじゃないかと思う。

そして、T.REXはグラマラスな世界への願望と予感として機能しておるのだ。ずっとT.REXの「コズミック・ダンサー」はビリーくんの心象風景だと思っていたのだが、赤尾美香によるライナーに「マーク・ボランが兄ちゃんの10年前のアイドルだったのかも」という指摘があり納得。考えてみればマーク・ボランは「パンクのゴッド・ファーザー」という評価もあるのだから、クラッシュやらジャムへの系譜として解釈すると決して突拍子もない組み合わせでもない。

このサントラが最高にグーなのは映画では流れないスタイル・カウンシルの「シャウト・トウ・ザ・トップ」「タンブリング・ダウン」が入っているところだ。スタカンといえばポール・ウェラーがジャムの後にミック・タルボットと組んだモロお洒落なサウンドのユニットだ。ここではアシッド・ジャズへ連なる音世界を展開しているわけなのだが、やっぱし歌詞は政治性が強い。この2曲はTVでもよく使用されるので聴いたことあるだろう。特に後者の「タンブリング・ダウン」はこの順番だとヤケに高揚感がある。ビリーくんが踊りまくりながら街を走っていく姿を思い出しながら聴くと、かっちょいいんだか嬉しいんだか何だかわからなくなってこっちが踊りだしたくなるような感覚がある。

映画の方もそうなのだが、ほんのちょっとの希望と夢を抱えて現実を生きていくためのサントラとしてお薦めである。

「ブラザーズ・オブ・ヘッド」の話
先日、ブライアン・オールディスの「ブラザーズ・オブ・ヘッド」(河出書房)を発見!

今年のド頭に映画化された本作が日本でも公開されているので、そちらの方で知っとるムキもおるかもしれん。(残念ながら未見)
英国北部のレストレンジ半島に生まれ育った結合双生児のハウ兄弟がデュオ”バン・バン”としてポップスターとなり、失墜する物語だ。主人公は腰のあたりで繋がっているハンサムな二人なのだがその肩に三人目の頭があるというかなりの設定だ。(どうも映画の方は二人だけらしい)

結合双生児というと萩尾望都の「半神」やジュネ&キャロの「ロスト・チルドレン」あたりから、ボビー・ブライトの「ロスト・ソウルズ」に登場するバンドのモデルになったとされる双子の美形がフロントマンのジーン・ラヴズ・ジザベルなんかを連想してしまうのだ。人によってはクローネンバーグやグリーナウェイかもしれん。主人公が結合双生児のポップアイコンというだけでOKでせう!

おまけにブライアン・オールディスといえばSF界NWの重鎮。「グレイベアド」やら「地球の長い午後」「爆発星雲の伝説」「蓋然性Aの報告」「マラキア・タペストリー」と個人的にはツボだし、広義のビルディングス・ロマンとしての「手で育てられた子供」なんてのもあって、読む前から妄想は膨らむ一方であった。

ストーリーはハウ兄弟に関わった人たちの手記のスクラップという形で語られる。このことで言外に語られているエピソードも含め、多層的な見方が提示されているのだが、読後感はそんなに小難しい印象はない。断片的に語られたエピソードをかき集めてちょうどいいくらいの書き方だ。本当に、絶頂期でノリノリのオールディスが軽く書き流した感じなのだが、そのノリがいい方向に機能している。クライマックスへの展開は、あらかじめ予想できるものなので意外性はないが、バン・バン、その後のエピソードでの半島の描写が終末の風景っぽくてすっげえ好きだ。

原書はイラストレイテッド・ノヴェルという形で発行されたのだが、イアン・ポロックの手になる悪意でグロテスクにねじけたようなイラストも本文庫では収録されており、これがまたいい。個人的にはマーヴィン・ピークのゴーメンガストを連想しちまったぞい!

映画の方はティーニーポップというよりもパンクっぽいイメージ設計になってるようなので、そちらも早くチェックしなければ!

国民に喧嘩売ってるのか?
今日、「週刊ダイヤモンド」を購入。

まだ読んでいる最中なのだが、軽く目を通した感触だと今度の特集は頑張っているな・・・という感じっす。個人的には年次改革要望書との絡みなども含めてもっと突っ込んでもいいかもしれんと思うが、この手の雑誌としては高得点。


こーゆー方向で頑張ってくれるなら、応援します!

*

昨日、MDの実験に成功という報道が流れたと思ったら、今度は自衛隊法を改正して「日本への飛来が確認できない段階で、防衛相の事前命令により、現場部隊がSM3での迎撃を行える」ようにしようとしているらしい!(*1)

これって無茶苦茶ヤバい話だぞ。国会の承認等による文民統制が担保されない今回の要領改正はMD運用の名の下に恣意的に運用されかねない危険を孕んでいる。PAC3との連携を口実に国民保護法とセットで運用した場合、防衛相が「緊急事態発生!」と暴走した瞬間誰にも止められない改正方針である。

お前ら、国民に喧嘩売ってるのか?

こんな要領改正は基本的人権を担保しない。国家が自由に人権を蹂躙することを可能にするものでしかない。いかなる観点でも違憲でしかない。こーゆー馬鹿げた改正は止めるべきである!

ちなみに自分は弾道ミサイルを100%迎撃できない限り、日本においてはMDは税金の無駄遣い以外の何者でもないと考えている。よく撃墜率が100%はありえないことに対して「ないよりマシだ。少なくとも近隣諸国に対する抑止効果はある。」という意見がある。しかし、首都に一発でも着弾した場合、国家としての機能は完全に麻痺する。(どこかの頑迷で無知な右翼でレイシストなクソ知事が首都機能の分散を頑なに拒んでいるというのが、安全保障上の観点から見て逆効果でしかないという点がお笑いであるが。)

はっきり言って日本の他国へのアドバンテージは経済的に滞りなく運営できているという条件でしか成立しない。食料自給率及び資源自給率が恐ろしく低い日本は他国との交易が正常に機能している間しか生存することがないのだ。(*2)だから「抑止力としての国家の武装は幻想でしかない」と結論する。(*3)おまけに米国の対アジアMD構想に組み込まれることによって日本独自の外交政策は不可能になる。要は日本がMDを運用するということは「21世紀の冷戦」に向けて突っ走る米帝の先鋒になるということだ。どんな観点から見ても平和憲法を護持する国家のあるべき姿ではない。

いかなるコストから見ても、安全保障上の理由からもMDの運用は無駄なだけだと断言する。
多分、真意は国益とか国民の安全などではこれっぽちもなく、防衛利権に群がる利権メタボな人たちの後先考えない行動原理以外の何者でもないのだろう。

(*1)
 <海上迎撃ミサイル>事前の命令可能に 政府が要領改正方針
12月19日2時31分配信 毎日新聞

 政府は18日、迎撃試験に成功した海上配備型迎撃ミサイル(SM3)の来月上旬の実戦配備に備え、ミサイル防衛(MD)運用の緊急対処要領を改正する方針を固めた。

 地上配備型迎撃ミサイル(PAC3、3月配備)に適用している要領を改正するもので、他国が弾道ミサイルを発射準備中の段階で、防衛相が自衛隊に対し、SM3による迎撃を前もって命令できるようにする。19日の自民党国防関係合同部会の了承を経て、近く閣議決定する方針。

 自衛隊法はMDについて(1)他国が日本に向けてミサイルを発射する意思が明確な場合、武力攻撃事態と認定し防衛出動する(2)ミサイルが日本に飛来する恐れがある場合、首相の承認を得て防衛相が迎撃を命令する--と定めている。今回の改正で、日本への飛来が確認できない段階で、防衛相の事前命令により、現場部隊がSM3での迎撃を行える。【田所柳子】

(*2)先ほど見ていた報道ステーションで穀物類の輸入価格の上昇で物価が上昇する件をやっていたが、これも安全保障上の理由からも農業政策を見直し「地産地消」の方向にもっていかないと危険極まりない話である。

(*3)抑止力による均衡状態はかなり限定された条件下でしか成立しないと自分は考えている。たとえば周辺諸国というものが存在せず特定の二国間だけで軍事戦略がクローズする場合とか・・・。要は国家が密集しているところで「自分が保有するのは抑止力だけだ」なんてホザこうが他国にしてみたら全て危険な軍事力なのだ。大体、自国の軍事力だけは善意と正当な理由でのみ運用されると考えているのは「60年前の国家としての記憶」を喪失したおめでたい人だけだと断ずる!





今週の「週間ダイヤモンド」!

喜八ログ様のところでも話題になってる今週の「週間ダイヤモンド」!

電車の中吊広告でも「郵政民営化が日本を不幸にする」という見出しがあまりにかっちょよかったのだが、いつもオッサン雑誌と馬鹿にしてたのでイマイチ購入にいたらなかったのだ。ところが喜八様のところで紹介されていた「ダイヤモンド・オンライン」の方を確認したら、内容もなかなかよさげじゃん。

馬鹿にしてすんませんでした明日、ちゃんと購入します。
ついにこの手の雑誌でも取り上げる日が来たかア・・・。(ちょっと感慨)

*

どーでもいいが(どーでもよくない、よくない!)国会って小学生の学級会じゃないっつーのに。ふんとに「UFOがいるとかいないとか」なんて、いい歳こいたオッサンどもが国政の場でマジな顔してそーゆー話をするなっ!
ただでさえ説得力のない与党政権が居酒屋で駄弁っている酔っ払い親父と同じレベルっつーことを国際社会に晒しまくって、国民としては恥ずかしい限りである。勘弁してくれい!



日本はコストを最大化することが自己目的化しているのか?
最近、あまりに下らない政治ネタが多すぎて怒りを通り越してガク然とするしかない今日この頃である。

年金問題が「公約違反」かどうかとか福田氏と枡添氏の発言が問題になっている。客観的に「公約違反」以外の何者でもないが、とりあえず脇におく。

「政策実現能力があるのは自民党だけ」とか「最後の一人まで・・・」とかブチ上げておいて、「ないものはない」とか「選挙対策です」なんて言うのは、自分たちの無能さを認めるようなモノっしょ?そのあたりの場当たり的な発言を何も考えずに繰り返すのは、「所詮、国民のことは他人事。自分たちの失政で死生が左右される人間がいることに想像が至らない」証左だぞ。

まあ「このくらいの公約が守れないのはたいしたことない」と言い切ってしまう買弁政治家が出てきたあたりから、民主主義国家を装うこともなくなって「誰の利害に忠実なのかわかり易いと言えばわかり易い」のだが。

実のところ名寄せ不可能なデータの中には入力ミスなどの理由により紙台帳と照合できないものが存在することは参院選の前から予想できたことだ。おまけに紙台帳自体が遺失して突合できない例も多々あるはずだ。それらのことを考えたら、いまさら「突合がどうこう」などとホザいて無駄なリソースを投下するより「未払いとなっていると推測されるケースは全て救済する」べきである。そして、そうしない理由はない。

でもって、この無駄なリソース投下の図式は薬害C型肝炎についても全く同じことが言える。「被害者全員救済」であるべきだし、それが実は一番コストがかからない民主国家としての対策だ。そもそも救済対象を限定し、その行為を正当化するために必要な有形無形のコストは莫大なものだし再発防止の効果も限定的だろう。(*1)

要は今の自民党政治って本質的な対策、解決を先延ばしにして(先延ばしにしないと都合が悪いのだろう)無駄なリソースを投下してコストを最大化することが自己目的化しているとしか思えないのだ。

っつー訳で来るべき衆院選では下野してもらいましょう。あと、自公ルールの選挙とならないように「電子投票法案」も「ネット監視法案」も要監視だっ!


(*1)有形無形のコストという考え方は村野瀬様の「死刑制度のコスト」から辿ると面白い。
私たちはあなたたちをそこにノホホンと居座らせない
薬害C型肝炎訴訟原告の「もうこの内閣には期待できない」と涙を流す会見の映像が流れている。福田氏に被害者全員の一律救済の政治決断を迫るための面会は実現しなかったのだそうだ。

なぜ、この人たちが泣かなければいけないのだろう?

「新テロ特措法は絶対に成立させなければならないのだ」といきまく人たちがいる。だから会期延長して越年国会もしなければならないそうだ。

一体、誰のために?

消えた年金記録約5000万件中、945万件が特定できないという。髪が不自由な方がキレ気味にわめいている。「他の方が大臣になっても結果は同じ。ないものはないんだから」だそうだ。

では、何をしてくれるのだ?

あなたたちはそこで私たちのお金を湯水のように使って、私たちをどこへ連れて行こうとしてるのか?

「お前たちはもっと低い水準の生活で我慢しろ」と言う。お前たちよりも苦しい生活をしている人間が幾らでもいるからだそうだ。

「お金がなければ医療を受ける資格はない」と言う。

「地方は自分で責任を取りたまえ。しかしお金が欲しければ我々の言うことを聞け」と言う。

「我々の人権を守りたまえ。お前たちには我々に不都合なことを言う権利はない」と言う。

「さあ、我々のルールで選挙をしよう!」と言う。

私たちはそんなことを認めてはいない。

私たちはあなたたちをそこにノホホンと居座らせるつもりはない。

ブログタイトルについて・・・

「カナダde日本語」の美爾依様に拙ブログのタイトルが「空白なしで長すぎるためにサイドバーの表示を壊していること」が指摘されてしまいました。気づかなかったとは言え、TBさせていただいた先にご迷惑をかけて大変申し訳ありませんでした。

とりあえずブログタイトルに空白を入れるようにしましたが、TBさせていただいた方で他にも類似の障害が発生している方おりましたらご指摘ください。

本当に失礼しました。
イチ推しはお嬢様
ネットテロリスト集団「護憲派アマゾネス軍団」の水葉様のところでこんなアンケートをやっておられます。

「コメント欄はネタの華」

とゆーことで皆様がイヂると清き一票を投ぜられると楽しい展開になるのではと思っております。

ちなみに自分のイチ推しはお嬢様。お嬢様のセクシーポーズはこちらだっ!

12月30日までだそうなので、お早めに(?)

拾二月八日考
ジョン・レノン(*1)が死んだと聞いて笑っちまったぜ!

そう「モータウン・ジャンク」で歌ったのはマニック・ストリート・プリーチャーズだった。パンクでロックは死亡宣告され「空白の80年代」と呼ばれた10年間の後に「音楽では世界は変わらない」と認識していた人間にはリアルな歌詞だと思っていた。

しかし、世界が駄目駄目だと認識していたハズの刹那主義者も結局生き延びることを選択した。そして自分も・・・。

自分が大人になったのだと言うつもりは全くない。ただ単に「世界は変わらない」のではなく「まだ、世界は変わっていない」と考えるようになっただけだ。

少なくとも自分たちが敗亡宣言をするまでは。

(*1)予定調和的に流される「イマジン」であるが、心あるムキは一度王様の日本語直訳版「想像してごらん」を聴いてほしい。イロモノと思われている王様であるが実は洋楽ロックの馬鹿ばかしさも含めて丸ごとその本質をついている稀有のアーティストである。「想像してごらん」は「イマジン」という曲を奉るだけのではなく、いい意味で卑近なレベルでその本質を理解する絶好の音源である。

日本において電子投票なんて民主主義の死以外の何者でもない
人権週間に死刑執行を行ったりとかネットコンテンツ規正なんてキナ臭い話が出てきたり、新テロ特措法を国会の再可決で通そうとしていたり、労働契約法やら生活保護の引き下げやらをブツけてくる政府与党の人権感覚、政治感覚って、思いっきり挑発的というか国民に喧嘩を売っているような気がしてならん。人権メタボなんてふざけたこと言ってるてめえらこそ、利権メタボじゃねえか!次の衆議院選を見てろよ・・・なんて思っていたら、なんじゃこれは?

電子投票法案っすか?

既に導入された米国でも問題視されているシステムを導入するってどういう気だ?投票方法やら集計方法が不透明になり、おまけに結果の再集計、確認ができないということで集計する側にとって都合のいいこと、この上もなしじゃないか!つまり与党の思惑でシステムレベル、集計プロセスのいずれにおいても選挙結果が作られるということである。先日の露西亜の選挙結果も限りなく怪しい結果であったが、次の衆議院選で電子投票が導入した場合の結果がどうなるかは目に見えている。真面目な話、現在の日本において電子投票なんて民主主義の死以外の何者でもないぞ!

以降は妄想モード。自分なら投票の際の本人認証という目的で生体情報の収集を当然行う。そして個人情報と投票行動の突合せで思想の追跡を可能にする。また、それらの情報はアクセンチュア経由で宗主国に垂れ流しにする。日本が米国に管理され労働力だけ搾取された北朝鮮のような存在になりかねない。

民主党も本気で政権交代を狙っているのなら、こんな馬鹿げた法案に付き合うな・・・と言いたい!



そういえば、またも日本の応用学力が落ちているという結果が出たそうだ。

自分はゆとり教育の弊害だとか時間数の削減が直接の原因ではないと考えている。むしろ教科書検定の問題のように、国が教育の現場に不当介入を続け論理的に思考することやリテラシーを養うことを妨げていることが、応用学力の低下という形で顕れているんじゃないやろか?おまけに耳あたりのいい言説ばかり注入するもんだから、知識の蓄積やら客観的な事実を認識する能力、問題分析能力が欠如した挙句、自爆史観倶楽部のようなカルト宗教に走ったりしているとしか思えん!

まずは国民が国から教育の主体を取り戻すことが早急の課題だし、そもそも国が教育に口出しすることがおかしいという当たり前の事実を皆が認識する必要があると思う。


一体誰の利益に目を向けているのか
お題二つ・・・。

とむ丸様のところでも取り上げられていた「道路特定財源の暫定税」。
自分もたまたまつけたTVで知ったのだが・・・。それにしても恒久減税として導入した控除をアッサリ廃止して、暫定税を30年間(多分、今後も)続けようとする感覚は理解できん。やはり国民の方に目を向けていない証拠だと思う!

しかも、こーゆー話が大っぴらにされず今まで報道されてこなかった点はマスコミも同罪だろう。最近の親族殺人事件中心の報道ばかりで、生活を直撃する法案についてまるで触れないのは政府与党の翼賛報道マシンと化していると批判されても仕方がないぞい。

*

さて、東京電力は5日、新潟県中越沖地震を起こしたとされる「FB断層」について、柏崎刈羽原発の設置許可申請当時(88年)の見解を改め、「活断層である」と認める内容の報告書をまとめ、経済産業省の作業部会で報告したそうである。

いきなり東電が活断層評価を撤回することをノホホンと異例とか言っている場合じゃないぞい!他の原発の設置場所についても早急に見直す必要があるし、件の浜岡原発についてもこれらの評価を踏まえて見直さないとトンデモないことになるんじゃないかい?

地裁判決において手続き的根拠に法的には問題がないとしても、安全性を保障するための根拠が揺らいでいるのだから住民の安全を優先するべきだろう。

なんか、どちらの話も一体誰の利益に目を向けているのかという点では根っこは同じだと思うぞ!

味覚のお話
1日あいてしまったが、「レミーのおいしいレストラン」についてである。

ピクサー製作なので安心して観れるのは予想できていたので、「いつ観てもいいや」とほったらかしにしておったので先月のリリースを機にようやく観たわけだ。

過去に観た「トイ・ストーリー1、2」(*1)、「モンスターズ・インク」(*2)、「ファインディング・ニモ」(*3)、「インクレディブルズ」(*4)とどの作品にしてもキャラクター造形や脚本の練り込み具合がすんばらしく、おまけにヲタクノリな作りこみ加減もゼツミョーで「しょせんファミリー向けやろ」という捻くれた観客でも絶賛するしかないのだ。

さて本作、料理の才能のあるネズミのレミーがボンクラのリングイニと協力しながら一流シェフとなる夢をかなえていく話なのだが、たまたま嗅覚をテーマにした「パフューム」を観た直後だっただけに、同様の生理的感覚である味覚をどのように表現するんだろうと思っていた。というのも「パフューム」では臭いを嗅いだ人の心象風景を割りと安易に使用しているので、後半ではその手法のありがたみがなくなっていたのだ。「パフューム」で違和感を感じたのは、このあたりのクリシェに頼りすぎている部分だったんじゃないかと思っている。

本作では、あちらこちらのシーンで出来上がった料理を美味しそうに視覚化している。ところが、味わった人が幸福になる心象風景を描くシーンは実はクライマックスの1シーンだけなのだ。だからこそ、そのクリシェがこの物語のキーとなるキャラクターの何をどう変えたのかを表現する上でものすごーく効果的に機能しとるのだ。ちなみに本作を制作する上でアニメーターに料理教室を受けさせたという話を聞いたが、それもさもありなん・・・というくらい調理のプロセスの再現も自然な感じに練れていていいっす。

また、ほとんどレミーの木偶人形状態だったリングイニくんも当然の葛藤をきちんと克服していくプロセスも描かれていて好感度高いっす。強いて難点を挙げれば後半の展開が若干ぎくしゃくしてるかなという点。そして、ネズミがうじゃうじゃ登場するので生理的に嫌な人ももちろんいるかもしれん。しかし、自分にはほとんど問題ではないっす。

ちょうど、家族でフリマに参加した時の売り上げで買った「塩キャラメルのモンブランショコラ」がものすごく美味しかったので、気分はアントン・イーゴだったりしたりする。

(*1)第一作でのバズの嫌味な感じとか糞ガキ、シドの「うん、うん、わかる、そのノリ」とかゆーキャラクター造形と反発していたウッディとバズが協力していく展開の巧さ。第二作における「玩具と子供の成長の関係」をサブテーマに設定した着眼点の確かさと炸裂するヲタクノリのブレンド具合。しかも、これらの要素が無理なく一般的な観客に訴求したのは驚きでもあった。ちなみに「ウッディのラウンドプレイス」は通俗的なカントリーウェスタンな人形劇のイメージで本編というのがあれば観てみたいと思う。

(*2)子供の悲鳴がモンスターの世界のエネルギーだったり、モンスターにとっては子供の方が危険な存在という設定が面白い。さることながら、「どこでもドア」状態のこちらの世界とあちらの世界を繋ぐドアの設定がクライマックスの演出では思いつく限りのアイデアてんこ盛りで、物語の基本設定はこう使うのだというお手本を見せられたような気がする。

(*3)ニモは先天的に片側の鰭が小さかったり、ドリーは長時間の記憶ができない記憶障害だったりでさりげなくマイノリティへの目配りが利いていて「親父の子離れ」をメインに展開される脚本もグーである。タンク・ギャングの連中も好きだが食い意地の張ったカモメ軍団も捨てがたい。

(*4)ウォッチマン的なヒーロー監視プログラムなんてヲタなネタから、冴えない保険屋に身をやつしたスーパーヒーローが家族とともに自分の居場所を見つけるとゆーファミリー向けなストーリーに展開してしまうのがすごい。また冒頭に登場するインクレディブル・モービルがアントン・フィーストがデザインしたバット・モービルみたくヲタク魂をビシバシ刺激してしまうのだ。実はマックのハッピーセットについていたこのミニチュアが欲しかった・・・。この監督は傑作の評価の高い「アイアンジャイアント」(未見です)も撮っておる。
なお、邦題については「インクレディブル一家」が「ミスター・インクレディブル」ではニュアンスが違うと思うのだがどうだろうか?「America's Sweet Hart」が「アメリカン・スイートハート」だったり「Big Fat Greek Wedding」が「ビッグ・ファット・ウェディング」だったりするのも含めて、一見原題をカタカナにしただけ風の邦題って、下手に日本語タイトルつけるより性質が悪い気がする。
ちなみに、この映画のために「ファンタスティック4」はSFXシーンを作り直すはめになったというのは有名な話であるが、「ファンタスティック4」が「トムとジェリー」の製作で有名なハンナ&バーバラプロでTVアニメ化されており「宇宙忍者ゴームズ」というタイトルで日本でも放映されていたことを指摘する人があまりに少なすぎる!やはり、「ファンタスティック4」ではなく「宇宙忍者ゴームズ」という邦題で公開するのがスジであろうし、当時のあまりなノリの吹き替えも再現して欲しかったというのは自分だけではないはずだ!ついでに言わせてもらえれば「スクービイ・ドウー」も「弱虫クルッパー」の邦題で昔の日本語TV版主題歌をピチカートファイブにやらせて公開した方がよかったと思うのだが。

「これは贅沢だから我慢しなさい」と上から指図されるのはむかつくのだ!
最近、TVのニュースを見ていても香川県坂出市の事件のことばかりで国会って何をやっているのだろうと思っていたら、流石日本の国会クオリティ。「生活保護基準の引き下げ」やら「労働契約法」がシレっと衆議院を通過しておって吃驚!

前者については生活保護基準が労働基準法の最低賃金に影響しとるから「ワーキングプアの労働意欲を削がないよう」にという政府の論理は逆に賃金の下降スパイラルに繋がる本末転倒な話だと、既にあちらでもこちらでも指摘されておる。後者については労働契約が労働基準法より優先されるという、要は労働条件に対する規制を実質取り払う法案であって圧倒的に個人が企業に対し不利な状況が生み出されることは想像に難くない。おまけに外資による国内労働力の収奪が目的ではないかという穿った見方もあり、国家的な将来の見通しがあった上で、こんな法案が提出されているとはとてもじゃないけど思えない。

おまけに、こんなのがセットで提出されているもんだから、労働条件の改悪が正当化されるわ、個人が企業から守られる法的根拠がなくなるわ・・・で、正社員であろうと派遣労働者であろうと単なる労働力として収奪されるだけの存在に成り下がることは間違いない。ホワイトカラーイグゼンプションどころの騒ぎじゃないっす!

やはり、生活保護基準とか最低賃金は支払う側の論理で決定するものじゃないのだ。そもそも、憲法の保障する最低レベルの健康的で文化的な生活を営むために必要なコストから決定するべきなのだ。国民の生存権を保障することを放棄しているという点では「生活保護基準の引き下げ」も「労働契約法」も違憲なんじゃないか・・・とさえ考えている。明らかに国民生活とは違う他の論理が支配しているぞ!

最近、政治系、時事系エントリを書く一方で音楽系やらの文化系エントリを立てることへのやましさみたいなものを感じて、エントリのネタの選定について色々思い悩むところがあったのだ。ワーキングプア問題について言及する一方で音楽やら美術なんかを論じるのってどちらにもリアリティがないんじゃないかとか、文化的なテーマってそもそも贅沢に類するものじゃないかとかいうヘンな自己規制みたいなものが働いていたのだ。

しかし、よ~っく考えてみたら人間は食べるだけで生きることができるわけではないし、文化的なものを享受する権利は誰にでもある。それを勝手に文化的生活の最低水準を仕切られて、「これは贅沢だから我慢しなさい」と一方的に上から指図される構図はむかつくのだ!
っつーわけで今後も好き勝手にエントリを書き散らします。

香水の話
週末にようやく、公開当時に時間が合わなくて観れなかった映画「パーフューム-ある人殺しの物語-」と「レミーのおいしいレストラン」を観る。

まず、「パーフューム-ある人殺しの物語-」である。

パトリック・ジェーキントによる原作小説「香水ーある殺人者の物語ー」が翻訳された当時に手にしたのだが、これが結構面白かったのだ。自身は体臭を全く持たないが超人的な嗅覚の持ち主であるグリュヌイユが、街角で出会った少女の体臭を永遠に閉じ込めるため調香師となる。しかし、その香りを手に入れるために・・・という物語だ。まるでほら吹き男爵の嘯くほら話のような奇想譚ともいうべき世界が展開され、クライマックスの聖人伝のパロディのような展開にいたっては暗い笑いのような感覚さえ覚えたのだ。

さて、その小説の映画化である。

いや~、いい線まで映像化していると思う。冒頭の腐った魚の悪臭漂う巴里の下町の再現といい、グリュヌイユの嗅覚が追いかける対象をカットバックすることで臭いの感覚の映像化にある程度までは成功していると思う。おまけにコスチュームも恐ろしく汚い貧困層から富裕層のこ洒落た香水の臭いがぷんぷん漂ってきそうな格好まで、よく出来ており観ていて楽しい。おまけにクライマックスの刑場のシーンからラストの天使降臨のシーンまで、小説の馬鹿馬鹿しい部分まできちんと映像化しておりグーである。

惜しむらくは小説の地の文を使用したナレーションであんなこと、こんなことを説明しちゃっているので、監督の解釈とかそんなものが入り込む余地が意外となかったのが残念といえば残念。古いドラマトウルギーに従ったのかなという気もする。また嗅覚という生理的な感覚を視覚映像に置き換える行為には当然困難がつきまとうことは理解しているつもりなのだが、表現にもう一声欲しかった・・・というのが正直な感想である。

ちなみにこの映画、小説ほどグリュヌイユというキャラクターを突き放して対象化していないような気がする。そのため、単に少女の記憶としての体臭へのフェティッシュな拘りが物語を駆動するのではなく、体臭を一切もたないために誰からもその存在を認知されない希薄な個であるグリュヌイユが、自分を世界に認知させるために無駄な足掻きをし絶望していく姿への同情の方が若干勝っているかなと思ってしまった。

そこで、思い出したのがバリントン・J・ベイリーのSF小説「カエアンの聖衣」。知ってる人は知ってるワイド・スクリーン・バロックの傑作である。この小説の主人公も無個性な存在で、「衣装は人なり」という哲学を持つ惑星カエアンで作られた聖衣に支配され超人的な能力を駆使して奇想天外な物語を展開するのだ。こういった観点で観ると色々バリエーションが出来そうだぞ。

無個性故に超人的な演技力を発揮してカリスマ俳優となるが、結局自分が希薄な個であることに気がついて絶望してしまう俳優。あるいは何も主義主張も個性すらもないが超人的なノリと空気を読む力でカリスマ的に政局を動かすが、結局自分が操り人形であることに気がついて政界から隠居してしまう物語・・・アレ?