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AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
鳥獣戯画がやってきた!
先日、六本木ミッドタウンのサントリー美術館で開催されている「鳥獣戯画がやってきた!」を観て来た。

京都の高山寺に所蔵される「鳥獣戯画」4巻を中心に断簡、模本類も含めて展示される内容で、普段から馴染みのある図版を含む全体像が紹介されているということで、結構楽しみだったのだ・・・が。

「鳥獣戯画」四巻については、今までよく知らなかったのだが最初の二巻(甲巻、乙巻)が動物を擬人化して表現している、所謂「鳥獣戯画」と言ってすぐに想起される作品である。これに対して丙巻、丁巻は人物戯画といった感の強い作品。作者も異なるらしく画風もかなり異なる。やはりタッチの精緻さや品がよく動きのある画風の甲巻、乙巻が素晴らしい。これが平安時代に描かれていたという事実にちょっと吃驚。丙巻、丁巻は残念ながら作者の力量の差を感じてしまうというのが正直な感想だったりする。

中にはユーモアと諧謔というには、どちらかというとお下劣な「勝絵絵巻」「放屁合戦絵巻」。前者はペ○ス比べ、後者は文字通りの内容と、所謂「日本の古美術がどうこう・・・」なんてしかめっ面しい顔して観に行くと頭抱えてしまう代物もあって、ちと愉快痛快かもしれん。

断簡、模本を同時展示することで現存する作品と初期の作品状態の相違点が指摘されるなど、美術史的な観点もわかり易い面白い展示だったんじゃないかと思う。
残念なのは展示内容が前期(11/3~11/26)と後期(11/28~12/16)で異なっており、一番観たかった甲巻の場面が前期展示の中にはなかったことである。展示スペースの関係とか大人の事情もあるのかもしれんが、もちっと配慮してくれてもいいと思うのだ。そんなに足繁く通える人間ばかりじゃないのだから・・・。

子供向けに無料で配っていたパンフレット「おもしろびじゅつ帖ー鳥獣戯画の巻ー」は、巻物というスタイルも楽しいし子供が素直に親しめるといった点でかなりいいグッズです。


ゑひもせず
ふと杉浦日向子の「ゑひもせず」(ちくま文庫)を手にしてはまってしまった。江戸を舞台とした愛すべき小品というべき作品群は、知りもしない江戸の空気を確かな手応えで感じさせてくれるのだ。

箱入り娘の淡い恋心を描いた「袖もぎ様」、終わってしまった男女を点景する「もず」、通人気取りで吉原に繰り出す町人たちの「日々悠々」が特にいい。

杉浦日向子の初期作品ばかりなので練れてない部分も多々ある。しかし、描かれている風景の裏側にまで行き届いた想いがこれらを特別な作品にしている。他愛もないといえば他愛もない話ばかりだ。しかし、幸せな日常というものはこんなもので、気づかないうちに過ぎていくものなのだろう。

実は20ン年前に杉浦日向子の名前は「ぱふ」のレビューで見かけており「百日紅」の一部が鮮明に焼きついていたのだ。当時は象徴主義や審美主義を標榜していたので、ついぞ手にすることはなかった。しかし最近になってNAVI別冊の「助六」に触発され、そして店頭で出会ってしまったのだ。

「ニッポニア・ニッポン」、怪異譚「百物語」、古川柳をテーマにしたユーモアたっぷりの「風流江戸雀」、吉原を舞台にした様式性の強い「二つ枕」、葛飾北斎を主人公にした「百日紅」。立て続けに読んだのだが、どれも好きな作品ばかりだ。
しかし残る未読作品には当分手をつけないだろう。というのも杉浦日向子は既に江戸時代に旅立たれており、二度と新作を読むことはかなわないからだ。

未読の方は騙されたと思って手にしてほしい。これらの作品は江戸への時空を超えた通行手形なのだ。



蕎麦連想
深夜にそばを食していて、いつの間に自分はうどん党から蕎麦党になっていたのだろうとふと疑問に思ってしまった。

子供の頃はそばは不味いものというイメージがあり、食べるならうどん(またはラーメン)と思っていた。多分、実家で食べさせられたそばが不味かっただけかもしれんが・・・。

ところがここ1~2年は専ら蕎麦である。そば粉があればテケトーに湯で溶いて蕎麦掻を肴に日本酒を飲むというようになっていたのだ。
(といいつつも今飲んでるのはストリチナヤであるが・・・)

杉浦日向子の「蕎麦屋で憩う」とか江戸ものを読んでいるうちに自分の中で「粋であるため」の条件に「そば切り」と「日本酒」がインプリンティングされてしまい、麺を食らうなら蕎麦であると勝手に思うようになってしまったからかもしれん。旨い蕎麦にこだわるつもりはまったくない。そんな食し方は蕎麦には似合わない。おやつ的に食らうのなら蕎麦がいい。とか日本酒の肴に蕎麦がいいとか、その程度のことである。かなり、適当だ・・・。しかし、粋は蕎麦である。

蕎麦の方がハードボイルドだという説もある。押井守監督「立ち食い師列伝」からの連想である。いや、これも正確ではない。TV版「うる星やつら」の立ち食い師の方が先であるし、ハードボイルドという意味では「紅い眼鏡」の方が正確な気分である。後ろめたい素性を隠して禁止された蕎麦をかっくらうのが正しい作法であろう。
当然、「卵が先で汁を後からかけてくれ・・・。う~ん、いい月だ」とひとくさり能書き垂れてからだ。

だから、なんだと言われても困るが、立ち食いそばはハードボイルドなのだ。どこぞの蕎麦屋が旨いと能書きたれるよりはスタイリッシュなのだ。


痩せ我慢する黒猫の物語
ここに「ブラックサッド-黒猫の男-」(早川書房)というコミックがある。

フランスのベストセラーらしい。詳しいことはよくわからない。絵を描いているのはディズニーで仕事をしていたこともあるという絵師。道理で巧いはずだ。

登場人物はすべて動物。「一皮剥けば誰もが動物。巧すぎる絵がそう語るのだ」・・・寺田克也のキャッチコピーがかっこよすぎる。しかし、そんなにドライな世界じゃない。ここにあるのは泣き虫でセンチメンタルな探偵の物語。

黒猫の探偵ブラックサッドが元恋人の死を追求していく。ただ、それだけのことだ。

だが傑作である。絵も巧いしスクリプトも文句のつけようがない。キャラクターが皆擬人化された動物として描かれたハードボイルド。統一したスタイルが醸し出す雰囲気が素晴らしい。

一冊50ページ足らず。しかし、読後感は映画一本観た印象。1700円は決して高くない。

もし、あなたがフィリップ・マーロウに少しでも心を動かされたことがあるのなら、手にとって見てほしい。これは痩せ我慢する泣き虫男がバーボン片手に読む本である。


粋だねえなんて言われたい
昨年末にNAVI別冊の「助六」という雑誌を手にしてから着物を着てみたいとずっと思っていたのだ。もちろん、「助六」を目にする前から心の奥底で着てみたいという気持ちはあったのだ。それが特集「粋だねえなんて言われたい」なんて組まれた日には、ずずっんと海底に沈んでいたタイタニック号が浮上するがごとく、意識の表層に浮上してきてしまったのだ。(*1)

しかし、身長182cm、体重58kgという体型は着物を着てみようという時に恐ろしくハードルが高かったりする。
そもそも着物は高い。少しでも安く入手しようと古着を探そうにも、気に入った柄を探すだけでも一苦労なのに、程度のいいものは少ない。おまけに体型がネックで、古着屋やらフリマなどで程度のいい安いものを見つけたとしても「あ、無理!」と売り子に言われたことも一度ならず。だから、着物に対して鬱屈した想いがあったりするわけだ、無茶苦茶。

でもって、遂に奥さんが浴衣を作ってくれたので、念願の着物を着ることができたのだ。下関の花火大会までに角帯が見つからなかったので義父さんのやつを借りたのだが。

とりあえず、自分の着物があるというだけでも気分は全然違うっす。試してみる価値はあると思う、ふっふっふ。

後に店頭で市販の着物の寸法を確認したのだが、”175cm越えたら着物は着るな!”と言ってるようなサイズ設定ってどうかと思うぞ、ふんとに・・・。

(*1)NAVI別冊の「助六」って和ものをテーマにした男の美意識雑誌って感じで 結構グーっす。最近の号はなんとなく有名タレントのグラビアが減った分、普通のグッズ系雑誌っぽくなった気がする。
最近になって池波正太郎やら杉浦日向子にはまった原因も実はこの「助六」だったりする。