日本のポップミュージックは、海外のものと比較して音を詰め込みすぎる傾向がある。
それは両方のヒット曲を聴き比べると、明確に差があることが分かると思う。
ではなぜそうした差が生まれたのか?
能では沈黙がいちばん緊張しているし、尺八は音と音のあいだに呼吸が流れ、雅楽に至ってはテンポという発想自体が曖昧で、音が空間に置かれていく。
前近代の日本音楽では、「何も起きていない時間」は欠落じゃなく、ちゃんと意味のある時間だった。
現代ではどうか。
日本のポップ音楽は、伝統音楽から地続きで育ったわけじゃなく、西洋音楽の完成形を途中から一気に輸入した。
しかも、そのとき一緒に入ってきたのは、宮廷や教会、労働歌といった社会的文脈じゃなく、拍子や和声、構造といった「技法」だけだった。
西洋近代音楽は、拍が明確で、時間が前に進み、構造によって曲が運ばれていく。
その形式だけを制度と教育で取り込んだ結果、「音楽は止まらず進み続けるもの」という理解が強くなった。
ここで「間」は、共有された前提ではなく、不安や失敗の兆候として扱われるようになる。
ライブや放送、商業の場では、沈黙は事故に見えてしまうからだ。
日本語は母音が多く、英語のように子音でリズムを切ったり、溜めを作ったりしにくい。
その結果、隙間を作るより、音数で埋めるほうが安全になる。
さらに、日本のポップでは長いあいだ、メロディの複雑さや歌詞の情報量、転調や展開の多さが「技術力」や「親切さ」として評価されてきた。詰め込むこと自体がサービス精神、という感覚だ。(この辺りは、チラシデザインにおける情報の詰め込みとも関連していると思う。)
間が重要って、休符はヨーロッパが起源では
雑すぎだろ。音楽のこともっと勉強しろ
いいね この薄っぺらさはAIにしか出せない味わい
音ゲーやボカロあるいは両方育ちのコンポーザーが増えていることが音数増やすのが正義の風潮を産んでいる一因にもなってるんじゃないかと勝手に思っている
結構昔からじゃないか? けいおん!とか無駄にオケヒ入りまくってるし
もっと遡って90年代あたりに問題がある気がする
どう考えてもビートマニアのせいだろ
初音ミク的なチャンチキチャンチキいうリズムにも独自のグルーヴがあるだろ 知らんけど
俺は素で作ると 一つのコードが長い 細かく暴れない大きいサビ オルタナっぽい借用コード多用 ってなる。多感な頃にジェイポップを敵視して洋楽か洋楽っぽいのしか聴いてな...