おもな理由は労働者として働かせるための、奴隷資源がなかったこと。
オーストラリアの原住民は大陸中に点在していたため、原住民を収奪して植民入植者のために働かせることが出来なかった。
おもにこの理由により、労働の主力は犯罪者か入植者の2択になる。
また、現地ではオーストラリアを流刑地としないようにとの本国への働きかけが植民してしばらくすると強く要望されるようになった。
(あなただって定期的に犯罪者が送られてくる土地には住みたくはないですよね?)
そうした限られたリソースでより効率的な成果を上げるためには、労働者にインセンティブを与えるしか方法がない。
「働いたら、働いた分、報われる制度」
そのシステムを導入することが、社会の上部層にとっても利益となる社会構成だったのだ。
そのことは当初経済的側面だけであったが、やがて政治的な側面としても個人の権利の拡大を促すこととなる。
その結果、本国の英国よりも早く制度としてはより民主的な政治的諸権利が発展していくこととなるのは流刑地としてその歴史が開始された豪国のユニークなところだと私は思う。