1990年代後半。
インターネットはもう存在していたが、今みたいに誰もが使ってはいなかった時代。
上手い下手は関係ない。今はもう描かなくなった人間でも、ヲタクとして道を踏み入れたどこかで、ノートの端に一度くらいは何かを描いている。
「描けるか」よりも「描こうとしたか」。描かなかった人間の方が少数派だったんじゃないかと思う。
なぜ描くのかは、今でもよくわからない。
今なら承認欲求だの自己表現だの言えるけど、当時はもっと単純で、「先に描いている人がいたから」それだけだった。
そして、絵が描けるヲタクはなんとなく尊敬された。上手いイラスト一枚は、どんな長文よりも一瞬で評価される。評価される代わりに、言い訳もできなかった。
当時の自分は完全な隠れヲタだったので、学校の友達に見せるという選択肢はなかった。だからゲーセンノートが、ほぼ唯一の発信場所になった。
普通のゲーセンノートなら、中高生の同人女性がSNKキャラを描き、そこに非ヲタ男子が下品な落書きを上書きしていくのが定番だ。
ところがその店は違った。
年齢層が妙に広い。中高生から、どう見ても三十路手前の人間までいる。
描かれる絵も多彩で、SNK一辺倒かと思いきや、鉄拳やソウルエッジといったナムコゲーが普通に張り合っていた。90年代後半という時代を考えると、あれはかなり珍しい光景だった。
濃い絵、ロリ絵、アメコミ調。ちょうどX-MENやMARVEL SUPER HEROESが流行っていた頃だ。切り絵師までいた。
そんな連中が夜八時以降に集まり、終電までダラダラする。非ヲタはその時間まで残らないから、空気はやけに穏やかだった。
ノートは猛烈な速度で消費された。
描く、読む、ツッコむ、返す。
三日ほど行かなかっただけで数十ページ進み、流し読むだけでも時間がかかる。ノートの順番待ちをするためにゲームをする、という倒錯した光景すらあった。
今で言えば、完全にSNSだ。
ただし決定的に違う点がある。
誰も「バズろう」としていなかった。
その代わり、名前も残らないし、評価も蓄積されない。だから、失うものもなかった。
今のSNSでは、発言は記録され、評価され、文脈を切り取られ、時には一生残る。
ゲーセンノートは違った。ノートが終われば全部消える。次のノートが置かれたら、またゼロから始まる。
今思うと、あれは「優しかった」のではなく、「軽かった」のだと思う。
軽いから、描けた。
軽いから、下手でも投げられた。
今も、あのノートは残っているのだろうか。
たぶん残っていない。