2025-12-21

1990年代後半、ゲーセンノートという“炎上しなかったSNS”があった

1990年代後半。

インターネットはもう存在していたが、今みたいに誰もが使ってはいなかった時代

ヲタクは、だいたい一度はヲタク絵を描く。

上手い下手は関係ない。今はもう描かなくなった人間でも、ヲタクとして道を踏み入れたどこかで、ノートの端に一度くらいは何かを描いている。

特に漫画アニメゲーム系、同人寄りのヲタクは顕著だった。

「描けるか」よりも「描こうとしたか」。描かなかった人間の方が少数派だったんじゃないかと思う。

なぜ描くのかは、今でもよくわからない。

今なら承認欲求だの自己表現だの言えるけど、当時はもっと単純で、「先に描いている人がいたから」それだけだった。

そして、絵が描けるヲタクはなんとなく尊敬された。上手いイラスト一枚は、どんな長文よりも一瞬で評価される。評価される代わりに、言い訳もできなかった。

自分が「人に見せる前提」で絵を描き始めたのは浪人時代だ。

場所ゲーセンノート

いわゆるゲーセンノート

当時の自分は完全な隠れヲタだったので、学校友達に見せるという選択肢はなかった。だからゲーセンノートが、ほぼ唯一の発信場所になった。

今思い返すと、あのノートは異様な熱量を持っていた。

普通ゲーセンノートなら、中高生同人女性がSNKキャラを描き、そこに非ヲタ男子が下品落書きを上書きしていくのが定番だ。

ところがその店は違った。

年齢層が妙に広い。中高生から、どう見ても三十路手前の人間までいる。

描かれる絵も多彩で、SNK一辺倒かと思いきや、鉄拳ソウルエッジといったナムコゲーが普通に張り合っていた。90年代後半という時代を考えると、あれはかなり珍しい光景だった。

ヲタク♂も普通に参加していた。

濃い絵、ロリ絵、アメコミ調。ちょうどX-MENMARVEL SUPER HEROES流行っていた頃だ。切り絵師までいた。

そんな連中が夜八時以降に集まり終電までダラダラする。非ヲタはその時間まで残らないから、空気はやけに穏やかだった。

ノートは猛烈な速度で消費された。

描く、読む、ツッコむ、返す。

三日ほど行かなかっただけで数十ページ進み、流し読むだけでも時間がかかる。ノートの順番待ちをするためにゲームをする、という倒錯した光景すらあった。

今で言えば、完全にSNSだ。

ただし決定的に違う点がある。

誰も「バズろう」としていなかった。

フォロワーも、いいねも、炎上もない。

その代わり、名前も残らないし、評価も蓄積されない。だから、失うものもなかった。

今のSNSでは、発言は記録され、評価され、文脈を切り取られ、時には一生残る。

ゲーセンノートは違った。ノートが終われば全部消える。次のノートが置かれたら、またゼロから始まる。

今思うと、あれは「優しかった」のではなく、「軽かった」のだと思う。

いから、描けた。

いから、下手でも投げられた。

いから、空気が壊れても誰も人生を壊さなかった。

今も、あのノートは残っているのだろうか。

たぶん残っていない。

残らなかったからこそ、あの場所は成立していたんだと思う。

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