2025-05-08

ええいやめんか

なにが批判だ、そんなものはただの非難ではないか

指摘の源泉が正義感だったとしても、他人の悪しき点だけを指摘し続け、代案もなくこき下ろすことのどこに正義があるというのか。

1日8時間労働を終えて、次に取り掛かることがこれなのか。

社会への不満、行き場のない正義感、埋めようのない孤独感をどうにかしたくて、あるいは何者かになりたくてなれなかった自分を慰めるために、やることがこれなのか。

君は批判と呼ぶそれを向ける相手以上に、一体何を努力したんだ。何とどのように向き合ってきたんだ。そしてどのような結果を残してきたんだ。

何もないなら今から向き合ってくれ。努力してくれ。結果は急がないがいずれ必ず出してくれ。何もしないが文句は言わせてもらおう、そんな理屈を誰が許すというのか。君は他人がそうしていても許すといえるのか。否、現に許してはいないではないか。だったら何をすべきかは自明であるのに、君はなぜ何もしないんだ。

最もらしい理由を探して弁解することはもうやめにしてくれ。君がなにをする/しないかなんて、自由に決めてよいことじゃないか。なぜなにかしないことの正当性ばかり説くんだ。私はこのようにある、この一言で済む話じゃないか自己保身のために他人を下げることを直ちにやめてくれ。そして世間体なんか気にせず自分人生を生きてくれ。言い訳で終わる人生なんて、見ていていい気分がしないんだよ。

全く無益時間だ。嫌なものを見たくなければ見なければよい、ごもっともな話である。目を逸らすたった数秒で、有限の時間の一部を失わずに済んだと思うと、私は至極愚かなことをしたと言わざるを得ない。

しかし、そういった自己責任論の果てに、ここで指摘するような人たちが道を踏み外したままという現状が転がっていると思うと、見て見ぬ振りを貫くことはそろそろやめねばならないと考えるようになってしまった。誰かが一石を投じなければいけない。そうした人たちに腹を立たせて、なにくそだってと奮起させなければならない。

駄文にお付き合いいただき感謝の念に耐えない。もし腹が立ったならば、直ちにその気持ち原動力にして、多少は前向きなこと、他人のためになることをしてほしい。そうすれば何処の馬の骨ともしれぬ人間の数十分は無駄に終わらないかもしれない。それは立派に誰かのために行動したと言えるかもしれない。どうぞひとつよろしくです。

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