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俺の『ドグラ・マグラ』読書計画

あ、「別にええやろ、俺がちょろっと喋った程度でネタバレになるほどそのまんま分かりやすい話じゃないだろ」ってノリなので、恐らく問題ない程度ですが「ネタバレのように見える記述」が登場すると思われるので潔癖で未読な方は撤退して差し支えないかなと思います。

池田仮名さん(id:bulldra)という形而下に恋人がいないブロガーがいるんですけど、なんか彼を含む誰か彼かがskype読書会なるものを催しているようです。

Skype読書会を開催して難しい本を理解できるようにしよう - 太陽がまぶしかったから

一回目の『車輪の下』はなんとか頑張って読んだんですけど当日寝過ごしちゃって参加できなかってすごく申し訳ない気分になったのでとりあえず美容院の予約をしました(その時の申し訳ない感覚が予約してた美容院をブッチしちゃって「あかん、また違う美容院探さなきゃ」ってなった時の気分に似ていたからそうしました。ツーブロックにしました)。で、二回目の『1984』はそこまで食指が動かなかったので参加しなかったんですけど、三回目は『ドグラ・マグラ』ということだったので、それならちょっと前に読んだところだしイケるんじゃねぇかなと思って参加しようかなどうしようかなと迷っている俺こと僕です。

ただこの『ドグラ・マグラ』、今年の初めの頃に過去2回だか3回だかの挫折を経てやっと読み果せたんですけども如何にもやっとこさ読み果せた感が強い雑な読みっぷりでどうにもこうにもそれで喋れることもねえからもう一回読まなきゃしゃあねえなという有様です。過去数回の挫折経験を経てほとんどチャカポコイップスになってた僕はもういい加減これは読める気がしないなと思ってたんですけれども、一応全部読んだ実績のある嫁から得た事前情報が効いてたのが読み果せた要因かなと分析してるんですけど嫁から得た情報を振り返ると一つは「作中作にあたる正木さんが書いた文章は中盤くらいで終わる」というネタバレ、これがないとたぶん同じように挫折してた気がする。もう一つは彼女の普通の感想で「読んでる間はこの世界のことをすごく分かったような気になる」ということを彼女は言っていて、こういうバイアスというのだろうかフィルターというのだろうか、或いは補助線によってむずかしいものごとが何だか分かったような気になって一歩また一歩と踏み込むのに使うエネルギーが大変省エネでありがたいみたいなことが世の中往々にしてある。そういうわけで、これらの「いいことあるよ」感を寄る辺に俺はなんとか『ドグラ・マグラ』読み果せたわけですけど、あ、今ちょっと「いいことある」だけに引っ張られて一瞬この段落全然ボケてないしミスタードーナツネタとか何か挟もうかなと思ったんですけどこのタイミングでミスタードーナツネタを挟んじゃうと僕の嫁の外見マツコ・デラックスみたいな人なんじゃないかなという刷り込みがしまう可能性を察したのでやめときますけども、じゃあまあ一回読んだしとりあえずもっかいササっと読むかと試みてもあんまりうまくいかないんじゃないかなという強い予感があるんですよね。ぶっちゃけ俺一回読んだけどあんまわからんかった。面白かったは面白かったんだけれどもあんまりよくわからんかって、まさに嫁の言うとおり「読んでる間はこの世界のことをすごく分かったような気になる」のだけれども読み終わった瞬間にほとんど忘れてしまった。これは何か正式名称がちゃんとあったような気がするんですけど、少なくとも俺はそう呼ぶ用語であるところのテトラーズハイ、アレに似ている。説明しよう! テトラーズハイとは、テトリスをやりすぎることによって発症するあの感覚のアレで、あまりに時間の許す限りにテトリスに没頭するとビルの外観を見かけた瞬間に窓と窓の間のスペースにT字テトラを入れたくなってしまうアレのことなのだ! 要はそんな感じでですね、とりあえず僕は『ドグラ・マグラ』を結構ちびちび毎日寝る前に少しずつで読み進めてたわけですけど、普通にその合間の生活において他人の悪癖を見るにつけて「こいつの先祖は一体何をやらかしたんだろう」と思う程度にはドグラーズハイに陥ってた記憶はあるんですけどね。まぁ、最後まで読み果せたら何だか分かった気になってそういうような感覚はスーッと抜けて人間らしい感覚に戻ったわけですけども、なんだか何処だか何処と無く、こいつぁ催眠というと言い過ぎかもしれませんがそういう風に仕向ける効能が何しかあるんでしょうね、それはまぁ作中でも明言されている通り。

僕の危惧はというと、もっかい同じように普通に先頭から終わりに向けて読み列ねたところで、結局また同じような雑なドグラーズハイに酔っ払って終わりになってしまうんじゃねぇかなっていうことですね。ちなみに僕が今までに罹患したラーズハイ系の症状でいうと一番ひどかったのがドリラーズハイで、ミスタードリラーっていう名作ゲームがナムコから出てるんですけど、もう街中の石畳が全部ミスタードリラーのブロックに見えててヤバかったんですけど、これ余談なうえに特にボケてるところがなかったのでただの「唐突な報告」でしかなかったのでヤバさがすごい。ヤバさがすごい。まぁ、俺が言いたいのは「ちょっと読み方を考えて読まないとドグラ・マグラ何回読んだって仕方ないぞ」ってことです。

なのでここからが本題で(ここまで2500字らしいです)、ドグラ・マグラを読み込むにはたぶん表紙からケツに向けて読むだけじゃしんどいぞと思うので勘でちょっと違う読み方を提唱するわけですけれども、僕自身は一回読み果せた人なのでもしこの本を未読で今読んでるこのエントリをキッカケに『ドグラ・マグラ』読んでみようかしらんって方がもしもいるのであれば、この作品って青空文庫で全部読める作品なので、そういう方はそこそこむっちゃ早いスピードで1時間くらいのえらいザックリ過ぎる短い時間でとりあえずガンガン読み飛ばして最初っから最後までザッと読んじゃいましょうってのをオススメします。それで大体「超頑張ってとりあえず一回は読んだ」の俺と同じ感じになります。つまり俺そのレベルでしか読めてない自覚がある。で、ここからするのはそこからの話、二回目以降の読み方の話、俺がこれから読む読み方の話、つまりは読書計画の話になります。

とりあえずこれって最後まで読めば一応わかるとおりA:一人称パート、B:作中作パート、C:戻って一人称パートの三大構成にざっくり分けられると思うんですけど、まぁ兎にも角にもBパートがキツイんですよね。なので、僕はさっきザザザーッと流れ読む感じでAパートを全部読みきったんですけど、とりあえずこのあと試しにCパートから続きを読み進めてみようかなと計画しています。単純に「Bパートがなかったらそんなつまらないのこれ?」っていう心持でBパートぶっ飛ばす所存です。どうせ最後まで読んだところでブゥーーーンよくわからないに決まってるので、一回飛ばすとどうなるかをとりあえず試してみようかなと思います。ほんでその後、Bパートの各論文なりお経なりインタビューなりを、「独立したもの」として触れていきたいなと考えています。作中作として次に起こることを理解するためのモノとしてではなく、「普通になんかそこにあった独立した文章」として読んでいきたいと思います。とりあえず、連続して違う作中作を読まない。チャカポコ読み終わったまま流れで正木先生の卒論に突入しない。何せヒトツ読み終わったわけなので充実感とともに風呂にでも入る。で、別のやつはまた別の日に読む。これをワンセット繰り返した後はどうしようかな、理想を言えばもういっぺんAパートとCパートをザザッと読んでもいいかもしれない。で、たぶんこの頃にはCパートなんかは展開に応じてC-1パート、C-2パート……って感じで自分の細分化されるんじゃねぇかなって気がする。この細分化が行われた時点でどうしたもんか、またA⇒Cで読み込んでもいいし、もっかい作中作のBパートを読みほぐしてもいいかもしれない。そういう繰り返しをやるかやらないかした後で、今度は本腰を入れてCパートを読み込みにかかる。文中で何かしら言及があったり関連性を見出せそうに感じたりした際には都度都度Bパートの該当箇所に戻って確認しながらここでやっと丁寧に読み進める。で、それで最後まで読み進めて最後にもう一回最初っから最後まで通して読むみたいな。シューティングを越そうと思ったらただ闇雲にトライし続けるよりもステージごとのパターン構築を優先していって、「未攻略のステージに相当数の残機を残して挑める状況」を組み立てる意識を持った方が結果的には効率がいい、みたいな。そういうゲームブックを読むみたいな態度で臨んだ方がもっと面白く読めるんじゃねぇかなーと考えています。たぶんですけど量こなすことが取っ掛かりになる精読って存在するんじゃねぇかなと思う。

ただ、物事って何でもそうだけど計画を立てるところまでが一番おもろいですからね。俺は今もう完全に上記のとおりの読書計画を立てたところで満足しまくっています。あとはこの計画に従って読むだけです。それが糞だるい。だるさしかない。前回はKindleの青空文庫で読んだんですけど、この計画に沿った読み方をKindleでやるのダルすぎる。文庫本買うのもめんどくさすぎる。何だったらBパートの作中作はプリントアウトしてタイトルごとにホッチキスで止めて手元に置いておいて、AパートCパート読みながらいつでも開ける状態にしておきたい。でもそれやるの超めんどい。めんどくさすぎる。何回読まなあかんねん。ただ、まぁ本来的にはたぶんこういうのは外道な読み方でこんな読み方が必要に感じられるような『ドグラ・マグラ』こそが外道なんだって話なんでしょうけれども、一回こういう読書体験をしてしまえば他の本を読むときにも割と応用できてタメになるんじゃないかなと気もするので折角だしやれる範囲で挑戦してみようかなぁ。あーでもやっぱ糞めんどくさいな。計画が一番おもろい。他はもう全部ダルい。

あと、「読むと気が狂う小説」というコピーで有名なこの作品なんですけれども、こんな鎖を具現化したいクラピカみたいな読み込み方すりゃあそりゃ精神もすり減るだろって話だし、鎖を具現化したいクラピカみたいな読み込み方しないとどうにも分かりそうにないように思われるこんなに混然とした話を一読で理解できちゃう人間がいたとしたらそいつは『ドグラ・マグラ』読まなかったところでそのうち何かのキッカケで発狂してただろっていうような気もする。

やっぱ普通にササーって読み流してゆるいドグラーズハイ味わって終わりでもいいかなぁ、でもそれもう一回やったからなぁ。もうめんどくさいから誰かこれくらいの読み込み方俺の代わりにしてください。とりあえず今夜はBパートすっ飛ばしてCパートを読み進めていこう。以上です。