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文学フリマ東京39楽しかった感想文

12月1日、サークル名・架電座にて『ピーキーファジーメモリーズ』という本を文学フリマなるイベントで売って来ました。

ギャンブルは厚く張らなきゃつまんないが信条なのでかなり馬鹿みたいに刷ったんですが、それなりに売れて良かったです。余った在庫は通販でお届けできるので興味ある方は何卒。スマホからだとリンク貼るのめんどくさいので「架電座」とかで検索してください。ちなみにどれくらい刷ったかというとDMで「会場着くの何時になっちゃうんで取り置きお願いします!」みたいな連絡たくさん来てそれに「了解です!」と返事はしつつ「在庫無くなるわけねーだろばーか」と思ってまったく取り置き管理しないくらいには刷ってました。はい、馬鹿なのは僕です。

本を作る過程についてはまたサークル名義のnoteで振り返りしようと考えてるので文フリというイベントに初参加した感想をここでは綴ろうと思います。

一般参加とかの経験もなく純粋な初参加だったんですが、文学フリマとしても初めてのビッグサイトでの開催ということで僕が思った「これが文学フリマか!」はたぶん「いや、これが文学フリマかと言われるとちょっと」みたいなところはあるのかもしれない。規模が大きくなりすぎて、商業プロ作家や出版社までブースを出しててそれはどうなんだという議論もあるらしいですが、僕は過去と歴史を知らないので何もわからない。

そのうえで僕が何か言いたいことがあるとするならば、本当に楽しい空間だったな!

今回本を作ろうと思った動機として、やっぱネットがつまらなくなっちゃったよねってのはあって、みんなわーわーうるせえじゃん、あとうるせえやつが目立つ。何も自由に言えない息苦しさをテレビに出てる人が語るとそれはそれでネットでわーわー怒られてたりするけど、ネットに生きる人としてもやっぱり息苦しさはある。思ったことをただ素朴に言える空間が楽しくてインターネットに片足突っ込んでたはずなのに、なんの影響もない一つの石粒をインターネットという河に投げ込んだら、なんかとんでもなく怒られたりする。まあ怒られるのは慣れてるしいいんだけど、インターネットはそういう場所になっちゃったからもういいかなってなって、でもなんかやりたいなーやれる場所ないかなという順番で僕は「本作ってみよっかな」となった。

そんな入口だったから、文学フリマという空間は、それだけで感動しました。

ただ書きたい人、ただ読みたい人しかここにはいないんだ。それだけでこんなに人が溢れかえっているんだ。それはとても素朴な感動でした。

本がたくさん売れたのも不思議だった。なんで中身がわからない本をみんな買っていくんだろう。不思議でした。なんで買ったのか教えてください。期待はずれだったとかでもいいので、本を手に取ってくださった方々の声を聞きたいです。

1.5万人くらい動員してたんだっけ、あんまよくわかってないけど。あの場所には、物書きと物書きの書いたものを読みたい人しかいなかったんだよな。それは幸せな空間だよな。その空間を、浴びて疲れて眠れなかった。楽しい時間でした。

 

別に話そうと思えばウダウダなんぼでも話せるんですけど、今日のところは書くのが好きな人読むのが好きな人が集うワンダーランドに迷いこんだって事実だけでいいかな。本当に楽しかったです。

以上です。

散髪後記 東京文学フリマ39 M-51 ピーキーファジーメモリーズ

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12月1日、東京文学フリマ39にて『ピーキーファジーメモリーズ』という本を出します。「思い出」をテーマに全部で10人が書いてて、みんな思い思いに忘れたくない大切な思い出を確信を持って振り返ったり本当にそうだったのかわからないまま恐る恐る語ってくれたりしていて、とても面白いなと思ってます。

僕はというと、「散髪全史」というタイトルでこれまでの髪切ってきた思い出を書きました。馬鹿馬鹿しいと思うじゃないですか、しょーもないと思うじゃないですか、ところがどっこいなかなか面白くて、父親にバリカンを当てられて楽しかったこと、父親のバリカンが嫌になったこと、床屋より美容院がいいなと思ったこと、髪型で自分を強く見せようとすること、それはもういいんじゃないかとなること、髪を切った思い出を振り返るとほとんど半生を振り返ることとなりました。

そんな掌編を引っ提げて文フリに乗り込むとなるとちゃんと散髪してから行くのすごい恥ずかしいよね。「うわ、ちゃんと髪切ってる」みたいな。でもまあ月一で行くルーティンなのでちゃんと髪切りました。

詳しくは本編をお読みいただければと思うんですが、文フリを間近に控えたタイミングで行ったその床屋はもう5年以上通っている馴染みの床屋なんですが、相変わらずの独自の時間が流れてる床屋で、「そろそろ値上げを考えなくちゃならんからホームページを改修したいからホームページビルダーを買い替えた」と言い出して僕は「いや、そこになんの因果関係があるんすか?」と突っ込んで、そこにお金かけるより集客のためにできることあるでしょとか色々話してて結論は出ないままに僕の髪は切り終わって、僕の隣の席の客は10年くらい通ってる人らしいけど生まれて初めてパーマをあてたいと騒いでいてわーわーしている。

こういう他人の何気ない一世一代の大決意がちゃんと眩しく見える。それだけで今回の同人誌に載せた話を書いて良かったと思う。自分の人生に真剣になればこそ他人のことなんか大したことなく見えちゃうのは僕を筆頭とした人間の悪い癖だけど、僕らは無数の交差点で正面衝突を繰り返して、出会って、別れて、へえそうなんだとかなんだよそれわけわかんねえとか、ずっと繰り返して、今の僕の形になっていくんだなと思ってる。そういう本ができました。

床屋のおっちゃんは「正月帰るん?」「お盆どうする?」といつも世間話で聞いてくるけど、僕は実家や義実家に帰るだけなのだけど、節目を過ごさなくても月に一度は髪を切りにくるのだ。この不思議なかけがえのなさ、いい加減なつながり。愛したい。それが自分が愛されるためのずるっこい手段であったとしても、自信を持って言いたいなと思った。愛したい。

来れたら来たね!

 

以上です。

ヨッピーの育児記事見て思ったんだけどメディアで結婚育児語るやつ中高年多すぎるくね?

これ読んでさ、ヨッピーは別になんも悪くないんだけど、なんか色々思ったことがあるので、テキトーに書くぞ!あと、ヨッピーさんについては敬称略でいくぞ!

 

これを書いている人間は38歳で小学1年生の息子が一人いる妻子持ちのおっさんなんですけど、結婚したのは26歳のときでね。姉さん女房なもんで今はもう流行らないのかもしれないけど「◯◯歳までに結婚したい」みたいなんは特に女性は当時あったじゃない。というのもあって、大卒としては26歳男性の結婚って割と早い方だなと思いつつ結婚した。大学の付き合いのなかでも普通に一番乗りで結婚式に学生時代の仲間をみんな招待したものだ(まだみんな学生気分を引きずっているので億劫がらずに来てくれる(その結果、来てくれたやつの結婚式には参加必須の義務が課されてご祝儀貧乏を食らう(結婚なんかしてもしなくてもどちらにせよご祝儀貧乏になるんだよ、みんな平等なんだよ)))。

 

で、まぁ結婚したのはいいとして、まぁでもまだ若いし、1年2年くらいは二人で新婚気分を楽しもうかとかやって、その後いざ子供儲けようと思ったらなかなか授かれなくてさ。子供を授かるまでずいぶんかかったもんでさぁ。僕が子供授かったのが31歳とかの頃かな?妊活の頃の話は過去に書いてるのでこちらをどうぞ。大変だった。

 

でさぁ、ヨッピーの結婚育児の記事とか読むとさぁ、これごめんね、本当ヨッピーを100%攻撃したいわけではないんだけど(数%くらいはあるのかよ)、ヨッピーに限らず世の中に今出回ってる「結婚はいいもんだよ、育児は楽しいよ」みたいなことをメディアで語ってる奴らがさ、高齢者に寄りすぎてるなと思うんだよな。30過ぎて40近くにして「決心してやりました!」みたいな話の割合多すぎない?

別に誰の生き方を否定するつもりはないんだけど、20代30代を仕事に全力投球してある程度キャリアも確立してきて収入もあるし「そろそろやってみっか結婚育児、実際やろうと思えばいつでもいけたけどね結婚育児」みたいなやつの話に偏りすぎてないか?ってすごい思うんすよね。

需要があんのかな!?需要があんのかな!?「どうしよっかな結婚しよっかな」と思いながらネットサーフィンしてるボリュームゾーンがそこなら仕方ねえのかな!? 

当時の自分を思い返すと26歳会社員2年目くらいで薄給、手取りは20万あったっけななかったかなくらい、まだなんのキャリアもなくて未来がうまくいく展望なんか全く立ってない、でも一緒に家族になりたい人というか家族になろうよと俺から言わなきゃ離れていっちゃいそうな好きな人がいて、それで結婚することに決意してさ。で、いざとなると子供は簡単にできねえし苦労してさ、仕事は紆余曲折あって評価されるまでも時間かかるし大変だしさ、やっとこさやっとこさでなんとか今もなんとかやってるんだけど、なんかそういう自分の「自分の人生もこの先どうなるかなんもわかんねえのに結婚!?結婚て!?」みたいな記憶を思い返すと、今って絶対「いや、意外といいもんすね結婚、こりゃやってみないとわからんすわ、まぁやろうと思えばいつでもできましたけど」くらいで語る中高年の割合多すぎるって。その層には刺さるんだろうけど、だから、語ってる人たちは誰も悪くないんだけど、もっと違う結婚の形の取材もした方がいいのかな、若者の結婚とか。いやでも俺今思いついた若者の結婚、村上春樹とりゅうちぇるしかいなかった。両方特異すぎる!あと片方故人。 なんかこう、いろんな結婚の形があっていいんだけど「こんな結婚があってもいいんだよ」みたいな変な話ばかりが前に出て、なんか今どうなってるのかわからんなみたいな感覚があるんすよねー。

 

僕は、そこそこ若くして結婚して、ちょっと年齢を重ねてから子育てを始めた(それまで授かれなかった)男性なんですけど。体力は大事だよねとかはすごい思う。もうちょっと若かったら肩車余裕だったなー、とか。あと一方で、もっと若い時に子育てを始めてたらお互い人間として未熟すぎて喧嘩ばっかしてうまくいかなかったかもなー、とか。体力と人間的な成長が年齢踏まえてトレードオフと言えるのか言えないのか、ここは人それぞれで若い時から人間ができてる健やかな夫婦ももちろんいるんでしょうけど、我が家においてはカッカする癖が落ち着いてきた30代まで授かれなかったのはそれでよかったかなと思ったりもします。

 

みたいな話がもっとあってもいいと思うんだよな~!体力でゴリゴリなんとかしてる20代の夫婦の育児の話とかも読みたいし!全部うまくいってない夫婦の話もそれはそれでいいし!「まぁ大体全部うまくいってる大人になったんでいっちょやってみますか結婚育児、俺楽しむ余裕あります」みたいなヨッピーの感じがさー、子供は育児の話題に口出すチケットって言い方とかさー、いいんだけど!「結婚とは育児とは」の話題がそんなんばっかになるのはよくないと思うんだよてー!敬称略しますとは言ってたけど悪口を言っていい理由にはならないのでマジでごめんなさいヨッピーなんですけど。

 

なんかこう、「多様性とは」みたいなのが「ちょっと特殊な人やっぱいいよね憧れちゃうよね」みたいな感じになるのはそれはそれで変だなと思ってて「これからはこれくらいがスタンダードだよね」という動きも「多様性とは」に反してるし、みんながみんなそれなりでいいよねを目指すのすごい難しいよねっていうか、なにか喋っちゃうと誰かを置いてけぼりにしていっちゃうジレンマをもっと共有できればいいのになーと思うんだよなぁ。俺も確実に誰かを置いてけぼりにして自分勝手に喋ってるし、誰もみんなのことを考えてる顔をしながら誰かを置いてけぼりにしている。

 

とっちらかったけどもういいや。

以上です。