2009'04.27 (Mon) 00:01
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【★★★】
物語の面白さはどこに担保されるか? それは『幻想』。ではないかと、僕は考えます。
ここでいう『幻想』とは、勝手な思い込みとか、空想・妄想とは、少しだけ異なっていて。「いま現在見えるもの・知ってることの【奥側】にある何か」に抱く想いのことです。Aという事象・設定などが今現在分かってる。しかし、Aという事象・設定などが起きるには、その【裏側】に何か、さらに違うものが無くてはならない。このAがこれだけのモノなのだから、その【裏側】にあるものは、一体どれほどのものなのだろうか――
ここでいう『幻想』とは、そういったものです。【裏側】というのは【未来】に置き換えてもよいでしょう。
今がこれなんだから、さらにこの後記される【未来(裏側)】は、どれだけ素晴らしいのだろう――。
いま現出しているものから、それが現出するに足る【裏】を想い描く。それこそが『幻想』です。もちろん幻想というのは、現実じゃなくて幻想ですから、裏切られることもあります。たとえば精神分析的に云う「アガルマ」とかいうのは、そういう話ですね。【奥】を妄想し夢想する段階は、対象を色艶やかに染め上げるけれど、しかし本当の【奥】は、そんなたいしたものじゃない、しょぼいもの、あるいは汚いものだったりするかもしれない。その時に生じるのは、一般的にもよく言われる言葉でしょう。幻想が滅びると書く、「幻滅」です。
しかしながら、とはいえ、『幻想』が抱けない”モノ”に魅力が持てるだろうか。想像的なものと象徴的なものを幻想を介し彷徨っている。それができないモノに、いかな魅力が”残されて”いるだろうか。丸見えなものに、いかなる魅力が残っていようか。ましてや、それが、その対象が、『物語』であるとするならば。
本作は、その『幻想』を上手い具合に喚起する。いわゆるオムニバス形式ですから、しかも時間軸と記述順が一定ではありませんから、嫌が応にもです。こういう「形式」は、具体的に「隠し」ますから(原作を知らないで観た場合の「アニメ版ハルヒ」の半ばぐらいを思い描いて頂くと分かりやすいでしょう)、その時点で効果的です。さらにキャラクター達も魅力的でありながら、いくらでも「見えない部分」――つまり【奥】【裏】が残っている。具体的なことは殆ど、直裁に語らずに「行動・言動」を介して語られるという形式から、よりです。各々のエピソードと断章は、各キャラクターの行動・言動は、それだけでも当然面白いですが、綴られる毎にさらに、【奥】【裏】への幻想を増していく――もちろん、幻想を殺しもするけれど。
読姫と「彼」との物語が綴られて、ひとつの『幻想』を紡ぐ書となる。次刊以降をこれから読むのが非常に楽しみです。
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