2009'06.12 (Fri) 03:07
今回はまったくさっぱり憂が出てこないけど、けどまあいいんじゃないかな~面白いんじゃないかな~楽しいんじゃないかな~と見てたんだけど、次回予告に……
憂が出た!!
いやーもうなんというか、わたくし、そこで感動の涙を流してしまいましたってゆうか頭おかしいね自分!
この、……憂!
次回予告の、……憂!
夕日を浴びておねえちゃんと囁く、……憂!
マーベラス。
我々は今、マーベラスな次回予告を目にした。
夕日の美しさ。色合いの美しさ。憂の美しさ。憂という存在の美しさ。圧倒的、衝撃的。
素晴らしく衝撃的な、この次回予告の憂。
マーベラス。
えっと、てゆうか、次回予告の憂の衝撃だけで今回の内容全てが記憶の彼方に消え去ってしまいました。やっべー、今回どんな内容だったかなー。いい話だったと思うんだけどなー(ひどい)。
やはり「視線」なんじゃないですかねー。
とか思うんですね。『けいおん!』。
「○○が見る××」というのは、当然みんな異なっていて、たとえば憂が見る唯、律が見る唯、梓が見る唯、和が見る唯なんてのは、みんなそれぞれ異なっている。物理的には同じ「唯」っていう人間なんだけど、そこにかかるフィルターがそれぞれにあって。前回の唯がごろごろしてるの見た時の憂・律・梓の反応なんかが、それの象徴的な一枚の絵ですね。
視覚的に「見えている」ものはそれぞれ同じだけど、感情的に「見えている」ものはそれぞれ違う。
そういう意味の「視線」。
これはもちろん唯に対してだけじゃなくて、「○○が見る××」というのは、彼女らの人の数だけ存在します。唯が見る律と澪が見る律との違い、律が見るムギと梓が見るムギの違い、和が見る澪とさわちゃんが見る澪の違い、憂が見る梓と澪が見る梓の違い。ここでいう「違い」というのは、すなわち個々の視線のこと、その差異。
それは目立たないほど小っちゃいものから大っきなものまで、様々あるけど、たしかに違う。何か違う。
個々人じゃなくて集団でもそう。たとえば、軽音部に入らないことを決めた憂のクラスメイトが見る軽音部と、軽音部に入部した梓が見る軽音部の、違い。
それぞれが異なる。
視聴者はここにおいて、単数にしろ複数にしろ、どれかになることも、ひとつに繋ぎ合せることもできる。大昔に「不可視の五人目」とか書いたけど、そういう点では確かにそうでしてね、ここにおいて、(描かれることなく)描かれてる「視線」を、ひとつに纏め上げたり、あるいは単数に自分の視線を見たりといったことができる――いずれにせよ、そこで描かれている「視線」をほぼ全て認識する(支配する)ことができるわけです。切り返しショットを纏め上げる不可視の仲介者のように、切り返し描かれる複数の視線を纏め上げる不可視の五人目として、そこに存在できる。
あー、これ「視線」って言葉使うと齟齬りそうですね。先にも書いたけど、視覚的な意味ではなく、○○にとっての××、的な意味で。
映像面でも、例えばパンがあんまりない、(部室では特に)切り返しショット的というか、うーんあとで考える、とにかく、カメラの配置の仕方が、なんか「飛ぶように」動く、あと誰の主観でもないのだけれど誰かの主観かのようなアングルとか結構目立つ、とか、なんとか。
以前「律のたんこぶ」ってなんなんだろーと思ったのですが、つまりはそういうものですね。あれは誰かの視線には存在しうるものである。ええと、ここで注意なのは「存在しているもの」ではないという点です。存在しうる。実際にあるのかどうかは分からない。ただし、誰かの――たとえば叩いた澪の、あるいは叩かれた律の、もしくはそれを見ていた誰かの――視線には、それが存在しうる。その叩きの衝撃が、本当は存在しないたんこぶとして表象されている。ええ、何度も言いますが、本当に「見えているもの」としての視線ではありません。てゆうか、もしそうだったら、「たんこぶ」は存在していていいわけがない。たんこぶが存在できるのは、本当は見えないものがその誰かには(イメージとして)見えているからです。
この「だんこぶ」は、その残滓です。誰かの視線の残滓としての「たんこぶ」。それは誰かの視線を決定付けるものでも特定させるものでもないけれども、視線の存在を、その映像の中に繋ぎ止めて、それを見る私たちが、その視線自体を繋ぎ止められる(あるいは纏め上げられる)ようにするもの。
これでも「視点」じゃないんですよ。視座としての機能ではない。たんこぶが残滓として存在しているように、存在していないような、すぐに消えてしまうような、――残滓としてしか存在できないような、そういった「視線」、見えないし描かれてないけどそれが見えるし描かれている(だからこそ不可視の五人目なんですけど)、そのような感じです。
あとでなんかもちっとまともに書くかも。書かないかも。
あー、あとね! 次回予告見て驚いた!
次で最終回!
まじですか……。はえーよーぉー!
憂が出た!!
いやーもうなんというか、わたくし、そこで感動の涙を流してしまいましたってゆうか頭おかしいね自分!
この、……憂!
次回予告の、……憂!
夕日を浴びておねえちゃんと囁く、……憂!
マーベラス。
我々は今、マーベラスな次回予告を目にした。
夕日の美しさ。色合いの美しさ。憂の美しさ。憂という存在の美しさ。圧倒的、衝撃的。
素晴らしく衝撃的な、この次回予告の憂。
マーベラス。
えっと、てゆうか、次回予告の憂の衝撃だけで今回の内容全てが記憶の彼方に消え去ってしまいました。やっべー、今回どんな内容だったかなー。いい話だったと思うんだけどなー(ひどい)。
やはり「視線」なんじゃないですかねー。
とか思うんですね。『けいおん!』。
「○○が見る××」というのは、当然みんな異なっていて、たとえば憂が見る唯、律が見る唯、梓が見る唯、和が見る唯なんてのは、みんなそれぞれ異なっている。物理的には同じ「唯」っていう人間なんだけど、そこにかかるフィルターがそれぞれにあって。前回の唯がごろごろしてるの見た時の憂・律・梓の反応なんかが、それの象徴的な一枚の絵ですね。
視覚的に「見えている」ものはそれぞれ同じだけど、感情的に「見えている」ものはそれぞれ違う。
そういう意味の「視線」。
これはもちろん唯に対してだけじゃなくて、「○○が見る××」というのは、彼女らの人の数だけ存在します。唯が見る律と澪が見る律との違い、律が見るムギと梓が見るムギの違い、和が見る澪とさわちゃんが見る澪の違い、憂が見る梓と澪が見る梓の違い。ここでいう「違い」というのは、すなわち個々の視線のこと、その差異。
それは目立たないほど小っちゃいものから大っきなものまで、様々あるけど、たしかに違う。何か違う。
個々人じゃなくて集団でもそう。たとえば、軽音部に入らないことを決めた憂のクラスメイトが見る軽音部と、軽音部に入部した梓が見る軽音部の、違い。
それぞれが異なる。
視聴者はここにおいて、単数にしろ複数にしろ、どれかになることも、ひとつに繋ぎ合せることもできる。大昔に「不可視の五人目」とか書いたけど、そういう点では確かにそうでしてね、ここにおいて、(描かれることなく)描かれてる「視線」を、ひとつに纏め上げたり、あるいは単数に自分の視線を見たりといったことができる――いずれにせよ、そこで描かれている「視線」をほぼ全て認識する(支配する)ことができるわけです。切り返しショットを纏め上げる不可視の仲介者のように、切り返し描かれる複数の視線を纏め上げる不可視の五人目として、そこに存在できる。
あー、これ「視線」って言葉使うと齟齬りそうですね。先にも書いたけど、視覚的な意味ではなく、○○にとっての××、的な意味で。
映像面でも、例えばパンがあんまりない、(部室では特に)切り返しショット的というか、うーんあとで考える、とにかく、カメラの配置の仕方が、なんか「飛ぶように」動く、あと誰の主観でもないのだけれど誰かの主観かのようなアングルとか結構目立つ、とか、なんとか。
以前「律のたんこぶ」ってなんなんだろーと思ったのですが、つまりはそういうものですね。あれは誰かの視線には存在しうるものである。ええと、ここで注意なのは「存在しているもの」ではないという点です。存在しうる。実際にあるのかどうかは分からない。ただし、誰かの――たとえば叩いた澪の、あるいは叩かれた律の、もしくはそれを見ていた誰かの――視線には、それが存在しうる。その叩きの衝撃が、本当は存在しないたんこぶとして表象されている。ええ、何度も言いますが、本当に「見えているもの」としての視線ではありません。てゆうか、もしそうだったら、「たんこぶ」は存在していていいわけがない。たんこぶが存在できるのは、本当は見えないものがその誰かには(イメージとして)見えているからです。
この「だんこぶ」は、その残滓です。誰かの視線の残滓としての「たんこぶ」。それは誰かの視線を決定付けるものでも特定させるものでもないけれども、視線の存在を、その映像の中に繋ぎ止めて、それを見る私たちが、その視線自体を繋ぎ止められる(あるいは纏め上げられる)ようにするもの。
これでも「視点」じゃないんですよ。視座としての機能ではない。たんこぶが残滓として存在しているように、存在していないような、すぐに消えてしまうような、――残滓としてしか存在できないような、そういった「視線」、見えないし描かれてないけどそれが見えるし描かれている(だからこそ不可視の五人目なんですけど)、そのような感じです。
あとでなんかもちっとまともに書くかも。書かないかも。
あー、あとね! 次回予告見て驚いた!
次で最終回!
まじですか……。はえーよーぉー!
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