山脇山(143m)・岡山(169m)
2022年4月5日(火) 晴れ
虎御前山を下りて、次の山に向かう(11:45)
山脇山(143m)・岡山(169m)
虎御前山の北西約1㎞にある独立丘陵で、元々は尾根続きだったが、北陸自動車道が貫いているため現在は別々の山となっている。
先に山脇山に登るべく、山脇集落入口のこの祠の横へ入っていく。
しかし擁壁が行き手を阻み、引き返す。地理院地図では山道らしき点線があるが、今はもう通れないようだ。
少し進んだ先にあるこのお寺(長行寺)の裏手から再び試みる
手前におられたお父さんにこの先から登られるか尋ねると、「わしんとこの山で、昔は整備してたけど、最近はほったらかしなので登られるかな…」とのこと。
念のため階段を登ってみるも、その先は藪が茂った急斜面(-_-;)
お父さんの話では、今は西側の林道から登るようだ。
クマ出没! 危険です!
刺激しないよう急いで通過する(笑)
集落の外れから農道を進んでいく。
どうやら古道らしく、緩やかに登っていく。
12:14 山脇峠(仮称)(標高約108m)
山脇山は後回しにしようと、直進して降りていく。
降りた先には看板があり、明智光秀陣所跡とある。
地元に伝わる古地図では、小谷城攻めの際に明智光秀の陣所があったとされている。
やはり先に登っておこうと、峠に戻る(12:17)
地味にキツい林道をよたよた登っていく。
ようやく急坂が終了(12:21)
地図では左手からのルート(点線)があるが、リボンやテープ類の類はなかった。
この地域の上水道の貯水槽のようだ。
12:23 山脇山山頂(標高約143m)
タイムは峠から6分。虎御前山西麓からは道迷いもあり38分。
山頂には小さな山名板があるだけ。
木々の間からは小谷城址が望めた。
ベンチ等もないのでソッコーで下山(12:31)
隣接する岡山に向かう。
地図で山脇山西麓登山口になっている付近。
案内板の類はなく木々が生い茂り、最近はあまり歩かれていないようだ。
北陸道のガードをくぐり、岡山側へ。
12:35 谷田神社入口(丁野山城登り口)(標高約101m)
かつてはやや西側にあり、山王宮と称する山脇、河毛、郡上の総社だったとされる。
元々は弥勒寺という寺院があったとされる。
岡山山頂には丁野山城跡があり、ここが登り口になる。
石段を登っていく。
谷田神社拝殿(標高約112m)
古地図によると、現拝殿は弥勒寺本堂を転用したとされる。
祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、第61代朱雀天皇。
延喜3(903)年、坂本山王宮(日吉神社)より大山咋命を勧請し、承平5(935)年に朱雀天皇より谷田山の勅額を下賜されたと伝わる。
境内社の松嶋神社。
縁起、祭神等は不明。
案内標識に従い、山頂に向かう。
小谷丁野町里山づくり委員会の方によって、標識や階段が整備。
ありがとうございます。
よたよた登っていると、虎御前山山頂でお会いした親子が降りてきた。
彼らは北麓登山口へ降りて、岡山から山脇山へ向かうそうだ。
階段が終わるとなだらかに登っていく。
大堀切
12:55 岡山山頂(丁野山城)(標高約169m)
神社入口から20分。山頂には誰もいなかった。
”ちょうのやまじょう”でなく、”ようのやまじょう”
永正15(1518)年に浅井氏初代浅井亮政(すけまさ)が築城。
南北に堀切を構え、東西は急な崖となっている。
小谷城攻めの際には、浅井氏に加勢する朝倉方の玉泉坊が布陣したが、
織田勢が虎御前山、山脇山に布陣し、形勢不利となり降伏したとされる。
眺めが良く、ベンチやテーブルもあるのでここでお昼にしよう。
ザック内にはカップ麺もあるが、今日はパス。
先ほどつるやパンで調達したサラダパン(160円)
コッペパンにマヨネーズで和えた刻みタクワンが入っている。
素朴な味で、時折無性に食べたくなる。
もう1個はランチパンあん(165円)
揚げパンにきなこをまぶし、中にこしあんが挟んである。
正面には以前登った山本山(324m)
琵琶湖から小谷城に物資を運ぶ重要拠点で、秀吉の調略により浅井方の阿閉氏(あつじし)が降伏し、翌月小谷城は落城した。
視線を少し右に移すと、賤ヶ岳(421m)
本能寺の変後の織田家内の勢力争いで、羽柴秀吉と柴田勝家が激突。この賤ヶ岳一帯で激戦が繰り広げられた。
大雪だったせいか、野坂山地の山並みはまだだいぶ白い。
日本三大弁天、竹生島神社のある竹生島も望めた。
先ほどの山脇山と比べ、凄く整備されている。
一緒に整備すればいいのに、大人の事情があるのだろう(笑)
中島城側に下山しようとするが、方向を間違い北側に進んでしまう。
堀切と藪に遮られ四苦八苦。攻城戦なら討ち死にだな(笑)
中島城への分岐は、登ってきた谷田神社ルートと同じ東側にある(13:36)
このドタバタで三角点(4等:岡山)タッチを失念(涙)
伊吹山(1377m)を望みながら下っていく。
林道と交差すると軽い登り返しとなる(13:43)
13:46 中島城跡(標高約130m)
浅井氏の重臣中島宗左衛門直親が布陣したとされることからこう呼ばれる。
主郭の周りを高い土塁が囲繞(いにょう)している。
北陸道の先には、先ほど登った山脇山。
こんな近くで睨みあっていたんだな。
南側にも降り口があったので下山開始(13:48)
13:51 中島城登り口(南側)(標高約101m)
丁野山城から15分。
車を停めた駐車場までは約2㎞。
東側にも降りられるようだ。
遠いよ~
ようやくR365に合流。
14:22 江のふるさと館(伊部親水公園)(標高約95m)
低山3座を巡っただけだが、歩行距離は8.4㎞と意外と疲れた。
ご褒美のコークでクールダウン。
☆今日歩いたコース☆ (クリックすると拡大します)
やっぱり、山っていいね!
山脇山(143m)・岡山(169m)
累積標高差232m
登り 26分、下り 27分、ウォーク1時間3分 、TOTAL 2時間37分
出会った人 2人 出会った動物 なし
2022年:16・17座目
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虎御前山を下りて、次の山に向かう(11:45)
山脇山(143m)・岡山(169m)
虎御前山の北西約1㎞にある独立丘陵で、元々は尾根続きだったが、北陸自動車道が貫いているため現在は別々の山となっている。
先に山脇山に登るべく、山脇集落入口のこの祠の横へ入っていく。
しかし擁壁が行き手を阻み、引き返す。地理院地図では山道らしき点線があるが、今はもう通れないようだ。
少し進んだ先にあるこのお寺(長行寺)の裏手から再び試みる
手前におられたお父さんにこの先から登られるか尋ねると、「わしんとこの山で、昔は整備してたけど、最近はほったらかしなので登られるかな…」とのこと。
念のため階段を登ってみるも、その先は藪が茂った急斜面(-_-;)
お父さんの話では、今は西側の林道から登るようだ。
クマ出没! 危険です!
刺激しないよう急いで通過する(笑)
集落の外れから農道を進んでいく。
どうやら古道らしく、緩やかに登っていく。
12:14 山脇峠(仮称)(標高約108m)
山脇山は後回しにしようと、直進して降りていく。
降りた先には看板があり、明智光秀陣所跡とある。
地元に伝わる古地図では、小谷城攻めの際に明智光秀の陣所があったとされている。
やはり先に登っておこうと、峠に戻る(12:17)
地味にキツい林道をよたよた登っていく。
ようやく急坂が終了(12:21)
地図では左手からのルート(点線)があるが、リボンやテープ類の類はなかった。
この地域の上水道の貯水槽のようだ。
12:23 山脇山山頂(標高約143m)
タイムは峠から6分。虎御前山西麓からは道迷いもあり38分。
山頂には小さな山名板があるだけ。
木々の間からは小谷城址が望めた。
ベンチ等もないのでソッコーで下山(12:31)
隣接する岡山に向かう。
地図で山脇山西麓登山口になっている付近。
案内板の類はなく木々が生い茂り、最近はあまり歩かれていないようだ。
北陸道のガードをくぐり、岡山側へ。
12:35 谷田神社入口(丁野山城登り口)(標高約101m)
かつてはやや西側にあり、山王宮と称する山脇、河毛、郡上の総社だったとされる。
元々は弥勒寺という寺院があったとされる。
岡山山頂には丁野山城跡があり、ここが登り口になる。
石段を登っていく。
谷田神社拝殿(標高約112m)
古地図によると、現拝殿は弥勒寺本堂を転用したとされる。
祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、第61代朱雀天皇。
延喜3(903)年、坂本山王宮(日吉神社)より大山咋命を勧請し、承平5(935)年に朱雀天皇より谷田山の勅額を下賜されたと伝わる。
境内社の松嶋神社。
縁起、祭神等は不明。
案内標識に従い、山頂に向かう。
小谷丁野町里山づくり委員会の方によって、標識や階段が整備。
ありがとうございます。
よたよた登っていると、虎御前山山頂でお会いした親子が降りてきた。
彼らは北麓登山口へ降りて、岡山から山脇山へ向かうそうだ。
階段が終わるとなだらかに登っていく。
大堀切
12:55 岡山山頂(丁野山城)(標高約169m)
神社入口から20分。山頂には誰もいなかった。
”ちょうのやまじょう”でなく、”ようのやまじょう”
永正15(1518)年に浅井氏初代浅井亮政(すけまさ)が築城。
南北に堀切を構え、東西は急な崖となっている。
小谷城攻めの際には、浅井氏に加勢する朝倉方の玉泉坊が布陣したが、
織田勢が虎御前山、山脇山に布陣し、形勢不利となり降伏したとされる。
眺めが良く、ベンチやテーブルもあるのでここでお昼にしよう。
ザック内にはカップ麺もあるが、今日はパス。
先ほどつるやパンで調達したサラダパン(160円)
コッペパンにマヨネーズで和えた刻みタクワンが入っている。
素朴な味で、時折無性に食べたくなる。
もう1個はランチパンあん(165円)
揚げパンにきなこをまぶし、中にこしあんが挟んである。
正面には以前登った山本山(324m)
琵琶湖から小谷城に物資を運ぶ重要拠点で、秀吉の調略により浅井方の阿閉氏(あつじし)が降伏し、翌月小谷城は落城した。
視線を少し右に移すと、賤ヶ岳(421m)
本能寺の変後の織田家内の勢力争いで、羽柴秀吉と柴田勝家が激突。この賤ヶ岳一帯で激戦が繰り広げられた。
大雪だったせいか、野坂山地の山並みはまだだいぶ白い。
日本三大弁天、竹生島神社のある竹生島も望めた。
先ほどの山脇山と比べ、凄く整備されている。
一緒に整備すればいいのに、大人の事情があるのだろう(笑)
中島城側に下山しようとするが、方向を間違い北側に進んでしまう。
堀切と藪に遮られ四苦八苦。攻城戦なら討ち死にだな(笑)
中島城への分岐は、登ってきた谷田神社ルートと同じ東側にある(13:36)
このドタバタで三角点(4等:岡山)タッチを失念(涙)
伊吹山(1377m)を望みながら下っていく。
林道と交差すると軽い登り返しとなる(13:43)
13:46 中島城跡(標高約130m)
浅井氏の重臣中島宗左衛門直親が布陣したとされることからこう呼ばれる。
主郭の周りを高い土塁が囲繞(いにょう)している。
北陸道の先には、先ほど登った山脇山。
こんな近くで睨みあっていたんだな。
南側にも降り口があったので下山開始(13:48)
13:51 中島城登り口(南側)(標高約101m)
丁野山城から15分。
車を停めた駐車場までは約2㎞。
東側にも降りられるようだ。
遠いよ~
ようやくR365に合流。
14:22 江のふるさと館(伊部親水公園)(標高約95m)
低山3座を巡っただけだが、歩行距離は8.4㎞と意外と疲れた。
ご褒美のコークでクールダウン。
☆今日歩いたコース☆ (クリックすると拡大します)
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山脇山(143m)・岡山(169m)
累積標高差232m
登り 26分、下り 27分、ウォーク1時間3分 、TOTAL 2時間37分
出会った人 2人 出会った動物 なし
2022年:16・17座目
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