長沙城の戦いとは? わかりやすく解説

長沙城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:45 UTC 版)

第二次長沙作戦」の記事における「長沙城の戦い」の解説

1942年1月1日瀏陽河渡河終えた第3師団長沙城外高地攻撃高地中国兵前方警戒部隊だった)が一斉に後退する追撃移った長沙占領急いだ第3師団は、師団直轄加藤大隊(長:加藤素一少佐)を戦線投入した加藤大隊は中国軍陣地への夜襲行った猛射撃をうけて前進不能となり、加藤大隊長銃弾受けて戦死した。翌1月2日中国軍加藤大隊長遺体から出動以来計画命令書類手に入れた日本軍企図や、弾薬尽きかけている実情察知した薛岳長官は、「わずかに一枚軽さといえども挺の機関銃より重し」と喜んだ1月2日になると長沙前面迫撃砲岳麓山重砲一斉に活動始め第3師団各地域砲弾落下した前線部隊城壁めざして突撃繰り返した中国軍抵抗猛烈で、一進一退争奪戦続いた。この日、㮾鎮(長沙東方12キロ付近にいた第6師団ところへ第3師団参謀訪れ長沙城攻撃への加入要請した。しかし、第3師団独走不満に思っていた神田師団長はこの要請拒絶した第3師団苦戦憂慮し軍司令部は、第6師団長沙城攻加入命令した重い腰上げた第6師団長沙北側急進し、翌1月3日から攻撃開始した第6師団部隊長沙城北陣地急襲して占領したが、中国軍対岸岳麓山から重砲集中射撃反撃し日本側の損害続出した日本軍主力長沙城への攻撃続行しているころ、その背後からは中国軍30個師が包囲網狭めつつあった。瀏陽河渡河付近日本軍守備隊工兵隊輜重部隊押し寄せた中国軍渡河点を巡って争奪戦繰り広げた

※この「長沙城の戦い」の解説は、「第二次長沙作戦」の解説の一部です。
「長沙城の戦い」を含む「第二次長沙作戦」の記事については、「第二次長沙作戦」の概要を参照ください。

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