真鍋島
真鍋島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/08 04:30 UTC 版)
真鍋島(まなべしま)は、岡山県笠岡市にある笠岡諸島に属する島である。[1]古い漁村の面影を残した家並みがあり岡山県のふるさと村に指定されており[2]、1977年(昭和52年)の映画『獄門島』や1984年(昭和59年)の映画『瀬戸内少年野球団』のロケ地となった。中四国沿岸部に多い真鍋姓の発祥地でもある。
注釈
- ^ 原典はフランス語。のちに英語版も刊行されている。
出典
- ^ みなとオアシス笠岡諸島の特色(国土交通省)
- ^ 昔の風景を伝える おかやまの町並み(岡山県教育委員会)
- ^ たくさんのネコちゃんがお出迎え「岡山・真鍋島」におじゃま島~す!(KSB瀬戸内海放送 YouTubeチャンネル)
- ^ 笠岡諸島を満喫!!!~真鍋島と白石島~ | OHK 岡山放送
- ^ 『ManabeShima Island Japan』(2015年 タトル出版, 著者:Florent Chavouet)ISBN 9784805313435
『ManabeShima Island Japan(電子書籍版)』(2015年 Tuttle Publishing, 著者:Florent Chavouet)ISBN 9781462917228 - ^ 「特別がない 完璧な場所」- 仏絵本作家シャヴエ氏に聞く(日本経済新聞)
- ^ 「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 ~海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」(日本遺産ポータルサイト)
真鍋島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:59 UTC 版)
真鍋島(まなべしま)は笠岡港から直線距離で南へ18km、航路では約30kmにある有人島。属島として六島、大島、土生島、問島、茂床島などを伴っている。2.5km東には佐柳島(塩飽諸島)がある。島は東西に長く、両側に標高120m級の山があって平地はほとんどない。島の北側に入り江があって港が築かれている。 源平合戦で平家方についた真鍋氏(真名辺氏)の拠点だったとされ、その城跡がある。江戸時代の初期には小堀遠州が支配したが、1617(元和3)年から2年間は備中松山藩、1619(元和5)年からは備後福山藩、1968(元禄11)年からは幕府領となった。 古くから漁業で栄え、江戸時代には真鍋島から直接江戸市場へ活魚を納めていたという記録もある。町並みや建物には古くからの瀬戸内海の漁村の雰囲気が今も残り、「県のふるさと村」に指定されている。こうした町並みを利用して、1980年代には映画『瀬戸内少年野球団』のロケ地となった。 1947年(昭和22年)に霜がおりないことから寒菊の栽培が事業化され、最盛期には30ヘクタールもの栽培面積をもつ「花の島」として全国的に知られるようになった。しかし連作障害と市場の変化によって衰退した。 真鍋島 真鍋島の町並み 真鍋島本浦港 真鍋島本浦港 真鍋島から望む北木島 大島 大島(おおしま)は真鍋島の北にある「大島」「前大島」の総称。あちこちの大島と区別して「真鍋大島」とも呼ばれる。大島と前大島は100mほどの距離に近接していて、島の間は細い岩場で繋がっている。現在はいずれも無人島だが、大島はかつて畑作が行われていた。前大島には樹齢400年と推定される巨樹があり、「大島のイヌグス」(タブノキの異称)として天然記念物に指定されている。
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