球体説と平面説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:24 UTC 版)
太古の人類が認識する世界は自らが体験する環境に限られ、緒事物の根源を説く神話にある数々の創世物語の根拠はせいぜい身近な現象からの類推に限られていた。人類が住む大地の認識は、中国、インド、バビロニアなどほとんどが平面を想定していた。そのような中、地球を球体と捉える特殊な概念を成立させた歴史に残る最古の例は古代ギリシアであり、ピュタゴラスを嚆矢としアリストテレスが天動説体系での宇宙像を創り上げた。さらにローマのクラウディオス・プトレマイオスは各惑星の相互運動を理論化し、天文モデルを構築した。 地球が球体という概念はギリシア哲学や数学同様、キリスト教が思想の中心を占めた中世のヨーロッパには伝わらなかったとしばしば言われるが、それは近代以降に生まれた伝説であり、実際には中世にも引き続き地球球体説が支配的であった。地球平面説神話を参照。キリスト教的世界観である普遍史を纏めたアウグスティヌスが著作『神の国』にて、球体地球を前提とした対蹠地に住む人々の存在を「根拠が無い」(16章-9)と否定して地球平面説を採ったと言われるがこれも実際には『神の国』中に地球球体説を否定する記述はない。地球平面説#初期のキリスト教会を参照。一方、8-9世紀のイスラム世界はギリシア・ローマの知識習得に組織的に努め、多くのギリシア語文献をアラビア語へ翻訳し、イブン=スィーナーのような後継者も生んだ。地理学分野でもイドリースィーがプトレマイオスの地図を改良するなど、地球球体説を補強・強化した。
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