殺害の実行
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7月末 - 寺岡により処刑計画が明かされる。女性メンバーG、Hに酒盛りの相手をさせ、酒に入れた睡眠薬で眠らせて外へ連れ出し、寺岡、吉野、Eの3人(男性メンバーDとJは牢屋案の時から消極的な態度をとっていたので実行犯から除外された)で殺害し、遺体の埋葬は千葉県の印旛沼周辺にするというもの。遺体を運ぶに当たって他に運転免許を持っているメンバーがいなかったため、入山したばかりの女性メンバーIが運転手となることが決まった。突然の指名に吉野は躊躇したが「自分の内にその離脱者と共通した『弱さ』や『非組織性』を感じるがゆえに、この与えられ課された任務を、自分の感情に流され負けることなくやりぬかねばならぬといった自己叱咤の思いを抱いて」結局引き受ける。吉野からAとBの問題を処刑計画があることを明かされずに聞いたJは「人民内部の問題を暴力で解決するのは間違いだと思う」と主張。 8月3日 - Iが「任務を明らかにしないと運転しない」と言ったことを受けて寺岡らが計画を伝えるとIは拒絶。吉野らの説得により、Iは了承。 夕方、BとG・Hによる酒盛りが始まる。待機していた坂口に対し寺岡がHの電話連絡によるとして「Bが合法部隊として活動したいと言っている」と遠慮がちに報告。坂口はこの寺岡の報告に対し、日頃強いことを言っている寺岡への対抗意識から「一度決まったことは覆せない」と突き放した。 午後11時ごろ、Bが寝込んだ知らせを受けて、寺岡らはBを車に乗せる。Bは目を覚まし、「騙された」とうなだれたという。印旛沼に到着すると実行犯3人で暴行の後、首を絞めてBを殺害。Bの遺体は衣服を剥ぎ取られ全裸にされた上で実行犯らによってスコップで掘った穴の中に遺棄された。 永田と坂口は一晩中アジトで待ち、永田は落ち着かず、立ったり座ったりを繰り返していた。4日朝方、寺岡らが戻り、寺岡が低い声で「殺ったぞ」と報告。Iは自分で歩くことができず、寺岡に抱えられて入って来た。寺岡ら男性メンバーはすぐ眠りについたがIは永田に「どうしても納得できない」と繰り返し訴えた。 8月4日 - ベースに戻った吉野がAとBのことを伏せたままメンバー達に「軍に入った者がその任務を放棄し離脱することは、“銃による遊撃戦”に敵対してしまうことになり絶対に許されない。われわれは、われわれの中にある、彼らと同じような傾向と、今後厳しく闘い、払拭していかなければならない……」と発言。吉野にとってこの発言は「Aさん殺害を通して私自身か肝に銘じたことを、いわば決意表明したもの」であったといい、以後吉野は「“下山ー逃亡は死罪に値する大罪”という不文律で自らを縛り、戒めていくことになった」という。 8月8日 - 坂口が永田と2人だけになった際に「処刑に何か暗いものを感じる」と発言。永田は寺岡と3人で話すことにし、寺岡は坂口に対し「今頃になって、そんなこといわれても困るじゃないですか」と言い、3人の会議は処刑の理由を再確認するに留まった。 8月9日 - 永田が森にB殺害を報告。森は赤軍派が処刑を回避したことを言わなかった。森は永田との会議から帰ったあと坂東に「革命左派はスパイを1人処刑した」と報告。坂東が「本当にスパイだったのか? どんなことをしたのか、どうして摘発したのか?」と聞いても暗い顔をして黙っているだけだったという。 8月10日 - C・G・Hの3人東京都小平市のアパートにAを呼び出すが、Aは警戒して何も飲食しなかった。弟と待ち合わせがあるからと帰ろうとするAをCが倒れこむふりをして引き留めた。Aが何も口にしようとしないことをHから聞いた寺岡らは、吉野の提案によりAを連れ出す前に気絶させることにし、吉野・Eが「泊まるところがないから泊めてくれ」と偶然来合わせたように装ってアパートを訪れたところ、Aが帰ろうとしたため、吉野・Eによりその場でAを絞殺。引き留め役だったG・Hら女性メンバーも暴れるAを抑えるのに加勢する結果となった。G・Hはこの時までAを殺害する計画だったことを知らなかった。Aの元恋人でもあったCは殺害が行われる間手で目を覆っていたという。遺体はIの運転により印旛沼に運ばれ、B同様全裸にされた上で埋められた。 8月中旬 - 革命左派のベースを坂東が訪問。永田は坂東にA殺害を明かし、「力があれば牢獄に入れておくこともできたかも知れないが、それをやる力もなかったのでしかたなくやりました」と発言。坂東によればその時の永田は「それについては何も言わせないという迫力があった」という。自派に戻った坂東は森に「2人目処刑」について報告すると、森は「またやったのか! もはやあいつらは革命家じゃないよ!」と、じっとうつむいたという。 この2名の殺害は組織内において公にされず、関与したメンバー以外の大半には1972年3月の事件発覚まで知らされなかった。
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殺害の実行
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「ボビー・ケント殺害事件」の記事における「殺害の実行」の解説
1993年7月13日、リサはアリに電話をかけ、「ボビーが(アリが住んでいる)パームベイに来て、アリとアリの子供を殺そうと計画している、ただし彼女がブロワード郡に戻って彼と再びデートすれば実行しない」と告げた。アリはリサがボビー・ケントを殺す話をしに自分の家へ来るように言ってきたと主張している。いずれにせよアリも快く思っていなかったボビーを殺害することに同意し、彼女はリサの家にドナルド・セメネック(17歳)と友人のヘザー・スワラーズ(18歳)を連れてきた。二人とも家庭環境に恵まれずショッピングモールで屯していたところをアリが自宅に連れ込んで面倒を見ていた少年少女であり、彼女の言うことは何でも聞いた。また、ドナルドはアリの交際相手でもあった。 夜、マーティと合流して5人はボビーに会った。少し会話を交わした後マーティとドナルド、ヘザーは適当に言い繕ってその場を離れた。リサとアリは、アリの愛車であるマスタング5.0を運転し、加えて彼女とセックスできるという約束でボビーを郊外のウェストンの運河沿いにある造成地に誘い出した。リサは母親のベレッタ950BSを持参し、アリとの性行為に気を取られている間にボビーを殺害しようとしたが、彼を撃つことに踏み切れず、計画は失敗した。 一度は失敗に終わったものの、彼らはボビーの殺害を諦めてはいなかった。今度は"プロ"の助けを借りることにして、アリの友人から紹介されたデレク・カウフマン(20歳)という自称殺し屋にボビーの殺害を依頼した。カウフマンは自分の事をマフィアやギャングなどと名乗ってはいたが、実態は同年代の友人もおらず、年下の少年達を引き連れて駐車中の車から窃盗を働く程度のコソ泥に過ぎなかった。一行は、ローリング・オークスの自宅でカウフマンに会い、その夜ボビーを殺すために銃を手に入れることを望んだが、カウフマンは、そんなに早く武器は手に入らないと嘯いた。アリ、リサ、ドナルド、ヘザーはその後リサの家に戻り、彼女の従兄弟であるデレク・ディヴァーコ(19歳)も加わった。グループは計画について議論を続け、最終的にカウフマンの援助を受けて14日の夜にボビーの殺害を決行することにした。 1993年7月14日の深夜、7人はマーティの家に集まり、計画を確定した。マーティはボビーに電話し、その夜、アリのマスタングと自分が母親から借りたトパーズを使って自動車レースをすることと、アリが彼と再びセックスをしたがっていることを約束して、グループと一緒に来るように説得した。 グループは凶器を揃え、2本のダイバーズナイフ、水道管用のパイプ、野球のバットを持った。 午後11時半頃、彼らはボビーを自宅から連れ出し、8人は2台の車に分乗して件の造成地へ向かった。 現場に到着すると、アリは、計画に従って、ボビーを人気の無い場所に連れて行き、そこでしばらく会話をした。ヘザーもそこに合流した。彼女とリサがボビーの気を引いている間に、ドナルドが背後からボビーに近づき、彼の首を後ろからナイフで刺した。ボビーが駆け寄ってきたマーティに「畜生、切られた! マーティ、助けてくれ!」と言って助けを求めると、マーティは答える代わりにボビーの腹にナイフを突き刺した。ボビーは「マーティ、悪かった!」と謝罪の言葉を叫んだが、マーティは彼を刺し続けた。ボビーが逃げようとするとマーティ、ドナルド、カウフマンは彼を追い、攻撃を続けた。マーティはボビーの喉を裂き、彼の頭を地面に打ちつけ、深手を負って動けなくなったボビーの顔面にカウフマンがバットを振り下ろした。ボビーが動かなくなった後、攻撃には加わらなかったディヴァーコを含めた男達4人は、運河に生息するワニが腐敗した遺体を食べるだろうと考え、虫の息であるボビーを運河の岸辺に運んで放置し殺害した。
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