作品の意義
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この作品は、男性と女性が入れ替わるという非現実的な設定である反面、2人を中心とする人間関係の描写は現実的かつ重層的であり、現在でも十分に味わい深く鑑賞できる。特に男装の女児である「若君」が宰相中将に素性を知られ身を許してしまうシーンは、本作品のクライマックスの一つでもあり、本作品が文学史の中で「変態的」という評価の一因ともなっている。この点が、当時書かれた数量に対して現存作品の少ないジャンルであるにもかかわらず、人々へ強い印象を残し、当時、数多く作られた物語の中で本作品を現在まで命脈を保たせる原因となったのであろう。河合隼雄は、著書の中で、日本文学というと「わび」、「さび」など深遠すぎて理解しがたいものだと思っていたが、全く違ったもので、そこで語られる「知恵」は相当に深く、現代でも通用するし、現代でこそ生かしたいほどのものである旨、述べている。河合はのちの1988年のエラノス会議の場で、この作品について発表してみたところ反響が上々で、欧米人にも通用することが分かったと述べている。 また、古くから読み続けられてきた作品ではあるが、近代の一時期批判的に扱われていた。明治時代の国文学史上では例えば藤岡作太郎から「怪奇」「読者の心を欺く」「小説になっていない」「嘔吐を催す」などと評される事もあったが、近年ジェンダーの視点から再評価された。当時の社会ならではの制約や類型的展開はあるものの、本来的個人的性質と社会的に期待される役割との差異を浮き彫りにする本作品は、ジェンダーという枠を越えて、近代的小説に近い重要な要素を持つと言われている。
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作品の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:37 UTC 版)
映画史上初のトータルな芸術作 — ルイ・デリュック、 汚い裏街を描いているだけなのだが、本年度の数少ない真の傑作の一本である。 — 『フォトプレイ』誌、 1918年4月14日に封切られた『犬の生活』は、従来は格下に見られていたコメディを芸術として扱われるきっかけを作った。チャップリンの伝記を著した映画史家のデイヴィッド・ロビンソン(英語版)は、『犬の生活』は「彼のもっとも完成された作品のひとつ」であり、また次のようにも評している。 テンポが早くギャグが惜しみなく使われているところはカーノーの寸劇ばりであり、個々のシーンはそれぞれが集まってひとつのまとまりのある全体を構成している。と同時に、これまでのどのチャップリン映画よりも強烈な、生々しい現実感が脈打っていて、ここで語られるのは街の生活、下層生活、貧困、飢え、堕落、搾取である。気取りもなければ、喜劇的な活力をみじんも犠牲にすることなく、チャップリンは、一匹の野良犬スクラップスと運に見放された二人の人間 -放浪者チャーリーと酒場歌手のエドナ- の生き方を重ね合わせ、三者が相似た者同士であると見る者に訴える。 — デイヴィッド・ロビンソン、 チャップリン研究家の大野裕之は、『犬の生活』を「特別な断絶点」と表現している。キーストン期の『ヴェニスの子供自動車競走』で初めて登場した「チャーリー」は、ミューチュアル期までは決して弱者の味方のキャラクターではなく、むしろ弱者を貶して性的にもいやらしいキャラクターであった。この傾向は『冒険』まで続き、『冒険』で使用されなかったシーンの中には従前の「性的にいやらしいチャーリー」が多く登場する。しかしチャップリンは、そういったシーンを完成版では採用せず、代わりに「金持ちに対する貧乏人の抵抗」を暗示するシーンを採用した。ミューチュアル期最終作の『冒険』で性的な意味を持つシーンを使わなかったのは、結果的に『犬の生活』の位置づけに大きな影響を与えた。『冒険』は製作に4か月かかっているが、これについてロビンソンは当時のチャップリンが「創造上の壁にぶつかっていた」と論じ、大野はこれを補うように「『冒険』が性的にいやらしいギャグをカットすることで、心やさしくイノセントなチャーリーの『犬の生活』を産むために必要な踏台だった」と説明している。先に掲げたフランスの批評家ルイ・デリュックの『犬の生活』への賞賛は、「悪いチャーリー」と決別したチャップリンに対する賞賛であるとも解釈できる。チャップリン自身、この『犬の生活』を製作するころには「喜劇というものを、ようやく構造的に考え、その建築的様式を考えるようになっていた」と自伝で回想している。 他方、『犬の生活』はチャップリンの意図していないところでもう一つの「ある流れ」を断ち切る作品でもあった。「ある流れ」とは、ロシア帝国出身の俳優ビリー・ウェストの、チャップリンの高度な模倣者としての活動であった。チャップリンが『犬の生活』を完成させた後もウェストは依然としてチャップリンの模倣作品を製作していたが、1921年になっても『冒険』を模倣した作品しか生み出せず、やがてチャップリンの模倣をあきらめて別のキャラクターを創造し、活動を続けざるを得なかった。
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