作品の性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 02:24 UTC 版)
早熟で自信過剰なフラウエンロープは、「広汎な学識の上に立つ、技巧的・誇張的な詩のスタイル」によって「中世古典の大詩人達モールンゲン、ラインマル、ヴァルターを、完全に凌駕すること」を目標として、「かつて歌いしラインマル エッシェンバハも同じ歌 / フォーゲルヴァイデも忘れじと あの麻布の調べこそ / 誓って申し上げまする / われフラウエンロープは今ひときわ / 金糸銀糸の絹織で 飾り輝かせて見せましょう / かつてうたいし歌びとら あんなあぶくを歌にして / 鍋底知らずのお調子もの」(尾野照治訳)と歌った。 テーマと素材は世俗的なものでは、教訓、政治、恋愛、自然であった。宗教詩では神、マリア、教会、祈りを主題とし、旧約・新約聖書、神学、神秘主義等から詩想を得ている。 論争詩も得意分野で、21詩節におよぶ、「ミンネ夫人」と「浮世夫人」に自己の優越性を主張させる詩やレゲンボゲ(Regenboge)と交わした、>wîp<(「女性」)と>vrouwe<(「(貴)婦人、女主人」)の優劣を論じる論争詩は特に有名である。
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作品の性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 19:11 UTC 版)
この作品の前に描かれた『老人の背中』はパリが舞台であり、本作はエジプトと、つげ義春の異郷趣味が前面に押し出された作品である。しかし、『老人の背中』ではモジリアニ(アメデオ・モディリアーニ)作の刺青を老人の背中から剥がすことが暗示される猟奇趣味が漂い、本作では蟻地獄のようにそこから一生這い上がることの出来ない穴の中で男たちが絶望的な生存の戦いを繰り広げるという、いずれもダークでペシミスティックな作品になっていて、異郷を描くことの高揚感は微塵もない。 砂漠の中で男たちが迷い、しかも永久に助からないことを暗示するバッド・エンディングは、アンドレ・カイヤット監督の映画『眼には眼を』の影響を感じさせる。復讐する者も復讐される者も最後には破滅するこの映画を観てつげは衝撃を受けたらしく、『なぜ殺らなかった』(61)や『右舷の窓』(65)などでたびたびこのタッチは反復され、そのものズバリの『目には目を』(65)には、いじめに遭った主人公がこの映画をテレビで見る場面まで登場している。つげは他にも『四人の素人』(60)や『見知らぬ人々』(64)などヨーロッパ映画から影響を受けたと思われる漫画を描いている。
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