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2022年1月18日火曜日

『社会学感覚』索引

■あ あいさつ 236 アイデア・プロセッサ 221 アイデンティティ 63,189-193,194,197,206,208-209,217-219,227,291,318,363,373,388,433 アイデンティティ・クライシス[アイデンティティの危機] 189-193,444 アイデンティティ論 178 アイドル現象 414 アウトサイダー 440 アウトサイダー主義 154 アウラ 405-406 アウラの喪失 406 青井和夫 142 青木保 53 赤池憲昭 391 アカ狩り[レッドパージ] 452 赤坂憲雄 45,376,454-455,470 秋元律郎 86,90 阿木幸男 471 アクチュアリティ 274 悪の劇化 444 悪魔界のうわさ 357 阿含教 393 浅井信雄 376 アサイラム 91 朝倉恵俊 93,100 浅野健一 283,288,296 朝日新聞 278-279,283,294,486,488,490 亜細亜製薬 486 味の素 300 芦部信喜 276 アジール 127,370 安積純子 318 あたかも□□であるかのように 201 新しい社会運動 333,457 新睦人 111-112,119,131,158,175,211,251,392-393 渥美和久 433 阿閉吉男 52,63,71,79-80,123,125,129,131,159,204,316,376-377,389,420 アドルノ 169,397 アナウンス効果 23-24 アニミズム 382 アノミー[無規制状態] 117,140,142 アノミー的自殺 117,140 アフタヌーン・ショー 280 天木志保美 34 天下り 322,496-497 天沢退二郎 179 天野祐吉 296 網野善彦 369 アメリカ病院協会 527 あやつり人形[マリオネット](劇) 166,196-197,202-203 鮎川潤 148 新井直之 175,274,279,285-287,292 荒川幾男 169 アリエス 348-349 有地享 17,361 有吉広介 257 アンダーソン 87,89-90,119 アンダードック効果 23 安藤英治 81,400 アンドレスキー 24 アンビヴァレンス[両義性] 154,213 アンプル入りかぜ薬によるショック死 490  

■い 飯島伸子 392-393 イエスの方舟 396,454 「イエスの方舟」報道 375-376 家元制度 328 異化 49-50 医学[近代医学] 81-82,101-102,509-510 医学パラダイム 509-515,525-526 医学パラダイム外部の問題点 511 医学パラダイム内部の問題点 510 医学パラダイムの成果 509 異化効果 49 異化の原理 49 五十嵐二葉 283 生松敬三 389,399 異議申し立て運動 193 井口浩二 493 池上嘉彦 455 池田謙一 264,271 池宮英才 400 意見の風土 264 医師→医者 医師の専門家支配 526 石川晃弘 170,223 石川実 44 意識 10,21,106,232 意識の有無 20 石黒毅 47,91,217,239,318 意思決定システム 330 石崎晴己 64 石丸正 238 いじめ 454-456,468 医者[医師] 30,205,440,499,505,509 〈医者−患者〉関係のモデル 522-523 医者の役割 211 異常 135-136,141 異人→異邦人 イーストホープ 86 イスラム教 52,55,376-377,383 イスラム原理主義 391 磯村英一 87 イタイイタイ病 453 板倉宏 329 市川孝一 513 市野川容孝 145,396 一覧性 250 一神教 55,383 逸脱 44,141-142,329,440,444,493 逸脱行動 141,440 逸脱した病者役割行動 517 逸脱者 44,153,440,516 逸脱的役割 205,440,513 一般化された他者 207-208 一般社会学 108 一般理論 112 イデオロギー 33,81,142,343,351,362,419,424 伊藤るり 34 意図せざる結果 78-79 稲葉三千男 160,187,206,232,279,282 稲増龍夫 366,409,414 犬のケンカ 233 井上俊 175 井上順孝 392 井上博二 168,401 井の頭公園カップル破綻説 300 猪口邦子 463 異文化間コミュニケーション 45,239-240,243,525 異邦人[よそ者/異人] 44-46,205,453,470 異邦人の解釈学的効果 45 異邦人の眼で見る 44,49,232,240 今井賢一 333 〈いま、ここ〉の知識 275 今田高俊 34-35,64,111,334,457 今西錦司 10 今村仁司 15,169,223 意味 234 意味されるもの→シニフィエ 意味するもの→シニフィアン 意味喪失(問題) 80-81,142,319 意味づけのコード 362-363 意味の共有 236,241-243 意味の消費 356 意味の世界[意味世界] 65,76,78,86,501 意味連関 77 移民問題 86 イメージソング 413 居安正 16,44,129,136,200,322,376,420 イリイチ 450 医療 82,97,273,499,509,512,522,525-526,528,530-531 医療化 450 医療社会学 101-102,509,515 医療ジャーナリズム 508 医療責任の分散 524 医療の社会化 514 岩崎信彦 107 インサイダー主義 146,154 印象操作 217 インフォーマル・グループ 320,323,328,497 インフォームド・コンセント[知らされた上での同意] 527,530 インフルエンザ予防接種 491  

■う ウー 517-518,520 ヴァーガス 238,240 ヴァルネラビリティ[攻撃誘発性/被撃性] 455 ヴァルネラビリティと有徴性 455 ウィーバー 228 ウィルス説→スモン感染説 ウィルソン 390 ウィンダール 262 上田昌文 492 上野千鶴子 174,343-344,349,363,371,446,535 ウェーバー[ヴェーバー] 11,51-53,62-63,65,69-75,80-83,106,121-126,135-136,142,159,168,174,234,316,318-319,384-385,387-390,398-401,415,420-422,429,432-433,462,469,535,539 ウェーバーの意味喪失問題 80 ウェーバーの合理化論 398 ウェーバーの支配社会学 420 ヴェブレン 30,361 ウェルズ 256 ウォークマン 412 ウォーターゲート事件 274,278 受け手[オーディエンス](の役割) 205,216,228,237-242,253,257,261,266,269,285,401,406,503-505 受け手の解釈作業[受け手の解釈実践] 269-270 受け手の解読コード 461 受け手の感情 281 受け手の選択的メカニズム  受け手の能動性 269 〈受け手の能動性〉対〈メディアの影響〉 269 受け手の反応 234,236,242,457,461 受け手批判 293 受け手の明識 292 潮木守一 33 内川芳美 175,276 内田隆三 174,432 ウッドコック 471 宇都宮輝夫 18,514 裏返してみる 43 浦野和彦 199 売上税 263 うわさ[流言] 297-310,437 うわさとの関わり方 308 うわさについての常識 306 うわさの合理性 309 うわさの法則 305 運動的関心 138-139,151  

■え 映画 250 エイジズム[年齢差別/老人差別] 447 エスノグラフィー 88,92 エスノメソドロジー 34 エートス 16,71,96,104,108,138,157,503 江原由美子 34,270,345,434,441-442,444 海老原明夫 62 エポケー[判断停止] 218 エホバの証人輸血拒否事件 35,145 エモーショナリズム 281-282 エリクソン 192-193 エリート 44,68,190-191,329 エリートとしてのアイデンティティ 191 遠近法 399 演劇的個性 202 エンゲルス 57,105-106,184,426 えん罪事件 283,465 演奏会 403 演奏会のモラル 402 遠藤湘吉 106 エンマ 281  

■お 老い 127,445-448,519-520,522 老いに対する六つの偏見 447 老いの意味 43,446 老いの積極的意味 447-448 オイルショック 391 オーウェル 80,94,425 大内力 106 大鐘武 63,168,401 大きな物語 357 大熊一夫 127,513 大島直政 377 大谷明宏 463 大月隆寛 298 大塚英志 174,306,356-357,362-363,371,373-374 大塚久雄 70-71,319,389,399 大友克洋 454 大野智也 522 大橋幸 342 大村英昭 44,119,158,378-379,382,390,393,444 大本教 392 岡崎次郎 184,419 岡澤憲一郎 71,168,401 岡田直之 27 岡堂哲雄 447 岡原正幸 318 岡部慶三 276 オカルト・ブーム 392 小川博司 410-415 沖縄返還交渉に関する外務省機密文書漏洩事件 276 荻野綱男 221 奥平康弘 276 奥出直人 221 小倉豊文 179 オグリキャップ人気 368 送り手(の役割) 205,228-230,239-240,253 〈送り手−受け手〉図式 251,253 送り手・受け手の共犯 368 〈送り手−受け手〉の役割 253-254 送り手と受け手の分離 276 送り手の意図 236,242,265,269,461 小此木啓吾 192 小此木真三郎 443 長木征二 414 お嬢様ブーム 368 尾高邦雄 171,325,327 尾高朝雄 490 落合恵美子 349-350 夫の役割 343 オーディエンス→受け手 オーディエンスとしての他者 504-505 「男らしさ女らしさ」の呪縛 48 大人としてのアイデンティティ 191 大人の社会化 208 尾中文哉 318 お涙頂戴 49,281 おニャン子クラブ 414 小野薬品 489 おはらい 379 小原敬士 361 オピニオン・リーダー 260 オペラ・ブーム 413 おやじギャルブーム 368 親−年長児モデル 523 親−幼児モデル 523 オリジナル楽器演奏ブーム 414 オリジナルとコピーの区別 408 折橋徹彦 206,215 オルポート 305,437 オルレアンのうわさ 92,301-304 音楽 397-415 音楽イベント 414 音楽化社会[音楽する社会] 410,412,415 音楽現象 401 音楽社会学 52,397,400 音楽の受け手 401,406 音楽の正しい聴き方 401-402 音楽の変容 406 音楽文化の担い手 403 音響物理学 400 恩恵による選びの教説 72 オンブズマン 500  

■か 海外帰国子女[帰国子女] 39,456 外国人労働者 35,301,306,437 介護サービス 347 解釈作業→受け手の解釈作業 解釈作業の解釈図式 270 解釈システムとしての組織 334 解釈的過程[選択的解釈過程] 202,210 会社供養塔 379 会社人間 30,322,325 階層秩序化 430 外的拘束力 159 外敵による内集団の統合 132 概念 121 概念的に把握する 56 カウンター・カルチャー→対抗文化 カオス 388 加害者(の役割) 205,329,443,502,504 科学 149 科学ジャーナリズム 508 鏡としての他者 185 鏡に映った自我 183,185 核アレルギー 425 学園型(大学) 33 核家族 51,350 確認書和解 488,502 家具の音楽 406 加護野忠男 324 梶井正 486 柏岡富英 197 梶田孝道 29 鹿島敬 343-344,347 家事労働 343-344,350 ガース 67 カステル 107 家族 51,116,339-352 家族愛 51,349-350 家族機能 339-342 家族圏 351 家族成員相互の強い情緒的関係 349 家族における老人の介護担当者 346 家族の集団性の強化 350 家族の比較社会学/歴史社会学 348 家族の役割構造 342,345 家族病理 143 家族崩壊 350 家族役割 205 型 17 片親家族 43,143,351 語りのスタイル 304 価値合理的行為 123-124,389 価値自由 136 価値判断 142-143,146,273,307 勝田晴美 331 カッツ 257,260 葛藤構造 524-525 河童 304,453 勝又正直 400 桂敬一 280 家庭(の)責任 344-345 家庭内離婚 35 加藤俊彦 106 加藤秀俊 26,327 金井淑子 349 家内領域と公共領域の分離 349 金沢実 24,213,260 金子郁容 333 貨幣 54,57 鎌田彰仁 34,38,171,387 鎌田慧 94,503 神[カミ] 54,72-74,381-382,450 神隠し 453 仮面 195,209,218,227 仮面ライダースナック 356 通い婚 351 カラオケブーム 412 カリスマ 125-126,384-387,390,392,421 カリスマ的指導者 385,391 カリスマ的支配 125-126,385,421 カリスマの日常化 126,385,406 ガリレイ 49 カルチャー・ショック 45,46,59 カルヴァン 72 カルヴィニズム 72 カルガモの引越し(報道) 286 カルチュラル・スタディ派 107 ガルトゥング 466-467 加齢の神話(老人の) 447 川合隆男 86 川上澄江 287,295 河上倫逸 81,104,319,399,457 川名英之 485,487,489,492 川村暁雄 492 観客 49,166,205,216,285 環境制約型コミュニケーション 424-426 環境適応モデル(組織の) 335 環境認知 266 環境の監視 268 監禁刑 429-430 関係の第一次性 184 観察主体 21-22 患者(の役割) 203,205,487-488,501,505,522,525-531 患者自身の自己管理 512 患者の権利 526-530 患者の権利章典 527 患者の権利宣言 526 患者の権利に対するリスボン宣言 529 患者の〈声〉 525 患者の「最善の利益」 523,525 患者の自己決定権 526 患者不在の医療 510 患者への差別 487 患者役割からの逸脱 203 観照→理論的実践 感情中立性 153 感情的行為 124 感情同化の原理 49 感性エリート 363 感性的センセーショナリズム 282 感染症患者の役割 501 勧善懲悪思想 284 関東大震災時の朝鮮人虐殺 301,443 監督省庁と業界の癒着 322 冠コンサート 414 管理教育 454 管理社会論 152 〈管理〉対〈自律〉 318 官僚 30 官僚制→ビューロクラシー 官僚制的組織 399 官僚制的支配 317 官僚制の逆機能 141 管理抑制型コミュニケーション 426  

■き 消えるヒッチハイカー 298 議会制度 399 機械モデル(組織の) 335 機械論的システム概念 規格化 430 危機 38-39 企業逸脱 329-330,493-495 企業逸脱の仮説 494 企業城下町 277,453 企業社会 435-436 企業神社[企業守護神] 379 企業戦略 494 企業組織 493-494,520,522 企業内における信教の自由 379 企業の社会的責任 277 企業の文化戦略としての音楽 414 企業犯罪 68,329 企業秘密 277 企業文化 328 菊田幸一 464 菊池章夫 256 菊池美代志 342 記号 165,236,359,363-366 記号消費 358,360,362 記号としての広告作品 366 記号としての商品 365 記号としてのモノ 362 記号の進化 236 記号論[記号学] 40,363-365,455 記号論とはなにか 363 記号を媒介にした相互作用 236 帰国子女→海外帰国子女 記者クラブ 287 技術者 30 技術的知識 27-32,539 稀少性 355 季節労働者 119 規則に支配された創造性 165 議題設定機能 263,266,286,538 期待の衝突 524 北原淳 351 喫煙問題 145 ギデンス 64,159 キツセ 148 機能 161,339 機能主義 158,163 機能障害 520-521 機能的に分化したシステム 113 木下是雄 220 キノホルム 329,488,492 キノホルム説→スモン=キノホルム説 キノホルム被害者の役割 502 気晴らし 268 規範科学 273 規範主義的な役割概念[規範的役割概念] 197 記譜法 400 君塚大学 20,34,44 木村敏 191 喜谷課長 497 逆機能 141-142 客我[me] 187-188,207,210 客我と主我の対話→主我と客我の対話のプロセス 客観的意味[現実的意味] 234 客観的結果 78,95 客観的現実としての社会 63,84 客観報道主義 250 キャレール 463 キャントリル 256 ギャンブル(のファッション化/の情報ゲーム化) 368 キャンペーン 265 キャンペーン効果 265-266 究極的意味 387 究極的意味の世界としての宗教 386 救済の対象 381 急性疾患 510,512-514 ギュルヴィッチ 99 教育・労働・性・マスコミの現場における構造的暴力 468 境界事例 191 狭義の社会 12-14,159 教師 30,205,212,440 強制 422 行政幹部 421 強制指導型コミュニケーション 424 行政秘密 277 強制力 55-56 教祖 375,381,386,396 競争 131 共通形式 129-133,279,419 共謀関係 322 強力効果説(マス・メディアの) 255-257,265 強力効果説の基本前提 257 強力効果説への回帰 261 巨大組織 332 虚脱と倦怠 119 共犯性[共謀性] 201 虚報 280-281,293 距離化 46-47 距離のとり方 237 規律 319,430,432-433 規律社会 431 ギロー 365 金城清子 347 近代 10,47,403 近代医学→医学 近代(自然)科学→自然科学 近代家族 51,349-351 「近代家族」の理念型 349 近代資本主義[近代の合理的・経営的資本主義] 51-52,70-74 近代社会 11,56,183,189,192,195,198,206,316,319,399,516 近代西欧音楽 400-402 近代的聴衆 402,404 近代日本の排除現象 452 近代(化)の産物 343,349,382 近代ロマンチックラブ・イデオロギー 349 緊張論 460 禁欲 72-74 禁欲的プロテスタンティズム 72-73,95-96,122 禁欲的プロテスタンティズムの倫理 122  

■く クォリティ・オブ・ライフ→生の質 薬 505-508 薬の非合理的な使われ方 505 薬の本質 506 クチコミ 308 クチコミの反乱 297,302 口裂け女 300 クック 293-294 グッド・ニュース・オンリー・システム 288 グーテンベルク 249 苦難の神義論 389,451 熊谷苑子 24 熊沢誠 323 組合専従幹部 30 公文俊平 327-328 クラカウアー 15,169,256 クラシック(音楽) 402 クラシックブーム 413 暮しの手帖 289 倉田和四生 161 クラッパー 258,265 グランド・セオリー→誇大理論 クーリー 160,184-185,341 栗岡幹英 106,488,501,503,525 グリコ・森永事件[グリコ事件] 281,285 クリーシェ 40-41,43-44 栗原彬 27,173,193,223 栗原孝 219 栗原淑江 168,401 栗原裕 249 グリュネンタール社 485-486 グールド 408-409 グールドナー 27-28,111,539 クレイム申し立て活動 148 クレタ人のパラドックス 20 クレッシー 88 クロスビー 407 黒住教 392 黒田勇 262 黒田浩一郎 499 クロロキン(事件) 322,488-490,497,504,507 クロロキン網膜症 489,491,507 桑田禮彰 432 訓練された無能力 30  

■け 経済的非協力 474,475 経済的ボイコット 474 警察 440,462-463 形式社会学 130,157,159,419 芸術社会学 397 芸術という概念 403 経済機能(家族の) 340-341 経済的世界におけるモノ 359 競馬 367 劇場型犯罪 285 劇場空間 370-372 劇場空間化 370-373 劇場としての社会 165 化粧 238 ケスラー 52,399-400 結婚式 35 欠損家族 143 ゲットー 88 欠乏と不満 118 血友病患者 436 ケネディ暗殺事件 262 ゲマインシャフト 341 ゲマインシャフトとしての家族 341-342 ゲーム遊び 207 けやきの郷事件 454 ケラー 521 ケルシー 485 ゲルハルト 197 嫌煙運動 145 研究対象の同一性 21 健康と病気[病気と健康] 126-128,514 言語 165,235,242,426 言語活動[ランガージュ] 84 原告の役割 502 言語コード 426 言語としての社会 165 顕在的社会問題 150 現象学的社会学 34,38-39,47,169 健常者(役割) 436,518,520 検証報道 288 現世内禁欲→世俗内禁欲 健全家族 143 現代家族における家族機能の縮小 340 現代型都市空間 372 現代社会学の研究領域 8 現代社会論 152 現代人のアイデンティティの中心をなしているもの 194 現代日本における老い 445 現代のうわさ 299 現代民話 298-299 限定効果説(マス・メディアの)257-258,263,265 限定効果モデル 258 原発 35 憲法 379,399 権力 275,432 権力作用[権力関係/力] 432-434,435,443,450,454,466 権力作用論 429,433 権力作用論の意義 432 権力者 419 権力なしの社会 419 権力の技法[権力形式] 433,441 権力の秘密 419 権力は身近な生活の場に宿っている 418,433 権力批判 282 権力論の課題 418 言論の自由 276  

■こ 行為 62-63,95 合意 422-423,429 行為者 76,95,159,216 行為者の理解作用[行為者の理解性] 202 行為主体 64,330 行為と表現のディレンマ 216 行為の意味を理解する 37 行為の自由 218 行為の集積としての社会 60 行為の主観的意味と客観的結果 78 行為の諸類型→社会的行為の諸類型 行為の媒体 202 行為への実践的起動力 16,71 高護 414 コーエン 47 公害 31,453 公害企業 481 公害認定 149 公害被害者 453 交換 57 効果の概念 265 高感度人間 363 後期採用者 263 広義の社会 12-13,129,159 高校中退(者) 39,68 広告 366-369 広告音楽 413 広告コンセプト 366 広告の機能 366 広告万能論 368 公式的見解 146 厚生省 486-492,495-498,502,507 厚生省の問題 496 厚生省薬務局 496 厚生省薬務局製薬課 489,497 構造化論 64 構造生成性 111 構造的暴力 466-468,480-481 構造の二重性 64,271 行動のなかに潜在する宗教性 380 高度経済成長 343,453 高度情報社会 297 幸福 394-395 幸福の神義論 389 合法的支配 125,420 合法的な暴力 462 公民権運動 193,410,437 孝本貢 392 合理化 70,73,389-390,398-401,415,421 合理性 309-310 合理的法体系 399 高齢化 342,512,522 声の質 238 国鉄 330-332 国鉄組織内部の意思決定のメカニズム 331 個々人のかつてみない内面的孤独の感情 72 コーザー 169 誇示的消費 361 児島和人 253,262 個人環境に関する私的問題 103 個人と社会[社会と個人] 64,117,195 コスモス 388 個性化 188,210,361-362 個性的修正[個性的反応] 187 個性的理念型[歴史的理念型]121-123,125 個性認識 200 個性を演じる 373 誇大理論 112 国家 54,62-63,116,462 国家権力 418 国家神道 382 国家的暴力 461-462,465-466,480 国家によって独占された正当な物理的暴力 462,464 国家秘密 277 こっくりさん 392 ごっこ遊び 207 ゴッフマン 91,206,215-217,239,318,444-445,447,456 ゴーデット 257 コード 366-369,428 後藤和彦 249 後藤孝典 489-490,497 五島勉 392 後藤正治 458 孤独と反目 118 ことばの生理 284 子ども 51,356 子ども時代 348-349 子ども中心主義 349 子どもとしてのアイデンティティ 191 子どもの社会化 206,341-342,349 ゴードン 518 コノテーション[内示的意義/判示的意味] 365-367,372 個別化された幸福の神義論 394 個別化された不幸の神義論 395 誤報 280-281,293 こまぎれ医療 510-511 小松茂夫 471 コミュニケーション 160-161,181,226-242,307,362-363,442,461,525,531 コミュニケーション概念の形式的な定義 コミュニケーション現象 299,306 コミュニケーション・ツールとしての作文技術 220 コミュニケーションの意味 236,269 コミュニケーションの効率性 230 コミュニケーションの始発者 237,253 コミュニケーションの始発者としての受け手 237,269 コミュニケーションの始発点としての受容行動 269 コミュニケーションの条件 337 コミュニケーションの常識モデル[コミュニケーションについての一般的なイメージ] 229-231,236 コミュニケーションの常識モデルの問題点 229 コミュニケーションの数学的モデル 228 コミュニケーションの脱物象化 266 コミュニケーションの内容 248-249,253 コミュニケーションの二段階の流れ 260,262 コミュニケーションの二段階の流れ理論 262 コミュニケーションの微視的世界 86 コミュニケーションの本質についての中間考察 236 コミュニケーションの目的性 230-231 コミュニケーション・メディア→メディア コミュニケーション・モデル 228 コミュニケーション論 50 ゴーラー 18,514 コラルジル中毒 491 コリンズ 52,96,400 ゴルバチョフ 170 コンウェル 88 根源社 379 金光教 392 コンサート・ドロップアウト 408 コンストラクション 164 コンティンジェンシー理論 324,335 コント 134 今野敏彦 88 コーンハウザー 175  

■さ 差異 441-444,450,454-456 差異化 361-362,373,430 差異化の(社会的)コード 366-368,371 災害報道 280 災害流言 309 西郷隆盛 300 最初に関係ありき 184 ザィデルフェルト 40-41,405 サイード 376 斉藤耕二 256 斉藤茂男 94 斉藤吉雄 137 柴門ふみ 35 サウンド志向 410-411 阪井敏郎 345 榊ひろと 414 坂田正顕 199 向坂逸郎 57 作田啓一 25-26 桜井厚 44,87,203 桜井哲夫 174-175,317 サザエさん 300 佐々木一義 198 佐々木交賢 108 笹田直人 15,169 サザーランド[サザランド] 88,493 サザンオールスターズ 411 サス 523 佐高信 94,379 作曲家 400 作曲家の偶像化 403 サティ 406 佐藤郁哉 66,88,92 佐藤健二 93,300 佐藤首相 425 佐藤毅 49-50,107,206,215 佐藤勉 110,113,196,515 佐藤信夫 364-365 佐藤友之 280 佐藤成文 376 佐藤良明 243 佐藤嘉一 241 真田孝昭 513 佐野勝隆 170 サービス残業 323 サブカルチャー 143,460-461 サブシステム 110 差別 441-442,444,449-450,487,504,514,518 差別の論理 441-442 サリドマイド事件 322,485,490,497,504 沢木耕太郎 94 澤地久枝 276 参加型音楽行動 412 産業社会論 152 サンクション 323 サンゴ落書き報道[サンゴ落書き事件] 278,280,294 サン-シモン 134 三世代家族 351 三ない運動 97 散漫な受け手 406 三味一体定式 57 残余科学 11-12 参与観察 89-91,137  

■し 死 17-18,82,102,309,513 ジェイ 15,169 シェイクスピア 195 ジェイムズ 186 ジェスチャー→身ぶり シェフ 513 塩原勉 11,211,324,392-393 塩谷政憲 392 私化[私生活化] 391 自我 185-190,210,218,227,232,235 自我意識 227,235 自覚されない宗教性 377 自覚と現実行動の不一致 377 自我形成 195 シカゴ学派 86,90-92,137,141,146,157,160,186 シカゴ大学 86-87,158 自我の主体性 186 自我の創造性 187 自我の多面性 185 自我は関係である 181 自我は現象である 180 自我は複合体である 181 自我は矛盾である 182 自我は流動的である 180 自我論 178 軸の転回 79 死刑 462,464-465 死刑存置論 464 死刑廃止論 464 死刑の犯罪抑止力 464-465 重田晃一 106 重信幸彦 298 事件 278,302,500 自己確認 268 自己言及 19 自己言及のパラドックス 19 自己実現 209,218,227 自己成就的予言[予言の自己成就] 23-24,283,443-444,455 自己組織性 111,334-335 自己組織モデル(組織の) 335 自己定義 186,190,218,502,519 自己破壊的予言 23-24 自己反省 59,293-294 自己変革的な科学 14 自己本位的自殺 116 自己理解 28 自己類型化 115,198 自殺 16,116-117,135 自殺類型 116 事実行為性 202 事実婚 351 時事問題へのアプローチ 222 自粛(昭和天皇の病状悪化による) 454 システム 108-112,161-162 システム概念 109 システム合理性 310,531 システムによる生活世界の植民地化 148,161-162,319 システムの自律性 80 システムのハイアラーキー 110 システムの論理 319 システム論 108-113,161,163 私生活化→私化 施設 318 視線 237 視線の交差[アイ・コンタクト] 239 自然科学[近代科学/近代自然科学] 20-22,29,81,149,160,399,510-511 自然科学における自己言及の問題 21 自然現象 76 自然的世界におけるモノ 359 自然的態度 38 自然という書物 21 自然認識と社会認識 199 シタラム 45,239-240 七五三 382 視聴質 269 視聴者教育 292,295 視聴率 250,269 実験室としての都市 137,160 実証主義 157,159 実践的関心 135,139,151 実践的志向 135-136,138,151 疾病構造 512,515,522,526 実名報道主義 283 指定された本の探し方 246 史的唯物論→唯物史観 史的唯物論との対決 75 視点の闘争 144-145 指導−協力の関係 523 自動車学校型(大学) 33 シニフィアン[意味するもの] 165,364-366 シニフィエ[意味されるもの] 165,364-367,371 シーニュ 364 篠沢秀夫 40 死の社会学 18,514 死の社会性 17 篠田浩一郎 451 死のポルノグラフィー 514 支配 317-318,419-422,432 支配関係なしの社会 419 支配者 131 支配の一形式としてのビューロクラシー 317 支配の技法 430 支配の原型 421 支配の社会学[支配社会学] 124,432,479-480 支配の諸類型 124,126 支配の正当性(根拠)[正当的支配]124,420,427 支配は相互作用 419 自発的服従 317-319,419,422,428,432-433,480 私秘的生活者の役割 501 シブタニ 307 渋谷パルコ 371 自分とはなにか 179 資本主義 70-71,95 資本主義的企業 399 資本主義のエートス 71 資本主義の起源 52,96 資本主義の精神 71-76,96,122 島薗進 392 清水幾多郎 123,158 清水克雄 356 市民社会の解剖学 135 市民的抵抗 471 自民党 321 自明性 39,43,46,56-57,59,61,539 自明性を疑う→日常生活の自明性を疑う 自明な世界 38,47 霜野寿亮 86 社員研修 31 社会 10,63,83-85,100,158-166,173 社会医学 101,509-510,515 社会運動 139,148-149,153,193,333,386,436,457,479,481,500,503,538 社会科 8 社会化[社会になること](ジンメルの概念) 130-132,206,419 社会化 206,208,210,264,426 社会解体 141-143 社会外的側面 16 社会外的不可測性 200-201 社会概念 10,156,162 社会概念と社会学構想 156 社会科学 8,13,20,57,427 社会科学的ジャーナリズム 284 社会科学との関係 11 社会科学の研究対象 11 社会科学の実践的性格 24 社会科学の世話役としての社会学 103 社会化機能(家族の) 340-342 社会学 8,104-105,158-162 社会学化[諸科学の社会学化] 25,107,535 社会学感覚 18-19,25-26,36,48,94,534-535 社会学感覚なき社会学研究 18 社会学教育 18-19,24,533,538 社会学系の事典類222 社会学研究 18-19,538 社会学研究の実践的課題 152 社会学構想 156 社会学史の六つの段階 157 社会学者 24 社会学主義 107-108 社会学帝国主義 108 社会学的アンビヴァレンス 213,219 社会学的概念の役割 129,133 社会学的機能主義 157,161 社会学的時代診断 151-152 社会学的実践 16,18,25,128 社会学的シンクレティズム 540 社会学的想像力 103,503 社会学的知識 152 社会学的に羊の毛を刈る 517 社会学的認識における類型化[社会学的類型化/社会学における類型化] 115-117 社会学的発想 36 社会学的反省 58-59 社会学的ブリコラージュ 540 社会学的理念型→類型的理念型 社会学とジャーナリズム→ジャーナリズムと社会学 社会学のエートス[社会学的エートス] 18,91,146 社会学の研究対象[社会学の研究領域] 11,13-15 社会学の研究対象の最大公約数 12 社会学の研究対象の最小公倍数 12 社会学の構成問題 156 社会学のジャーナリズム化 538 社会学の専門科学性 11 社会学のトリック 20 社会学の役割 150 社会学のレーゾンデートル 538 社会学はなにを研究する科学か 10 社会学批判 13 社会化のエージェント 341,426 社会化の諸形式 130-131,419 社会関係についての類型化 198-199 社会形象 83,85 社会決定論 197 社会現象 76 社会現象における共通形式を抽出する 37 社会現象を総合的に認識する 37 社会構造 164 社会構造に関する公的問題 103 社会史 10-11 社会システム110-112,141,161 社会システムの学 112 社会システム論 110,131 社会システム論の根本的修正 110 社会集団の自己保存 132 社会主義社会の社会学 169 社会心理学 160,184 社会人という役割 501 社会性 16,506-507,526 社会制度 61-62 社会的意味(づけ) 356,359-360,363,365 社会的現実の構成 61 社会的行為 95,123 社会的行為の集積 159 社会的行為の諸類型 123,389 社会的事実 48,55,56,62-63,83,85,107,120,159 社会的弱者 435-436,446,456 社会的弱者とアイデンティティ 192 社会的制裁 283 社会的勢力からの自立 289 社会的世界と物理的世界のちがい→物理的世界と社会的世界のちがい 社会的反作用 141 社会的非協力 473 社会的不利 521 社会と個人→個人と社会 社会になること→社会化 社会認識にひそむトリック 20 社会の形式 159 社会の構成単位 62 社会のトリック 20 社会の内容 159 社会の反省的コミュニケーション 428 社会の反省性 128 社会のラングとパロール 83 社会は機械である 163 社会は記号である 165 社会は客観的な現実である 63 社会は劇場である 165-166 社会は言語である 84,165 社会は建築である 164 社会は交換である 164 社会はコミュニケーションである 164 社会は宗教現象である 387 社会は生物有機体である 163 社会は闘争である 164 社会は人間の産物である 63 社会病理 140-142,307 社会病理学 140 社会物理学 105 社会変動 143 社会本質論 156 社会問題 140,146,147,505 社会問題と価値判断 142 社会問題としての薬害 484 社会問題の主観的定義 148 社会問題の定義 144 社会問題の判定者 145 社会問題への理論的歴史的関心 135 社会問題論のキーコンセプト 140 社会薬学 484 社会有機体説 140 社会理論 104 社会を可能にする知識事実 200 社会をまるごと認識したい 104,108,134 ジャクソン 199 社交(界) 204,402-403 社交の衰退 350 社主制度 289 社内転職 290 ジャーナリスト 25,537 ジャーナリスト教育の問題 290 ジャーナリストの内部的自由 291-292 ジャーナリズム 25,29,90,134,149,153-154,243,250,272-294,309-310,428,486,503,508,538 ジャーナリズムが「正義の味方」にみえるとき 278 ジャーナリズム組織の経営の独立 289 ジャーナリズムと社会学 92-93 ジャーナリズムと社会学の中間領域 93 ジャーナリズムとはなにか 274 ジャーナリズムの社会学化 537 ジャーナリズムの宗教理解 375 ジャーナリズムの主体 274 ジャーナリズムの自律性 282 ジャーナリズムの理念 273,277,282,290-291 ジャーナリズムの理念復権のために必要なこと 289 ジャーナリズムは「正義の味方」か 278 ジャーナリズム論関係の雑誌 296 シャノン 228 シャープ 470-471 周囲の否定的な反応としてのスティグマ 446-447 宗教 16,310,370,373-374,375-396 宗教改革 72,76 宗教回帰現象 376,391,394 宗教感覚 378 宗教教育 72 宗教形態 381 宗教行為 124,389 宗教行動 378,383 宗教社会学 384,390 宗教心 376-377,384,390 宗教的活動(国の) 380 宗教的寛容性 383 宗教的構図(日常生活の) 39 宗教的世界像 389 宗教のオーディエンス 376 宗教の機能 387 宗教の原点としてのカリスマ 384 宗教の個人化 391 宗教の社会統合機能[秩序づけ機能] 387-388 宗教の社会変革機能 387 宗教は非合理か 388 宗教への視点 375 宗教への表面的無関心 380 集合的無責任 332,494,524 集合的無責任の生成 330 重層信仰 383 集中的聴取 402,404,406 集団 315,351 集団主義 327-328 集団本位的自殺 117 柔軟性欠如の神話(老人の) 448 十二平均律 400 十八世紀音楽の聴かれ方 402 週末結婚 351 収容所→アサイラム 修養団 379 重要な他者 207 主我 187-188,210 寿岳文章 236 主我と客我の対話のプロセス[客我と主我の対話/Iとmeの対話] 188,210 主観的意味 65-69,76-77,78,95-96,159,234 主観的現実としての社会 63 粛清 170,452 取材の自由 277 取材・報道される側の論理 282 呪術からの解放[脱呪術化] 390,399 呪術的カリスマ 393 主体性 210 主体相関的 28 シュッツ 38,44-45,115,169,198,200,203 受容過程論 253-254 シュラム 175,265 受療行動 525 シュルフター 517 準拠集団[リファレンス・グループ] 259-260,291,323-324 純正律 400-401 ショウ 88,92 上位と下位[上位−下位関係] 131,419 障害[障害類型/障害概念] 127-128,445,514-515,520-522 障害者 54,128,435-436,515,520,522 障害者雇用 435 障害者役割 518-520,522,526 障害の定義 520 使用価値 359-360,365 状況的役割 205 状況の定義(づけ) 68-69,86,217,308 消極的平和 467 常識的構成体[知識構成体/常識的な構成概念] 199-200 常識的知識[常識/通念] 38-39,41-44,48,51,75,115,128,148,227,255,307,342,388,418,422,450,459,466,517,519,539 常識のもつ権力性 148 常識を疑う 41-42 少女 373 少数民族 54 状態ではなくプロセスとしての社会問題 147 情緒安定機能(家族の) 340 消費 354-356,358-363,394-396 消費行動 97 消費行動の総合性 97 消費社会 277,354,361-364,366,371,394,406,410,412,506 消費社会における薬 505 消費社会における幸福と不幸 394 消費社会におけるモノ 359 消費社会の自我像 373 消費社会論 152,354,358,364 消費による幸福 395 消費は言語活動である 361 消費はもはや個人や集団の権威づけの機能だけではない 360 消費はもはやモノの機能的な使用や所有ではない 359 商品コンセプト 365 商品との対話 363 上部構造 164 情報 27-30,228,251,272 情報化社会論 152 情報公開 428,507-508 情報産業 292 情報操作 288,426 情報通信ネットワーク 251 情報としての知識 27-29 情報の移転 228,307 情報のキャッチボール 228-230,236 情報の果たす役割 276 情報非公開 426 情報量概念 228 情報理論 228 昭和天皇 454 初期社会学 157 職業としての社会学者 24 職業役割 205,211 職業労働 73 職場慣行 435 諸個人間の心的相互作用 83,85 叙事詩的演劇 49 女性解放運動→フェミニズム 女性問題 346 女性誘拐 302-304 書籍 249 所属集団 117,323-324 書評 244 処方箋的な知識 115-116 シラケ 409 知らされた上での同意→インフォームド・コンセント 自律性 111,282,499 知る権利 276-277,279,282,508,530 シルバーマン 485,505 城塚登 56,64 素人仲間での参照システム 525 人為的暴力 467 新幹線公害問題 330 信教の自由 379-380,384 シンクレティズム 383 人権の侵害 282,288 信仰 396 信仰による幸福[救い] 395-396 人事慣行[人事労務慣行] 290,325-326 人事考課 323,468 神社 382 人種的偏見 437 心象スケッチ 178 心情 71 心情のない享楽人→信念のない享楽人 新宗教 54,375,383,392-393,396 シーン消費 373 新人 44 新新宗教 35,392-396 人生劇場 196 新・性別役割分担 344 新・性別役割分担と女性の二重役割 344 身体技法 17 身体刑 429-430 身体障害者→障害者 身体接触 237 身体的特徴 238 診断(社会学的) 151-152 診断(医学的) 510 心的相互作用 83,129,159 進藤雄三 102,450,499,510 新都市社会学 107 侵入科学[侵略科学] 11-12,108 真如苑 393 信念 71 信念のない享楽人[心情のない享楽人] 82,319 真の自己 219 信の宗教 393 信憑性構造 39,43,391 新聞 249 新聞裁判 283 新聞利用教育 293 人民寺院 396 ジンメル 12-14,21,44-45,63,79-81,83-86,100,125,129-132,135-137,159,168-169,200-202,204,206,321,376,397,419-420,429,432,535,539 ジンメルの「上位−下位関係」論 419 心理学主義 62,77 神話 40,304,437,447 神話作用 40,43,59 神話もしくは物語の変奏 303  

■す スィンゲドー 391 推定無罪 283 水流ジャーナリズム 283 菅谷裕子 298 菅原眞理子 344,351-352 スキゾ 409 杉之原寿一 341 杉原四郎 106 杉政孝 509 杉森創吉 67 杉山あかし 241 杉山恵美子 349 杉山光信 35,92,302,349 スキャンダリズム 281-282 スケープゴート(化/現象)[スケープゴーティング] 443,450-455,457 鈴木首相 425 鈴木広 104 スタイナー 15 スターリン 169-170,425,452,516 スターリン批判 170 スティグマ 444-449,456-457 スティグマとはなにか 444 ステップ・ファミリー 351 ステレオタイプ[ステロタイプ/紋切り型] 40-41,43-44,48,210,284,429,436,438-439,441-442,449,537,539 ストコフスキー 408 ストライキ 475 ズナニエツキ 86-87,92 砂原茂一 485,510-511,515,520,523-524 スピッカー 444,447 スペクター 148 すべてはすべてに関係している 108 スペンサー 105 角倉一朗 400 スミス 256 スモン患者の役割 501 スモン感染説[ウィルス(感染)説] 487-488,501-503 スモン=キノホルム説 488,490,502 スモン事件 322,329,487-488,503-504 スモン訴訟 488,492,498,504 スモン調査研究協議会 488 スモン被害者の役割変遷 500 スラッシャー 87 諏訪哲二 67,213  

■せ 性 34 西欧音楽の合理化 399 西欧に特有の合理化 398-399 西欧文化中心主義 53 性格類型 205 生活慣習としての宗教 381-382 生活史法 92-93 生活者の視角 29 生活世界 85,161-162,270,319 生活保護 69 生起としての社会 83,85 世紀の転換期の社会学 107,157,159,168 世紀の転換期の社会学の受容の問題 168 政教一致 379 性行為 469 制裁→サンクション 政治宣伝→プロパガンダ 政治的非協力 476 政治犯罪 68 正常と異常 135-136 精神 235,237 精神障害者 512 成人−成人モデル 523-524,526 精神のない専門家 82,319 成人のパーソナリティの安定化 342 精神病[精神疾患] 69,189,433,513,517 成人病 512 政策科学 27 政策的関心 138-139,151 生態学 29 生態学系の社会概念 10 生長の家 392 性的機能(家族の) 339-340 制度 55,62 正当化機能 149 正当性 436,459,462,464,480-481,516 正当的支配 124 制度的教団宗教 393 制度的チャネル 307-309 聖なるもの[聖] 384,386-388 青年期 191-192,218 青年文化→若者文化 生の質[クォリティ・オブ・ライフ] 82,102 生物有機体システム 110 生物有機体論的システム概念 110 性別役割分担 39,342-343,347 製薬企業[製薬会社] 492-498,502,504,507 性役割 205,347,435 生理性(薬の) 506 世界劇場 196 世界宗教 52 世界宗教の経済倫理 51 世界像 75 関三雄 199 セグメンテーション 371 世間 173 世俗化 390-391 世俗化論 390 世俗外禁欲 77 世俗内禁欲[現世内禁欲] 73,77,96 積極的平和 467 説得的コミュニケーション 265 世良晃志郎 125,316,319,420 芹沢俊介 375 セリン 465 セルズニック 34 世論→よろん 前科者 43,205 一九七○年代音楽の転回 410 一九二○年代 404 一九八○年代日本の音楽状況 411 選挙 35 専業主婦 343 選挙予測 23 戦後の音楽状況 407 潜在的社会問題 150 センセーショナリズム 281-282 全制的施設 91,318 戦争 462-463 戦争機械 163 戦争・警察・死刑 462 戦争の欠如 467 全体社会 104 全体社会と社会理論 104 全体社会の総合的認識 105-107 全体的社会現象 99 全体的社会的事実 99 全体的認識への志向 104,134 全体的認識と実践的志向 134 選択されるライフスタイルとしての家族 351 選択的解釈過程 210 選択的受容 258-260 選択的接触 259 千田是也 50 戦闘的民主主義 152 線引き 449-450 専門家支配[専門職支配] 498-500,507,526 専門人 316 先有傾向 258,261,263 戦略論 463  

■そ 創価学会 392-393 早期採用者 263 総合社会学 105,157-158,168 総合的認識 103-107 相互作用 100,129-130,199,201,236,308-309,419 相互作用の形式 130 相互作用の媒体(としての役割) 199,218 相互参加の関係 523 相互理解 241-243 総ジャーナリズム状況 263,285-287 創発性 187 双方向コミュニケーション 251 副田義也 446 疎外 142 俗 386 俗信 381 速報性 250 速報第一主義 280 俗流マルクス主義 106 組織 30,312-335,492-494,498 組織医療[チーム医療] 524 組織医療と葛藤構造 524 組織コミュニケーション 228,243 組織社会学 332 組織宗教 393 組織体犯罪 328-330 組織とはなにか 314 組織内の自己規制力 494 組織内の地位・職務 205 組織における役割行動 317 組織の物神化 330 組織犯罪 329 組織文化 327-328,330,436,517 組織への適応 314 組織労働 313 ソシュール 84 即興的につくられるニュース 307 園田恭一 509,512,523 薗田坦 125 薗田稔 40,388 薗田宗人 125 ソンタグ 436 忖度の論理 327 存立構造論 57 存立構造論という問い 56  

■た 第一次社会化 208 第一次宗教ブーム 392-393 第一次集団 341-342 対位法 399 ダイオキシン 17 大学 33,399 〈大学=専門教育〉という図式 33 大学を構成する基本原理 33 大家族待望論 347 「第九」合唱ブーム 412 対抗文化[カウンター・カルチャー] 366 対抗文化の爆発 409 第三次宗教ブーム 375,392-394 大衆 257 大衆社会論 152 大衆操作 24 大正期宗教ブーム 392 対象と主体の一致 22 対内結合と対外閉鎖との同時性 132 対内道徳と対外道徳の二元論 469 ダイナブック 221,368 第二次逸脱 444 第二次社会化 208 第二次宗教ブーム 392-393 大日本製薬 485-486,497 体罰 144 代表 132 大量排除現象 451-452 高儀進 249 高木久雄 404 高杉晋吾 496,498 高橋名人 300 高野哲夫 484-485,487,489-491,504 高畠文夫 80 高原宏平 404 高柳先男 463 滝沢正樹 160,187,206,232 宅配制 250 ダグラス・グラマン疑惑 451 武市英雄 269 竹内郁郎 223,249,253,257,262,276 竹下首相 451 竹下俊郎 249,262 武田隆夫 106 武田薬品工業 489 竹村喜一郎 15,169 武豊ブーム 368 多元的役割演技者 206 他者[他人] 185-188,190,198-202,227 他者の鏡 185 他者の承認 190,218,502 他者の態度の組織化されたセット 187 他者の反応 235,458 他者の役割を取得する 206 他者理解 22,28 他者類型化 198,200 多重信仰[重層信仰] 383 立花隆 18,94,296,436,458 脱近代→ポストモダン 脱〈近代家族〉化 350 脱産業社会論 152 脱物象化 58-59,218,267 脱物象化の知的可能性 58 脱領域の知性 14-16,18,112,132-133 立岩真也 318 ターナー 209 田中角栄 287 田中吉六 56,64 田中金脈 94,287 田中滋 86,504 田中義久 67,223 田辺製薬 492 谷合規子 489-490 田原総一朗 94 ダブル・スタンダード 469-470 ダブル・バインド 243 田村淑 429 田村善蔵 488 ダーレンドルフ 196 ダンカン 197 弾丸理論 255,261 男性型企業文化 347 談合 322 単親家庭 351 単身赴任家族 351 単身赴任問題 35  

■ち 治安維持法 43,452 地位 196,315-316 小さな神々 392-394 小さな社会 97 小さな物語 357 地位と役割の分化 315 地球家政学 21 筑紫哲也 295 知識 27,275,307,310,507-508,519 知識構成過程 310 知識の社会的配分 507 知識社会学 157,160 秩序としての社会 163 知的コミューン型(大学) 33 知的生産一般 222 知的亡命 46 知の合理化 388-389,393 チバガイギー社 492 チーム医療→組織医療 中央競馬会[JRA] 368 中央薬事審議会 498 中外製薬 497 中間的コミュニケーション 230-231,251-252 中範囲の理論 112,161 長距離結婚 351 調査報道 25,278,282,288,290 聴取スタイルの選択肢の拡大 412 町内会 35 チョムスキー 165 治療 510,513,518 沈黙 238 沈黙のらせん(理論) 263-264,286  

■つ 追随者 260 追跡取材 288 ツィンゲルレ 168,401 通過儀礼 192,381 通念→常識的知識 憑きもの 453 辻勝次 317 対馬路人 392 津地鎮祭訴訟 379 辻村明 276 椿忠雄 488 妻の賃労働者化 344 妻の役割 343 鶴見俊輔 174  

■て 抵抗 55,188,309,318-319,323,432-433,437,454,480,485,518 ディスコミュニケーション[ディスコミ] 240-243,289,338,442 ティップ・オフ 274 テイラー 47 ディンクス→DINKS デカルト 182 デカルト的な自我 183 出口勇蔵 136 テクノクラシー 30 テクノクラート 29-30 テクノロジー 407-408 鉄の檻 82 デノテーション[外示的意義/明示的意味] 365 テープ操作による音楽創造 408 テープ録音技術 408-409 手ぶり 237 デュルケム 11,15-17,48,55-56,61-63,107-108,116,118,135,140,147,159-160,169,174,384,386-387,459 デュルケム学派 108,168 デュルケムとウェーバー問題 61 テーラー・システム 317,319-320 寺谷弘壬 90 寺田篤弘 52,96,400 テレビ 250 電気録音技術 406 天職 71-73,82 天職観念 73,77 天職人 74 伝達 236 伝達過程論 253-254 転轍手 75-76,389 伝統家族 339-340 伝統主義 71 伝統的行為 124 伝統的支配 125,421 天皇報道 286 電報 252 天理教 392-393 電話 229,251  

■と トイレット・ペーパー・パニック 300 動機 65-67,69 動機とはなにか 66 動機の理解 65 動機のリスト 67 東京医薬品工業協会 497 東京化現象 35 同型性 131,396 登校拒否 35 同時代の社会問題に関わる 37,138 同質化 430 同性愛差別 145 統制論 460 闘争 131 同調 141,209 同調競争 454 道徳的十字軍 153 党派学校型(大学) 33 党派形成[派閥形成] 131,321 動物園管理者のロマンティシズム 153 動物学 10 動物行動学 10 動物の社会 10 東邦亜鉛 503 時野谷浩 267 東横神社 379 徳岡秀雄 44 特殊社会学 100 独我論 183 読書行為 249 徳永恂 52,400 匿名報道主義 283 とげぬき地蔵 370 戸坂潤 274,538 都市化現象 303 都市空間 298-299,301,306,369-372 都市空間の記号性 369 都市空間の〈劇場空間〉化 370 都市空間の非合理的なありよう 298 都市社会学 160 都市社会におけるさまざまな意味世界 86 として 198-199 として規定→als規定 都市伝説 297-299,309 都市民俗学 357 土台(唯物史観の公式) 106-107,164 トップ・ダウン方式 327,330 土肥美夫 202 トマス 68,86-87,92 富永健一 11-12,103,211,324-325 富永茂樹 26 友枝敏雄 35,64 共働き 342-346,350 共働き家族 343-344 豊川信用金庫の取り付け騒ぎ 300 豊田勤治 489,497 豊田商事永野会長刺殺事件 285-286 ドライツェル 203 ドラえもん 300 ドラマトゥルギー 166 トランプ 120 鳥越皓之 17 トレンディ志向 366  

■な 内藤莞爾 63,108,123,169,389,420 内部告発 274,323 「ナウ」志向 366 長岡克行 113,422 中河伸俊 148 中川米造 499,510 中嶋明勲 108 中島竜太郎 24,260 中曽根首相 263,347,425 長津美代子 345 中西茂行 52,96,400 中野収 160,174,175,187,206,232,282,300 中野卓 44,93,203 中野敏男 62 中野秀一郎 34,86,111-112,119,131,158,175,197 中野正大 44,86,119,158 中原喜一郎 463 中久郎 106,158 中牧弘允 379,382 中道實 86 仲村祥一 144,175 中村貞二 80,136 中村隆一 510,513,515,519 中山茂 510 那須壽 40,200,405 なぜ〈消費〉が社会学の問題なのか 354 ナタンソン  200 ナチズム[ナチス] 49,169,256,424-425,443,452,470 生瀬克己 521 波平恵美子 513-514 行方均 298 成田康昭 174,363 南京大虐殺 470 なんちゃっておじさん 300  

■に 西尾祐吾 444-445 二次的構成体 200 仁科弥生 192 西原和久 200 西山茂 378-379,382,390,392-393 二重役割 344-345 二十世紀的思考 182,184 ニスベット 174 ニーチェ 80 日常化 250 日常生活 37-41,59 日常生活における類型化 114 日常生活の自明性 37-40,46,211,240 日常生活の自明性を疑う[自明性を疑う] 37,46,48,56-57,169-170,227 日常生活の宗教 57 日常性の崩壊 38 日常知→常識的知識 日常的意識 28 日常的思考→常識的知識 日常的認識と科学的認識 120 日常的ルシクラージュ 362-363 日航ジャンボ機墜落事故 281 日米構造協議 53 日本型「職」生活 343 日本型組織 328 日本語ロック 411 日本社会学会 9 日本人の宗教概念[宗教定義] 380,382 日本人は無宗教か 376 日本的経営 324-327 日本的経営の本質としての集団主義文化 326 日本的集団主義 326-327 日本的集団主義の特質 327 日本の宗教回帰現象 391 日本の障害者概念 522 日本平和学会 468 ニューカム 437 ニュー・シングル 351 入信動機 395 ニュース 307-308,310,373-374 ニュースの一形式としてのうわさ 307 ニュースの広がりのJ曲線 262 ニュースピーク 425 ニュース欲求 308 ニューミュージック 411 ニューヨークタイムズ 283,286 丹羽幸一 529 人間関係 268 人間が社会をつくる 61,85 人間生態学 160 人間相互の関係形式に関する科学(としての社会学) 129-130 人間的コミュニケーション 235 人間と役割の関係 219 人間は社会の産物である 63  

■ぬ  島次郎 394-395 沼田健哉 379,392  

■ね ネオ・マルクス主義 107 ネコバーガー 300 ねたきり 127 ねたきり老人の介護 346 ねつ造 280 ネットワーク組織 334 ネットワーク組織論 333 ネットワーク多様体 334 ネポティズム 321 年中行事 381 年齢役割 205  

■の 脳死 17-18,458,513 能動−受動の関係 523 能力低下 519,521 ノエル−ノイマン 261,264 のどをつまらせたドーベルマン 298 ノーマライゼーション 69,127 野水瑞穂 409 野村昭 437 野村一夫 168,197,241,401,428 ノリ 411 ノンヴァーバル・コミュニケーション 237-240,242 ノンヴァーバル・コミュニケーションの文化的相対性 239  

■は 配偶者特別控除 344 媒介的要因→コミュニケーションの媒介的要因 排除(現象) 430,449-456,470 排除による秩序形成[排除による統合] 449-450,457 媒体→メディア ハイフン社会学 100 俳優 202 培養分析 264,266 ハウザー 45 バーガー,B.34,38,171,387 バーガー,P.L.34,38-40,46-47,58-59,63,146,164,171,197,203,206,387-388 博多駅テレビフィルム提出命令事件 276 芳賀学 396 パーク 87,90,160 パサネラ 137 間宏 327 橋爪貞雄 342 橋爪大三郎 174 橋本正己509 橋渡し機能(社会学の) 103 長谷川公一 34,331 パーソナル・インフルエンス 260 パーソナル・インフルエンス論 257 パーソナル・コミュニケーション 230-231,252,262-263 パーソンズ 110,161,196,515-517 畠中宗一 331 八二年組 414 パック・ジャーナリズム 286 バックレー 111 発見的意義 121 バッハ 400,403,451 はっぴいえんど 411 発表ジャーナリズム 287-288,290 初詣 382 バードウィステル 239 パトグラフィ[病跡学] 180 パートタイム労働者 326 バトラー 447-448 バトル 413 話し方 237 話し手と聞き役の交代のタイミング 238 派閥 131,321 派閥形成→党派形成 ハバーマス[ハーバーマス] 81,104,148,161-162,219,241,289,319,337,399,457 濱口(浜口)恵俊 327-328 濱島朗 123,223 浜名優美 10 浜日出夫 115,203 場面情報 333 早川善次郎 175,300 林進 226,230,262,413,415 林達夫 236 パラダイム 167,510 パラダイム並立の歴史的事情(社会学における) 166 原谷達夫 437 原寿男 279,282-288,293 ハリネズミ 425 バルザック 25 バルト 40,364,370 『春と修羅』序詩に学ぶ 178 パロール 84 バン 120 反抗 409-410 反公害運動 410,503 反抗文化 410 犯罪 54,68,147,329-330 犯罪者[犯人] 43,205,283,285 犯罪的暴力 459-460,462,465-466,480 犯罪(の)抑止力 285,464-465 犯罪は社会の正常な現象である 136 犯罪報道 282-284 反作用 458,504,539 判事 30 反省規定 418 反省作用 237,241 反省的知識 28,30,289,539 反省的なメカニズム 235 反省能力 428 判断停止→エポケー 判定者としての科学者 504 バンドブーム 412 バンドワゴン効果 23 反文化相対主義 53 反ユダヤ主義 169,443  

■ひ ピアノ 401,404,406,412 被害者(の役割) 205,502-504 被害者による主体的な社会運動 503 比較 430 比較社会学 11,50,54 比較社会学的構想力 52 皮下注射効果モデル 255 樋口恵子 346 樋口祐子 34,38,171,387 非言語的コミュニケーション→ノンヴァーバル・コミュニケーション 非行 54,67-68,88 非合理性 393,401 非合理的な心性 299 庇護されるべき子ども 51 非婚 351 非常時 39 非人格性 316 非親族の排除 350 非生産性の神話(老人の) 447 日高敏隆 10 ビーチボーイズ 408 ビックリマンチョコレート 356-357,362 非統制的参与観察 89 ビートたけし 282 一人二役問題 498 ビートルズ 408,410 人と人とのつながりの多層性 312 ひとのみち 392 ヒトラー 49,256,452 非日常性 250 非日常的資質[能力] 385-387,421 日野原重明 509 批判的読者・視聴者になるために 295 批判理論 157,160 批評 26 非暴力的介入 478 非暴力的行動 470 非暴力的行動の意義 470 非暴力的行動の技術 471,479 非暴力的抗議と説得 471 非暴力的社会運動 481 秘密 132 秘密結社 132 秘密のインフレ 277 非目的性 111 日雇い労働者 54 百科全書的社会学 105 桧山睦郎 412 ピュタゴラス・コンマの問題 400 ヒューマン・ストーリー主義 281 ヒューマン・ドキュメント 86 ピューリタニズム 72,96 ビューロクラシー[官僚制] 316-320,335,420 ビューロクラシーとはなにか 316 病院 17,91,97,99,101-102,130,191,313,318-319,430,495,512,516-517,528-529 病院の組織文化 517 病院のなかのコミュニケーション 99,230 病気[疾患] 101-102,126-128,440,445,504,513 病気と患者の分離 511 病気と健康→健康と病気 病気と障害の混同 514 病気のメタファー 425,436 病者役割[病人役割] 102,205,515-520,526 病者役割の二次的利得 517 表情 235-237,239,242-243 表明されない宗教心 377 病理→社会病理 平井俊彦 81,104,399 平澤正夫 485 平瀬課長 497 平田寛 236 平野竜一 493 廣井脩 300 広瀬道貞 279 廣松渉 184  

■ふ ファシズム 157-158,167,424 ブーアスティン 175 不安と焦燥 118 夫婦別姓 351 フェミニズム[女性解放運動] 345,410 フェラロッティ 534 フォイエルバッハ 183-184 フォークロア 304 フォーマルな組織 320,323,328,497 フォロワー→追随者 深澤健次 203 普及過程研究 263 布教 382 福井和美 10 福井憲彦 432 副言語 238-239 複合影響説(マス・メディアの) 261-262,265 複合概念としての社会概念 162 副作用 489,491,506-507 福沢諭吉 173 福祉機能(家族の)[保健医療機能] 340-341,346 福島章 180 服従者 131 服従者の自発性と協力 420 服従者の服従意欲 420,422,480 複製技術 404,406 複製技術時代 404-406,408 複製技術時代の芸術作品 405 服装 55,238 福田敏彦 373 福地源一郎 173 不敬罪 452 フーコー 349,429-433 不幸 395 不幸のかたち 118 不幸の個別化 395 父子家庭 351 藤澤賢一郎 15,169,241 藤沢薬品 497 藤竹暁 300 藤田富雄 381 布施晶子 344-345,347 〈舞台=劇場空間〉としての都市空間の演出 370 不沈空母 425 フック 425 物質性(薬の) 506 物象化 58-59,63,82,84,142,197,218-219,267,318 物象化された意識 59 物象化的錯視 59,231 物象化の社会学 81 物理的世界と社会的世界のちがい 278,505 物理的暴力 470 不登校[不登校者] 39,68 ブートゥール 463 船津衛 187 船橋晴俊 330-332 ブーニン 413 ブハーリン 169-170 部品修理的医療 511 普遍宗教 380-382 フーブリヒト 81,104,399 部分社会 97,99 部分社会の総合性 99 部分の自律性 111 ブーメラン効果 259 フライデー 282 プライバシー 528,530 プライバシーと人権の侵害 282 ブラウン 267 ブラムラー 267 フランクフルト学派 160,169,397 フランクリン 71 フリードソン 499,524 フリーマン 509,517,523 古城利明 67 ブルデュー 64 古野清人 386 プルバーグ 59,63,197 ブルーム,D.H. 34 ブルーム,L. 34 ブルンヴァン 298 プレイ志向 412 プレストライアル 283 ブレヒト 49-50,398 ブレヒトの異化効果 49 フレームアップ 443 プロセスとしての社会 164 プロセスとしての社会生活 513-514 プロセスとしての社会問題 147 プロテスタンティズム 52,72,390 プロテスタント 72-73,77,116,433 プロパガンダ[政治宣伝] 256,265 フロム 169,175 「プロ倫」の教訓 95 プロレス論 40 文化 81 文化規範説 264,266 文学社会学 25-26 分科社会学 100,107 文化接触 59 文化相対主義 53-54 文化的逸脱論 460 文化の悲劇 79-81 文化批判の理論 160  

■へ 平穏の神話(老人の) 448 平均律 400-401 ペイジ 409 ベイトソン 243 ベイルズ 342 平和学 466-467 平和研究 466-467 平和研究における平和概念 465 平和主義 471 ベッカー 90,153,440 別姓結婚 351 ベトナム戦争 17 ベトナム戦争反対運動 410 ベートーベン 403 ペニシリン・ショック 490 ペルソナ 195 ベレルソン 257 変改(効果) 258 偏見 128,436-438,441-442,447-449,504 弁証法 64 変体少女文字 222 ベンディックス 62 ベンヤミン 169,397,404-406  

■ほ ホイジンガ 174 ボーイフレンドの死 298 防衛費GNP1%突破 263 傍観者(の役割) 205,216,504 宝月誠 44,86,88-89,119,158,329-330,458-461,484,488,493-496,501,503-504 法人 319,329 法侵犯 329 法則構造論 57 報道規制 287 報道におけるタブー 375 報道の自由 277 報道被害 293 暴力 422,428,458-481 暴力的悪としての権力 428 暴力とはなにか 458 暴力の欠如 467 暴力のコミュニケーション論的解読 461 暴力のサブカルチャー[暴力に好意的なサブカルチャー] 460-461 暴力のダブル・スタンダード 469-470 暴力の多面性 459 暴力の定義 458-459 補強(効果) 258,261 ホグベン 174,236 ボケの神話 448 保健医療機能(家族の)→福祉機能 保坂正康 82 母子家庭 351 星野克美 365-366,370 保守化傾向 392,426 補助的チャネル 307-308 ホスト−端末 251 ポストマン 305 ポストモダン[脱近代] 404 細川周平 406,409,412 細見英 106 細谷昴 107 堀田輝明 202 ボトム・アップ方式 327 ポトラッチ 361 ボードリヤール 358,361-362,364,368 ボードリヤールの消費社会論 358 ポーピッツ 199-200 ポピュラー音楽 407-408,411 ホボ 119-120 ホメイニ 391 ホームガード 120 ホームレス 89,119 ホメオスタシス 163 ホランダー 523 ポーランド農民 86 堀江邦夫 94 ホール 107 ホルクハイマー 169 ホロコースト 452 ホロビッツ 67,142 ホワイト 90 ホワイト・カラーの犯罪 493 本源的社会性の公準 15-16,18,185 本多勝一 94,295,375 本田靖春 306 本能 10 本間康平 67,142 翻訳語としての「社会」 173  

■ま 毎日新聞 281,294 牧口一二 521 真木悠介 54,57-58 マクウェール 226,230,237,249,253,262,267,269 マクルーハン 249 マクレラン 106 負け犬の立場 153 まじめ 409 魔女狩り 451 マスオさん現象 351 マスコミ 252,272 マスコミ研究の諸分野 253 マスコミとジャーナリズム 272 マスコミ批判 281-282 マス・コミュニケーション 230-231,243,252,272-273,307-308 マス・コミュニケーションの中継機能 260 マス・コミュニケーションの特質 252 マス・コミュニケーションの媒介的要因[媒介的要因] 258,261 増田通二 371 まず排除ありき 456 マス・メディア 252,272,424,428,440 マス・メディアの影響 254-255,266,270 マス・メディアの影響は絶大か 254 マス・メディアの物神化→メディアの物神性 マス・メディアの〈利用と満足〉 267 町村敬志 87,160 松井秀親 136 松岡保 106 マッカーサー 301 マッカーシズム 452 松木修二郎 226,269 松坂慶子 300 松島浄 26 松田聖子・神田正輝結婚(報道) 286 松谷みよこ 299 松戸女性殺人事件 294 松村一人 184 松村健生 424 松本通晴 392-393 祭 370,381 マートン 24,112,150-152,161,213,256,260 まなざしの地獄 93 間庭充幸 304,453-454,459,470 真光系教団 393 継家族 351 マーラー・ブーム 413-414 マリアンネ夫人 123 マリオネット→あやつり人形 マリファナ・ユーザー 90 丸尾定 256 マルクス 56-58,64,105-107,134-135,142,160-161,164,167-169,183-184,418,426,539 マルクス主義 96,106-107,161,167,170 マルクス主義的権力観 428-429 マルクス初期草稿・中期草稿の発見 167 マルクーゼ 169 丸山ワクチン問題 498 マンガの性描写 144 慢性疾患 512-513,515,517,519-520,522-523,526 慢性疾患患者 54,518 萬成博 437 マンハイム 93,100,152,160,169  

■み 見えない権力 430-431,454 見えない宗教 391 三上俊治 249,262 未完のプロジェクト 289 ミクロとマクロをつなぐこと 103 ミシュレ 451 水野課長 497 水野節夫 34,46,203,262 水野肇 513,530 水野博介 249 水巻中正 497 見せびらかしの消費→誇示的消費 みそぎ研修 379 見田宗介 25-26,93,117,119,178,182,223 ミッツマン 80-81 三菱稲荷 379 ミード 160,186-188,206-207,232-235,237,241,539 御堂岡潔 45,239 水俣病 453 南博 236 身上相談 117 箕面市忠魂碑訴訟 379 身ぶり 17,233,235-237 身ぶり会話 234 身ぶり会話としてのコミュニケーション 232 身ぶりの意味 234 宮内泰介 492 宮家準 381-382 宮沢賢治 178-182 宮島喬 15-16,48,62,159-160 宮地健次郎 452 宮智宗七 456 宮本孝二 20,34,44 宮本真左彦 485 ミューラー 423,425,427 「見られる権力」から「見る権力」へ 429 ミル 105 ミルズ 67,103-104,112,142,175 民主主義 274-275 民主主義的な権力形成のために必要なこと 427 民主主義と権力のはざまで 274 民主主義と社会学の選択的親和性 170-171 民主主義の前提条件 275 民主的計画 152 民俗宗教[民間信仰] 380-382  

■む ムー 392 無縁 369 無規制状態→アノミー 無広告主義 289 無宗教 31,376-378,383-384 無徴(性) 455 六つの「老人の神話」 447 武藤一雄 125 無文字社会 40 村上直之 90,148,440 村上陽一郎 21,29 村山研一 34,46,203 室井尚 251  

■め 明識 27-32,51,58,147,180,183,273,309,314,378,539 明識としての知識 28 明識の意義 29 明識の科学 59 明治神宮 382 名誉 132 メセナ 414 メディア[媒体/コミュニケーション・メディア] 248-252,338 メディア特性 249,251-252 メディアとはなにか 248 メディアの自己反省 293 メディアの物神性[マス・メディアの物神化] 267,271,297,301-302 メディアはメッセージ 249 メディアミックス 252,414 メリーゴーランドの騎手 215 メルローズ 492  

■も 目的合理性 389 目的合理的行為 123-124 モザイク科学 11-12 モス 17,99,361 望月重信 26 モーツァルト 403 物語 304-305,373 物語型広告 374 物語消費 356-357,374 物語マーケティング 373 モノグラフ 88,92-93,119 モノにまつわる意味 362 模倣 132 モラトリアム 191-192 モラトリアム症候群 192 モラトリアムとしての青年期 191 モラール 321 モラン 10,92,302 森岡弘通 52,399 森川眞規雄 115,203 森重雄 64 森下伸也 20,34,44 森下恒雄 451 森潤 285 森俊太 148 森博 108 森好夫 24,161,260 森東吾 24,15 0,260,437 問診 525 問題家族 143 文部省教育 32  

■や 薬害(問題/事件) 322,329,484-508 薬害告発者 502 薬害の認定 503 薬事行政(制度) 494-496,502 薬理作用 506 役割[社会的役割] 195,199-219,227,271,308,315-316,318,343-345,350,435,460,501-502,516-521,524 役割演技 195,197,202,372 役割概念 195-197 役割概念と役割理論 195 役割概念の定義 203 役割葛藤 212,219,344 役割葛藤と社会学的アンビヴァレンス 210 役割間葛藤 213 役割期待 196,200,210-213,218,519 役割拒否 216 役割距離 215-216,219 役割群 213 役割形成 209,214,218,504 役割形成としての役割取得 209 役割現象 198-203,210-219 役割現象の基本特性 199 役割現象の被媒介過程 197 役割現象論 197-198 役割構造 87 役割行動 317-318 役割取得 206,209-210 役割としての社会的弱者 435 役割内葛藤 213 役割能力 217,219 役割の学習 206,264 役割の修正 519 役割のずれ 214 役割の属性[□□らしさ] 205,207,209,318 役割の奴隷 202 役割の担い手 195 役割の媒体 202 役割のマリオネット 202-203,267 役割の免除 515,518 役割変遷 500-501 役割理論 195-197,515 役割類型 204 矢沢修一郎 111 矢沢澄子 111 安江孝司 34,38,171,387 安川一 34 靖国神社玉串料公金支出違憲訴訟 379-380 安田三郎 324 柳井道夫 256 柳田国男 299,304 柳田邦夫 94,294-295 柳父章 173 柳父圀近 62 山岸健 175 山口県自衛官合し訴訟 379 山口節郎 59,63,197,206,241 山口俊夫 17,361 山口昌男 373,375,452,455,536 山崎正和 363 山田昌弘 34 山田實 226,269 山田雄一 327 山中速人 226,269 山中正剛 226,262,269 山之内製薬 497 山根一眞 222 山本哲士 432 山本泰 93 やらせ 280 やらせリンチ事件 280  

■ゆ 唯物史観[史的唯物論] 106-107,135 唯物史観の公式 106,164 有意性 203-204 有意性領域 203-204 有意味シンボル 235,237 有害 147 有害作用 506 有害図書 144 有閑階級 361 有給休暇の未消化 323 有声身ぶり 235,242 有徴(性) 455-456 歪められたコミュニケーション 423,427,429,442 歪められたコミュニケーションの三形態 423 湯沢雍彦 343,345-346 ユース・カルチャー→若者文化 ユダヤ人 44,88,168-169,302-304,452,470 ユダヤ人社会学者の追放・亡命 169 ユーミン 411  

■よ 養護学校 69 幼女連続誘拐殺人事件 281,283 抑揚 237-238 予見するために見る 134 予言の自己成就→自己成就的予言 横浜浮浪者襲撃事件[横浜浮浪者殺人事件] 454,470 吉井篤子 413,415 好井裕明 160 吉崎道夫 400 吉田民人 35,145,325,396 吉富製薬 489 吉原和男 392 吉原直樹 107 吉見俊哉 372-373 嘉目克彦 82,517 四畳半フォーク 411 よそ者→異邦人 よそ者の解釈学的効果 45 よそよそしい組織という経験 312 予定説 72 米沢和彦 82,517 米林喜男 509,512,523 予防接種効果 263 読売新聞 281 読売新聞大阪社会部 94 世論形成 249,274,503 世論操作 287,423 世論調査 23-24 世論調査による選挙予測 23  

■ら ライサ夫人 170 ライト 463 ライフスタイル 394,526 ライフスタイル意識 342 ライフスタイルとしての家族 350 ラザースフェルド 137,169,257,260 ラジオ 250-251,404,406-407 らしさ→役割の属性 ラスウェル 265 ラスウェル図式 265 ランガージュ 84 ラング 84-85  

■り リー 485,505 理解 22,76 理解社会学 69,76-77,157,159 利害 75 リクルート事件 278,451 理想状態としてのコミュニケーション 240 リゾート法 263 リーダー 509 離脱の神話(老人の) 448 立正佼成会 392-393 リップマン 174,438-439,443 リテラシー 249-250 リード 94 理念 75-76,272-273 理念から現実へ(ジャーナリズムの) 279 理念型 121-128,200,421,516-517,524 理念という転轍手 76 理念と利害 75 理念によって構成される社会領域 273 リハビリテーション 514 リハビリテーション医学 515 リファレンス・グループ→準拠集団 流言→うわさ 流言の発生量 305 流動的推移の論理 125-126 両義性→アンビヴァレンス 〈利用と満足〉研究 267 理論的根拠としての正当性根拠のほりくずし 479 理論的実践 138 理論と実践 138 稟議制度 325,327 臨場性 250 臨床的関心 138-139,151,192  

■る 類型化 114-121,198-199,203,267,441,443,471 類型化図式 115,119-120,198-204 類型化の役割 125,129 類型的理念型[社会学的理念型] 123,125 累積された事なかれ主義 332 ルカーチ 170 ルシクラージュ→日常的ルシクラージュ ルーズヴェルト 256 ルター 72 ルックマン 59,63,164,206,391 ルポルタージュ 90,92-93,94 ルーマン 113,241,422  

■れ 霊−術系宗教 393 レイツ 137 霊能者 393 レイベリング 141-142,440-442,449,460-461 霊友会 392 レイン 189-190 レヴァイン 509 レーヴィト[レーヴィット] 198 歴史化 50-51,398,539 歴史社会学 10-11,50,390,401 歴史的理念型→個性的理念型 レコード 406 レジャーランド型(大学) 33 レッドパージ→アカ狩り レーニン 170 レポートの書き方 220 レポートの基本としての書評 244 恋愛結婚 349 連字符社会学 12,100-103 連字符社会学の構想と現状 100 連帯 369 レンツ(警告/報告) 485-486,497  

■ろ 老人(の役割) 205 老人医療 127,515 老人性疾患 512-513,517,519,526 老人の介護 346 老人問題 346 労働組合 333,379,453,468 浪費 360 ロシア型マルクス主義 ロシア正教会 72 ロス疑惑(報道) 286 ロッキード事件 287 ロック 410-411 ロート 62 ロービア 452 ローマ・カトリック教会 72 ロマンティシズム 153,481 ローリングストーンズ 410 論文試験 336-338  

■わ 和音和声法 399 ワーカホリック 322 若者文化[ユース・カルチャー/青年文化] 407-410 若者文化の変遷 409 脇圭平 159,316,462 ワシントン・ポスト 278,290,293-294,485 ワース 88 和声音楽 399-400 和田移植 458 わたくしといふ現象 179-180,218 「わたくし」とはなにか 180 〈私〉探しゲーム 363 「わたしはわたしだ」という思い 188 渡辺潤 249,251,412 渡部光 200 渡辺裕 401-402,406-407,409 渡辺雅子 392 渡辺守章 431 ワープロ/パソコンによる知的生産 221 われ思う、ゆえにわれあり 182-183 湾岸戦争 458 湾岸戦争報道 286  

■A−Z als規定[として規定] 198 CI[コーポレイト・アイデンティティ] 328 CMソング 413 DINKS[ディンクス] 340,351 FDA 485,489 GHQ 388 GLA系教団 393 I→主我 Iとmeの対話→主我と客我の対話のプロセス me→客我 M字型就労 343 PL教団 392 society 173 WHO[世界保健機構] 520 

2022年1月15日土曜日

『社会学感覚』増補版の移築完了

現在、レンタルサーバー上にあるSocius.jpをBloggerに移行中です。

移築第1段として『社会学感覚』(増補版)のコンテンツを移しました。

詳細目次の入口はsocius.schuleヘッダーのすぐ下にあります。

社会学感覚(文化書房博文社、1992年・増補版1998年)詳細目次

ヘッダーはどのページにいても画面を上に移動するとポップアップします。トップページと詳細目次と検索がすぐに使えます。

これから少しずつ移築していきます。移築できたあとに各ページにコメントを入れるようにしたいと思っています。

2022年1月15日

2020年3月4日水曜日

社会学感覚 あとがき

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
あとがき

社会学教育についての反省

 大学院に入ってまもないころ、受験生むけの「学部選びシリーズ」の一冊に「社会学は社会を人間の側に取り戻す科学だ」という長いタイトルの社会学紹介記事を書いたことがある。これには意外に苦労した。というのも、編集者は「社会学者の紹介も名前も入れないでくれ」というのだ。となると、当事手元にあった社会学の入門書はまったく頼りにならなかった。当時の社会学のテキストは、ごく初歩の入門書でさえ、実質的に社会学者と学説の要約紹介によって「社会学とはなにか」を説明していたからである。たしかに、すでに大学に入ってしまった人にはこれでいいかもしれないが、社会学部(科)にしようか法学部にしようかなどと迷っている受験生には、なにがなんだかわからないかもしれない。そこで自分なりに社会学の発想法を類型化してまとめることにした。本書の社会学論のいくつかの章はこのときの内容を出発点にしているが、これがわたしの最初の「社会学教育」体験といえるものだったという気がする。
 やがて「住み慣れた」社会学科をでて、看護学校で社会学を教えるようになったとき、「病院での実習に携わりながら受講する彼女たちにとって社会学の有効性はどこにあるのだろう」と考えたものだ。その模索のなかで、看護学のもっているエートスが社会学の実践的なエートスに意外に近いのに気がついた。と同時に、このような専門職教育がどうしても技術中心にならざるをえず、じっさいに専門職として社会のなかで活動するさい遭遇するさまざまな困難や問題に対してどのように考えていけばいいかということについてはどうしても手薄になってしまうという事情も教えられた。制度上、社会学は基礎科目としてそれを補う立場におかれている。
 このことは、大学の理工学部で社会学を教えるさいにも考慮したことである。技術者として企業内で働くなかで遭遇する人間係数的出来事に対するカリキュラムは組まれていないのがふつうである。ここでも社会学教育の存在意義は大きいはずだ。
 問題は、社会学の側がそうした要請にきちんと応えているかどうかである。
 かつての社会学は、みずからの科学としての正当性について弁解することにほとんどすべてのエネルギーを費やしてきた。これはこれで意味のあることだが、しかし、これは基本的に「社会学」そのものではない。「社会学の対象は社会学ではない」(フランコ・フェラロッティ)のである。かろうじてであれ社会学が市民権を得た今日、もうそのようなスタイルは過去のものとなりつつあるのではなかろうか。とりわけ入門段階において初学者がそのような学史的記述を正しく理解することが至難のことであっただけに、教養科目・基礎教科としての社会学教育は大きな転換点にきていると思う。

本書の方針

 本書を構成するにあたって、さしあたりわたしの念頭にあった読者は、社会学を専攻していない大学生と短大生とくに理科系の学生、また看護学校の学生だった。目下わたしと関わりのある人たちをおもな読者と想定しているわけだが、これによって、これまでまったく社会学と縁のなかった市民の方々にも近づきやすいものになるのではないかと考えている。
 さて、似上の反省をもとに、そのさいつぎの諸点について留意しつつ執筆した。
 まず第一に、社会学がどのような科学であるかを学史的に説明するのでなく、その発想法に即して説明すること。「社会学感覚」という新造語は、そのような社会学的発想法のメルティングポットあるいはフロシキあるいは受け皿をさすことばとして導入した。かならずしも一義的な概念ではないが、たんに社会学専門家の独占物ではなく、明晰かつ反省的な市民としての読者と共有できる発想法・思考法として設定したものである。
 第二に、本書では、旧来の狭い意味での社会学の領域ではなく、きわめて広い社会領域をあつかった。その結果、本書は「社会学入門」の枠を逸脱して「現代社会論入門」の色彩の強いものになっている。これは理科系・看護系のカリキュラムにおいて社会学は事実上「現代社会論入門」の位置にあると考えたからだ。第一章で説明したように、社会学は市民の社会科学入門に最適の科学的構成をもっている。
 またこれに関連して、社会学者でない隣接科学の研究者の著作も多く導入した。じつは、知的興奮のみなぎった研究が社会学にあることはあるのだが、どれも専門的で、一般の人にはたいへんむずかしい。社会学的意味における知的発見のみなぎった「おもしろい」研究やフィールドワークは意外にも非社会学文献に多くみられる。これは隣接科学の〈社会学化〉の結果と考えられるが、わたしは自分の社会学感覚に忠実にこれらの社会学的な非社会学文献を「社会学的世界」のひとつとして紹介したいと思った。もともと社会学はその発展過程において「モザイク科学」であり「侵入科学」であり「残余科学」でありつづけた。そう考えれば、これも社会学の生理にあったことではなかろうか。
 第三に、日本人社会学者の研究を紹介すること。こうした概説書では洋モノの原著[の翻訳]を内容紹介するのが通例になっていて、邦語文献の紹介は少ない。たしかに、邦語文献には欧米の研究の紹介が多い点でセカンダリーかもしれない。しかし、社会学入門者[じっさいには社会学専攻の学生も]にとって、これは迷惑な話である。たとえ原著であれ、翻訳というプロセスを経ているかぎり、じつはそうした文献もセカンダリーにはちがいないのだ。いや、むしろ「異文化間コミュニケーション」という問題をよけいにふくんでしまう点で、本質の理解にとってかえって妨げになる場合さえあるかもしれない。むしろ現代日本社会に即した解説や事例研究をたくさん読んだ方が、ヴィヴィッドな社会学感覚を身につけることができるのではないか。
 たとえば、ジンメルが最初に着手した「よそ者」や「文化の悲劇」「大都市と精神生活」、ウェーバーの提起した「カリスマ」や「音楽の合理性」などの論点を現代日本の都市社会という社会的文脈のなかで説明できなければ、ジンメルやウェーバーの今日的意義を初学者に理解してもらうことはできないだろう。俗流化とかステレオタイプ化によって、たとえかれらのオリジナルな概念構成が犠牲になったとしても、その方がえるものは大きいのではなかろうか。  たとえば上野千鶴子の問題作『スカートの下の劇場』(河出書房新社一九八九年)にはジンメル的な問題意識と知的エートスがみなぎっている。こういうと、ご本人は否定するかもしれないし、ジンメル研究者にも叱られるかもしれないが、ジンメルが現代に生きていれば、おそらくこのような本を何冊も書き飛ばしたにちがいない。かれの社会学的なマインドすなわち「社会学感覚」をヴィヴィッドなものとして実感するには、教科書にあるような形式社会学の形式主義的説明よりも、おそらくこのような本を数多く読み飛ばす方が数段いいのだ。
 第四に、記述をなるべくやさしくすること。人がまったく新しい科学に出会ったとき、最初に困惑するのは概念のむずかしさというより、その説明に使われることばのむずかしさである。社会学の場合も、むずかしさのかなりの部分が説明のことばに起因する。そもそも科学はムダのない簡潔なことばを好む。しかし、その文体はしばしば一般読者を遠ざけてしまう。執筆中もっとクリアに簡潔に記述したいという衝動がたえずつきまとったけれども、学術論文の文体はこれでもなるべく禁欲したつもりである。エッセイ的な記述に徹した部分もあるし、ふつうの概説書で数行で片づけらている部分を大きく膨らませる一方、学術的意義のあることがら――たとえば学説史や概念論議-を思い切って断念した章も多い。また文章としては邪道であるが、構図をつかみやすくするため箇条書きも多く採用した。改行もなるべく多くした。それでも「やっぱりむずかしい」という声が聞こえてきそうだが……。
 第五に、統計的な資料の採用を極力やめて、事例中心に説明した。たとえば、こんな感想がある。「都市社会学的な視点の最大の欠陥は、現実を生活の実効的な側面に限定することにあったのでしょうね。ところが都市は、その中に生きる人間の意識のあり方によってさまざまの相貌を示すものです。だから、計量的方法によって捉えられるのは、そのごく一部に過ぎないという自覚が、そういった方法に携っていた人には欠けていたようです。」[山口昌男『祝祭都市-象徴人類学的アプローチ』(岩波書店一九八四年)]統計的・計量的方法の意義は承知しているつもりだが、山口のいう「意識のあり方」を本書では重視したいと考えた。そのために初学者にはおもしろみのない統計的資料の解読を避け、むしろ実感のともなう事例によって社会的世界の構造を語らせた方がいいのではないか。そのさい、ライト・ミルズが「知的職人論」でのべた「少なくとも心に確実な実例をもたぬまま、三頁以上を書きとばしてはならぬ」との警告を心にいだきながら執筆を進めたのだが、抽象と具体の往復は思いのほかむずかしいものだった。
 第六に、読書案内あるいはブックガイドのような本をつくりたかった。みんな現代社会のしくみと問題についてはテレビと雑誌によってかなり知っている。テレビと雑誌の限界は、なによりもものごとを相対化する視点に欠けていることと、一定のステレオタイプにはまっていることだ。そこに〈反省〉はない。それを補うのが系統的な読書であるが、いまどきの大学生にたりないのは、このような読書体験による反省的知識である。
 そもそも社会学のおもしろみを体験するには、まず多読が必要である。片っ端から読み飛ばすこと。ところが、意欲的な入門者の遭遇する困難は、なにを読んだらいいかわからないということだ。素養がなくても読めばだいたい理解できて興味がつながるもの-これがたいへんに重要!-がいいわけである。そこをなんとかしたかった。そのさい、海外の古典作品だけではなく、とりつきやすい現代日本の作品を多く示すことにしたことはすでにのべたとおりである。
 したがって、社会学の世界では常識となっていることがらでも、それについて解説した一般書を脚注で提示するようにした。そのため本書の脚注はいささか〈過剰〉になっている。

ジャーナリズムの社会学化

 以上のような方針に加えて、わたしのなかには、もうひとつの思いがあった。それはジャーナリズムヘの思いである。
 ジャーナリズムは社会の反省的再構成にとって最重要な活動だが、現実にはさまざまな問題を抱えている。それを具体的に克服する主体は、いうまでもなくジャーナリストである。それゆえジャーナリストの社会認識-これは当然、自己認識をふくんでいなければならない-が重要なファクターとなるのだが、現状ではかならずしも十分とはいえない。権力・教育・宗教・家族・村落・子ども・犯罪・コミュニケーションなどについての認識は、しばしばステレオタイプに陥っている。べつに学術的であれとは思わないが、ステレオタイプな社会認識がジャーナリズムの理念とあいいれないのはたしかである。こうしたステレオタイプから脱するためには〈ジャーナリズムの社会学化〉が有効だというのがわたしの持論である。じっさいに本書がそのような人と出会う可能性は少ないかもしれないが、少なくとも、ジャーナリズムのオーディエンスたる若い読者に、日々メディアから送られてくるメッセージにひそむステレオタイプを批判的に受けとめる視点をもってもらうことはできるだろう。

社会学のジャーナリズム化

〈ジャーナリズムの社会学化〉にともなって〈社会学のジャーナリズム化〉もぜひ推し進めなければならないことである。とりわけ社会学教育は広い意味での――たとえば戸坂潤のいう意味での――〈ジャーナリズム〉の一環であるとわたしは位置づけている。
 そもそも社会学は「問題提起の学」であって「問題解決の学」ではないように思う。社会学の実践的性格がかならずしも問題解決の糸口にならず、しばしば疑似宗教的実践倫理にとどまるのもそのせいであるし・ファシズムや官僚的社会主義から敵視されるのも、また逆に、社会運動に関わっている人びとから白眼視されるのも、そして政策担当者からあまり相手にされないのも、社会学の実践性が良くも悪しくも問題解決・政策提言になく、もっぱら問題提起性=議題設定機能にあることによるのではないか。本書の随所で「他者理解と自己反省」についてふれてきたが、社会学のレーゾンデートル[存在理由]は、権力作用によって把握しにくくなっている社会的現実を、自己反省的かつ他者理解的に解明するところにあると思う。とすれば、社会学研究と社会学教育の実践的課題は、問題解決や政策提言ではなく、むしろ潜在的な問題を〈問題〉として科学的に定義すること――それによって他者理解と自己反省の能力を高めること――にあり、この点をもっと明確に自覚的に追求すべきなのではないか。その意味では、〈ジャーナリズムの社会学化〉とともに〈社会学のジャーナリズム化〉が必要なのだと思う。
 このような観点から、さしあたりテーマ設定についてなるべく具体的なもの・多様なものをあつかうようこころがけた。くわえて、少なくとも「議題設定機能」[何が問題か]をもつテキストたりえるよう、素材となる事例をなるべく具体的に提示するようにした。

理論的方針

 理論的方針について、もう少しダメ押ししておこう。本文のなかで相当しぶとく強調しておいたことだから、ここまでくれば、もう若い読者にも納得していただけるだろう。本書を貫く理論的方針は、つぎのようなものである。
(1)「もうひとつの」(alternative)視点-たとえば被害者・受け手・被支配者・社会的弱者・市民・患者・消費者-に立つこと。
(2)自明視された「常識」と「ステレオタイプ」を〈歴史化〉し、批判すること。
(3)「技術的知識=情報」ではなく「反省的知識=明識」を深めること。統計的数字や「白書」的展望をいっさいやめて、原理的な思考能力を高める基礎的な考え方を提供する。
(4)属性ではなく関係に内在するものととらえるプラグマティックな 思考方法を前面に押しだすこと。マルクスの物象化論、ミードのコミュニケーション論、ジンメルの相互作用論、ウェーバーの支配社会学および歴史社会学、グールドナーの反省社会学などに通底する思想を強調すること。
 本書の理論的立場はおもに相互作用論といってよいものだが、読者自身の自明性をおびた常識的知識に批判的反省を迫るために、じっさいにはとくに「反作用」(リアクション)を強調する論述方法をとった。識者には、いささかバランスを欠くようにみえるかもしれないが、若い読者のステレオタイプをくずすには、これでちょうどよいというのがわたしの実感だ。

本書への自己反省

 最後に、この本を読んだ読者に危険負担の可能性について申し添えておかなければならない。
 それを一言で表すと、本書はわたしが自覚的に選択した社会学的知識に限定されているということである。ある問題についての学説がいくつかにわかれている場合、わたしはそれらを公平に両論併記する方法をとらないで、どれかひとつを選択した。さらに具体的にはつぎのようなことである。
 第一に、なるべく多面的に社会学像を紹介しようといいながら、本書では「地域」という重要な観点が欠落している。これはもっぱら紙数の関係によるのであるが、もうひとつ、地域社会論の系列が全体社会論の系列としっくりかみあわないことによるものでもある。これはおそらく抽象度の水準の問題であろう。また、社会問題論では医療に関するふたつのテーマだけが論じられているにすぎない。ほかに論じたいテーマがいくつかあったのだが、これらも紙数の関係で限定せざるをえなかった。しかし、このふたつのテーマには、現代の社会問題を考える上で重要な要素が多くふくまれており、その点で例題的意義はあると考えている。ちなみに本書は網羅主義ではなく、あくまでも例題主義である。
 第二に、本書では論点をはっきりうちだすために、理論のフリンジを多少強調してある。「あれもある、これもある」では読者がとまどうだろうというよけいな配慮によるのであるが、これが個々の作品世界を侵害することになった可能性は否定できない。ちょうど映画の予告編のようなものだと考えておいてほしい。そしてできれば予告編ですませるのでなく、図書館なり書店で本編に接してほしい。
 第三に、学術的な態度によると概念や現象の〈差異〉をこまかく区別するが、本書では逆に〈類似性〉を強調する論法をとっている。さまざまな学説のちがいよりも、むしろそれらに共通する論点を前面にだしてある。入門段階はそうあるべきだと考えたからだが、識者には〈社会学的シンクレティズム〉または〈社会学的ブリコラージュ〉にみえるかもしれない。
 それにしても、以上のような社会学教育への反省と理想にわたし自身は十分応えられただろうか。じっさいの講義では省略することの多い社会学説の解説も、また、講義なら二・三回ですませる社会学論も、いざ本にするとなると、理論社会学専攻の血が騒いでしまって、結局あれこれ書き込んでしまった。
 社会学研究者としての仕事にはたえず準拠集団としての社会学者集団がつきまとう。そのため、想定される読者には必要のないことでも、ある程度までは-つまり準拠集団の許容範囲に達するまで-書き込まなければならない。これは教育者としてはつらいところであるが、研究者としての職業倫理でもある。結果としてこの本も多くの社会学概説書と同様、アンビヴァレンツな動機にひきさがれている。
 きっと先学の方々もそうであったにちがいない。そう思うと、これまでのべてきたことをいっそのこと撤回したい心境になるが、逆に社会学者とはこうした両義性を平然と生きる確信犯のような存在なのかもしれないと思えば、この矛盾をかかえるのも修行のうちである。

謝辞

 本書の知識はふたつの源泉をもっている。ひとつは多くの文献、もうひとつはわたしの受けた社会学教育である。最後に、このふたつの知的源泉に感謝したい。
 とくに、本書では、敬愛する多くの日本の社会学者による研究や一般書を参照・紹介させていただいた。参照・引用した資料は脚注で逐一明記するよう努めたが、ここであらためて謝意を表したいと思う。本書は、もとよりオリジナリティを競うものではなく、社会学的に現代社会を理解するさまざまな知見を紹介することに所期の目的がある。したがって、本書は、これら諸研究への〈インデックス〉以上のものではないし、読者がこの〈インデックス〉から、自分の身の周りの社会的世界を見直すための小道具をみつけることができれば本望というものである。
最後に、予想以上に分厚いものになってしまった本書を快く引き受けてこのような本として仕立てていただいた文化書房博文社の天野義夫さんに心から感謝したい。
一九九一年九月二七日

社会学的リテラシー構築のために(増補版)

 本書執筆後、私は三冊の本を書き下ろした。いずれも広い意味での社会学教育に関する本であり、本書執筆が引き金になった仕事である。すでに本書も七百ページ近くあり、これ以上何を読ませようというのかと思われるかもしれないが、社会学の勉強については、まだまだ言いたいことが山ほどあるのだ。
 まず第一に「なぜ社会学を学ぶのか、なぜ社会学を教えるのか」について。
『社会学感覚』の本編では「1―4 社会学を学ぶ意味」(二六―三二ページ)でかんたんに説明しておいた。従来的な社会学入門では案外この点が説明されていないのである。じつは『社会学感覚』ではこの項目の他に「知識論」というテーマ群を設定して詳しく説明する予定だったのだが、紙幅の関係で果たせなかった。そこで、そのとき構想していたものを詳しく一冊の本に展開し直すことにした。それが本書の次に公刊した『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)である。結果的に、『社会学感覚』が各論として社会学の遠心力を説明したのに対して、『リフレクション』は総論として社会学の求心力を説明することになった。このさい私が考えた社会学の理念的求心力は「リフレクション」すなわち「反省」の力である。理論的にはミードやグルドナーやブルデューらをゆるやかにつなぐ反省社会学の系譜に依拠して議論を整理した。
 つぎに「どのように社会学を学ぶのか」について。
 従来はハウツウものとして専門家からは軽く見られてきた分野だが、じっさい社会学教育を考える上ではとても重要なところだと私は考えている。社会学では長らく適切なテキストがないために初学者にムダな試行錯誤を強いてきたきらいがあるので、本書『社会学感覚』のいくつかのハウツウ的な付論を発展させて詳しく説明することにした。『リフレクション』の翌年に上梓した『社会学の作法・初級編――社会学的リテラシー構築のためのレッスン』(文化書房博文社一九九五年)がそれである。本書『社会学感覚』の付論にものたりない読者は、こちらを参照していただければ幸いである。ただし、初級者にしぼって説明してあるので、卒論程度になるとものたりないかもしれない。現代学生に顕著な、単位取得に役立たないことはいっさいしないという受験生的「心の習慣」を脱構築するためのリハビリ用である。
 さて、『社会学の作法・初級編』には「パソコンの利用」という章がある。パソコンが現代の社会学的生活には欠かせないという立場で具体的に説明したのだが、折しも一九九五年春の公刊である。その年末のWindows95の登場やインターネットの急展開によって、あっという間に記述が古びてしまった。とくにネットワークの利用が学習や研究にとって重要なものになってきたことをきちんと説明する必要を感じ、『インターネット市民スタイル【知的作法編】』(論創社一九九七年)を書いた。これはいわば「社会学の作法・ネットワーク編」にあたる。  最後にインターネット上の私のホームページについて言及しておこう。一九九五年八月から「SOCIUS」(http://www.asahi-net.or.jp/~bv6k―nmr/welcome.html)というホームページを始めた。「SOCIUS」は「ソキウス」と読む。生涯学習のための社会学専門ホームページである。さらに一九九七年一月にはシェアテキストのプロジェクト「honya.co.jp」(http://www.honya.co.jp/)に参加して「SOCIUS pro」(http://members.honya.co.jp/creative/knomura/welcome.html)の公開も始めた。いずれも印刷媒体の制約を乗り越えるために構築したものである。
いずれのホームページでも上記の私の著作を公開しているので、ネットワーク環境の整っている方は、さしあたってこのふたつのソキウスをご利用いただくのが早道だろう。また、ある程度の時間が経過したのちに本書をご覧の方のためにもソキウスで最新情報をチェックできるようにしたいと思っている。
 そもそも、このブックガイド自体が、「ソキウス」上で展開している「ハイパーブックガイド」などでこの二年半に少しずつ書きためたものが元になっている。ウェッブは修正や増補が容易なので印刷媒体を補うのにちょうどよいメディアであるし、しかもウェッブ上で公開しているとなると日常的に増補する習慣がつくので、締切を過ぎたあとも目配りすることになる(なぜなら更新が止まってしまったウェッブはみっともないからである)。今回の増補原稿はその賜物である。
 というようなしだいで『社会学感覚』はだれよりも著者自身を導いてきた本といえそうである。増補によって今しばらくの延命を願うのも人情というものであろう。いつか機会があれば、今回のラフな増補をもとに本編を全面的に書き直し、『新・社会学感覚』の上梓を期したいと思う。
 近年発刊される社会学系のテキストでは十人以上の研究者によって執筆されるものも多い。それだけ専門分化が進んでいるのである。このような時代にひとりの著者が社会学全般について書くというのは、専門家として風上にもおけない逸脱行為であろう。私はそれを十分承知している。しかし、同時に私は、社会学が、専門家支配に抵抗する「見識ある市民」の反省的知識でなければならないとの信念をもっており、それに沿ってテキストを構成するには単独で作業する方が効率的なのである。それが成功しているかどうかに関して必ずしも自信があるわけではないが、しかし少なくともいえることは、この程度のことでも複数の執筆者間でコンセンサスを確保しながらおこなおうとすれば、たいへんな手間と議論とストレスが必要になるにちがいないということだ。それだけ「専門科学としての社会学」のディシプリンは強固であり、しかも社会学が本質的に論争的な学問であることがそれに輪をかけている。
 本書の立場は「見識ある市民のための反省的知識としての社会学」というものである。「社会学感覚」ということばは、このような社会学の知的駆動力あるいはエートスをさすことばとして、私が考案した造語である。いささかバブル期の雰囲気をひきづったネーミングであったと反省しているが、ふつうの言い方をすると「社会学的感受性」ということになろう。それは、日常生活を反省的に異化する知的能力であり、社会を反省的にする実践を誘発する高度なコミュニケーション能力である。
このような社会学概念は、専門科学のタコ壷的講座制の枠内では、とんでもなくあいまいで明晰でないように見えるかもしれない。しかし、在野の視点から社会学を眺めるかぎり、これは社会学に対する現代社会の要請なのである。
 社会学への入口はどこにでもある。気になったところから入ってみるのが一番である。『社会学感覚』が、それを手にとった読者のみなさんにとって、そんな入口のひとつにでもなれば幸いである。ひきつづき社会学的世界へのインデックスとならんことを!
一九九八年一月二五日
野村一夫
【追記】この原稿を書き上げたあと、社会学ブックガイドの決定版ともいうべき事典がでた。あわせて参照してほしい。見田宗介・上野千鶴子・内田隆三・佐藤健二・吉見俊哉・大澤真幸編『社会学文献事典』(弘文堂一九九八年)。また、本の入手について一言。社会学系の本は巨大書店に行かないかぎり書棚にないのがふつうである。新刊書をのぞくと、最寄りの書店や生協に注文しなければならない。それが困難な人やおっくうな人も多いと思う。その程度のことで社会学書との出会いが遠のくのは何とも残念なことだ。インターネットの使える人には、たとえば「紀伊國屋書店 KINOKUNIYA BookWeb インターネット店」(http://bookweb.kinokuniya.co.jp/)のような宅配サービスをおすすめしておきたい。これだと地方はもちろん海外からでも注文できる。また、本の購入費のない人は、ぜひ身近な図書館の館員に相談してほしい。たとえば公立図書館でリクエストすれば新たに購入してくれたり他の図書館から取り寄せてもらえることがある。

社会学感覚29−増補 国際社会学

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
国際社会学

国際社会学入門

 もはや国民国家だけを基本単位として社会を構想することはできない。エスニシティ、ナショナリズム、グローバリゼーション、NGOなど、さまざまな単位のさまざまな主体のありようをきちんと分析し、グローバルに構想することが求められている。国際社会学はそのような分野として九〇年代に提唱された社会学の新分野である。
 従来、国際社会を研究するのは国際関係論とエリア・スタデイ(地域研究)だった。後者は必ずしも「国際」であるとは限らないから、じっさいには国際関係論がその主導的位置を占めてきた。この国際関係論を構成していたのは国際政治学と国際経済学である。その学問的系譜については、中嶋嶺雄『国際関係論――同時代への羅針盤』(中公新書一九九二年)のコンパクトで要領を得た解説を参照してほしい。百瀬宏『国際関係学』(東京大学出版会一九九三年)も基本書。
 冷戦終結後、この国際関係論に新たに加わったのが国際社会学である。梶田孝道編『国際社会学――国家を超える現象をどうとらえるか[第2版]』(名古屋大学出版会一九九六年)と、梶田孝道『国際社会学』(放送大学教育振興会一九九五年)が基本書。馬場伸也『アイデンティティの国際政治学』(東京大学出版会一九八〇年)は、政治学と銘打っているが、国際社会学の先駆的な研究である。

冷戦後の国際社会

 冷戦終結後は国際関係論自体が社会学化している。冷戦時代は国民国家間関係で説明できた国際社会も、その社会学的な様相を顕在化させてきたからである。冷戦後の国際社会については、次のような本から入るといいだろう。高橋和夫『三訂版 現代の国際政治――冷戦を越えて』(放送大学教育振興会一九九五年)。鴨武彦『世界政治をどう見るか』(岩波新書一九九三年)。武者小路公秀『転換期の国際政治』(岩波新書一九九六年)。高坂正尭『平和と危機の構造――ポスト冷戦の国際政治』(NHKライブラリー一九九五年)。
 この分野については現代史の知識が欠かせないが、通史としては、正村公宏『現代史』(筑摩書房一九九五年)。これなら一冊ですむ。

社会主義と資本主義

 九〇年代の国際社会が今日このようにあるのは、ひとつは社会主義の崩壊によるものである。この崩壊過程については前項の文献に詳しい。
今問いなおされているのは「社会主義とは何だったのか」という問いである。桜井哲夫『社会主義の終焉――マルクス主義と現代』(講談社学術文庫一九九七年)は、社会主義の本質がマルクス主義ではなくサン-シモン主義でありメシアニズム(救世主信仰)だという視角から、詳しく社会主義の生成展開過程を描いたもの。イデオロギーのベールでこれまでよく見えなかった姿が見えてくるのだが、桜井はその主犯が知識人だと批判している。
 他方、社会主義が崩壊したのは資本主義の勝利なのか。I・ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム――近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』松岡利道訳(藤原書房一九九七年)は、そうではないと主張する。
 いささか意表を突くこの二著は社会学者ならではの見方が発揮されたものといえそうだ。

民族問題と宗教問題

 国際社会がその社会学的様相を顕在化させてきた、その代表的な要素が民族と宗教である。入門的な概説書として、浅井信雄『民族世界地図』(新潮文庫一九九七年)と、石川純一『宗教世界地図』(新潮文庫一九九七年)がコンパクトでやさしい。山内昌之『民族問題入門』(中公文庫一九九六年)はこの分野の第一人者によるトータルな解説。国際関係論ではなく「民族関係論」の必要な状況になっているがよくわかる。

ナショナリズム

 ナショナリズムについての捉え方も大きく変わった。その転換点をなす研究が、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』白石隆・白石さや訳(リブロポート一九八七年)である。アンダーソンは、国民(nation)を「イメージとして心に描かれた想像の政治共同体」であるとする。それは想像されたものであり、限界づけられたものであり、主権的なものであり、ひとつの共同体として想像されたものだとする。なお、この訳書ののち増補されたNTT出版版が出ている。ベネディクト・アンダーソン『増補 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』白石さや・白石隆訳(NTT出版一九九七年)。
 アンダーソンの問題意識を受けて、明治期の日本における「国民」の創出をメディア史的に描いたものとして、奥武則『スキャンダルの明治――国民を創るためのレッスン』(ちくま新書一九九七年)がある。「万朝報」という新聞が担った「制度としてのスキャンダル」が、国民国家の形成に大きく貢献したという意外な側面からのアプローチである。このラインを延長して考えると、現代社会における再国民化のメディアは、オリンピックやワールドカップなどの国際スポーツ大会ということになろう。ここにスポーツ社会学の重要課題がありそうだ。たとえば、J・リーヴァー『サッカー狂の社会学――ブラジルの社会とスポーツ』亀山佳明・西山けい子訳(世界思想社一九九六年)。

EUと脱国家

 馬場伸也が国際関係論に導入したアイデンティティ概念は、近年さらにリアリティを増している。とくに注目に値するのがEUの脱国家的な広域圏構築の試みだ。梶田孝道『統合と分裂のヨーロッパ――EC・国家・民族』(岩波新書一九九三年)によると、ECの諸地域においてアイデンティティの多様化が生じており、これが新しい国際社会を構想するさいのポイントになるのではないかという。梶田はこれを「フレクシブル・アイデンティティ」と呼ぶのだが、「カタルーリャ人」であり「スペイン人」であり「ヨーロッパ人」であるというようなアイデンティティのあり方は、民族間紛争を緩和しやすいという。かえって国民国家というひとつの水準に収斂するとき民族対立が激化しやすいのである。国家の上位概念だった「ソビエト連邦」が崩壊して各国が国民国家としての独立性を高めたとたんに民族紛争が顕在化したのもそのためである。

グローバリゼーション

 日本ではお役所を中心に何かと「国際化」が叫ばれているが、それはグローバリゼーションのたんなる一局面にすぎないことに注意しよう。
アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳(而立書房一九九三年)は、グローバリゼーションが近代固有の必然的現象であると論じた論考。それに対して、R・ロバートソン『グローバリゼーション――地球文化の社会理論』阿部美哉訳(東京大学出版会一九九七年)は近代以前からグローバリゼーションは進行しており、しかもそのさい宗教の役割が大きいと論じている。ロバートソンによると、グローバリゼーションとは「世界の縮小」のことであり、「ひとつの全体としての世界」という意識の拡大である。

オリエンタリズム

 地球社会という視点から世界を見るのはかんたんなことではない。ふつうは自分のローカルな居場所から外部世界を眺めるのである。そのとき手がかりになるのは、外部世界について語られた言説である。その言説に沿って私たちは外部を見る。したがって言説に語られたものごとだけが見え、語られないことは見えてこないのである。エドワード・W・サイード『オリエンタリズム(上・下)』板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳(平凡社一九九三年)が出発点にしているのは、このようなフーコー的な仮説である。
 サイードの提起した問題圏は、まさにグローバリゼーションによってもたらされた逆説的な現象であり、『オリエンタリズム』は現代思想に大きな影響を与えることになった。姜尚中(カン・サンジュン)『オリエンタリズムの彼方へ――近代文化批判』(岩波書店一九九六年)は、その社会学的な展開。

地図としての社会

 あえて国際社会学の文献リストに加えたいのが、若林幹夫『地図の想像力』(講談社選書メチエ一九九五年)。地図もまた外部世界を語る言説であったことに気づかせてくれる社会学書。地図と社会の錯綜した関係に光を当てる。

世界市民社会の構想

 ディテールもたいせつだが、大きなヴイジョンについて考えることもたいせつだ。ヒントになる本として、ユルゲン・ハーバーマス『未来としての過去――ハーバーマスは語る』河上倫逸・小黒孝友訳(未来社一九九二年)と、坂本義和『相対化の時代』(岩波新書一九九七年)をあげておこう。坂本は平和研究の第一人者。

社会学感覚28−増補 市民社会の再構築

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
市民社会の再構築

社会構想と「公共哲学としての社会科学」

 社会構想論というテーマ群は本編にはなかったものだ。しかし、これも社会学の重要課題のひとつである。もちろんユートピアを夢想するのではない。政策論的なニュアンスを込めて「社会計画論」と呼ばれることもある。もっと地に足をつけたものでなければなるまい。
 そもそも社会はその構成要素として理念や理想を含む。しかし、人びとが望ましいと考えている社会がほんとうに望ましいのか、「変革」や「改革」の名の下に政策や行為が志向するヴィジョンは果たして理想的なものなのか。想像力を働かせて精査してみる必要がある。
 この問題圏については「社会構想」と銘打たれたほとんど唯一の本『社会構想の社会学』岩波講座現代社会学 第26巻(岩波書店一九九六年)を参照してほしい。
 このような領域に社会学が踏み込む理由については、ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー『心の習慣――アメリカ個人主義のゆくえ』島薗進・中村圭志訳(みすず書房一九九一年)の巻末に付せられた「公共哲学としての社会科学」という短い論考をぜひ参照してほしい。

市民的公共圏

 さしあたり社会構想論の重要なテーマは「市民社会の再構築」であろう。キーワードは市民的公共圏である。
 市民的公共圏とは、自律的な市民が自由に討論しあう言語空間のこと。もともと古代ギリシャにあった考え方だが、それが、初期資本主義の発達の中で、具体的に実現した社会的な空間である。基本的には、権力に対抗することがひとつのポイントになっており、そこが日本の行政関係者のいう「公共性」との大きなちがいである[日本における公共性概念については、船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)を参照してほしい]。
 ハーバーマス『公共性の構造転換――市民社会の一カテゴリーについての探究(第2版)』細谷貞雄・山田正行訳(未来社一九九四年)は、この分野の古典。最近ハバーマスが三十年前の自著を回顧した小論をくわえた新版で、この小論は必読。
 公共圏論については、花田達朗『公共圏という名の社会空間――公共圏、メディア、市民社会』(木鐸社一九九六年)が基本書。花田はそれまで「公共性」と訳されていたのを「公共圏」と訳すことを提唱した。「性」がつくととたんに抽象的なものになってしまうが、そうではなく、あくまでも具体的な空間のことだいうのだ。たしかに前掲のハバーマスの本の「公共性」も「公共圏」とか「公的空間」と読みかえると理解できる箇所が相当数ある。英訳では public sphere である。
 このテーマでは、ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳(ちくま学芸文庫一九九四年)も古典である。近年、ハバーマスとの関連で見直されているようだが、社会学としては使いにくい議論である。
 日本社会の文脈でとりあげた本としては、佐藤慶幸『生活世界と対話の理論』(文眞堂一九九一年)をあげておきたい。生活クラブ生協を事例に考察されている。初学者はここから入るといいだろう。

公共圏のモデルとしてのコーヒーハウス

 コーヒーハウスはたんなる喫茶店ではない。それは、市民たちが平等の資格において出会い、討論し、世論をつくりだしてゆく社会的空間だった。ジャーナリズムもその中から生まれ、その機能をマス・メディアが担っていくことになる。よくハバーマスが「コーヒーハウス式の市民主義」のように揶揄されることがあるが、私たちはコーヒーハウスの歴史的実態をよくわかっていないまま、そのようなことばを受け売りしたり、あるいは反発したりしているもの。このさいコーヒーハウスとその周辺について歴史的にきちんと知ることから始めたい。小林章夫『ロンドンのコーヒー・ハウス』(PHP文庫一九九四年)は、コーヒーハウスがどこまで公共圏として機能し、どのような限界をもち、どのように変質していったかを説明した歴史書。ジャーナリズム史の勉強にも役立つ本だ。

ネットワーキング

 個人と個人の新しいつながり方として注目されているのがネットワーキングである。ネットワーキングということばは、J・リップナック、J・スタンプス『ネットワーキング――ヨコ型情報社会への潮流』(プレジデント社一九八四年)ではじめて定義され、やがて一般に使用されるようになった。著者は社会学者である。
 ネットワーキングの一般書としては、金子郁容『ボランティア――もうひとつの情報社会』(岩波新書一九九二年)と、上野千鶴子・電通ネットワーク研究会『女縁が世の中を変える――脱専業主婦のネットワーキング』(日本経済新聞社一九八八年)などがある。とくに金子の本は、それまでの「ボランティア」のイメージを覆した、理論的にも示唆に富む本である。

社会運動論

 ネットワーキングの問題は広い意味での社会運動論に入る。社会運動は社会形成の基本である。片桐新自『社会運動の中範囲理論――資源動員論からの展開』(東京大学出版会一九九五年)は、社会運動についての最新理論を論じた研究書。社会運動論研究会編『社会運動論の統合をめざして――理論と分析』(成文堂一九九〇年)は、若手研究者による論文集だが、錯綜するこの分野の知見がよく整理された総論的論文がふくまれている。また、環境問題や草の根市民運動などについての事例研究もあって、この分野の研究状況を理解するのにいい本だ。社会運動論研究会編『社会運動の現代的位相』(成文堂一九九四年)はその続編。
「新しい社会運動」については、梶田孝道『テクノクラシーと社会運動――対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)とくに第6章「新しい社会運動――A・トゥレーヌの問題提示をうけて」。

市民社会とシティズンシップ

 新しい社会運動の主役は「市民」としての個人である。マス・メディア上では、カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)が「市民」概念を呼び起こした。そのため、それに反発する新保守主義の文化人がさかんにこのことばとこれを使う人たちを批判するという流れができている。「市民」を標榜する「きまじめな」人たちに対する反発からの無邪気な批判も多い。そう、これはきわめて政治的な概念なのだ。
 日本では、久野収が警職法反対運動においてきわだった「市民」に注目した論文によって独特の政治的ニュアンスが加わり、以後さかんに使われるようになった。久野収『市民主義の成立』(筑摩書房一九九六年)はその論文を復刊したもの。ここで強調された「市民」概念は個人主義的な政治的能動性をその意味内容としていた。その後、この文脈が忘れられておもに左翼系の政治組織のスローガンとして「市民」が使われることになった。「市民」は政治組織からも自由に動く個人とされただけに皮肉ななりゆきだった。
 社会科学の世界では、松下圭一の一連の仕事が大きな影響を与えた。松下圭一『戦後政治の歴史と思想』(ちくま学芸文庫一九九六年)は、一貫して「市民」にこだわった政治学者のベストセレクション。どれも名作だが、とくに「〈市民〉的人間型の現代的可能性」が重要な仕事。
社会学の基本文献では、T・H・マーシャル、トム・ボットモア『シティズンシップと社会的階級――近現代を総括するマニュフェスト』岩崎信彦・中村健吾訳(法律文化社一九九三年)がある。マーシャルの論文にボットモアが解説を加えたものである。ただし、ここでのシティズンシップは「平等であること」を主要な意味内容にしている。権利と義務をさす「市民権」に近い意味である。この文脈ではその後ブライアン・ターナーらが議論を進めている。
  社会学で近年注目されているのは「市民社会」(civil society)形成の文脈だ。社会主義政権下のポーランドにおける「連帯」に象徴されるような社会再構築の主役たち、つまり、利害関係にしばられない、政治化された自律的個人としての「市民」に着目したものだ。こちらは「市民精神」の発動としての政治的能動性が強調されている。ウォルフレンや久野収の使い方はこちらに近い。
 いずれにしても、このテーマはトクヴィル以来の古くて新しいテーマといえそうだ。ある種の生き方としてのシティズンシップ(市民精神)の可能性と限界について社会学的に考える上でヒントになりそうな本をあと二冊追加しておこう。ひとつはこの章の冒頭で紹介した、ベラーらの『心の習慣――アメリカ個人主義のゆくえ』。もう一冊は、リチャード・セネット『公共性の喪失』北山克彦・高階悟訳(晶文社一九九一年)。

近代とは何か

 社会構想論の前提は「近代」をどう捉えるかである。もちろん「近代」を問い直すことは社会学の草創期以来のテーマであって、基本文献は山ほどある。ただし九〇年代の近代論は七〇年代以降のポストモダンの思想潮流が一段落し、そこで突きつけられたものを問い直すという特徴をもっている。安直に「ポスト」を持ち出して、結論もあるようなないような流行思想にいったん休止符を打ち、激動の二〇世紀を俯瞰しながら「近代とは何か」を問うような理論的な仕事である。
 その代表的な研究として、アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳(而立書房一九九三年)をあげておきたい。日本では、佐藤俊樹『近代・組織・資本主義――日本と西欧における近代の地平』(ミネルヴァ書房一九九三年)がひとつの到達点的な研究である。

リフレクションの思想

 本書は社会学の入門書として書かれているので自説は控えてあるが、本としてのトータリティを確保するためリフレクション(反省)概念によって論調を整理している。総論として新たにまとめなおしたのが、野村一夫『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)である。反省社会学などの理論的背景については、こちらを参照してほしい。
 リフレクションの思想については、今田高俊『自己組織性――社会理論の復活』(創文社一九八六年)、今田高俊『モダンの脱構築――産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)、今田高俊『混沌の力』(講談社一九九四年)で展開されている。「リフレクションの思想」と呼んだのは今田である。システム論のひとつの理論的帰結として導出されたもの。社会構想論のひとつのポイントになるものと思う。

社会学感覚27−増補 環境問題の構造

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
環境問題の構造

環境社会学・概説

 環境問題の章も本編では断念したものだった。ここで、環境社会学の視点から現代の環境問題について論じた主要文献を紹介しておこう。
 日本の環境社会学を俯瞰できる基本書として、飯島伸子編『環境社会学』(有斐閣一九九三年)。日本の環境社会学は、深刻な健康障害を含む社会問題としての環境問題の社会学的分析という特徴があり、公害問題への取り組みから始まった。日本は公害大国だという特殊事情を反映しているということで、「加害―被害関係」が関心の焦点になる。このあたりの歴史的事情は、飯島伸子『環境社会学のすすめ』(丸善ライブラリー一九九五年)に詳しい。以前から公害被害の問題に取り組んできた著者の研究史を軸にして環境社会学を解説した新書である。環境社会学会『環境社会学研究』創刊号(新曜社一九九五年)は日本環境社会学会の機関誌であるが、「環境社会学のパースペクティブ」特集を組んでおり参考になる。
 日本の環境社会学が「環境問題の社会学」(sociology on environmental problems)であるのに対して、欧米のは「環境の社会学」(sociology of environment)という特徴がある。後者の基本書が、C・R・ハムフェリー、F・H・バトル『環境・エネルギー・社会――環境社会学を求めて』満田久義・寺田良一・三浦耕吉郎・安立清史訳(ミネルヴァ書房一九九一年)。従来の社会学の人間特例主義を反省し、社会環境・文化環境中心の環境概念を自然環境に拡大するというラジカルなもので、ある意味では強力な社会学批判といえよう。

生活環境主義

 日本独特の環境社会学研究から提唱された理論として「生活環境主義」がある。鳥越皓之編『環境問題の社会理論――生活環境主義の立場から』(御茶の水書房一九八九年)と、鳥越皓之・嘉田由紀子編『水と人の環境史――琵琶湖報告書(増補版)』(御茶の水書房一九九一年)において提唱された考え方である。
 それによると、環境問題に対するスタンスのとり方には三つある。第一に近代技術主義。行政当局による巨大開発は近代技術主義に立つことが多い。自然は資源と見なされ、利用開発すべきものと位置づけられ、不都合があれば改変すべきだと考える。
 第二に自然環境主義。自然保護運動はこれに立つ。人の手が加わらない自然がもっとも望ましいとする立場である。
 しかし、近代技術主義は「住民を守る」といいながら、開発によってその生活を破壊することが多い。自然環境主義は安易なノスタルジーに流され、そこに居住する人びとの生活のことを無視してしまう傾向をもつ。ちなみに、一九七〇年代から大きな勢力になりつつある「ディープ・エコロジー」はさしずめ「自然環境主義」の急進派ということであろう。北アメリカで「ディープ・エコロジー」のような運動が支持されるのは、手つかずの自然(原生的自然)が存在し、そこに生活する人びとが極端に少ないからである。このように自然環境主義は生活現場から遠い地点にいるからこそ可能な論理でもある[なお、アメリカの環境運動の歴史と多様性が一覧できる基本書として、R・E・ダンラップ、A・G・マーティグ編『現代アメリカの環境主義――一九七〇年から一九九〇年の環境運動』満田久義監訳(ミネルヴァ書房一九九三年)]。
それに対して、生活環境主義はその地域社会に生活する居住者の立場に立つ。生活の必要に応じて自然環境の「破壊」も認める立場である。近代技術主義にせよ自然環境主義にせよ、私たちは環境問題を考えるとき、知らず知らずのうちに自然科学的発想に立ってしまっている。しかし、そのときわたしたちは具体的な社会生活の複雑性をすっかり忘れてしまっているのではないか。そこに生活している人びとと自分の生活とその他大勢の人びとの生活の連関性を。これが生活環境主義の喚起する視点である。
 生活環境主義は、これが日本の環境社会学のすべてではないが、日本のような自然環境と社会環境がきわめて近い位置にあるところでは、ひとつの実践論的な落としどころなのである。生活環境主義について最近のまとまりのあるものとしては、鳥越皓之『環境社会学の理論と実践――生活環境主義の立場から』(有斐閣一九九七年)がある。

受益圏と受苦圏

「受益圏」とは、問題とされる組織の活動による利益を何らかの形で享受する人びと(さらに組織や地域や階層や世代や人種)。「受苦圏」とは、その組織の活動によって平安な生活環境が保持できなくなる人びとのこと。受益圏と受苦圏の範囲の重なりと分離は現代社会の場合じつに多様になっているので、「加害者 対 被害者」といった単純な二分法では捉えられなくなっている。
 この概念を駆使した実証研究としては、船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)と、舩橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・梶田孝道『高速文明の地域問題――東北新幹線の建設・紛争と社会的影響』(有斐閣一九八八年)が代表的なもの。梶田孝道『テクノクラシーと社会運動――対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)にも詳しい説明がある。

社会的ジレンマ

 行為主体(個人・集団・組織)の合理的な行為の累積が、人びとにとって望ましくない結果を生みだしてしまうことを「社会的ジレンマ」と呼ぶ。環境問題は、私的には合理的な行為であっても、その集積が共有環境を悪化させるという皮肉な社会現象といえる。
 社会心理学の立場からのやさしい解説として、山岸俊男『社会的ジレンマのしくみ――「自分1人ぐらいの心理」の招くもの』(サイエンス社一九九〇年)。環境問題に応用した論文として、舩橋晴俊「『社会的ジレンマ』としての環境問題」『社会労働研究』第三五巻第三・四号(法政大学社会学部学会一九八九年)。専門的な論文だが、これが基本文献になる。

環境問題報道

 うんざりするほどの量で環境問題がマス・メディアによって伝えられているように感じるが、ほんとうにそうなのだろうか。それを考えるためのヒントを二冊。環境ジャーナリストの会編『地球環境とジャーナリズム』(岩波ブックレット一九九一年)と、本多勝一『日本環境報告』(朝日文庫一九九二年)。伝えられない問題の存在について想像してみたい。

災害社会学

 一九九五年の阪神・淡路大震災の衝撃は大きい。災害の問題性を思い知らされた。目下さまざまな分野の研究者がこの災害の教訓を学ぼうとしている。ここでは社会学系でまとまりのある本を二点紹介しておこう。広瀬弘忠『災害に出合うとき』(朝日選書一九九六年)は他の大災害の事例研究も含めて社会心理学的アプローチから被災者の心理や行動について論じている。野田隆『災害と社会システム』(恒星社厚生閣一九九七年)はより社会学的なアプローチからのもので、とくに組織論的な分析が中心になっている。
 災害時にはコミュニケーションのあり方が大きくものをいう。それを研究する分野を「災害情報論」という。日本では東京大学新聞研究所(現・東京大学社会情報研究所)が拠点になって研究を進めてきた。東京大学新聞研究所編『災害と情報』(東京大学出版会一九八六年)はその代表的な研究。広井脩『災害情報論』(恒星社厚生閣一九九一年)もその成果をまとめたもので、この分野の基本書である。
 関西以外に在住の若い人で、この大震災のリアリティがピンと来ない人には、まず次の本を読むといいだろう。朝日新聞社編『大震災サバイバル・マニュアル』(朝日文庫一九九六年)。じっさいにどういう場面に直面することになるのか、ディテールをきちんと押さえておくことからすべては始まる。

社会学感覚26−増補 教育問題の構造

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)

教育問題の構造

大衆教育社会

 本編の社会問題論では「教育問題の構造」も予定していたが、紙数調整の関係で断念した。しかし、教育問題は今や社会全体の重要問題になっており、ここでも社会学の有効性が試されている。この分野をあつかうのは教育社会学である。教育社会学は近年非常に活発に研究がなされている専門分野だ。
 教育問題を考える上でまず必要なのは、全体構図を歴史的社会的に位置づけておくことだ。苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書一九九五年)は、教育の現時点の座標軸を理解するのによい本である。現代は「大衆教育社会」であるというのが本書の出発点。それは「教育の量的な拡大」と「メリトクラシー(業績主義)の大衆化」と「学歴エリートの支配」によって特徴づけられる社会である。このような大衆教育社会において人びとがもつ特有の視線の神話性について、実証データを駆使して考察されている。教育について私たちがもつステレオタイプな見方や考え方が、思いもかけない結果をこの社会にもたらそうとしていることがわかる。それにしても、有力大学の進学者の七五パーセントが上層ノン・マニュアル(専門家や会社役員・管理職)の子弟によって占められつづけてきたという現実には、あらためておどろく。

教育言説の分析

 教育問題といっても時代によって問題のありようは異なる。問題行動の発生場所に注目すると学校外から学校内へと移動しているところから、最近は「学校問題」と呼ばれる一群の問題に焦点がおかれるようになった。つまり、学校そのものが問題とされているのだ。もちろんこんなことは若い人たちには自明であるかもしれない。しかし「心の教育」などという抽象的な言説が復古している教育界の現状を見てもわかるように、それは教育界では今なお自明ではないのである。
 じつは教育問題の語られ方そのものに学校問題の問題性があるのではないか。教育に携わる人やそれを論じる人たちの語りそのものが教育とその問題を構築しているのではないか。今津孝次郎・樋田大二郎編『教育言説をどう読むか――教育を語ることばのしくみとはたらき』(新曜社一九九七年)は、そのような視角からの共同研究の成果である。教育言説とは「教育に関する一定のまとまりをもった論述で、聖性が付与されて人々を幻惑させる力をもち、教育に関する認識や価値判断の基本枠組みとなり、実践の動機づけや指針として機能するもの」である(一二ページ)。教育言説はしばしば宗教の教義のように、それに対する批判を封じ、現場での自明の判断基準となる。
教育および教育問題を言説的構築物と見る社会構築主義的な見方は、フーコーに影響を受けている。この見方によると、教研集会やマス・メディア上での発言や研究者の議論なども「問題」の重要な構成要素ということになる。同様の試みとして、上野加代子『児童虐待の社会学』(世界思想社一九九六年)。方法論的な議論としては、北澤毅・古賀正義編著『〈社会〉を読み解く技法――質的調査法への招待』(福村出版一九九七年)が参考になる。タイトルは一般的だが、執筆者は教育社会学の研究者が中心である。

いじめ

 学校問題のひとつにいじめ問題がある。昨今は「いじめ」概念が拡大されて、たんなる傷害事件や恐喝事件でさえ「いじめ」で括られてしまうので、かえって議論が不明確になっているきらいがある。「やらせ」もそうであるが、ひらがな三文字は拡大使用されがちだと思う。
 いじめの集団力学的分析としては、森田洋司・清水賢二『新訂版 いじめ――教室の病い』(金子書房一九九四年)が代表的な社会学的研究になる。
 森田らは「いじめの四層構造」を指摘する。いじめの場面において学級集団は「加害者」「被害者」「観衆」「傍観者」の四層構造をなすというのである。いうまでもなく「加害者」はいじめっ子であり、「被害者」はいじめられっ子。「観衆」とはいじめをはやしたておもしろがって見ている子であり、「傍観者」とは見て見ぬふりをしている子である。いじめの過程で重要な役割を果たすのは、じつは「観衆」と「傍観者」の反作用(反応)である。かれらが否定的な反応を示せば「加害者」はクラスから浮き上がり結果的にいじめへの抑止力になるが、逆に「観衆」がおもしろがったり「傍観者」が黙認するといじめは助長される。ほかに「仲裁者」という役割も存在するが、いじめの場面では極端に減少し、クラスは「四層化」されている場合が多いという。
 森田らの調査によると、いじめの被害の大きさは「加害者」の数とは相関性がないという。いじめ被害の増大と相関するのはじつは「傍観者」の数である。「傍観者」が多くなるほど被害が大きくなる。そして学年が上がるほど「傍観者」の数は多くなる。ここに現代型いじめの大きな特徴があるという。

不登校・登校拒否

 この分野の代表的な研究は、森田洋司『「不登校」現象の社会学』(学文社一九九一年)である。これは標準的な調査によるもの。それに対して、朝倉景樹『登校拒否のエスノグラフィー』(彩流社一九九五年)は、登校拒否問題を構築主義の観点から整理した論考と、著者自身が参加している東京シューレのエスノグラフィから構成された研究。

大学問題

 本書の読者には大学関係者(学生・教員)が多いことと思う。現在の大学が多くの問題をもっていることを実感されている人も多いだろう。
まず、学生の問題については、教育社会学者が私語を論じた一冊だけをあげておきたい。新堀通也『私語研究序説――現代教育への警鐘』(玉川大学出版部一九九二年)。この本によると「大学生の私語」という現象は、一九六〇年代後半からすでに私立の女子短大で問題化し始め、一九八〇年代に入って一気に全大学共通の問題へと一般化したという。大学生の私語は「現代日本の教育的問題状況の象徴」だというのが著者の見解である。
 私語の背景にはさまざまな要因がある。もちろん教員や大学側の問題もあるが、学生側にも多くの問題がある。ランダムにリストアップしてみよう。
(1)公私のけじめの消滅
(2)テレビ視聴の構図の持ち込み
(3)子ども中心主義
(4)マジメに対する冷笑的態度
(5)学生の大衆化
(6)不本意就学・不本意在学・不本意出席
 とくに、「情報化」が反主知主義を社会に生み、それが現代の大学生にも反映しているという指摘には説得力がある。ちなみに反主知主義とは、知性よりも感性を重んじる考え方のことである。私語をテーマとしているとはいっても、現代学生一般の現状分析になっていると思う。
こうした実態を前提にした上で、当の学生に訴えようとするものとして、浅羽通明『大学で何を学ぶか』(幻冬舎一九九六年)がある。浅羽はしばしば『ゴーマニズム宣言』にも登場する評論家であるが、「ニセ学生」としてさまざまな大学の教室に参加した豊富な経験の持ち主として有名な人である。
 現代学生の分析はそれほど多くないのに対して、教員や大学制度についての研究はかなりあり、社会学的研究も多い。ただ、やや難解になりがちなので、ここでは若い人でも読めるものを若干あげるにとどめることにしよう。
 まず、大学問題の概観を与えてくれるジャーナリスティックなものとして、産経新聞社会部編『大学を問う――荒廃する現場からの報告』(新潮文庫一九九六年)。大学教員の問題をアイロニカルに論じた、鷲田小彌太『大学教授になる方法』(PHP文庫一九九五年)や鷲田小彌太『大学教授になる方法・実践篇』(PHP文庫一九九五年)。その続編として、鷲田小彌太編著『大学〈自由化〉の時代へ――高度教育社会の到来』(青弓社一九九三年)。桜井邦朋『大学教授――そのあまりに日本的な』(地人書館一九九一年)と、桜井邦朋『続大学教授――日々是好日』(地人書館一九九二年)も辛口の教員論だ。じつはここ数年風向きがずいぶん変わってきており、それを反映した近作では、川成洋編著『だから教授は辞められない――大学教授解体新書』(ジャパンタイムズ一九九五年)と、川成洋編著『だけど教授は辞めたくない』(ジャパンタイムズ一九九六年)。

反学校文化

 教育問題を議論するときに考慮しなければならないファクターとして「反学校文化」がある。学校や教師に反抗し、優等生たちをバカにするような独特の子ども文化である。
 階級社会イギリスにおける反学校文化については、ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども――学校への反抗 労働への順応』熊沢誠・山田潤訳(ちくま学芸文庫一九九六年)が古典的存在になっている。いわば「落ちこぼれ」のサブカルチャー研究である。副題にもあるように、「落ちこぼれ」たちの学校や教師への反抗が、期せずして下積み的な肉体労働者への自発的順応になっているという皮肉な事態――しかもそれがイギリスの階級社会を再生産するメカニズムを支えるという冷徹な現実が丹念に描かれている。
 桜井哲夫『不良少年』(ちくま新書一九九七年)は、それを近代日本の歴史の中で検証しようとしているように見える。そして現在、そのような反学校文化が不在であるところにこそ、回収されない心性がわだかまる要因があり、それがあるきっかけで噴出するのかもしれない。
 とりあえずここでは「反学校文化」と呼んできたが、それはべつに「反学校」である必要はない。不登校現象の示すように「脱学校」でもよいし、「遊び」の文化でもよいし、もちろん「家族」でもよい。とにかく自分の存在を承認してくれる他者のいる場であれば、その中では「落ちこぼれ」も「反社会的」というレッテルも気にせず、プライドを守りながら自分を社会的に落ちつかせる地点をみつけることも可能なはずなのだ。本編のアイデンティティ論や役割現象論の章で説明しておいたように、「他者の承認」をえることが社会的存在としての人間の根本的な性質なのである。宮台真司が一連の時事的論考で示唆しているのも、おそらくこのようなことではないかと思う。宮台真司『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社一九九七年)などで考えてほしい。

実践の共同体への参加過程としての学習

 当然のことだが、教育活動の中心には学習概念がある。現在の教育制度の枠組みを構成している学習概念は「既成の知識を受容すること」であるか、せいぜいその「応用」どまりである。しかし、学習とはそれだけのことなのか。この疑念に対してヒントを与えてくれるのが、ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加』佐伯胖訳(産業図書一九九三年)である。基本的には徒弟制の分析なのだが、現在の教育制度が排除してきたものはこれだったかという思いを抱く本である。
 レイヴにはこの本の他に、ジーン・レイヴ『日常生活の認知行動――ひとは日常生活でどう計算し、実践するか』無藤隆・山下清美・中野茂・中村美代子訳(新曜社一九九五年)という翻訳もでている。

新しい教育理論

 山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』(ちくま学芸文庫一九九六年)は、おもに一九七〇年代以降にあいついで現れたオルタナティヴな教育理論を解説し、その実践的可能性について論じたもので、イリイチ、フーコー、ブルデュー、フレイニ、バーンステインを中心に著者流のていねいな解説が特徴。まるで講義を受けているようだ。

社会学感覚25−増補 医療問題の構造

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)

医療問題の構造

医療について考え始める

 本編では患者論に限定して医療問題をあつかった。ここでは広く医療問題全般について考えるための基本資料を紹介しよう。
 向井承子の『病いの戦後史――体験としての医療から』(筑摩書房一九九〇年)。患者の側から見た医療を体験的に、しかも問題を客観的に知ろうとする姿勢に貫かれた医療戦後史。永井明『医者が尊敬されなくなった理由』(集英社文庫一九九五年)は「理由」シリーズの中の一作。話題になった旧作もおもしろいが、これは医者の側から見た医療のさまざまな側面をバランスよく描いているのがよい。患者の視点と医者の視点とを対照させて読みくらべてほしい。
 その他、柳田邦男『人間の事実』(文藝春秋一九九七年)で紹介されている数多くの手記を手に取ってみてほしい。この本の前半部は医療系のノンフィクションの紹介にあてられている。

文化現象としての医療

 医療は医学や薬学だけの特権的領域ではない。それはすぐれて文化現象である。その視点から医療の文化的社会的側面に関するキーワードを徹底的に網羅した用語集として、医療人類学研究会編『文化現象としての医療――医と時代を読み解くキーワード集』(メディカ出版一九九二年)がある。もちろん事典として使えるが、むしろ「どこからでも読める現代医療入門」といったユニークな本。医療問題を議論する上で欠かすことのできない基本知識を学ぶのに最適だ。

医療社会学

 医療社会学についての基本書として二点あげておきたい。黒田浩一郎編『現代医療の社会学――日本の現状と課題』(世界思想社一九九五年)と、佐藤純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学』(世界思想社一九九八年)。前者は、医師・病院・患者・看護婦・製薬業界といった、医療にかかわるさまざまな主体ごとに問題を整理したもの。近代西洋医学を相対化する視点から構成されているのも特徴である。後者は、人間ドック・野口英世・赤ひげ・脳死と臓器移植・不妊治療・ホスピス・インフォームドコンセントについてのステレオタイプ化された言説を「医療神話」と押さえ、それぞれを社会学的に批判したもの。福祉国家の起源を軍国主義時代に求める論文もある。概して歴史社会学ないし社会史的なスタンスから神話を解体するという流れになっている。大ざっぱな医療批判でなく、緻密な議論になっている。
 この二点に、学説中心の進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)を加えると、ほぼ日本の医療社会学の現状が把握できる。
最近のイギリス系の社会学では、「医療社会学」から「健康と病気の社会学」への転換が生じている。かつてはもっぱら病院・医師・ナース・薬といった要素を対象としていた医療社会学だが、健康食品や民間療法などの「健康関連問題」も射程に入れなければならなくなり、何よりもライフスタイルという複合的な要素がたち現れてきたからだ。もはや公式の医療制度に属するものだけが「健康と病気の社会学」の対象ではなくなっている。日本の研究も近いうちにそういう流れになってくるだろう。

医学の不確実性

 すでに紹介した『医療神話の社会学』を読むと、西欧近代医学が意外に「はりぼて」仕様の、脆弱な基盤しかもたない営みであることがわかる。それが確固たるものに見えるのは、私たちが「近代医学」という神話を信じて制度をこしらえてきたという事実に起因するのだ。医師でもあった中川米造の『医学の不確実性』(日本評論社一九九六年)もそれを主題とした概説書。
 そもそも医学の不確実性という問題は、一九七〇年代あたりの精神医学批判から連綿と指摘されつづけてきた。イングレビィ編『批判的精神医学』宮崎隆吉他訳(悠久書房一九八五年)におさめられたコンラッドの有名な論文「逸脱とその社会的コントロールの医学化」がその代表的なものである。さまざまな診断的カテゴリーの応用は、技術的に中立な営みというよりむしろ政治的な営みだというのが批判者の見方である。
ネトゥルトンのまとめ[Sarah Nettleton, The Sociology of Health and Illness, Polity Press, Cambridge, 1995. ]を借りれば、「生体臨床医学」(biomedicine)をメインパラダイムとする西洋近代医学は五つの仮説を基礎としている。
(1)心身二元論(精神と身体は分離して取り扱うことができる)
(2)機械メタファー(身体は機械のように修理できる)
(3)技術的命令の採用(過剰な技術的介入)
(4)還元主義(生物学的変化によって病気を説明して社会的・心理学的要因を無視)
(5)特殊病因論の原則(19世紀の微生物病原説のように、すべての病気がウィルスやバクテリアのように同定可能な特殊な作用因によってひきおこされると考える)
 このような生体臨床医学は、この二十年ほどのあいだに多くの批判にさらされてきた。
(1)医学の有効性は強調されすぎてきた。
(2)身体を社会環境的文脈に位置づけるのに失敗している。
(3)患者を全体的人格ではなく受動的対象としてあつかう。
(4)出産を病気のようにあつかう。
(5)科学的方法によって病気の真実を確認していると想定しているが、じっさいにはそれは社会的に構築されたものである。
(6)医学的専門家支配の存続を許してきた。
 このような論点をカバーするものとして「健康と病気の社会学」が位置づけられる。医学はたしかに身体の経験科学なのだが、こちらも身体の経験科学であることにはちがいないのだ。

医療人類学

 近代医学を相対化し、それに対する各自の信仰的な態度を払拭させるには、非西洋医学の実態を知ることが有効である。その点で医療人類学は大いに参考になる。
 医療人類学のデファクト・スタンダートとしては、G・M・フォスター、B・G・アンダーソン『医療人類学』中川米造監訳(リブロポート一九八七年)。人類学ではあるが、西洋世界の医療のところはほぼ医療社会学とほぼ重なる。コンパクトなものでは、宗田一監修、池田光穂『医療と神々――医療人類学のすすめ』(平凡社一九八九年)の「第二部 医療人類学入門」が百ページほどで系統的に概観を描いている。それに対して、波平恵美子『医療人類学入門』(朝日選書一九九四年)は、短いエッセイを積み上げたような入門書。波平の本はどれも読みやすいので、初学者は彼女の本から入るといいだろう。

社会史的研究とフーコー

 医療人類学が近代医学に対する空間的比較のまなざしをもたらしてくれるのに対して、時間的比較のまなざしをもたらしてくれるのが社会史的な医療研究である。
 クロディーヌ・エルズリッシュ、ジャニーズ・ピエレ『〈病人〉の誕生』小倉孝誠訳(藤原書店一九九二年)はその代表的な研究。理論的には社会構築主義の立場に立った研究である。
 この分野の隆盛を導いたのは何といってもフーコーである。ミッシェル・フーコー『臨床医学の誕生――医学的まなざしの考古学』神谷美恵子訳(みすず書房一九六九年)がここでの文脈に一番近い著作であるが、もともとフーコーは精神医学の批判的研究からその思索を始めた人であり、終生、医学的知識の歴史的構築をめぐって思想を展開した。主要著作の解説書としては、中山元『フーコー入門』(ちくま新書一九九六年)が比較的やさしい。

女性と医療

 B・エーレンライク、D・イングリシュ『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史』長瀬久子訳(法政大学出版局一九九六年)という本がある。原著は二冊あって、それが翻訳では第一部と第二部に編成されているのだが、注目してほしいのは、第二部の「女のやまい――性の政治学と病気」の方だ。典型的なフェミニストのスタイルで論旨は明快。医療においてもまたジェンダー・バイアスの問題が存在することに気づいてほしい。一連の看護婦不足問題も、こうしたジェンダー構造との関係で見ることもできるのではないか。

ヘルシズム(あるいは健康幻想)

 お昼時の「みのもんた」の一言で多くの人たちが右往左往する昨今である。「健康にいい」というフレーズはすべてに優先する。それはもはや現代の民俗宗教である。
 こういう言い方に違和感のある人は、田中聡『健康法と癒しの社会史』(青弓社一九九六年)のような著作を読んでみるといいだろう。健康法についての図版満載の社会史であるが、そこで描かれているのと大して変わりない言説が現在もマス・メディア上で日々生産され続けており、しかも人びとの大きな支持をとりつけている事実に気づくにちがいない。ヘルシズムは医療文化の非常に大きな部分を占めているのである。小野芳朗『〈清潔〉の近代――「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ』(講談社選書メチエ一九九七年)も、近代国家の歩みに即して「国家衛生システム」の展開をたどったもの。よく調べてある。
 こうした状況に批判的なスタンスから論じた文献としては、イヴァン・イリイチ『脱病院化社会――医療の限界』(晶文社一九七九年)が基本書であるが、アーヴィング・ケネス・ゾラ「健康主義と人の能力を奪う医療化」という基本論文がおさめられた、イバン・イリイチ他『専門家時代の幻想』(新評論一九八四年)にもあたりたい。
 このほかにも基本文献は多数あるが、健康概念を対象としている「保健社会学」サイドからの研究書もでている。園田恭一『健康の理論と保健社会学』(東京大学出版会一九九三年)。園田恭一・川田智恵子編『健康観の転換――新しい健康理論の展開』(東京大学出版会一九九三年)。 いずれも公衆衛生学系のテイストの研究書。もちろん論調はかなりちがう。

脳死

 一九九七年に臓器移植法が施行され、日本でも「脳死」の概念が制度的な根拠をもつにいたった。あちらこちらでドナーカードが配布され、臓器移植の準備体制も整いつつある。
「脳死の社会学」はまだ形を整えていないが、脳死を社会関係の文脈の中で考える試みは他の分野ですでに始まっている。森岡正博『脳死の人――生命学の視点から』(福武文庫一九九一年)はその代表的な作品。タイトルに表れているように、脳死を抽象的な議論ではなく、あくまでも人のありようとして考えようとする論考である。
 もうひとつ注目すべきノンフィクションとして、柳田邦男『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(文藝春秋一九九五年)。柳田は著名なノンフィクション作家で医療ジャーナリズムの第一人者だが、これは当事者としての生々しい手記であり、グリーフワークでもある。家族としての視線とジャーナリストとしての視線の交錯する印象深い作品だ。

病院死

 山崎章郎『病院で死ぬということ』(主婦の友社一九九〇年)がベストセラーになり、映画化されたりテレビドラマにもなった。終末期医療が多くの人びとにとって実感のともなうことがらになった、これはそのひとつの証左であろう。エッセイともフィクションともつかぬ語り口をそのまま社会学的思考に組み入れるわけにはいかないが、とりあえず議論の導入として読んでおく必要があるだろう。続編の山崎章郎『続 病院で死ぬということ―そして今、僕はホスピスに』(主婦の友社一九九三年)とともに現在は文春文庫に入っている。
 病院死の問題は社会学でも比較的早い時期に研究されてきた。たとえば最近翻訳のでた、デヴィッド・サドナウ『病院でつくられる死――「死」と「死につつあること」の社会学』岩田啓靖・志村哲郎・山田富秋訳(せりか書房一九九二年)は、一九六七年刊行のエスノグラフィである。Barney G. Glaser, Anselm L. Strauss『死のアウェアネス理論と看護――死の認識と終末期ケア』木下康仁訳(医学書院一九八八年)も原著は一九六五年にでた研究書である。いずれも、このテーマについては広く知られているキュープラー・ロスの『死の瞬間』に先行する。

社会学感覚24−4 患者の権利

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
社会学的患者論

基本構図

 これまでの議論から基本構図を再確認することから話をはじめよう。
従来の医学パラダイム主導の医療において、患者は病者役割としてとらえられ、患者の「最善の利益」を知るとされる医師の判断によって治療がなされてきた。患者はあたかも親にしたがう子どものように医師にしたがうのが自明のことと考えられてきた。ところが、病気の主流が慢性疾患など社会性の強いものに移ってきたために、医学パラダイム主導の医療はさまざまな限界を示すようになった。それにともなって、医療者と患者の関係も変化しつつあり、今後は〈成人-成人モデル〉にならざるをえないと予想される。この変動のなかで浮上してきたのは、医療者の専門性と裁量権に対する、患者の自己決定権――要するに自分のことは自分で決めるということ――である。〈医師の専門家支配〉に対する〈患者の権利〉といってもよい▼1。
 本来、自由な市民として、わたしたちは自分のことは自分で決定する。またその権利がある。医療もその例外ではないということに、わたしたちはながらく気がつかなかった。しかし、慢性疾患や老人性疾患などのように、病者役割よりも障害者役割の方があてはまる病気へと疾病構造のシフトが移動することにともなって、このような意識は過去のものとなる可能性がでてきた。つまり、慢性病患者あるいは障害者は、自分自身のライフスタイルを自分で選択し決定しなければならないのである。その意味で今後、患者の権利の問題はますます重要になるにちがいない。

患者の権利宣言

 患者の権利を宣言した文書がでるようになったのは一九七〇年代になってからである。そのおもなものとして、つぎのようなものがある。
一九七一年「精神薄弱者の権利宣言」[国連]
一九七三年「患者の権利章典」[アメリカ病院協会]
一九七四年「病人憲章」[フランス]
一九七五年「障害者の権利宣言」[国連]
一九八一年「患者の権利に対するリスボン宣言」[世界医師会]
 このうちアメリカ病院協会の「患者の権利章典」は、この分野の代表的なものであり、ひと通りの内容を備えている。これをみることにしよう▼2。
一、患者は、思いやりのある、[人格を]尊重したケアを受ける権利がある。
二、患者は、自分の診断・治療・予後について完全な新しい情報を自分に十分理解できる言葉で伝えられる権利がある。そのような情報を[直接]患者に与えることが医学的見地から適当でないと思われる場合は、その利益を代行する適当な人に伝えられねばならない。患者は、自分に対するケアを調整(コーディネート)する責任をもつ医者は誰であるか、その名前を知る権利がある。
三、患者は、何かの処置や治療をはじめる前に、知らされた上の同意(informed consent)を与えるのに必要な情報を医者から受け取る権利がある。緊急時を除いて、そのような知らされた上の同意のための情報は特定の処置や治療についてだけでなく、医学上重大なリスクや予想される障害がつづく期間にも及ばなくてはならない。ケアや治療について医学的に見て有力な代替の方策がある場合、あるいは患者が医学的に他にも方法があるなら教えてほしいといった場合は、そのような情報を受け取る権利を患者はもっている。
四、患者は、法律が許す範囲で治療を拒絶する権利があり、またその場合には医学的にどういう結果になるかを教えてもらう権利がある。
五、患者は、自分の医療のプログラムに関連して、プライバシーについてあらゆる配慮を求める権利がある。症例検討や専門医の意見を求めることや検査や治療は秘密を守って慎重に行われなくてはならぬ。ケアに直接かかわる医者以外は、患者の許可なしにその場に居合わせてはならない。
六、患者は、自分のケアに関係するすべての通信や記録が守秘されることを期待する権利がある。
七、患者は、病院がそれをすることが不可能でないかぎり、患者のサービス要求に正しく答えることを期待する権利がある。病院は症例の緊急度に応じて評価やサービスや他医への紹介などをしなくてはならない。転院が医学的に可能な場合でも、転院がなぜ必要かということと転院しない場合どういう代案があるかということについて完全な情報と説明とを受けた後でなければ、他施設への転送が行われてはならない。転院を頼まれた側の施設は、ひとまずそれを受け入れなくてはならない。
八、患者は、かかっている病院が自分のケアに関してどのような保健施設や教育機関と連絡がついているかに関する情報を受け取る権利をもっている。患者は、自分を治療している人たちの間にどのような専門職種としての[相互の]かかわり合いが存在するかについての情報をうる権利がある。
九、病院側がケアや治療に影響を与える人体実験を企てる意図がある場合は、患者はそれを通報される権利があるし、その種の研究プロジェクトヘの参加を拒否する権利をもっている。
一〇、患者は、ケアの合理的な連続性を期待する権利がある。患者は、予約時間は何時で医者は誰で診療がどこで行われるかを予め知る権利がある。患者は、退院後の継続的な健康ケアの必要性について、医者またはその代理者から知らされる仕組みを病院が備えていることを期待する権利をもつ。
一一、患者は、どこが医療費を支払うにしても請求書を点検し説明を受ける権利がある。
一二、患者は、自分の患者としての行動に適用される病院の規定・規則を知る権利がある。
 以上が「患者の権利章典」である。つぎに一九八一年の「リスボン宣言」をみることにしよう。訳文は丹羽幸一による▼3。
一、患者は自分の医師を自由に選ぶ権利を有する。
二、患者は何ら外部からの干渉を受けずに自由に臨床的および倫理的判断を下す医師の治療看護を受ける権利を有する。
三、患者は十分な説明を受けた後に治療を受け入れるか、または拒否する権利を有する。
四、患者は自分の医師が患者に関するあらゆる医学的な詳細な事柄の機密的な性質を尊重することを期待する権利を有する。
五、患者は尊厳をもって死を迎える権利を有する。
六、患者は適当な宗教の聖職者の助けを含む精神的および道徳的慰めを受けるか、またはそれを断わる権利を有する。

インフォームド・コンセント

 患者の権利をうたった宣言に共通する要素として、プライバシーの尊重の原則があるが、それとともに重要なのは「知る権利」である。とくに「知らされた上の同意」と訳された「インフォームド・コンセント」が重要な意義をもつ▼4。
 インフォームド・コンセントはもともと、新薬の試験や人体実験など患者を医学的研究の対象とするときの原則として成立した概念だが、今日では患者中心の新しい医療の原則として注目されている。インフォームド・コンセントとは「ヘルス・ケアの提供者が単に患者の同意を求めるだけではなく、医療を行う側と患者との間で、医療の内容を明らかにした上で、十分な討議をするプロセスを通じて、十分な説明を受け理解した上で患者の同意を得るようにするということ」だ▼5。
「十分な」ということが重要で、あくまでも患者との自由なコミュニケーションを徹底させることに主眼がおかれているのがわかる。ジャーナリズム論で論じたこととまったく同じロジックである。ここでも、機能一点張りのシステム合理性に対して、理解と納得などのコミュニケーション独自の合理性がめざされている。今後の医療のすすむべき方向性はここにある。

▼1 専門家支配については22-2参照。
▼2 砂原茂一、前掲書一五〇-一五一ページによる。また、水野肇『インフォームド・コンセント――医療現場における説明と同意』三〇-三三ぺージにも全文が紹介されている。なお[]は砂原の補足。レイアウトの都合上、引用を示すカギは省略した。
▼3 丹羽幸一『よい病院わるい病院』(晶文社一九八六年)二〇二-二〇四ページ。レイアウトの都合上、引用を示すカギは省略。
▼4 「インフォームド・コンセント」は「説明と同意」とも訳される。一九九〇年に水野肇の前掲書が出版されることによって広く知られるようになり、一般にも「インフォームド・コンセント」で通じるようになった。
▼5 一九八三年の「アメリカ大統領委員会・生命倫理総括レポート」の定義。水野肇、前掲書五一ページ。

社会学感覚24−3 新たな〈医者-患者〉関係

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
社会学的患者論

〈医者-患者〉関係のモデル

 ここで話を医療現場に戻そう。従来、医療は、医療を受けている人を〈患者〉としてひとまとめにあつかってきたが、これまでの話からあきらかなように、〈患者=病者〉という素朴なとらえ方では現実をみあやまる危険性がでてきた。それにともなって、医療の原型である〈医者-患者〉関係もみなおされなければならない段階にきている。つまり、医療における人間関係を社会関係としてとらえかえすことが必要になってきた。
 そのような試みのひとつが、T・S・サスとM・H・ホランダーの「医者-患者関係の三つのモデル」である▼1。
(1)能動-受動の関係(activity-passivity)[親-幼児モデル]
重傷・大出血・昏睡など緊急の場合、患者はなにもできない。理解も協力もできない。だから、医師が患者の「最善の利益」を考えて処置する。
(2)指導-協力の関係(guidance-cooperation)[親-年長児モデル]
患者がそれほど重態でない場合、たとえば多くの急性疾患の場合、患者は病気ではあるが、なにがおこっているかを自分でもよく知っており、医師の指示にしたがう能力も、ある程度の判断を下す能力ももっている。病気をなおすために積極的に医者に協力できる段階である。
(3)相互参加の関係(mutual participation)[成人-成人モデル]
 糖尿病や高血圧などの慢性疾患に妥当するタイプ。この場合、患者自身が治療プログラムを実行するわけで、医師は相談にのることによって患者の自助活動を支援するだけである。
 サスとホランダーは、それぞれの症状に応じて適切な〈医者-患者〉関係があると考えたようだが、砂原茂一のいうように、これからの医療の基本になるのは、両者がパートナー関係を築く「成人-成人モデル」だといっていいだろう。その理由はすでに説明した通りである。

組織医療と葛藤構造

 以上の議論は理念型としては意味があるが、しかし、問題がないわけではない。第一の問題点は、〈医者-患者〉というダイアディックなモデル[二者関係モデル]が、組織医療あるいはチーム医療を中心とする医療組織の実状にあわないことだ。現在、医療組織には薬剤師・看護婦・理学療養士など約三十種の医療関係業種に携わる人びとがいる。医師は別格とはいえ、患者の側からみれば、さまざまな医療関係者のひとりにすぎない。その意味で、組織医療における〈医療者-患者〉の複合的な関係を問い直すことが今後必要だろう。とりわけ組織医療は医療責任の分散を招く傾向があり、一種の集合的無責任が生まれる可能性をもっている▼2。もはや一対一の関係として〈医者-患者〉関係を考えることは現実的でなくなりつつある。
 第二の問題点は、どのモデルも医者と患者の役割が相互に補完しあい調和している場合を想定していることだ。しかし、社会関係に葛藤はつきものであり、とりわけ医者と患者のあいだに「期待の衝突」(フリードソン)があるのはむしろふつうのことである▼3。たとえ医療者側が治療共同体としてのまとまりをもっていたとしても、患者側はまったくの白紙状態で医療に関わっていくわけでなく、あらかじめ素人どうしで相談しあい、あらかたの予想を立てたうえで受療行動をおこすことが確認されている▼4。そのため、医療の現場は、医師をふくむ医療者のシステムと、患者をふくむ素人のシステムとの衝突の場となる。価値観の対立・関心のすれちがい・異文化間コミュニケーション――このような葛藤構造を考慮することもまた必要なのである▼5。
 以上のように、じっさいの〈医療者-患者〉関係は、第一に複合的であり、第二に葛藤的である。このような関係のなかで、患者のあり方を見直してみる必要がありそうだ。最後にそれについて考えておこう。

▼1 サスはハンガリー生まれの精神医学者で、精神病の存在そのものを否定する反精神病学派の代表的人物。なお、これから紹介するオリジナル論文には邦訳がないので、くわしくはつぎの紹介を参照されたい。砂原茂一、前掲書四五-五〇ページ。米林喜男「医師-患者関係」園田恭一・米林喜男編、前掲書一六五-一八二ぺージ。フリーマンほか編、前掲書二七五-二七七ページ。
▼2 組織の「集合的無責任」については14-4参照。
▼3 前掲書二七八ぺージ。
▼4 これを「素人仲間での参照システム」(lay referral system)という。前掲書二七九ページ。
▼5 このような葛藤構造は具体的に「問診」にあらわれる。問診の現場を観察してみると、医師は積極的に患者の発言をうながしたり打ちきったりしてコミュニケーションを統制する。その結果、患者の〈声〉は抑圧されることが多い。この点については、栗岡幹英「問診分析と社会理論」『現代の社会病理V』(垣内出版一九九〇年)が批判的に紹介している。

社会学感覚24−2 病者役割と障害者役割

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
社会学的患者論

病気と障害の混同

 医学パラダイムの限界として提示したことを別の局面からみると、病気と健康の対概念のあいだにもうひとつの大きなカテゴリーが広がっていると考えることができる。それは〈障害〉である。いわゆる病気でもなく健康でもない――あるいは病気でもあり健康でもある――〈障害〉の領域が今日決定的に大きな意義をもつようになっている。
 これに対して、伝統的な医学パラダイムでは、病気と障害の区別、そして病者と障害者の位置づけがはっきりしていなかった。従来の慢性疾患や老人医療において処置が不適切な場合が多かったのはこのためである。またこれに呼応して一般の人びとも両者を混同している▼1。
 そこで必要なのは、現代の疾病構造に対応して、病気と障害、病者と障害者の概念をはっきりさせていくことである。これまで医学・リハビリテーション医学・社会医学・看護学・社会福祉論・医療社会学などさまざまな分野の論者がこの概念の区分をしているが、おどろくことに、その多くは共通して伝統的な社会学の役割理論から出発している。ここでそれらの議論を整理してみよう。

病者役割

 議論の出発点になるのは、パーソンズの「病者役割」(sick role)概念である▼2。かれによると、病者役割は四つの側面から構成される。まず第一に、病者は正規の社会的役割を免除される。その免除の度合いは病気の程度によって異なり、医師はそれらを判断し保証し合法化する役割を果たす。第二に、病者は自己のおかれた立場や条件について責任をもたない。つまり、病者はみずから好んで病気になったのでもないし、自分の意志でなおすわけにもいかない。その意味で病者は無力であるから、他人の援助を受ける権利がある。第三に、病者は早く回復しようと努力しなければならない。というのは、そもそも病気は本人にとっても社会にとっても望ましくないものだからである。そして第四に、病者は専門的援助を求め、医師に協力しなければならない。つまり、病者は自分で直すことはできないのだから医師の援助を求める義務があるというわけである。
 以上のように「病者」は、一時的に社会的役割とそれにともなう社会的責任や社会的義務を免除された人間であるとされる。つまり、通常の社会的役割を遂行しえない逸脱者と定義される。
 パーソンズのこの理念型はたしかに西欧文化にもとづいているが、ある程度は近代社会全般にいえることだと考えられる。それは、学校や企業などの公的な組織においてひとたび病者役割が認められると欠席に正当性があたえられることからもあきらかである。他方、こうした正当性を利用するさまざまな形態がある。たとえば授業をエスケープしたい生徒は学校の保健室というサンクチュアリー[聖域]を利用することができるし、兵役拒否に診断書が使われたり、政治的な意図で病院へ一時避難したりすることもしばしばおこなわれる。スターリン時代の旧ソ連では、生産目標が過大に設定されていたために農民出身の労働者たちは非常に苦しんだ。そこでかれらは積極的に病者役割を認めてもらって(つまり医者から病気と診断してもらって)過酷な労働の義務から免除してもらおうとした。つまり診断書が一種の免罪符の機能を果たした。そのため、政治指導部は医師のこうした診断数を制限したという▼3。
 病者役割概念は一種の理念型であるが、人びとが現実に使用する常識的知識にその対応物が存在するのはある程度まではたしかなことだ。患者となった人びとの多くは、病者役割にふくまれた権利と義務を受け入れているし、医師や看護婦などの医療関係者の多くも、患者となった人びとにこのような役割を期待し、自分たちの役割もそれに対応して定義する。また病院の組織文化も、基本的に上記の病者役割を基準に編成されている。つまり、患者はまったく平等に、その主要な社会的役割から一時的に離脱した者として定義される。治療を求めて病院にやってきた人びとに対して、なによりもまず病院がすることは〈社会学的に羊の毛を刈る〉ことである▼4。

慢性疾患などの場合

 パーソンズが定式化した病者役割概念の功績は、〈病人である〉ということが自然現象であるとともに、すぐれて社会現象でもあることを明確に示したことである。しかし、そこにはいくつかの問題があった。
 そのひとつが前節でのべた慢性疾患・老人性疾患・精神疾患などの増加である。ここではそれらを慢性疾患に代表させて論じることにしたいが、慢性疾患は急性疾患とちがって苦痛のないことも多いし、症状も断続的なことが多い。また〈治療〉も社会生活のなかでおこなわれる。したがって、慢性疾患患者は病気を抱えながらも通常の社会的役割を果たしていくことが多い。こういう人びとを一律に役割から免除することは、それが一時的なものではないがゆえに、本人にとってかならずしも利益とならないばかりか一種の差別となる場合さえ考えられる。ところが伝統的な医療組織では、かれらに対してむりに病者役割を適用してきたきらいがある。その結果、患者の方はそうした病者役割の受け入れに抵抗して「不良患者」となってしまうケースも少なくない。これは老人性疾患や精神疾患にも大なり小なりいえることである。
 では、どう考えればよいのだろうか。

障害者役割

 慢性疾患患者の心身機能が障害されている場合は、ジェラルド・ゴードンが提唱した「障害者役割」(impaired role)にあてはめてとらえるべきだろう▼5。
 ルース・ウーによると、障害者役割とは、第一に「その人の状態がもつ範囲内で、ある役割義務を引き受ける能力や責務のこと」である▼6。当然、障害のある人の行動のレパートリーは制限され、健康者役割[健常者役割]とはちがったものになる。しかし、病者役割のように行動を一時的に制限・免除されはしない。障害者役割にあるのは基本的に能力に対応した役割の修正である。第二に、障害者役割には、能力低下を補う道具的依存がふくまれる。この場合の依存とは、たとえば盲導犬であり補聴器であり車イスであり、あるいはまた血糖値を下げるための特別メニューであって、病者役割にふくまれるような心理的依存ではない。第三に、障害者役割には、自分の状態の共同管理者であることが期待される。医療専門家の生活指導によって自己管理することである。第四に、目下のところ障害者役割には自分自身のPR担当者であることもまた役割期待されている▼7。
 中村隆一はリハビリテーション医学系の別の文献を用いて「障害者役割」を定義している▼8。
(1)自己の社会的不利に対して忍耐強く打ち勝つこと。
(2)能力低下に適応すること。
(3)障害されていない身体機能を用いて、能力低下の代償を行うこと。
(4)ある程度まで仕事を行い、社会的に活動性を高めること。
 誤解しないでいただきたいが、これは理論の問題ではなく、社会のなかに常識として流通している知識の問題である。つまり、人びとが、慢性疾患にかかった人や老いによって老人性疾患にかかった人をどのようにみるか、どのような人物と定義するか、そして当人はどのように自己を定義して行動するか、これらの人びとのために社会がどのような配慮をするか――このような判断の基準となる〈常識的知識〉が問われているのである。
 現代日本では、障害者という類型は、おもに人生初期に障害者になった人に対して適用され、老いや慢性疾患によって人生後期に障害者になった人に対してはあいまいな適用のされ方をしているのではなかろうか▼9。医療組織においても、多くの慢性疾患患者は病者役割と障害者役割の二重性のなかにある。どちらの役割をとるべきなのか、本人・医師・家族が迷っているのが現状である。伝統的な近代医療では、いまなお病者役割を中心に編成されているが、リハビリテーション医学ではすでに障害者役割が中心におかれているようだ。一方、企業組織はあいも変わらず健常者役割中心で、病者役割は一時的なこととして認知されているにしても、障害者役割は組織編成から徹底的に排除されている▼10。そういう意味で現代日本社会は過渡期であり変動期にあると考えられる。その目下の課題は、障害者役割を社会再構成の基本原理にすえることである。

障害の定義

 そもそも〈障害〉とはなんだろう。WHO[世界保健機構]の定義をみることにしよう▼11。
 障害は、器官レベル・個人レベル・社会レベルの三つのレベルにわけられる。
(1)機能障害(impairment)[障害の一次的レベル]――疾病から直接生じてくる生物学的なレベル。
(2)能力低下(disability)[二次的レベル]――通常当然おこなうことができると考えられる行為が制限されるか、できない状態。
(3)社会的不利(handicap)[三次的レベル]――疾患の結果、かつてもっていたか、当然保障されるべき基本的人権の行使が、制約または妨げられ、正当な社会的役割を果たせないこと。
 このように三つのレベルを分析的に区別することによって、障害の本質がみえてくる。たとえば、片足を切断した人の場合、機能障害のレベルでは、ひざから下がないことである。能力低下のレベルは、そのままでは歩けないということだ。そして社会的不利のレベルは、一部の肉体労働やラッシュ時の通勤の困難を理由として会社勤務ができなくなるということに相当する。たいせつなことは、この三つのレベルが自動的に連鎖するとはかぎらないということだ。片足がなくても、車イスや松葉杖を使用して移動することは可能であるし、サッカーはできないにしても座って作業する労働や事務労働については支障はない。
要は、障害と社会環境の関係なのである。かつてヘレン・ケラーが的確に指摘したように「障害は不自由ではあるが不幸ではない。障害者を不幸にしているのは社会である。」つまり、機能障害が能力低下や社会的不利に連鎖するかどうかは、社会の価値観・文化のあり方しだいである▼12。
 これまで障害者は「少数派」「例外」と考えられることが多かった。とりわけ産業界・企業組織ではそうだった。しかし、これまでのべてきたように、障害者役割として定義すべき人びとは、じつはけっして「少数派」でもなければ「例外」でもない。むしろそれは一般的なことといっていいだろう。すなわち、疾病構造からいえば、慢性疾患の増大であり、それをふくめて不慮の事故など社会的条件による疾病や障害の増大であり、高齢化による老年性障害の増大の事実としてあらわれている。とりわけ老いの問題は普遍的なものであり、現代社会がそれらを回避してきたことの方がむしろ特殊なのである▼13。
 社会福祉の領域はもちろんのこと、医療の領域においても、障害の概念は今後ますます大きな意義をもってくると、わたしは考えている。

▼1 中村隆一、前掲書八-一二ページ。リハビリテーション医学の専門家である中村隆一によると、病気と障害は本来異なるものだが、しばしば混同されるという。たとえば、「脳卒中によって半身不随になった人は、脳血管をはじめとして脳におこった病気が治まった後にも、自分を半身不随の障害者とは考えずに、脳卒中である――いわば病者であると考えることも多い。また脳性麻痺のような障害児の両親も自分たちの子供は病気であると信じて、障害児であるという見方を受け入れない場合がある」という。前掲書九ページ。わたしのみるかぎり、リハビリテーション医学は従来的な医学パラダイムとは異なるパラダイムに立っているようだ。本章で準拠している砂原茂一と中村隆一はともにリハビリテーション医学者である。
▼2 パーソンズ、佐藤勉訳『社会体系論』(青木書店一九七四年)四三二-四三三ページ。なお訳書では「病人役割」と訳されている。
▼3 フリーマンほか編、前掲訳書一一六ページ。W・シュルフター、米沢和彦・嘉目克彦訳『現世支配の合理主義――マックス・ヴェーバー研究』(未来社一九八四年)「医療の正当化問題」三六五ページ。なお、これらの事例はいずれも病者役割の二次的利得(secondary gain)をねらったもので、「逸脱した病者役割行動」と位置づけられる。
▼4 ルース・ウー、岡堂哲雄監訳『病気と患者の行動』(医歯薬出版一九七五年)二〇二ぺージ以下。
▼5 ゴードンのオリジナル論文の翻訳はない。しかし、この概念のくわしい解説と展開については、ウーの前掲書第十章「障害者役割行動」が看護学の立場から論じている。ここでもそれを参照した。この本で提示されている考え方は医療社会学(あるいは看護社会学)でももっと採用されてよいものだと思う。
▼6 前掲書二二六ぺージ。
▼7 前掲書二二五-二二八ぺージ。
▼8 中村隆一、前掲書一九ページ。
▼9 ウーは、おそらくアメリカ社会についてであるが、つぎのようにのべている。「障害者役割行動の多様性やかなりの予測不可能性をまねくもっとも重要な因子は、障害のある人に対して一定の制度化された規範がないことである。病者や障害のない人の動作の基準があるのと同様には、障害者のための統一的で明確な規則はない。」ウー、前掲書二二八ぺージ。
▼10 20-1参照。
▼11 砂原茂一、前掲書一三-一四ページ。
▼12 たとえば、色盲の人は運転免許をとれないが、牧口一二によると、これは信号を色だけで区別させている現行の信号システムが悪いという。信号を丸だけではなく、赤信号は四角青信号は丸、黄色は三角にすれば、問題はかんたんに解決する。それだけの配慮と社会的負担を社会がひきうけるかどうか、問題はそっちにある。牧口一二「日常生活における障害者への差別語」生瀬克己編『障害者と差別語――健常者への問いかけ』(明石書房一九八六年)八九ページ。
▼13 大野智也『障害者は、いま』(岩波新書一九八八年)によると、日本の障害者概念はきわめて小さくとられているという。大野によると、日本の障害者の割合はスウェーデンの八分の一である。これは障害者が少ないのではなく、その概念がきわめて小さくとってあるためである。それは福祉予算圧縮の便法であり、社会福祉に対する考えがあらわれているといえる。一〇ページ以下参照。

社会学感覚24−1 医学パラダイムの成果と限界

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
社会学的患者論

医学パラダイムの成果

 これからますます重みをましてゆくと思われる社会問題のひとつとして医療問題がある。医療はおそらく今後十年間にもっとも変動の激しい社会領域となることが予想され、すでに市民共通の課題として立ちあらわれつつある。そこで本章では、医療社会学および社会医学の成果のうちから、おもに患者に関するものを紹介しつつ、現代の医療が直面する諸問題について社会学的に考えていきたい▼1。
 さて、医療活動の中心的役割を担っているのは医師である。医師は近代医学を学んだ者である。近代医学は自然科学の一分野である。これらのことは自明なことのようにみえる。しかし歴史的にみるかぎり、近代医学が医療の中心になったのは、たかだか十九世紀のことにすぎない。そして現在、医療の中軸はふたたび歴史的転機を迎えようとしている。
近代医学は自然科学のパラダイムの上に成り立っている。パラダイム(paradigm)とは、科学者集団が大前提とする〈ものの見方〉を意味する科学社会学上の用語である。たとえば、天動説と地動説、ニュートン力学と相対性理論が代表的なパラダイムである。いわば公理的枠組、学界の常識のことである▼2。近代医学の場合、症候から病理過程にさかのぼって病因を確定するというぐあいに、因果連鎖をさかのぼっていくというのが主要なパラダイムといっていいだろう。こうして疾患名を確定することを「診断」といい、これにもとづいて病因をのぞき、病理過程を正常に修復することを「治療」という▼3。
 多くの急性疾患は、近代医学のこのようなパラダイムによる研究と努力によって征服されてきた。たとえば、先進諸国においておもな急性伝染病は駆逐され、かつては死を意味した肺炎や結核なども格段に治療法がすすんだ。このように、その成果を否定することは当然できないし、その意義はいぜんとして大きい。しかし、現在、この医学パラダイムは内外からいくつかの問題に直面している。パラダイムの内部問題と外部問題として整理してみよう。

医学パラダイム内部の問題点

 近年の医療批判に「患者不在の医療」「こまぎれ医療」がある。これらは、よくいわれるような「たまたま現代医療が堕落しているからこうなった」といった性質のものではない。いずれも近代医学パラダイム内部から必然的にでてくる問題である。
 第一に、近代医学パラダイムは、まず病気と患者を分離して考える。そして病気[疾患]の方を徹底的に分析していくわけである。したがって、医師が科学的であろうとすればするほど、患者の〈人間〉の側面を捨象して〈疾患〉だけを細かくみていこうとする。検査データはなるべく多い方がいいという発想もここに由来するし、教科書的にあつかいやすい〈疾患〉だけをみることになりがちなのはむしろ当然といえる▼4。
第二に、医学パラダイムは他の多くの自然科学と同様、全体を部分に分解してこまかく分析することによって真理に到達すると考える。そして「部分の欠陥を的確に指摘し、巧みに修理すればたちどころに全体としての人間が元通りになるはずであるという信念」に支えられている▼5。その結果、臓器別に診療科が細分化され、部品修理的医療すなわち「こまぎれ医療」へ傾斜しがちになる。現在、東洋医学が人びとの共感をえているが、それは西洋医学のこうした傾向に対して東洋医学が総合性をもつからである。

医学パラダイム外部の問題点

 他方、医学パラダイムの外部においても、すっかり状況が変わってしまった。それは疾病構造の変化である。園田恭一のまとめによると、それはつぎのようなことをあらわしている▼6。
 第一に、近代医学の進歩によって多くの急性疾患を克服した結果、あとに慢性疾患が残ってしまった。慢性疾患とは、ガン・脳血管疾患・心疾患などのいわゆる成人病である。つまり〈急性疾患から慢性疾患へ〉と疾病構造が根本的に変化した。第二に、社会的要因による傷病が増大している。つまり、交通事故・労働災害・突然死のような不慮の死が一九六〇年代後半以降、死亡順位の第四位か第五位を占めるようになってしまった。第三に、受診者数をみるかぎり精神障害者が高血圧なみに急増している。第四に、高齢化にともなう老人性疾患の増加がある。
慢性疾患・事故・精神障害・老人性疾患へと疾病構造が変化したことによって、これまでの医学パラダイム中心の医療では対応がむずかしくなっている。
 まず、慢性疾患の場合、それらは原則的に治らない病気である。だから、病気とうまくつきあいながら一病息災にもちこむ以外にない。そのさい重要なのは患者自身の自己管理である。このとき医療はアドバイザーにすぎない。慢性疾患の場合、ほとんどの患者は社会生活を続行するから、そのなかで生活指導をしていかなければならない。このように、慢性疾患の管理は急性疾患の治療とまったく異なるプロセスになってくる。となると、病因をみつけ病院で集中的に教科書通りの治療をすればかならずよくなるという急性疾患治療の前提はくずれさる。このように、もはや「病気」の概念が伝統的な医学パラダイムをこえてしまっているのだ▼7。
 これは老人性疾患の場合もほぼ同様である。従来の医学では老人性疾患に対してしかるべき対応ができなかった。つまり、老人を隔離し寝たきり状態にして濃厚医療をほどこすしかなかったのである。これは急性疾患中心の医学パラダイムからすると当然の処置だったといえよう。しかし、大熊一夫のルポルタージュが示すように、それがいかに人間の尊厳を傷つけるものだったかは想像に絶する▼8。
 また、事故による傷病の増加の背景にあるのは、あきらかに社会生活の問題である。これについては多言を要しないだろう。他方、精神疾患もまた社会生活の問題と密接に関連していることは強調しておいてよい。重要なのは、精神疾患の多くのものは他の病気のように身体の病理的変化を前提に「病気」を定義できないという問題である。社会学ではこれを逸脱的な「ラベル」あるいは「役割」と考える立場もあるほどだ▼9。
 いずれにしても、自然科学としての医学パラダイムでは処理しきれない局面をこれらはもっている。それを一言でいえば〈プロセスとしての社会生活〉ということである。
 慢性疾患・老人性疾患・精神疾患の場合、〈治療〉は社会生活のなかにある。それは〈治療〉というより、〈コントロール〉または〈生活復帰〉というべきプロセスである。それは一方では、原因となった労働条件や生活条件、食事・タバコ・アルコール・運動不足などの生活習慣、人間関係によるストレスなどを改善し、場合によってはリハビリテーションによって生活能力を高めていくプロセスであり、他方では、身体的ならびに精神的障害が社会的差別につながらないような社会環境をつくりあげていくプロセスでもある。つまり、急性疾患の場合のようにただ個人を治すのではなく、社会がそれにあわせて適応するような側面も要請されるということである。
 このような〈プロセスとしての社会生活〉に対して、医学パラダイムが対処できないのは当然のことだ。医療と福祉の有機的連関や、医療への社会科学の導入をふくむ「医療の社会化」が求められるゆえんである▼10。

▼1 医療社会学のおもな概説書としてつぎのものがあり、本章でもこれらを参照した。H・E・フリーマン、S・レヴァイン、L・G・リーダー編、日野原重明・橋本正己・杉政孝監訳『医療社会学』(医歯薬出版一九七五年)。七〇年代初頭のアメリカ医療社会学の集大成的な大著。目下、日本語で読める医療社会学文献のうち、もっともくわしく知識量の多いものである。日本の医療を論じたものとしては、園田恭一・米林喜男編『保健医療の社会学――健康生活の社会的条件』(有斐閣選書一九八三年)。より社会学サイドのものとして、進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)。また、医学の側から社会学的視点を導入する「社会医学」系の文献も参照した。一般的なものとして、砂原茂一『医者と患者と病院と』(岩波新書一九八三年)。また中川米造の一連の著作も参照した。
▼2 パラダイム概念の提唱者はクーンである。トーマス・S・クーン、中山茂訳『科学革命の構造』(みすず書房一九七一年)。
▼3 中村隆一『病気と障害、そして健康――新しいモデルを求めて』(海鳴社一九八三年)二〇-三二ページ。
▼4 砂原茂一、前掲書五四ページ以下。
▼5 前掲書七三ページ。
▼6 園田恭一・米林喜男編、前掲書三-五ページ。
▼7 水野肇『インフォームド・コンセント――医療現場における説明と同意』(中公新書一九九〇年)第六章「慢性疾患の生活管理」参照。また、中村隆一、前掲書第五章「慢性疾患の諸問題」を参照のこと。
▼8 大熊一夫『ルポ老人病棟』(朝日新聞社一九八八年)。
▼9 トマス・J・シェフ、市川孝一・真田孝昭訳『狂気の烙印――精神病の社会学』(誠信書房一九七九年)。
▼10 本論では省略するが、医学パラダイムがその限界性を示すもうひとつの重要な問題は「死」である。脳死、臓器移植、ターミナル・ケア、尊厳死などの問題はもちろん医療の問題だが、もはや従来的な医学パラダイムの守備範囲をこえてしまっている。この側面については、文化人類学者の波平恵美子の著作が注目される。これは本来、社会学者がやってよい仕事である。波平恵美子『脳死・臓器移植・がん告知――死と医療の人類学』(福武文庫一九九〇年)。波平恵美子『病と死の文化――現代医療の人類学』(朝日選書一九九〇年)。また「死の社会学」の古典的研究として、有名な「死のポルノグラフィー」をふくんだ、ジェフリー・ゴーラーの『現代イギリスにおける死と悲嘆と哀悼』がある。これはつぎのタイトルで邦訳されている。G・ゴーラー、宇都宮輝夫訳『死と悲しみの社会学』(ヨルダン社一九八六年)

社会学感覚23−増補 薬害エイズ事件の社会問題化

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
薬害問題の構造

 本書初版発行当時は日本社会が「薬害」ということばを忘れていたころで、現代用語事典にも「薬害」という項目はなかった。もちろん社会学のテキストに薬害の章を設定するというのも異例のことだったと思う。しかし、まさにこの時期に薬害エイズ事件は法廷において裁かれつつあったのである。
 初版執筆当時、薬害エイズについての情報は限られていた。系統的なものとしては、毎日新聞の一連の薬害エイズ報道がほとんど唯一のもので、そのため本書では「薬害」の章ではなく「スティグマ論」の中(四三六ページ)で患者差別問題としてだけ取り扱っておいた。当時は原因について自信がなかったからである。
 その後、朝の番組などでいちはやく薬害エイズをとりあげていたNHKのディレクターが書いた、池田恵理子『エイズと生きる時代』(岩波新書一九九三年)と、写真家の広河隆一『日本のエイズ―――薬害の犠牲者たち』(徳間書房一九九三年)によって全貌が明らかになってきた。広河隆一の本はその後『薬害エイズの真相』(徳間文庫一九九六年)に文庫化されている。広河には、七三一部隊と日本の医学薬学界の密接な関連について詳しく調べた『エイズからの告発』(徳間書房一九九二年)もある。
 一九八八年二月から四カ月間続いた毎日新聞のエイズキャンペーン報道の記録は、毎日新聞社会部『薬害エイズ 奪われた未来』(毎日新聞社一九九六年)にまとめられている。これは、それまでのセンセーショナルな報道とは異なる画期的な調査報道で、今日頻繁に引用されている一九八三年当時についての関係者の発言の多くはここでなされたものである。今から振り返ると、HIV感染の薬害性はじつはこの段階でほぼ明確になっていたといえる[さらに先駆的なものとしては、ルポライターの池田房雄の本がある。池田房雄『白い血液――エイズ上陸と日本の血液産業』(潮出版社一九八五年)]。
 以上をコンパクトに整理したパンフレットとして、広河隆一『薬害エイズ』(岩波ブックレット一九九五年)。また、櫻井よしこ『エイズ犯罪―――血友病患者の悲劇』(中央公論社一九九四年)は、事件の関係者の取材がていねいで評判を呼んだ本。HIV訴訟について詳しく述べられている。片平洌彦『構造薬害』(人間選書・農山漁村文化協会一九九四年)は、医学者の立場から薬害の構造を分析したもの。おもにスモン事件と薬害エイズ問題が分析されている。資料性も高い。

薬害エイズとは何か

 いわゆる「薬害エイズ」とは、輸入非加熱血液製剤による血友病患者の大規模なHIV感染のことである。輸入非加熱血液製剤とは、主にアメリカから輸入されていた血液製剤で、血友病の治療に使われていた。それ以前のクリオ製剤に対して濃縮製剤とも呼ばれる。非加熱とは文字どおり「加熱処理していない」ということで、そのためにHIVの感染が生じた。血液製剤とは血液から特定の成分を抜き出して白い粉にしたもので、これを蒸留水で溶かして点滴する。血友病とは血液に凝固成分が不足している遺伝病で、男性にしか現れない。日本の患者数は五千人。性感染ルートばかりが強調されてきたエイズだが、日本のエイズは輸入非加熱血液製剤による薬害として始まった。一九八八年二月の段階で日本のHIV感染者の九三パーセントがこの血液製剤被害者だった。当時アメリカではHIV感染者全体の一パーセントほどだったというから、ここに顕著な日本的特徴を見ることができる。

薬害エイズ事件の経過

 上記の資料をもとに事件の経過を整理してみよう。和解までの薬害エイズ事件のプロセスは、ほぼ五つの段階に整理することができる。
(1)前史―――血友病治療の歴史
 この事件はエイズが登場する前から始まっているといっていい。大量感染の節目に当たる一九八三年当時に専門医たちがなぜあのような行動をとったのかについてのカギはじつはここにある。一九七〇年までの治療はもっぱら輸血によっていたが、クリオ製剤が使われるようになって血友病患者は「ふつうの生活」が可能になった。一九七八年から非加熱の濃縮製剤が導入され、非常にかんたんに治療が可能になる。と同時に、予防投与と家庭療法(自己注射)のワンセットとして濃縮製剤が導入される。
 すでにこの段階で問題はあった。クリオ製剤はひとりか数人の血液からひとり分の製剤をつくるが、濃縮製剤は数千人分の大量の血液を一挙に処理するために、大量感染が発生しやすい。じっさい初期からC型肝炎ウィルスの大量感染が生じており、濃縮製剤導入の段階から薬害はすでに始まっていた。
(2)HIV大量感染
 一九八二年七月にはアメリカで三人の血友病患者がエイズ発症している。この段階ですでに感染経路として血液製剤が疑われている。一九八三年三月、アメリカ政府は、血液製剤を作っている製薬会社に対して、エイズに感染している可能性のある人たちの血液を使わないように勧告。製薬会社(トラベノール社)は、加熱処理した血液製剤をいち早く開発し製造販売認可される。じつはこれ、もともとは肝炎ウィルス対策として開発されていたものだった。これ以降、アメリカでは加熱血液製剤へ切り替わる。その結果、あまった非加熱製剤が市場を求めて日本に殺到することになる。
 日本では、おりしもこの年の二月に血液製剤を使用する家庭療法が厚生省に認可され健康保険で認められたばかりだった。このタイミングが多くの専門医たちの判断を誤らせることになる。つまり、「ようやくここまできたのに」という思いが結果的に安全性軽視の道を選ばせることになる。
 当時、非加熱血液製剤に危機意識をもっていたといわれている厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は、一九八三年六月、エイズ研究班を発足させる。安部英(たけし)帝京大学教授を班長とし、おもに血友病専門医中心の人選だった。とくに血液製剤対策を担当する小委員会は安部門下で構成され、安部英教授の強力な指導に基づいて具体的な対策が講じられる。というよりも、結局何も緊急対策といったものをしなかった。
 クリオから濃縮製剤への切り替えと予防投与の普及キャンペーン、そしてHIVの登場、この最悪のタイミングに適切な手を打とうとしなかった専門家たち、それを後押しする利益団体―――こうして血友病患者へのHIV大量感染が生じた。
 基本的には、この大量感染は一九八三年から始まり、一九八五年七月に血友病Aの第八因子製剤認可され一九八五年十二月に血友病Bの第九因子製剤認可されるまで続く。しかも、郡司課長の後任にあたる松村明仁課長は、加熱製剤の登場後も非加熱製剤の回収命令をださず、出回っていた非加熱製剤はその後も使い続けられ、感染者をさらに増加させた。
(3)患者差別
 あらゆる薬害事件がそうであるように、悲劇は二重三重になって被害者たちを襲う。第一の悲劇は血友病という病気もしくは障害。第二の悲劇はそれを治療するために投与した非加熱血液製剤による肝炎ウィルスとHIVの感染。そしてここから第三の悲劇が始まる。それは「感染する」という畏れから生じる社会的な患者差別である。
 本格的なエイズ報道が始まるのは一九八五年三月の「エイズ1号患者」報道からといってよい。朝日新聞はそれを血友病患者であるとスクープするが、その翌々日に厚生省が男性同性愛者を「1号患者」と発表するあたりからである。
 そして一九八六年から八七年にかけて、いわゆる「エイズ・パニック」が連続的に生じる。「フィリピンから出稼ぎに来ていた21才の女性が、日本に来る前に受けたエイズの抗体検査で陽性とでた」とのマニラ発共同通信のニュースから始まる「松本事件」。エイズ・女性・売買春とセンセーショナリズムを煽る要素がそろい踏みした。一九八七年一月には神戸で初めて日本女性のエイズ患者が確認されたと報告したことから始まる「神戸事件」。ここでエイズ・女性・売買春に日本人という要素が加わる。ここから多くの日本人はエイズを自分のこととして理解し始めたといえる。一九八七年二月「高知事件」。HIV感染者の血友病患者が交通事故を起こしたのがきっかけで、この人と交際のあった女性がHIVに感染していたことが判明し、しかもその人は別の男性と結婚して妊娠中だったとのニュース。
 こうして「感染源としての血友病患者」のイメージが日本社会に無反省のまま蔓延することになる。血友病患者はそれだけで魔女狩りの対象となった。その結果、被害者の人たちは、「被害者」とみなされるどころか、社会にエイズを振りまく「加害者」として排除されることになる。医療機関から診療拒否、解雇、開店休業、さまざまな念書、通園禁止、受験願書受け付け拒否……。あらゆる社会的場面から不当な差別を受けることになる。
(4)HIV訴訟
 第四段階は、被害者の人たちが国と製薬会社の責任を求めて東京と大阪で訴訟を起こしたことに始まる。この裁判過程が「薬害エイズ」の存在を広く社会的に認知させることになる。直接的なきっかけは、一九八八年十二月のエイズ予防法成立だった。強行採決された予防法に対して血友病患者団体は反対。それは患者の人権をないがしろしていたものだったからだ。もうひとつは、一九八八年の四カ月にわたる毎日新聞のエイズキャンペーン報道。これは世論づくりに大きく作用したと考えられる。
 一九八九年五月、HIV訴訟。一九九四年にはこの訴訟とは別に、安部英帝京大学副学長が殺人未遂容疑で東京地検に刑事告発されている(一九九六年一月に殺人罪に切り替え)。
(5)和解
 一九九五年十月、東京地裁と大阪地裁が和解を勧告。基本的には国と製薬会社の責任がほぼ立証されたこと、そして原告の厳しい時間的制約が背景にある。一九九六年一月、就任したばかりの菅厚生大臣が省内に調査プロジェクトを設置し、二月には、長年「存在しない」といわれていたいわゆる「郡司ファイル」が公表される。二月中旬、原告被害者の厚生省前すわり込み、その最終日に厚生大臣が法的責任を認めて被害者に謝罪し、三月確認書をもって和解した。
 その後、東京地検は安部・前帝京大学副学長を逮捕。続いて大阪地検はミドリ十字社の歴代社長三人を逮捕、さらに東京地検は松村・元生物製剤課長を逮捕した。

院内感染

 富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)によって一躍「院内感染」ということばが普及し、一気に社会問題化した。ふつう「院内感染」は薬害には入れないが、抗生物質の過剰な使用が根本的な原因であることを考えれば、これもまた薬害の新しい現象形態である。この本は、夫を院内感染で亡くした妻がその原因を独力で追及していくプロセスを記録したもの。スモン事件の場合も何冊かベストセラーになったが、薬害問題の当事者や家族による手記はどれも心を揺すぶられるもの。それはたんに「お涙頂戴」ということではなく、そこからでないと見えないことがあまりに多いことに気づくからだ。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)は続編。こちらはその後の対策と背景的分析が主な内容になっている。三冊目の『院内感染のゆくえ』もふくめて、いずれも河出文庫に入っている。

陣痛促進剤

 舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)は社会学者の本。「誕生日を決める薬」として陣痛促進剤の問題がとりあげられている。今の産科の事故の多くはこの薬がからんでいるところが大きいといわれているが、あまり知られていないのではないだろうか。欧米とくにアメリカではハイリスク分娩にしか使用されていないこの薬が、日本では病院の都合や親の都合で安易に使われているとのこと。今後大きな社会問題になる可能性がある。

専門家支配

 薬害問題は専門家支配に落とし穴のあることを物語っている。専門家支配については、その概念の提唱者の本の翻訳がその後でている。エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)。これは、次章で問題にする医療社会学のメインテーマでもある。

裁判過程の社会学

 薬害問題にかぎらず社会問題はたいてい長い訴訟になる。たとえば予防接種集団訴訟は一九九三年の結審までに二十年かかった。当然、裁判のプロセスではさまざまな社会学的現象が生じるわけで、必ずしも「法の論理」だけで進行するわけではない。
 栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)は、役割理論に基づいて分析された裁判過程の社会学。前半はスモン事件、後半は免田事件が素材になっている。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)は、エスノメソドロジーをとりいれた新しいタイプの法社会学概論。ふつう法社会学という分野は法学者が担当していて、要するに「法と社会」の関係に関する研究という程度のことで、つまり少しも社会学的でないのである。その点、これはまずまず社会学的といえる。
 このほかにも、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う――社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。有名な冤罪事件である徳島ラジオ商事件の公判記録を心理学者の著者がつぶさに点検し、そのずさんな非科学的「論理」を具体的に批判した本。私たちは裁判が科学的に公正におこなわれていると信じているが、そうとは断言できないようだ。あのころの法学者はいったい何をしていたんだろうか。
日本の裁判制度の組織上の問題については、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)の8章「法を支配下におく」が簡明に実態をまとめてくれている。この説明によると「司法の独立」は組織論的には根拠をもたないといえそうだ。

科学報道

 薬害事件は科学の最先端で生じる。したがって高度な科学的知識と見識が要求される。しかし、日本の報道機関は他の日本企業と同様にジェネラリスト志向(何でも屋)の人事制度に基づいており、専門分野をもつジャーナリストを育ててこなかった。そのため、薬害事件のような高度な問題になると、とたんに欠陥を露呈する。薬害エイズ事件においても、最後には厚生省バッシングに踊ったメディアは、そのわずか十年ほど前にはエイズ・パニックを起こした当事者でもあるのだ。結局、報道の論調の決定は他のメディアとの関連でおこなわれているわけで、必ずしも科学的な判断と見識によってなされているわけではない。
 同様の問題は、公害・原子力・臓器移植・先端医療・宇宙開発などでも指摘されている。事例集として、柴田鉄治『科学報道』(朝日新聞社一九九四年)が実態を教えてくれる。ウォーレン・バーケット『科学は正しく伝えられているか――サイエンス・ジャーナリズム論』医学ジャーナリズム研究会訳(紀伊国屋書店一九八九年)は実務的関心からの議論。