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1878年(明治11年)5月に東京証券取引所の前身である東京株式取引所が、6月に大阪取引所の前身である大阪株式取引所が設立されてから、2018年(平成30年)で140周年を迎えました。
明治から平成まで日本の証券市場が歩んできた歴史を当時の写真と共にご紹介します。
わが国における取引所の起源は、遠く江戸時代、 承應・寛文年間(1652~1673年)、当時の経済の中心であった大阪に設けられた米穀取引にさかのぼります。
全国各地の諸藩はこの地に蔵屋敷を設け、年貢米を回送・貯蔵し商人に売却しましたが、その中で最も有力な商人であった「淀屋」は、現在の淀屋橋の南詰めに居を構え盛んに米の売買を行ったことから、次第に他の商人たちも集まりおのずから一つの市場を形成しました。
この市場は「淀屋米市」と称され、米と交換できる証券(米切手)が用いられたことから、わが国における証券取引の始まりと言われています。
その後、市場は1697年(元祿10年)に対岸の堂島に移され、1730年(享保15年)に幕府から、米切手を売買する現物市場(正米商い)と、米の代表取引銘柄を帳面上で売買する先物市場(帳合米商い)が公認され、堂島米会所と呼ばれる公的市場が成立します。
堂島米会所は、わが国における取引所の起源とされるとともに、世界における組織的な先物取引所の先駆けとして広く知られています。
1876年 (明治9年) |
明治政府は、華士族に与えられていた秩禄を廃止し、金禄公債を支給しました(秩禄処分)。 この動きを見た両替商が現在の人形町付近に集まり、公債の取引が活発に行われるようになりました。 |
1878年 (明治11年) |
株式取引所が日本に必要と考えていた渋沢栄一のもとに、公債売買の最有力者であった今村清之助らが集まって東京株式取引所を設立し、6月1日から取引を開始しました。 最初の上場物件は公債でしたが、年末までに第一国立銀行をはじめ株式会社4社が上場を果たしました。 左:渋沢栄一肖像、右:1881年(明治14年)頃 鎧橋東側から東京株式取引所を望む 東京株式取引所創立証書(1878年5月) また、同じく6月に大阪では、五代友厚を発起人として三井、住友、鴻池をはじめとした有力な商人達が出資し、大阪株式取引所を設立しました。 左:五代友厚肖像(大阪商工会議所 所蔵)、右:大阪株式取引所長期市場建物 |
1908年 (明治41年) |
日露戦争の講和条約としてポーツマス条約が締結された後、1907年(明治40年)初まで、当時人気のあった鉄道株や紡績株、工業株を中心に全面高となり株式ブームはピークに達しました。一方、東京株式取引所株(東株)や大阪株式取引所株(大株)も市場で人気を集めるようになり、1908年(明治41年)以降は鉄道株に代わり市場をリードする花形株となり、上場廃止になる1943年(昭和18年)まで東株・大株主導型の市場が続きました。 左:東株の株券、右:大株の株券 |
1920年 (大正9年) |
第一次世界大戦により、日本経済は輸出の急増や金融緩和を背景に急速な成長を示す一方で1920年(大正9年)3月15日には大量の売り物から空前の大暴落となり2日間立会を停止するなど市場の混乱もみられました。 1899年(明治32年)~1923年(大正12年)頃の東京株式取引所及び立会の様子 大正時代の大阪株式取引所及び立会の様子 |
1923年 (大正12年) |
9月1日の関東大震災では、東京株式取引所の建物も全焼し、兜町一帯が焼野原となった中、10月27日から焼け跡の天幕内で株式の現物取引を開始しました。その後、株式市場は回復し、兜町はすっかり近代的な街並みに生まれ変わりました。 左:関東大震災後の茅場町交差点付近、右:震災後のバラックの事務所 1927年(昭和2年) 東京株式取引所市場館の竣工 |
1929年 (昭和4年) |
10月24日ニューヨーク株式市場で株価が大暴落したことに端を発した世界大恐慌の波に見舞われ、わが国の経済は長期の不況に陥り、兜町・北浜も度重なる暴落のため、沈滞の度を深めました。 |
1931年 (昭和6年) |
満州事変を機に、日本の経済政策は戦時体制に大きく転換され、証券市場も急速に統制色が濃くなってきました。この頃、既存の財閥や新興財閥が外部資金を導入するために公開した株式は取引所に上場され一般投資家の人気を集め始めました。 左:1931年(昭和6年) 東京株式取引所本館ドーム竣工、右:1935年(昭和10年) 大阪株式取引所新市場館落成 |
1943年 (昭和18年) |
6月30日、国策により東京株式取引所をはじめとした全国11の株式取引所を統合して新たに営団組織「日本証券取引所」が設立され、東京株式取引所は本所として、大阪株式取引所は大阪支所としてスタートしました。 しかし、第二次世界大戦の戦局が悪化するにつれて、株式市場は急速に活気を失っていきました。 |
1945年 (昭和20年) |
第二次世界大戦中も取引所での株式売買は続けられました。 しかし、戦局が悪いという噂が次第に広がると、株価は下落をはじめ、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲の後は、政府が無制限に株価を下支えする「官製相場」となりました。そして、同年8月10日、広島と長崎に原子爆弾が投下されたとの情報が入ると市場は停止し、それ以降、1949年(昭和24年)に取引が再開されるまで、3年9か月の間閉鎖が続きました。 |
1945年 (昭和20年) |
戦後、GHQ(連合軍総司令部)は取引所の再開を禁止しましたが、兜町・北浜の一角では証券業者の半ば組織的な集団売買が開始され、兜町・北浜はいちはやく証券の街としてよみがえり取引所空白期における証券流通の場として大きな役割を果たしました。 |
1947年 (昭和22年) |
取引所制度の民主的改革についての検討が進められ、4月16日、日本証券取引所は解散しました。 翌年、財閥の解体等によって凍結された大量の株式が国民に放出されるとともに証券知識の普及を図るための全国的な証券民主化運動が行われ、4月、投資者保護を基本理念とする新しい証券取引法が制定されました。 |
1949年 (昭和24年) |
1949年(昭和24年)4月1日、東京証券取引所及び大阪証券取引所は会員制法人として戦後の出発を果たしました。 東京証券取引所の立会開始は5月16日、当初の上場銘柄数は495社696種で、すべて戦前に取引していた銘柄でした。 大阪証券取引所も、同日、戦後の売買を再開し、同年末には397社478種が同取引所に上場しました。 東京証券取引所における初立会の様子 1951年(昭和26年)~1955年(昭和30年)頃の東京証券取引所旧本館ドーム付近の様子 |
1961年 (昭和36年) |
日本の経済は技術革新を軸とする高度成長期を迎え、株価は上昇の一途をたどり、中小企業も急速な成長を遂げます。これに伴い、店頭取引(取引所外取引)が急速に拡大したことで、関係者の間では店頭取引を組織化する必要性が提起されるようになりました。そのなかで6月7日、大蔵省は東京・大阪・名古屋の各証券取引所に対し第二市場部を設置するよう要請し、10月2日、東京・大阪・名古屋に市場第二部が開設されました。 東京証券取引所における市場第二部開設式典の様子 |
1963年 (昭和38年) |
上場するのが難しい中小企業の資金調達の場として、日本証券業協会において店頭登録制度(後のJASDAQ市場)が創設されました。 |
1969年 (昭和44年) |
株式市場全体の動向を表すベンチマークを作り出すことを目的として、7月1日、東証株価指数(TOPIX)の算出を開始しました。 |
1971年 (昭和46年) |
7月19日、流通市場の機能強化が進められる中、東京証券取引所は決済業務の合理化のための株券振替決済制度を導入しました。 |
1973年 (昭和48年) |
12月18日、証券市場の国際化に対応して外国株市場を開設。翌年9月24日には市場情報を迅速、正確、公平に伝えるための相場報道システムが稼動しました。 東京証券取引所の立会場と見学風景 大阪証券取引所の立会場と場立ちによるハンドサインの風景 |
1982年 (昭和57年) |
1月23日、東京証券取引所は、国内で始めての株式売買システムを稼動。市場第二部銘柄のうち33銘柄について導入し、1985年(昭和60年)には立会場銘柄を除く全銘柄に対象銘柄を拡大しました。 |
1985年 (昭和60年) |
1970年代に入ってアメリカをはじめ各国で先物取引やオプション取引が金融商品を対象に急速に拡大する中で、日本においてもリスクヘッジ手段としてデリバティブ市場の整備を望む意見が台頭してきました。 また、金融機関による国債を中心とする公社債発行残高の急増や金融の国際化・自由化の進展を受けて、東京証券取引所は、10月19日に国内初の国債先物市場を開設しました。 これ以降、東京証券取引所・大阪証券取引所において様々なデリバティブ商品が上場します。 国債先物市場開設当時の取引風景 |
1987年 (昭和62年) |
大阪証券取引所は、1985年(昭和60年)に「株式先物調査団」を組織し、欧米のデリバティブ市場の調査・研究を行った結果、株価指数先物取引の市場開設を目標に定めました。 しかし、株価指数先物取引の市場開設には法改正が必要であったため、さらに研究を重ね、6月9日に日本初の株式先物取引市場「株先50」を創設しました。 10月19日、ニューヨーク株式市場に端を発するブラックマンデーにより、日本でも株価が大暴落しました。 しかし、翌年1月に大蔵省(当時)が特定金銭信託やファンドトラストの決算処理の弾力化方針を打ち出したことなどを背景に株価は急激に上昇し、バブル相場が形成されました。 1988年(昭和63年)5月23日 東京証券取引所新本館の竣工 左:1988年(昭和63年)頃の東京証券取引所の株式売買立会、右:1980年代の大阪証券取引所の立会場の風景 |
1988年 (昭和63年) |
5月31日に証券取引法が改正され、株価指数先物取引の市場開設が可能となったことを受けて、9月3日、大阪証券取引所は日経平均株価(日経225)先物取引を開始しました。 また、同日、東京証券取引所はTOPIX先物取引を開始しました。 大阪証券取引所における日経平均株価指数先物市場開設式典の様子 |
1989年 (平成元年) |
6月12日、大阪証券取引所は日経平均株価(日経225)オプション市場を開設しました。 |
1991年 (平成3年) |
投資家のニーズに応えるため、4月30日、株式市場の午後の立会開始時間を午後1時から午後12時30分に繰り上げました。 |
1999年 (平成11年) |
1996年(平成8年)末に打ち出された金融ビッグバンにより、様々な金融制度改革が行われました。 このなかで、東京証券取引所は売買執行の迅速化やコスト削減、効率化を図ることを目的にすべての取引をシステムに移行し、4月30日、株券売買立会場を閉場しました。7月には大阪証券取引所も立会場を廃止しました。 東京証券取引所株券売買立会場閉場日の様子 また、上場基準を緩和し、成長性が見込まれるベンチャー企業などに、株式上場による資金調達の場を提供するため、11月11日、「東証マザーズ」を開設しました。 東証マザーズ開設記念式典 |
2000年 (平成12年) |
5月9日、東京証券取引所は株式売買立会場跡地を東証Arrowsとして竣工しました。 |
2001年 (平成13年) |
東京証券取引所・大阪証券取引所は、それぞれ株式会社へ組織変更しました。 個人投資家の株式市場への参加を促進するためにもETFの拡大が必要との声が強まる中で、6月に東京証券取引所・大阪証券取引所においてETF市場を創設し、7月13日に売買を開始しました。 また、バブル崩壊後に企業が保有不動産を小口化・証券化して売買していたことに端を発し、数度の法改正を経て、東京証券取引所は9月10日にJ-REIT市場を創設しました。 |
2004年 (平成16年) |
4月1日、大阪証券取引所株式をニッポン・ニュー・マーケット「ヘラクレス」(当時。現在はJASDAQ市場に統合。)に上場しました。 12月13日、それまで店頭売買有価証券市場を運営し、日本証券業協会の子会社である(株)ジャスダックが証券取引所免許を取得し、商号をジャスダック証券取引所に変更しました。 |
2006年 (平成18年) |
個人投資家の投資手段・ポートフォリオ管理手段の多様化のニーズが高まっていることを背景に、7月18日、大阪証券取引所は日経225miniの取扱いを開始しました。 |
2007年 (平成19年) |
取引のグローバル化の進行や、日本株式市場の立会時間終了後における経済情勢・海外市場の動向や国内外のOTC市場での現物売買等に対応したヘッジ取引等に対するニーズが拡大していることを背景に、9月18日、大阪証券取引所はイブニング・セッション(現:ナイト・セッション)を開始しました。 |
2010年 (平成22年) |
4月、大阪証券取引所はジャスダック証券取引所と経営統合し、10月には新JASDAQ市場を開設しました。 |
2011年 (平成23年) |
7月19日、大阪証券取引所はナイト・セッションの取引時間を翌3:00まで延長しました。 |
2013年 (平成25年) |
現物市場とデリバティブ市場の双方において、国内での確固たる地位を確立すると共に、取扱い金融商品の多様化、グローバル競争力の強化、市場機能の集約や取引システムの統一化による取引参加者・投資家の利便性向上といった大きなシナジー効果が得られると判断し、1月1日、東京証券取引所グループと大阪証券取引所が経営統合して日本取引所グループを発足しました。また、株式を東京証券取引所市場第一部に上場しました。 7月には大阪証券取引所の現物市場を東京証券取引所に統合しました。 |
2014年 (平成26年) |
日本企業の魅力を内外にアピールするとともに、その持続的な企業価値向上を促し、株式市場の活性化を図るため、1月6日、日本取引所グループは「投資者にとって投資魅力の高い会社」で構成される新しい株価指数JPX日経インデックス400の算出を開始しました。 3月24日、大阪証券取引所を大阪取引所に商号変更するとともに、東京証券取引所のデリバティブ市場を大阪取引所に統合しました。 11月25日、大阪取引所はJPX日経インデックス400先物取引を開始しました。 |
2015年 (平成27年) |
インフラ整備の社会的意義やインフラに対する投資ニーズの高まりを踏まえ、4月30日、東京証券取引所はインフラファンド市場を創設しました。 |
2016年 (平成28年) |
7月19日、大阪取引所はナイト・セッション立会時間を翌5:30まで延長し、ほぼ24時間取引が可能となりました。また、市場利用者の利便性の一層の向上につなげるため、東証マザーズ指数先物など4商品の取引開始しました。 |