ジゴワットレポート

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感想『ウルトラマンブレーザー』第12話「いくぞブレーザー!」 #俺が観る EP12 手にしたのは、雷をも断つ剣

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すっかり肌寒くなって参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はといいますと、所用で遠出した際に寄ったデパートの玩具売り場で「DXブレーザーストーン」を発見し「よっしゃ!近所に入荷してなかったんだよ!まさかここで出逢えるとは!」とホクホクでレジに持って行き帰宅したところ、そもそも「DXブレーザーブレス 最強なりきりセット」を買っていたにも関わらず「DXブレーザーストーン02 ゼロvsベリアルセット」を買っていた…… つまりメダルが4枚ごっそり被ってしまったことに気付き、愕然とする日々を送っておりました。単なるうっかりなら良いのですが、これはもしや加齢による注意力の低下なのではと哀しい気持ちでございます。趣味領域でのこの手のミス、なんなら仕事のミスより痛恨ですからね。

 

 

そんなこんなで、今回もすっかり更新が滞っておりましたが……(すみません)。ブレーザー12話の #俺が観る 、どうぞよろしくお願いします。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1707906879383572786

 

ゲバルガによるネットワーク汚染が拡大する中、SKaRDは新たな作戦を立案。ゲントは、ゲバルガとの戦いでまたしても自身の意と反する行動をとったブレーザーに対し、不信感を覚え、ストーンを自身のロッカーに置いて作戦に挑むことに。そうしてSKaRDは、開発部や特殊部隊と協力した一大作戦を決行する。

・ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/30 放送 監督:武居正能 脚本:足木淳一郎

 

ちょっと本筋とはずれるのですが、ここらでアースガロンについて触れておきたいな、と。

 

Twitter改めXを中心に『ブレーザー』の感想を眺めていると、「アースガロンが黒星ばかり」「アースガロンが不遇」という声がそこそこの割合で目に入ります。これ、自分としては「あっ、なるほど、そういう視点もあるのか」くらいの感覚でして。というのも、アースガロンはウルトラシリーズの文脈的に戦闘機の枠なので、番組構成上どうしてもウルトラマンに華を持たせる(怪獣を倒させる)必要がある以上、構造的に「勝てない」存在であることが最初から分かり切っているな、と。そういう認識だったんですね。だから、アースガロンが黒星を連発するのは当然というか、むしろアースガロンが勝っちゃうとウルトラマンの作劇としてちょっとしたエラーに該当してしまうのではないかと。

 

「ウルトラマンと戦闘機」、もっと俯瞰すると「ウルトラマンと人間」の関係性ですが、やはり私の理想はどこまでいっても「ぎりぎりまで頑張って。ぎりぎりまで踏ん張って。どうにも、こうにも、どうにもならない。そんな時、ウルトラマンがほしい!」なんですね。人間が(防衛隊員が)、戦闘機に乗って怪獣に立ち向かう。まずは人間の力だけでそれを倒そうとする。ウルトラマンに頼らずに挑戦し、ぎりぎりまで頑張って、ぎりぎりまで踏ん張って、それでも事態が打開できないときに、はじめてウルトラマンの助けが欲しい。人間とウルトラマンの関係性、あるいは距離感は、そのくらいのニュアンスであって欲しいな、って。

 

 

だから、私の認識におけるアースガロンの役割は、「ぎりぎりまで頑張ったり踏ん張ったりするロボット」なんですね。裏を返せば「勝ってはいけない」存在。つまり、アースガロンの華があるとすればそれはウルトラマンが出てくるまでの場を温めることであって、怪獣を倒して白星を飾ることではない、と。その上で「戦闘機をロボットに置き換える」という『Z』以降のこのギミック(発明)は、遠距離からビームを撃つ戦闘機等と違って、視覚的にめちゃくちゃ「ぎりぎりまで頑張ってる」感じが伝わるし、肉弾戦としてめちゃくちゃ「ぎりぎりまで踏ん張ってる」絵になる。従来のシリーズで戦闘機が担っていた作劇上の役割を、より明確に、視覚的に、強調することができるのだ。

 

あとはまぁ、これは愚痴。同じ特撮枠では仮面ライダーや戦隊でよく用いられますが、撃破数で競うような言い回しですね。「強化フォームなのに全然倒してない」とか、つまり「撃破数が多ければ多いほど活躍したとみなされる」の概念。まぁ、分かるんですけどね。でも、そのキャラクターやヒーローの印象深さって、何も撃破数だけで決まりはしないじゃないですか。そこに至るまでのシナリオだったり、演出だったり、エフェクトだったり、佇まいだったり、スーツアクトだったり、玩具的な面白さだったり、エトセトラ。白星の数はその数ある要素のひとつであって、魅力や印象って、もっと多角的に決まっていくと思うんですよね。そういう意味で、アースガロンは明確な白星こそ飾っていませんが、フェチに溢れた発進シークエンスだったり、泥臭い戦闘スタイルだったり、換装ギミックだったり、愛嬌あふれる表情や鳴き声だったりで、魅力はバリバリに立っているのではないか、と。というより、「勝てない」、この不憫さがむしろプラスだと、そう思いませんか!?!???

 

とはいえ、ね。「アースガロンが黒星ばかりで不遇」というのは、これまた裏を返せばアースガロンにも勝ってほしいという同情のニュアンスもあると感じていて、アースガロンのキャラクターがしっかり立っている証左でもあるんじゃないかと。物語としては、12話でも司令官から「アースガロン単独で怪獣を撃破したことがあるのか!?」と叱られていたように、「人間が勝てていない」「SKaRDが目立った実績を上げられていない」という前提は、シリーズ後半の展開への前振りにも思えるんですよね。実際、やろうと思えば何らかの再生怪獣を引っ張ってきてAパートでさくっとアースガロン白星とか、やってやれないことはないでしょうから。(『Z』のセブンガーはそういう見せ方だった訳で)

 

そんなこんなで、私としてはこれからも「善戦!しかし勝ちきれない!」を邁進していただきたいと、そう感じております。とはいえ、いざ白星をあげたらそれはそれで大喜びでしょうけど。仮にそうなら、シリーズ後半の盛り上げ所として機能するのかなぁ。

 

 

本題。12話、「いくぞブレーザー!」。まずこのタイトルがいいですよね~。ゲントとブレーザーの関係性の発展を思わせるフレーズなのは間違いないですし、OPテーマの歌詞にも「どこまでも行こう、ブレーカー」とニアーな文字列が並んでいる。

 

玩具的にも、チルソナイトソードを出現させるガラモンストーンをブレスに装填すると、ゲントの「いくぞブレーザー!」という台詞が聞ける訳ですよ。実に細かいというか、気が利いている。ちなみに、ニジカガチストーンを装填すると「ブレーザー頼む!力を貸してくれ!」が聞けて、言うまでもなくこれも劇中で発せられた台詞ですね。販促というとどうしても「玩具を操作する」とイコールで捉えられがちですが、こういう細かいアプローチで玩具と本編の親和性を少しでも高める工夫が散見されるのが、『ブレーザー』の妙のひとつ。

 

 

その点、チルソナイトソードもクレバーな工夫が見られる背景でした。田口監督は以前より、『ウルトラマンエックス』の後半でエクシードエックスの玩具まわりが自身の関知しないところで決まってしまい、その落とし込みや活かし方に苦心したとインタビュー等で述べられていて。そんな田口監督がシリーズ構成を兼任する『ブレーザー』ですが、前回のニジカガチストーンと同様に、「極力しっかり本筋に絡めて新アイテムを登場させる」というのは、本作のひとつのコンセプトなのだろうな、と。つまり、奇跡が起きて光の中から新アイテムが発生するとか、新フォームになったら手元に新しい武器が現出するとか、(もちろんそれが悪いという話ではなく)、あくまで『ブレーザー』ではそういう方向性から変えてみよう、と。物語の流れとリンクする前提で、ブレーザーがまるで狩猟民族や狩りゲームのように怪獣の要素から新アイテムを生成するのだと。新アイテムにもワンロジックを噛ませるんだと。

 

なので、今回いきなりチルソナイトスピアなるものが人間陣営発で出てきたのには、随分と驚かされました。もちろん、あのガラモン絡みでソードが生成されるのだろうと感じてはいましたが、まさかその素体が明確に人間サイドから用意されるとは。つまり、終わってみれば「人間サイドがスピアを用意しなければブレーザーは負けていたのかもしれない」という図式で、これまた人間とウルトラマンの一種の共闘だなぁ、と。材質はガラモンから、雷の属性はゲバルガから、という合体武器なのも楽しい。同時に、呼び寄せざるを得なかった侵略兵器の一部が地球を守るために機能したという点で、セミのおじさんも実に浮かばれる……!

 

 

ソードの演出でいくと、装填→発動時に鳴るSEがしっかり劇半にアレンジされていて、こういうのもすごく高い満足度に繋がっています。ブレーザーのメインテーマである、あの民族的な、エスニックかつケチャなテイストをベースに、不穏&雄大なストリングスがざくざくと音を刻んでいく。ガラモンの ジリリリリ という鳴き声がそのままソードの効果音になっていたり、この手の武器にしては珍しく「ちゃんと斬れそう」「割としっかり鋭利な造形」で、何よりその強力さに狂喜乱舞で飛び跳ねちゃうブレーザーくんが可愛いったらなんの。

 

新しい武器を手に入れてまずやることは、祈り。この辺りも、前述の狩猟民族らしさというか、敵の身体(命)を活用させていただくことへの敬意を感じさせて、最高にキャラ立ちしてますね。しかしまぁ、今やすっかり慣れましたけど。喋らない、唸る、吠える、猿のように飛び跳ねる、原始人のように祈る、そんなウルトラマンが格好良く見えてくるの、すごいことですよ。

 

ストーリー面では、ゲントがブレーザーの意志に近付くお話。ここ数話をかけて、「言語的なコミュニケーションが取れない相手といかに関係を築くか」、その難しさを提示してきた訳ですが、シリーズ中盤のここで一旦の到達点へ。それは、「他者の命を救いたい」というある程度の知能がある生物の根源的な感情、そこに同一性を見い出すこと。

 

 

ツイートにも書いたように、ぶち上げるようなカタルシスには繋がらなかったと思っているのですが、『ブレーザー』はあえてそうしていないところが強みだとも感じていて。そういう、SFのアプローチにおける「関係性の進展」に、ショートカットや嘘を用いない塩梅が実に真面目。もちろんこれは、人によっては作劇的なケレン味が足りないと映ってしまうかもしれませんが。『シン・ウルトラマン』にて、「人間よう知らんけどなんや面白い生き物やな!」に至ったリピアーくんが記憶に新しいですが、彼はもう少し次元が違うというか、やや高位の存在にも描かれていて。一方のブレーザーくんは、完全に未開の地の原始人というか。文明が発達しなかった山や森の奥深くでひっそりと生き残っていた民族が何かの手違いで都会に迷い込んでしまったような、そういうニュアンスを感じさせます。きっとその土地では、殺した動物を食べる前に骨を両手で持って祈っていたのかな、みたいな。

 

ゲント隊長のブレーザーくんへの認識、期せずして捕獲してしまった檻の中のオラウータンと飼育員みたいな感じになってきましたが、しかしオラウータンだって「仲間を助けたい」「命は大事」を思うんだ、と。そういうものの前では、文明の深度や知能の差なんて関係ないんだ、と。「関係性の進歩」というより、正確には「どう関係していくべきかの糸口が掴めた」ような、そんなお話でした。

 

人間サイドも総力戦!ブレーザーも新武器獲得!セカンドウェイブやら何やら不穏な空気も漂って…… というあたりで、ググっと盛り上がって次回、総集編。『ブレーザー』前半戦終了でございます。いやぁ、堅実。面白い。ウルトラシリーズの基本である「怪獣が主役」「毎話がバラエティに富んだ完結もの」というパターンをしっかり押さえており、リアリティも考証もやや高めに設定しているバランスが、非常に自分好みですね!

 

といったところで、次回、縦軸に迫る感想にてお会いしましょう。(同日更新します!)

 

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