ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

(おそらく)『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』が企んでいること、そしてけしかけたいこと

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『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』が面白い。

 

私がスーパー戦隊シリーズを観始めたのは『鳥人戦隊ジェットマン』や『忍者戦隊カクレンジャー』辺りからだが、2022年の第46作にして同シリーズをこんなにも新鮮に観られるなんて、よもや思ってもみなかった。シンプルに、毎週日曜日が楽しみで仕方がない。

 

暴太郎戦隊ドンブラザーズ 主題歌〔通常盤〕

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そもそもタイトルに「ジャー」が付いていない、なんてことでは今更驚かない。しかし、一体全体「暴太郎」とは何なのか。

 

忍者、恐竜、特命、海賊。そういったモチーフをそのまま用いるのがいつものパターンで、あるいは轟轟や魔進のような読み(音)でフックを設ける方法論もある。しかし、暴太郎は意味が分からない。そんな概念も読みも初めて出会ったものだ。聞けば「アバター戦隊と桃太郎戦隊の折衷案」とのことだが、それにしたって思い切ったなと。おかげで、インパクトは十分である。

 

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蓋を開けてみれば、レッドは変身すると戦闘狂に激変する完璧超人、イエローは盗作疑惑をかけられる現役JK漫画家兼コメディエンヌ、ブルーは霞を食って生きるニート、ブラックは罪状が全く不明な逃亡犯、ピンクは男性で妻子持ちでドがつく一般人ときた。

 

これまでも「突飛なキャラ」「特徴的な造形」は同シリーズに数多と存在したが、今年は随分とアクの濃い方に数えられるだろう。加えて、ベースの状態では互いの正体を知らないときた。リモートが標準となる世の常に合わせたのか、顔の見えない相手と交流するSNS大時代に迎合したのか、兎にも角にも戦隊としては極めて異色である。

 

そんな同作の「例外」を挙げていけばキリがない。前述のように、互いの正体をろくに知らないまま集まって戦う。同時に並んで変身もしない。名乗りもしない。チーム全員でロボ戦に臨んだりもしない。見た目もチグハグ&凸凹で、イヌは二頭身のSDキャラだし、キジは長身の異星人のようだ。フルCGかつモーションキャプチャーで描かれる等身大ヒーローが「毎週」TVで放映されるのは、中々に歴史的なことである。

 

加えて、怪人になってしまった一般人があっけなく敵に殺められたり、逆に戦隊サイドの登場人物が怪人化した一般人を意図して救わないプロットが出てきたりと、イマドキの戦隊としては目を見張る展開が多い。メインキャストがろくに映らない(出番がない)回があったかと思えば、舞台のようなワンシチュエーションコメディで笑わせて感動させたりもする。

 

何が飛び出すか分からないヒヤヒヤのびっくり箱を毎週開けていく度に、実はそのびっくり箱がこれでもかと用意周到に仕まれたものだと肌で理解し始める。そういった新鮮な視聴体験に、どっぷり、本当にどっぷりと、漬かっている。言うまでもなくドンブラスターもザングラソードも買ってアバタロウギアを収集している。やめられないとまらない暴太郎戦隊。

 

しかし私が最も感銘を受けているのは、正確にはそういった個々のポイントではない。番組全体が、ある明確な指針のもと合理的に構築されている(ように感じられる)。そういった舵取り、コンセプト設定それ自体に、強い感動を覚えているのだ。

 

仕掛けの張本人である白倉伸一郎プロデューサーは、前作『機界戦隊ゼンカイジャー』からの続投。以前の記事で私は同作を「守破離の破」と形容したが、これに続くなら、『ドンブラザーズ』はまさに「離」と言えるだろう。今振り返れば、あんなに破天荒だった『ゼンカイジャー』は実はまだまだぬるかった・・・ と、しみじみ思えてくるから驚きである。

 

そもそもスーパー戦隊は44作品続いてきましたけど、かなり曲がり角に来ていると感じていたんです。仮面ライダーは裾野が広がって活気づいているんだけど、戦隊は人気こそあれど広がりがないな、と。(中略)にも関わらず、私はライダーばかりに手を出していて、戦隊には燃料を投下できていない状況が続いてしまった。そういった中、『仮面ライダージオウ』で平成仮面ライダーというムーブメントに一区切りを付けられたので、反省の意味を込めて作品内容だけではなく、制作体制や周辺環境も含めて戦隊を強化していこうということです。仮面ライダーでは『仮面ライダーディケイド』辺りから手を入れて、その後10年以上保てたので、戦隊でも『ゼンカイジャー』の1年に留まらず、次のアニバーサリーに向けた種まきを直接していこうと思い、私がプロデューサーを務めることになったという流れですね。

 

・株式会社ホビージャパン『宇宙船vol.172』P36 白倉伸一郎プロデューサーインタビュー(2021年4月1日初版)

 

www.jigowatt121.com

 

スーパー戦隊シリーズを「偉大なるマンネリ」とするならば、そのマンネリ具合がむしろ心地よいのか、あるいはマンネリは打破すべき課題なのか、大きく意見が分かれるところだろう(「マンネリとの戦い・変化の良し悪し」というトピックだと、どうしても石坂浩二主演の『水戸黄門』が頭をよぎってしまう)。ただし少なくとも、東映株式会社のプロデューサーはこの2022年に「打破」を選んだ。氏の表現を用いるなら「裾野を広げる」。“時代の最先端を走るべし。ヒーローの可能性を切り開くべし。ちっさい伝統なんか、かなぐり捨てて、世界のだれもがまだ考えてもいない、つぎのステップに進むべし!”。スーパー戦隊の次の数十年をにらんだ際に、ここらで一度ガッツリ壊しておこう、そういう話である。

 

「こんなの戦隊じゃない!」「わざわざ戦隊でこれをやる必要はないのでは?」という声もSNSではよく目にする。とはいえ、だ。『バトルフィーバーJ』が巨大ロボを登場させたように、『鳥人戦隊ジェットマン』が濃い人間ドラマをやったように、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』が6人目の戦士を出したように、『宇宙戦隊キュウレンジャー』が着ぐるみ非人間レギュラー戦士を配置したように。長寿シリーズは定期的に「型」を疑い破る必要があるのだろう。疑い、破り、また揺り戻しながら、掘り出された試金石を次世代に反映させていく。いつの世もその繰り返しなのだ。(それにしたって今年の破壊は大規模だが・・・)

 

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「スーパー戦隊の裾野を広げる」という『ゼンカイジャー』から地続きの指針について、『ドンブラザーズ』の柱は大きくふたつ。ひとつは「集団ヒーローの在り方」、もうひとつは「販促上の縛り」。

 

「集団ヒーローの在り方」については、スーパー戦隊シリーズの伝統を根から疑う作りに現れている。同シリーズは大きく「①色違いの全身タイツ戦士が」「②揃ってチームを組んで」「③キャラクター個々のエピソードを個人回で掘り下げながら」「④真のチームとして結束を強めていく」、という道を通る。もちろん例外はあるが、基本の型としてまず揃う。個人の掘り下げよりチームとしての勢揃いが最初にある。その後、チーム内で揉めたり結束したりしながら、「チームがチームたる所以」を後付けで年間を通して補完していくのだ。

 

『ドンブラザーズ』はここにメスを入れている。まず、「①色違いの全身タイツ戦士」という前提をやや崩し、極端に小さい者と極端に長い者をそれもCGで並べている。「②揃ってチームを組む」も、あくまで戦闘時だけ。オンラインゲームにログインするように、有事の際だけ仮面を被って揃う。素面では揃わない。だからこそ、「③キャラクター個々のエピソードを個人回で掘り下げる」というお馴染みの作劇の味が反転する。チームが揃っていないのに、揃っていないまま個人回をやる。同じ街ですれ違う人間ドラマ(群像劇)が戦隊ドラマに化ける。文字だけ見ると意味が分からないが、あっぱれ、これが実現しているのだ。であるからして、期待されるゴール「④真のチームとして結束を強める」が年間を通した大きな目標として掲げられる。

 

揃っているのに、揃っていない。本当の意味では全く揃っていない。だからこそ、いずれ来るだろう「揃う」その時を無性に期待してしまう。「スーパー戦隊は取りあえず揃う」という大原則を、疑いつつ壊し、しかし目的としては同じポイントに定める。戦隊っぽくない作りなのに、お話が向いている方向は戦隊なのだ。

 

構想にあたっては、「前作である『機界戦隊ゼンカイジャー』で45作目という節目を迎え、これまでとは違う“新しいヒーロー番組”を作ることを重視した」と白倉氏は語る。

 

「時代が変わっても、子どもたちが考える基本的なヒーローのカッコよさは、強くて、様もよく、何より自分の身を挺してでも人を守る、そのヒロイズムは変わっていないと思います。ただ、人間関係は確実に変化しているのではないでしょうか。これはスポーツ漫画の変遷にも見られますが、一つの目標に向かってチーム全体が心を一つにして団結していくのが流行った時代から、今は、チームで戦うけれど、個人個人にスポットを当て、考え方や向いている方向が違っても、それぞれ魅力があると考える傾向にあります。ですから、スーパー戦隊シリーズも、5人揃ってナンボではなく、一人一人いろいろあるけどみんなヒーローだよねというふうにしていかないといけないし、本作では、子どもたちにそういう感覚を持ってほしいと考えました」

 

「桃太郎」をモチーフにしたのは、まさに、その人間関係を強く押し出すためだった。

 

「観る前から、皆さんが5人の関係性を想像できるモチーフがいいと考えたのが一番の理由です。『桃太郎』を知らないお子さんはいませんからね。5人を通して、自分と考えが違ったとしても、人には人の考え方があって、どれが正しくてどれが間違っているということではないという目線をもっていただけたらうれしいですね」

 

・新『スーパー戦隊』P語る、時代とともに変化する“正しさ”との向き合い方「“子ども向けだからわかりやすく”は制作陣の思い上がり」 | ORICON NEWS

 

集団 ≒ 疑似家族を構成する個を描いた『ゼンカイジャー』。続く『ドンブラザーズ』は、個の異なりという視点から集団を描く。「スーパー戦隊ってこういうアプローチも許されるんだ!?」。この劇薬という名の前例は、果たして未来のクリエイターに如何なる判断を下させるのか。

 

柱のもうひとつ、「販促上の縛り」。これは分かりやすく、玩具の設計思想が例年とは大きく異なっている。

 

5体合体のロボが番組スタート時には登場しない。レッド専用単独ロボの前例は割と多いが、それが前番組に先行で登場し、それも半身や合体ギミックが前年規格のものというのは前代未聞である。ゼンカイジュランの設計や製造ラインの構築は一年前に終わっているため、DXロボ玩具の製造コストという点では大いに圧縮されたと思われる。もう半身にあたるドンモモタロウが乗るバイク・エンヤライドンだが、これは毎週のお神輿シーンでほぼ欠かさず登場する。(もはや違和感なく書いているが「毎週のお神輿シーンで」「バイクが登場する」という文章の意味の分からなさがすごい。嘘じゃないのに・・・)

 

 

これにより、ドンゼンカイオーをそこまで大々的に販促する必要がない。半分は一年前に作ったし、もう半分は神輿シーンに出番がある。つまり、「一度倒した敵怪人が巨大化してロボで応戦する」という作劇上の縛りが、極端に緩くなっているのだ。

 

これまでも『特命戦隊ゴーバスターズ』や『騎士竜戦隊リュウソウジャー』など巨大戦の在り方に新しいアプローチや解釈を取り入れた例はあったが、今回はばっさりと「やらない」選択肢を設けている。巨大戦がある時はある。ない時はない。むしろ、それが許されるからこそ、ドラマパートをより腰を据えて描けるようになった。番組序盤というキャラクターをしっかり説明しておきたいターンにおいて、ものの数分の尺は決して小さくない。

 

では、ロボを大々的に売らない分、なにを売るのか。そこでフィギュア玩具・チェンジヒーローズが登場する。古くは平成仮面ライダーシリーズがボーイズトイで成功したパターンで、上中下を自由に組み替えられる『オーズ』のOCC(オーズコンボチェンジシリーズ)、鎧を自由に付け替えられる『鎧武』のAC(アームズチェンジ)、そして近年ではアクション性と拡張性を高めたRKF(ライダーキックスフィギュア)など、一定のヒット事例がある。これを戦隊でも展開してはどうか、という試みだろう。

 

 

加えて、コレクターズアイテムを続投させる。『ダブル』のガイアメモリが決定付けたこの商法は、戦隊でも獣電池・キュータマ・リュウソウルなど、手を変え品を変え用いられてきた。『ゼンカイジャー』のセンタイギアと『ドンブラザーズ』のアバタロウギアを同規格にすることで、センタイギアを持っている人は番組開始からすでにアイテム資産を相当数有していることになり、これは販促として強力な文句となる。

 

「新しい変身アイテム」「新しいコレクターズアイテム」「新しい武器」「新しい合体ロボ」。それぞれを例年通りにふわっと踏襲しながら、その設計意図や比重を大きく組み替える。販促の縛りの大元、玩具の設計やラインナップそれ自体をいじれば、転じてドラマの作り方も変えることができる。物語の自由度が上がれば、描ける内容も幅広くなる。

 

そうして、年によっては追加戦士が現れ、それ専用の「新しい変身アイテム」「新しい合体ロボ」がリリースされるタイミングで、満を持して「番組の顔たる合体ロボ」を繰り出す。まずはじっくり等身大戦に比重を置き、歴代ヒーローで賑やかしながら変身・武器玩具を売って、フィギュア路線で変化を付けつつ、それらが一通り落ち着いたタイミングでロボを売る。あの凸凹な5人がどうやって合体するのか、きっとそこに面白いドラマが待っているのだろう・・・。物語をいじりたければ、玩具からいじる。

 

 

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▲こういった「体型」「可動」の戦隊DXロボ玩具が出るとは、隔世の感・・・!

 

 

「スーパー戦隊の裾野を広げる」。それはつまり、「型を疑う」姿勢にある。

 

戦隊には長年の経験から成る大いなる型があった。【モチーフ】【ロボ】【アイテム】【お話】【敵組織】エトセトラ。それぞれの型には機能とタイミングがあらかじめ決まっており、そこに「今年バージョン」の何かをはめこんでいく。そうして、新しい見てくれの「偉大なるマンネリ」が出来上がる。(この点、『魔進戦隊キラメイジャー』は型通りの完成形としてほぼほぼ完全無欠なのが凄かった!)

 

しかし『ドンブラザーズ』は、型それ自体を疑い、必要とあらば変えている。大筋で既存の型を踏襲しながらも、機能やタイミングを組み換え、新しい選択肢や新しい効果を狙っていく。

 

一介の特撮オタクの正直な感想として、ぶっちゃけ、その試み全てが成功とはならないだろう。「やっぱりこっちが良かったのでは」はあるだろうし、反面、「これはもっと大胆に変えられるかも」も生まれるだろう。そういった未来の議論の叩き台として、『ドンブラザーズ』は暴れ回る。スーパー戦隊シリーズそれ自身を、どこかけしかけるように。あるいは発破をかけるように。この明確な指針のもと、同番組は恐ろしいほどに合理的かつクレバーに構築されている。

 

Don't Boo! ドンブラザーズ

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手掛けるは、「型を疑い・必要に応じて破壊し・その果てに新たな型を構築する」という大局的なシリーズ展開を他らなぬ平成ライダーで成し遂げた白倉伸一郎プロデューサー。そして、その盟友である田崎竜太監督。勘所を共有しながら意図を深いポイントで汲んでくれるだろう脚本家・井上敏樹氏。熟練のスタッフによる丁寧な「型の破壊」は、5年後、10年後、あるいはそれ以降のスーパー戦隊シリーズにどのような効果をもたらすのか。

 

こと~しことし。「こういうスーパー戦隊も “許される” のか!」という驚きとワクワクを、すでにもうお腹いっぱい味わっているが、もっともっと貪欲に摂取していきたい。という、おはなし。

 

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