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コラム
第3回 インドネシア――日本を超える?隙のない清潔なトイレ
Indonesia: The perfect public toilet
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000005
土佐 美菜実
Minami Tosa
2023年10月
(3,980字)
トイレに関する現地語講座
例文
Di mana kamar kecilnya? ディマナ カマル クチルニャ? トイレはどこですか?
Saya mau ke belakang. サヤ マウ ク ブラカン (遠回しに)お手洗いに行ってきます。
頻出単語
Kamar kecil カマル クチル トイレ
Toilet, WC トイレ、ウェーセー トイレ(外来語)
Buang air besar/kecil ブアン アイル ブサール/クチル 大/小便をする
間接的なトイレ表現
インドネシアではトイレのことをKamar kecilと言い、直訳すると「小部屋」という意味である。一方、隣国のマレーシアではトイレはTandasという単語が一般的に使われている。インドネシア語とマレーシア語は起源を同じくする言語であり、文法や単語において多くの共通点を持ち、片方の言語を理解していればもう片方がだいたいわかるくらいの親和性を持っている。にもかかわらず、両国ではトイレというこの重要単語については何の共通事項もなく、全く異なる単語が常用されており、そのことを初めて知った時は少々驚いた。
また、日本ではトイレに行くことを、山言葉を使って「お花を摘みに行く」や「雉撃ちに行く」と表現することがあるが、同じようにインドネシアでも直接的な表現を避けて“Saya mau ke belakang”つまり「裏へ行ってくる」と遠回しに言う場合がある。トイレへ行くことを他人へ直接的に伝えるのを避ける心情は、インドネシアと日本、どこか似ている。
統計でみるトイレの普及状況
さて、インドネシアにおける家庭のトイレ普及状況を数字でみてみたい。インドネシア中央統計庁発行の『住宅・衛生環境指標2022年版(Indikator Perumahan dan Kesehatan Lingkungan 2022)』にはトイレの普及率に関する統計がある。このなかで、トイレの設備状況のカテゴリーとして、①世帯専用のトイレがある(簡単に言うと家にトイレがある)、②特定の複数世帯が利用するトイレを使用、③コミュニティの共同水場(MCK)を利用、④公衆水場(MCK)を利用、⑤トイレ設備を使っていない、⑥トイレがない、の6つが用意されている。③と④にあるMCKとは、風呂(Mandi)、洗濯(Cuci)、トイレ(Kakus)の頭文字からとった、これらの用事を行う村や町内の共用スペースのことである(写真1)。MCKは、1960年後半から始まったKIP(Kampong Improvement Program)と呼ばれる村落開発プログラムの一環として各家庭にトイレや風呂場がない地域を中心に作られた1。
まず、世帯専用のトイレ設備を有しているのはインドネシア全世帯のうち86.06%である。ほとんどの家庭でトイレがある状況と言える。次に、現在ではMCKの利用状況は全国で極めて低く、③と④の割合はそれぞれ0.28%、1.65%であった。そしてインドネシア全世帯のうち5.74%はトイレ設備がなく、地域別にみてみると、ニューギニア島にあるパプア州2では24.43%もの世帯がトイレ設備を持たない状況となっており、地域による環境の違いが浮き彫りになっている。ちなみにパプア州は世帯専用のトイレがある世帯は60.17%となり全国で最も低い(Badan Pusat Statistik 2022)。国内最東端に位置するパプア地域は、1960年代からの分離独立運動で今もなお不安定な情勢が続いている。これ以外にも同地域は強引な開発政策、人権侵害などの課題が山積しており、経済的・社会的開発が他の地域とくらべて遅れをとっているという事情がある。こうした負の影響が家庭のトイレ状況にも及んでいると言える。
トイレの特徴
ここからは筆者の経験談になるが3、トイレの様式については、だいたい日本で言うところの和式も洋式もどちらも見かける。日本との違いとしては、用を済ませた後、紙(トイレットペーパー)ではなく水ですべてを処理するスタイルになっている場合がある点だ。これは他の国でも見かけるスタイルかと思うが、トイレのすぐ横に水を貯めているプラスチック製の大きな桶やバケツとそこから水をくみ取るための手桶がセットで置かれているか、あるいは蛇口(だいたいはホース付き)がトイレのすぐ脇に設置されている(写真2)。そのため、たまにトイレの個室に入ると床や壁、便座までがびちゃびちゃに濡れていることがある。
もうひとつ、日本では見かけないトイレの様子として、公共施設のトイレ(数十円ほどの利用料をとられるトイレもあるので注意)では清掃スタッフが常駐していることがある。これは特に空港などで見かけることが多い。利用者が個室から出てきたあと、モップを持った清掃員が次の利用者が入る前にささっと床を拭いてくれる。清掃のスタッフが常にいてくれるおかげで基本的にきれいである。
少し前の話になるが、インドネシア最大の空の玄関口であるスカルノ・ハッタ国際空港では、2016年に新しく第3ターミナルが開業し、筆者は2018年にこのできたての第3ターミナルのトイレを利用したことがある。よく覚えているのが保安検査場を通過する前のチェックインカウンターがあるエリアのトイレで、デザインもそれなりに洗練されており、とにかくきれいだった。比較的新しいうえに清掃スタッフが常駐しているため、汚れる余地がないと言えるほどに隙のないトイレだった。また、床があまりにもピカピカで鏡のように反射しており、これでは個室のなかが見えてしまうのではと不安になるくらいであった。
インドネシア・トイレ協会と公共トイレ
空港におけるトイレの清潔さについてはインドネシア・トイレ協会が関係していると言えるだろう。インドネシア・トイレ協会とは現在も会長を務めるナニン・アディウォソがインドネシア国内のトイレの環境改善を目指して立ち上げた非営利団体である。彼女は1999年に福岡で行われたトイレや衛生環境に関するシンポジウムに参加した後、インドネシア人の健康や生活の質の向上にはトイレ環境の改善が欠かせないと志した。同協会はその後、2002年に世界トイレ協会の支援を受け正式に立ち上げられた。ただし、当時の文化・観光大臣イ・グデ・アルディカによって観光客誘致の一環として公共トイレの環境改善が推進されたことが設立の大きな要因となった。そのため、同協会のプロジェクトとして、まずは「観光用トイレ基準ガイドライン」の作成が行われた4。
現在、ガイドラインは一般的な公共トイレ用、公共エリアでの簡易トイレ用のほか、空港用のガイドラインも策定されている。数多くの島々からなるインドネシアにとって、空港はまさに観光客がその土地に足を踏み入れる最初の空間であり、空港の環境整備は重要と言えるだろう。空港版のガイドラインを見てみると、トイレの案内表示、入口のつくりから、個室や手洗い場の望ましい配置や各パーツのサイズなどについて細かく記されている。これらの内容は、ASEAN作成の『ASEAN公共トイレ基準(ASEAN Public Toilet Standarad)』の指針に沿ったものであるという5。
こうしたガイドライン作成のほか、インドネシア・トイレ協会では空港などの公共トイレの状況について評価し、優秀な施設に対して表彰する活動も行っている。2022年の7月から9月にかけて実施された空港のトイレに関する調査結果により、先ほど「隙のないトイレ」と評したスカルノ・ハッタ国際空港第3ターミナルのトイレが最高評価を獲得した。評価基準は、デザインと環境マネジメントシステム(EMS)、清潔さ、アメニティと設備、安全/清掃サービス、そして利用者評価の5つのポイントから成る6。あのレベルの高いトイレが現在も保たれているのかと思うと、ぜひまた利用したい。
筆者による限られた経験の範囲ではあるが、インドネシアの公共トイレでは基本的にあまりひどい思いをしたことがない。むしろ空港だけでなくショッピングモールやホテルのトイレでもおもいのほか清潔だったり、場合によっては装飾の豪華さに驚いたことが何度かあった7。かつては外国人が日本の公共トイレにおける清潔さや衛生環境のレベルの高さを称賛してくれることもあったが、もはやそんなものは過去の話か、あるいは幻想になりつつあるのかもしれない。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
- 写真1 Ezagren(CC BY-SA 4.0)
- 写真2 ustad abu gosok(Public Domain)
参考文献
- Badan Pusat Statistik. 2022. Indikator Perumahan dan Kesehatan Lingkungan 2022.
著者プロフィール
土佐美菜実(とさみなみ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア島嶼部。最近の著作に「インドネシア――1本のサテがくり出す衝撃の味」(山田七絵編『世界珍食紀行』文藝春秋、2022年)など。
注
- 穴水宏明「インドネシア、ジャカルタ──成長する社会を支えるパブリック・トイレ」海外トイレ事情 9(2017年09月21日)。
- 2022年11月にパプア州から分立するかたちで南パプア州、中パプア州、山岳パプア州が誕生した。
- 筆者は2013年にアジア経済研究所に入所後、首都ジャカルタを何度か訪れたほか、2018年から2019年にかけてジャワ島南部に位置するジョグジャカルタ特別州に海外派遣員として滞在していた。それ以外の地域にも幾度か訪れたことはあるが、ここでの経験談は主にジャカルタ、ジョグジャカルタでの話である。
- 「インドネシア・トイレ協会について(Asosiasi Ttoilet Indonesia)」インドネシア・トイレ協会ウェブサイト。
- 「空港用公共トイレガイドライン(Pedoman Standar Toilet Umum Bandara)」インドネシア・トイレ協会ウェブサイト。
- “Angkasa Pura II bersama ATI audit kebersihan toilet bandara,” ANTARA, 4 Dec. 2022.
- とは言え、清潔さの感じ方には個人差があり、さらにはインドネシア国内のなかでも都市部と村落地域、首都圏と地方で様々な差異があると思うのであくまでも個人の感想として受け止めてほしい。
*2023年11月17日 バナーを追加しました。
- 第1回 中国の「トイレ革命」
- 第2回 日本――トイレではない。それは、便所。
- 第3回 インドネシア――日本を超える?隙のない清潔なトイレ
- 第4回 韓国──紙、流すべきか、流さざるべきか
- 第5回 トルコ──いにしえのトイレに思いを馳せつつウォシュレットの原型を体感せよ
- 第6回 ベトナム――奥深き農村トイレ文化
- 第7回 イラン――洗え、洗え、の爽やかトイレ
- 第8回 ウズベキスタン――トイレをめぐる新米研究者の冒険記
- 第9回 パキスタン――トイレへの(心理的)アクセスがない
- 第10回 中国──トイレから見える中国人の合理性
- 第11回 カンボジア──トイレは怖いところなのか
- 第12回 マレーシア――「郷に従う」ことの快適さ
- 第13回 タイ――洋式化と多様化の波
- 第14回 クウェート――略奪されたトイレ