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コラム

語学汗まみれ

第7回 ベトナム語──人見知りに自己批判を促す言語

Vietnamese: A language criticizing foreigners’ shyness

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001023

2024年5月
(4,834字)

ベトナム語にはこれまで随分ひどい目に遭わされてきた。言い間違いや聞き間違いで恥をかかされたことは数知れず。ただ難しくてやっかいな言語である。ベトナム語は、語「学」的な観点から見るととても面白い言語なのかもしれないが、学問としてきちんと体系的に学んでいない筆者には、残念ながらその面白さがわからない。また、ベトナム語を学ぶこと、使うことで、嫌いな自分、たとえば人見知りだったり怠け者だったりという部分と向き合わされて、ずっと自己批判をさせられてきた。さらに現在は、老いという現実を突きつけられる。外国語との付き合いとは一般的にそういうものなのかもしれないが、ベトナム語の特性ゆえ、という部分があるのはまちがいない。

ベトナム語に罪はない

大学の学部を卒業してすぐに、筆者は青年海外協力隊員としてパプアニューギニアという国に派遣された。語学研修もそこそこに筆者が放り出された現地で、相手のいっていることがよくわからなくても度胸と愛想笑いでその場をなんとか乗り切る、ということばかりを繰り返していた。語学のセンスがない人間の典型的な処世術である(個人の見解です)。語学の得意な人には邪道な行動にしか映らないかもしれない。しかしその後も、仕事で住んだタイ、カンボジアで、言語を十分に習得していなくてもなんとか破綻せずに仕事をこなし楽しく暮らしを送ることはできる、という成功体験を重ねてしまった。

そんな筆者がベトナム語を学び始めたのは、アジア経済研究所でベトナム経済の研究を担当することになったから、という決して積極的とはいえない理由からであった。入所した1998年11月はまさにアジア通貨危機の真っ最中。とはいえ、まだ経済規模も小さく、金融機関も未発達だったベトナムは、タイやインドネシアほど大きなダメージを受けていなかったこともあり、駆け出しの研究者に回ってくる緊急を要する仕事もほとんどなかった。今思えば、この時期に怠けずにもっとベトナム語の勉強に励んでいればよかった。

筆者が集中的にベトナム語を学習する機会を得たのは、2003年からの3年間、アジア経済研究所の海外派遣制度を利用してハノイで在外研究をしていた時期であった。家庭教師の先生に来てもらい、週に3回、2時間ほど勉強した。しかし、1年ほどで終わるように作られた外国人向けの標準的な初級編の教科書(といっても中身はベトナム語オンリー。英語などは一切なし!)を最後まで終わらせることができなかった。気分が乗らない時や課された宿題をやっていない時、なんとかくだらないおしゃべりに持ち込み時間を稼ぐ、というようなことばかりやっていたため、途中で先生が教科書に沿った授業を諦めたのである。

あれから早20数年。厚顔無恥にも「地域研究者」を名乗り、現地でネットワークを築き、現地の情報源から現地の言葉で情報を取っています、などと表向きには表明してきた。しかし、せっかくの機会なので白状するが、今でも、「上達した」と胸を張るレベルには程遠い。一方で、若い頃に染み付いた邪道な思考は抜けきらない。聞き取り調査の現場で相手の話がわからなくなると、しつこく聞き返すよりも、相手に嫌がられないようにその場を乗り切ることを考え始める。よくわからないことが多いまま聞き取りを終えた時は、新聞、書籍、インターネットなどで情報を補完する。そして、だったら調査の前にそれらの情報源から予習しておけばもっと話が聞き取れただろうに!と反省する。そんなことの繰り返しである。

しかし、こちらのいっていることが伝わらないのは誤魔化しようがない。筆者はおもに農村経済を中心に研究をしてきたため、農村調査に行くことも多いのだが、こちらが頑張ってベトナム語で話しても、農村の人たちの反応はなかなか手厳しい。筆者が農村の人たちに質問をする。農村の人たちが露骨に怪訝な顔になる。そして同行している「若手ベトナム人研究者君」をみなが一斉に見る。ベトナム人研究者君は筆者が喋ったこととほぼ同じ内容の質問(場合によっては一字一句違わず同じ質問)をする。農村の人たちが「ああそういうことね」という顔をして質問に答えてくれる。そしてその後はずっと同行者による越・越通訳を介した会話が続く。というのがお決まりのパターンである。

そうこうしているうちに、筆者もそろそろ職業人生の終わりがちらつく年齢になってきた。この歳になると、語学は若いうちにやっておくべきであると改めて思う。それは、歳と共に記憶力が衰えるという人間の脳の特性の問題もさることながら、それ以上に、歳をとると好奇心がどんどん薄れてインプットが少なくなっていくという問題のためである(個人の見解です)。ハノイの街中で、あるいは友人との会話のなかで、「聞いたことがない言葉だな」「どういう意味だろう」と気になることは今でも多いが、若い頃ならその場で聞くなりあとで調べるなりしていたことも、「まあいいか」と、いつの間にか忘れてしまう。もうこれ以上の語学の上達は望めなさそうである。

写真1 ベトナム南部ソクチャン省の農村風景

写真1 ベトナム南部ソクチャン省の農村風景
とはいえベトナム語は難しい

なぜベトナム語が上達しないのか、その原因はわかっている。自分の怠け具合を棚に上げていえば、日本語に比べ、ベトナム語が非常に豊かな音を持つ言語だからである。

読む方は、それでもなんとかなってきた。ベトナム語は、基本的にはアルファベット表記なので、母音まわりに付いている声調記号と母音記号の原則を覚えれば、意味がわからなくてもある程度は読めるようにはなる。漢字に対応する語も多いので、わからない単語でも、(これもある程度は)意味を類推することができる。同音異義語がけっこうあるので油断はならないが、組み合わさる語や前後の文脈で、そのうちなんとなくわかるようになってくる。

問題は読み以外の3つ、つまり聞くこと、しゃべること、書くことである。まず、よく知られるように、ベトナムは声調のある言語なので、声調を間違えると文字どおり話にならない。少し前にも、「牛」というつもりでずっと「お父さん」といっていたのに気づかず、5分ぐらい相手をぽかんとさせたことがあった。

しかし、筆者にとってより大きな問題は、聞き分けられない、発音し分けられない微妙な音の違いがたくさんあることである。子音も難しいが(kとkhの違いとか、語尾のnとngの違いとか)、より複雑なのは母音である。「ア」や「オ」にあたる母音が3つずつあるとか、「イ」は短い音と長い音があるとか、ベトナム語に2つある「ウ」(uとư)のどちらも日本語の「ウ」と音が異なるとか。二重母音を綺麗に発音するのも難しい。原則は知っていても、会話の場でこれらの違いが聞き分けられ、しゃべり分けられるかというと話は別である。「エ」の音の難しさ、つまりeとêの違いについては、もう随分前に諦めてしまった。恥ずかしながら、いまだにほぼ聞き分けられないし、話す時も正しく発音できている自覚はない。そして音の違いがわからないから、書く方も難しい(あれ、「慣れる」はquenだったっけquênだったっけ?といった具合に)。

そしてベトナム語のもうひとつの難しさは、状況によって選択する言葉が変わることである。生来人見知りの筆者にはこれが辛かった。「嫌だなめんどくさいな」と思いつつも、積極的にコミュニケーションを取らないと上達しないからある。たとえば日常会話では、相手と自分との関係性(年齢差とジェンダー)次第で、英語ならIとかYouとかで済ませられる自分と相手の呼称が複雑に変わる。主語を曖昧にしないベトナム語では、相手との関係性を瞬時に判断しないと会話が滞る。ベトナム語の先生とおしゃべりをしているだけでは、その複雑な組み合わせのパターンは覚えられない。また、相手が近しい関係になると会話のなかの表現が変わってくるが(助詞や関係代名詞の省略が多くなるのでぶっきらぼうな感じになる)、相手との距離感に合わせた会話の使い分けも難しい。ハノイに駐在したての頃は、この機微がわからず丁寧な話し方を心がけていたため、「サカタのベトナム語は硬い」とよくいわれていた。

ベトナム語の面白さのひとつは、会話表現のなかに、額面どおりに直訳すると意味が通じない言い回しが多いことであろうか。たとえば「〇〇さんいますか?」と聞く場合、直訳すると「〇〇さんの顔ありますか?」といった言い方をする。こういう言い回しを覚えると、ベトナム語上級者扱いされるが、特定の状況でしか使えない言い回しが多いので、会話する現場をたくさん経験しないと身に付けられない。会話のなかで、「こういう時はこういう言い方をすればいいんだな」と気がついても、次に同じシチュエーションが来る頃には忘れてしまっていたりするので、場数は重要である。

写真2 とある観光地に貼ってあった道徳啓発ポスター。

写真2 とある観光地に貼ってあった道徳啓発ポスター。「笑いましょう、感謝しましょう、謝りましょう」。直訳すると「笑うことを知り、感謝することを知り、謝ることを知りましょう」となる。「知る」という意味のbiếtを「○○しなさい」の意味に使うのも、よくある上級者表現
変わるベトナム語

2023年初からの2度目の在外研究で長期滞在を始めた頃、日常会話のなかで新しい言葉の出現や言葉の変化がとても気になった。前回の駐在から20年も経てば、経済発展や経済・社会のグローバル化に伴い、言葉も変化して当たり前である。

たとえば、ハノイでは今、バイクの宅配人は、shipperと呼ばれている。コロナ禍以降の宅配サービスの急増で、すっかりこの英語由来の新しい単語は定着した。綴りも英語表記のまま定着した単語はめずらしいのではないだろうか。他にはmassageぐらいしか思い浮かばない(ほとんどの外来語はベトナム語に意訳されるか、たとえばcafeはcà phê、meetingはmít tinhなどのようにベトナム語表記に変わる)。

もうひとつ、言葉の変化として気になっているのは、最近ハノイで急増中のおしゃれな果物ジュース屋の看板に書かれている「果物」という単語が、ほぼ例外なく南部言葉のtrái câyになっていることである。ちなみに、果物一般のこと指す場合は、変わらず北部言葉のhoa quảが使われている。友人に聞くと、南部出身のジュース屋さんが多いとか、trái câyの方がおしゃれなイメージだからとか、いろんな説が出てくる。諸説あります、という結論で本稿では勘弁していただきたい。

言葉そのものの変化ではないが、耳にする頻度が格段に増したのが「シンチャオ」(xin chào、こんにちは)である。「シンチャオ」は、聞いたことがある読者もいると思うが、外国人がまず初めに習うベトナム語のひとつである。しかし、「シンチャオ」と挨拶し合っている人たちを日常的に見かけることはまずない。現在、シンチャオ頻度は特に小売店、飲食店界隈で上昇中である。たとえば、今はコンビニに入ると店員が「シンチャオ!」と元気に声をかけてくれる。このサービス(?)が始まったのは、ベトナム初の外資コンビニチェーン店サークルKがベトナムに進出した2008年のはずであるが、初めて声をかけられた時、とにかくびっくりした記憶がある。初めのうちは店員たちの「店の方針でいわされてます」感がひどかったが、今ではすっかり馴染んだ様子である。

また、最近英語で話す機会が増えたことも言葉をめぐるひとつの変化である。最近筆者に白髪が増えて、明らかに外国人とわかるようになってきたということもあるのだろう(同年代のベトナム男性はなぜみんなあんなに漆黒の黒髪なのか!)。筆者が下手なベトナム語で話していると、会話をサッと英語に切り替えてくれる若者が増えた。ベトナムの若者は年長者に優しい。また、商店や銀行、行政の窓口などで、英語の表示や英語で外国人に対応できる人も増えた。ただし、そこは初見の相手に冷たいハノイっ子のこと、向こうからMay I help you?などとやさしく問いかけてきたりはしてくれない。こちらから積極的に知らない人に話しかけねばならない場面はまだ多く、結局コミュニケーションの言語が変わっても、人見知りの筆者は常に自己批判を促され続けている。

【好きなフレーズ】

uống nước nhớ nguồn
「水を飲んだら水源のことを思え」

ご先祖様への感謝を忘れるな、あるいは、ことあるたびに支えてくれている人に感謝せよ、といった意味。好きなフレーズというより、唯一知っているベトナムの超有名なことわざである。ベトナムにはことわざの類がたくさんあり、飲み会の場ともなると、「世の中は〇〇〇〇といってな……」と、ことわざ付きで社会や文化について気の利いた解説をするおじさんが必ず一人や二人出現する(あくまでも個人の見解です)。筆者はそんなことわざを何十個も聞いてきたはずだが、何しろほとんどの場合こちらも酔っているので、ベトナムでも四字熟語が多いな~ぐらいの感想しか持たずに聞き流してしまっていた。そのせいで、覚えているのはこのことわざぐらいである。でも、論文が一本書けるたびに、ベトナムの人たちのおかげです、と必ず感謝するようにはしている。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • すべて筆者撮影(2023年9月)
著者プロフィール

坂田正三(さかたしょうぞう) アジア経済研究所在ハーグ海外調査員。専門はベトナム地域研究。主な著作に、「2030年に向けた経済発展の方向性」藤田麻衣編『ベトナム「繁栄と幸福」への模索──第13回党大会にみる発展の方向性と課題』アジア経済研究所 2022年、Kojima, M. and S. Sakata (eds.). 2021. International Trade of Secondhand Goods: Flow of Secondhand Goods, Actors and Environmental Impact. Palgrave Macmillan. “The Changing Dragon Fruit Value Chain in Vietnam: The Increased Presence of the Chinese in the Chain.” In Pritchard, B. (ed.). 2021. Global Production Networks and Rural Development: Southeast Asia as a Fruit Supplier to China. Edward Elgar Pub.など。