HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

今日は勤労感謝の休日、柿取りに興じました。

 いつも何かにとせわしく暮らす毎日、今日の勤労感謝の日は、うちの上さんに奉仕することにして、上さんの実家(と言っても両親はもう鬼籍に入って誰も居りませんが)の柿取りをしました。横浜地方の天気はまずまず、朝は薄雲がかかっていたものの次第に晴れてきて、絶好の行楽日和りになりました。柿の木は家にもあるのですが、その成る実に大きな違いがあります。家のは次郎柿で木を植えて20年位かな?まだそれ程太くないのですが毎年実をつけます。上さんの方は、同じ柿の系統らしいのですが、何の種類か分かりません。何故かというと上さん言うには、大伯父さんが、50年以上も前に、苗木を持って来て庭に植えてくれたものらしいからなのです。それから幾星霜、幹周りも大きく成長し、実の大きさも大きく甘さが格別なのです。  今年は例年に比して、実の数が少ない様です。猛暑だったせいでしょうか?それでもかなりの数が高い枝に成っているので、知人にも応援して貰い取ることにしました。もち論数個は取らないで残しておき、鳥達のなすがままにします。一種のおまじないです。

 久しぶりに行ってみると庭は、冬が近付いて枯れ木、枯れ草が多く、手入れもされていないこともあって、かなり荒れた様子、花々もほとんど咲いていません。それでもあちこち健気に色香を残している小花が咲いていました。

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万両と千両の赤い実は、クリスマスと正月が、だんだん近づいていることを気付かせます。また小さな小薔薇も咲いていました。地面から這いつくばる樣に咲いているのは、カタバミの一種でしょうか?

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茂みの灌木には、黄色いソフトボール程の大き目の実が成っていました。夏みかんです。まだ熟していないのか白っぽい色です。その対面には、小さな柑橘類の実、これは金柑でしょう。まだ青い色。

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 丁度それらの中間には、左右の柑橘類の中間のサイズの比較的小さ目の実がなっていました。上さんの話しでは、柚子だといいます。でも花柚子と言って日本古来種の小振りの柚子で、流通種の大きい柚子は、中国原産なので、それとは異なると言っていました。

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 その他、カリンの木には実がなっていませんでした。

 肝心の柿の木はというと、太く背が高くて、柿の実も、随分高い処に成っていました。こりゃ大変だなと思いつつ、高枝鋏を長く伸ばして、もう一人は、柿の真下で丸いザル状の容器の中に小さな座布団を敷き、鋏でチョキンと切ると同時に、その実の落ちる方にザルを伸ばして受けるのです。素直に真下に落ちて呉れれば良いのですが、落ちるまで枝に触れたりして変化球の樣に方向が曲がってしまい、捕手がうまくキャッチ出来ないことも。それでも大半は無事無傷で取ることが出来ました。名投手に名キャチャーだね、などと戯れ言を言ったり、たわいもない話しをしながらやったら、随分効率が良く出来て、午後一時頃から初めて午後四時前には、取り終わりました。家内の話しでは、200個近くあるのでは、と言っていました。
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  この日は少し行った最寄りの駅中の料理屋に、17時に予約を取ってあったので、取った柿の一部を、家内が実家にいる頃からお世話になったお隣さんにお持ちしたり、お茶とお菓子で一服したり、道具を片付けたりしてから料理屋に向かいました。その京料理屋さんは、駅のデパートの最上階に有りました。

 料理はコースものを予約したらしく、先ず先付けから出て来ました。コースの名前は「貴船」。貴船で思い出すのは、昔京都に出張した折、高校の同級生が朝日の記者をやっていて、前もって連絡しておいたら、南座の近くまで向かいに来てくれて、ルートは忘れましたが、貴船ルートから鞍馬まで連れて行ってくれました。その人間は優秀なのですが、かなり変わっていて、住まいは東京にあり、東京から京都に転勤になった折、仮の家を鞍馬に構え、毎朝剣道か何かを山の林の中で行業するというのでした。奥さんと子供と三人+ワンちゃんの暮らしで、翌日は確か日曜日だったので、泊めて呉れて、翌日、三千院を見てから帰ると言ったら、鞍馬から車で大原まで送って呉れました。彼とはその後音信不通になりましたが、これも二度目、一回目は高校を卒業してから数年間音信不通、実は地方の高校でしたが、一年生の時、自分と机が前後の位置で、随分暗い表情を毎日しているので、声をかけて話してみたら、東京に住んでいたのだけれど、父親が朝日の上の方の仕事をしている時、現役で亡くなってしまったというのです。それでお母さんの出身地であるその地方都市に来て、その高校に入ったというのです。その後二年生、三年となるとクラスが異なって音信不通、卒業後も多分東京に行ったのだろうと思いましたが、音信不通になってしまったのでした。それが縁があったのでしょう。自分も上京していて、ある時山手線に乗ったら、真向かいに若い女性と話しながら座っている男がどうも彼にそっくりなので、思い切って「・・・君ではないですか?」と訊いたらやはりそうでした。その女性は付き合っている彼女で、将来奥さんになる人だったのです。その時の話では、何と早稲田に在学して留年し、6年目だという事でした。それも学業が出来なくてという事でなく、外国を彼方此方廻って三年間を過ごしたというのです。兎に角お母さんがその地方都市でも有名な裕福な資産家のお嬢さんで、東京の学校に来て、彼の父親と知り合って結婚したという事でした。そしてその息子である同級生も父親と同じ朝日に就職したのでした。今頃どうしているのかな?何年も前に電話しても手紙書いても音信不通です。「貴船」で急に思い出してしまいました。

以下今日の(京の?)料理です。
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