【日時】2023.2.19.(日)14:00~
【会場】目黒パーシモンホール
【管弦楽】Sinfonia Zubrowka
2005年結成。 20代後半を中心に、学生から社会人まで様々なバックグラウンドを持つ演奏家が集うオーケストラ。楽団名の由来は、ポーランド原産のウォッカ「ズブロッカ」のように、力強く独特の香りを放つオーケストラを目指して活動したいとの意味で名付けられた様です。
【指揮】湯川紘惠
〈Profile〉
東京藝術大学音楽学部指揮科卒業。同大学大学院音楽研究科指揮専攻卒業。
これまでに指揮を高関健、山下一史、尾高忠明、田中良和の各氏に、ピアノを小池ちとせ、徳丸聰子、加藤朋子の各氏に 師事。
2018年 スペインにて ヨルマ・パヌラ氏のマスタークラスを受講、 カルロス三世劇場で行われた 修了演奏会に出演。
2021 年 リッカルド・ムーティ氏による オーディションを経て リッカルド・ムーティ・イタリアン・オペラ・アカデミーを受講 、 東京・春・音楽祭 において 、リッカルド・ムーティ introduces 若い音楽家による《マクベス》 に出演 。 英国ロイヤルオペラハウス にて Jett Parker Young Artist Program 主催のマスタークラスを受講 、 リンブリー シアターで行われた最終公演 に て the City of London Sinfonia を指揮する 。
2021 年 9 月より NHK 交響楽団にてパーヴォ・ヤルヴィ氏のアシスタントを務め、 2022 年1 月 より指揮研究員として同団の公演に携わる。
【曲目】
①シベリウス『交響詩フィンランディア』
(曲について)
『フィンランディア』が作曲された1899年当時、フィンランド大公国は帝政ロシアの圧政に苦しめられており、独立運動が起こっていた。シベリウスが作曲した当初の曲名は「フィンランドは目覚める」 (Suomi herää) で、新聞社主催の歴史劇の伴奏音楽を8曲からなる管弦楽組曲とし、その最終曲を改稿して独立させたものであった。フィンランドへの愛国心を沸き起こすとして、帝政ロシア政府がこの曲を演奏禁止処分にしたのは有名な話である。初演は1900年7月2日、ヘルシンキで行われた。
②シベリウス『交響曲第6番』
(曲について)
シベリウスがこの交響曲を着想したのは1914年秋のことで、交響曲第5番、第7番の楽想もほぼ同時に着想している。この時は、翌年の生誕50年記念行事に使用するための第5番が優先された。しかし、他の2つの楽想に基づく作業も並行して進められた。この過程でシベリウスは、第6番のための楽想をヴァイオリン協奏曲にする構想を持ったことが出版社宛の手紙からうかがえる。この構想は比較的すぐに取り下げられ、交響曲としての作曲が進められつつあったが、第一次世界大戦の勃発などの情勢不安により作曲は一時中断してしまう。
1918年に祖国フィンランドがロシアから独立し、シベリウスは再び交響曲に取り組むことができるようになった。1919年、シベリウスを経済的にも精神的にも援助したカルペラン男爵が亡くなった。この恩人の死は、作曲中であった2つ交響曲に宗教的な響きと独特の陰りという形で影響を及ぼしている。着想直後にシベリウスは「荒々しく、情熱的な性格」と書いているが、実際に完成されたのは教会旋法や対位法を多用した思索的な作品となった。これにはかねてから研究していたパレストリーナを初めとするルネサンス時代の宗教音楽も影響している。作品は1923年1月(1922年秋の説もある)に完成した。
③シベリウス『交響曲第1番』
(曲について)
シベリウスはこの第1番と番号が付けられた交響曲を作曲する前に、民族叙事詩『カレワラ』に基づき、独唱と合唱を伴うカンタータ風の『クレルヴォ交響曲』(1891〜92年)を作曲していた。『クレルヴォ交響曲』から本作が作曲されるまでの間に声楽を伴わない標題付きの交響曲が計画されたが放棄されている。すでに交響詩の分野では『フィンランディア』を初め、『エン・サガ』、『トゥオネラの白鳥』を含む『4つの伝説曲』など代表作となる傑作を創作していたシベリウスが、連作交響詩という枠組みを超え、純粋器楽による標題つき交響曲を計画したが、それを放棄したという点は興味深い。さらに、本作に着手する(1898年4月)直前の1898年3月にシベリウスはベルリンでベルリオーズの幻想交響曲を聴き、大きな感銘を受けたことを記している。そしてシベリウスは滞在先のベルリンで早速交響曲の作曲に着手したのだった。
この頃のシベリウスは酒におぼれ浪費癖をおぼえ、自堕落な生活を送っていたのだが、この作品の作曲当初は酒も葉巻も控え作曲に集中した。しかしそれも長続きはせず、酒に酔ったあげく乱闘騒ぎまで起こしている。5月にはフィンランドへ帰り、国内各地を移動しながら作曲を進め、1899年の初めに完成させた。この年の初演の後、1900年に作品は改訂されている。
初演は1899年4月26日にヘルシンキにて作曲者指揮により行われ、1902年にブライトコプフ・ウント・ヘルテルから出版された。
【演奏の模様】
珍らしい名称のオーケストラですが、ひょんなことから招待券を得、演奏曲は、Allシベリウスだということもあり、聞きに行きました。アマオケの様ですが、アマといっても20年近く続いていて、中には有名オーケストラに転進した人もいるハイレベルな演奏をするオケと耳にしたこともありました。
【演奏の模様】
何と言っても、交響曲第1番が出色の出来でした。休憩後の演奏です。
交響曲第一番
第1楽章 Andante, ma non troppo - Allegro energico
第2楽章 Andante (ma non troppo lento) - Un poco meno andante - Molto tranquillo
第3楽章 Scherzo. Allegro - Trio. Lento (ma non troppo)
第4楽章 Finale(Quasi una Fantasia). Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo)
第1楽章の冒頭、Timp.のかすかなリズムに合わせ、Cl.がソロ音を鳴らすと、2Vn.がトレモロを響かせ、1Vn.がダイナミックな旋律アンサンブルを繰り出します。Vc.とCb.の低音弦も効いている。休憩前の二つの演奏からは、想像もしなかったコントロールの効いた調和したアンサンブルが繰り出されています。次いでTrmb.など金管が入り次第に盛り上がりました。金管の音も良い。Timp.が、ダンダンダンと拍子をとっている。Timpは女性奏者、他の演奏会でも時々女性を見掛けますが、そのバチを振り下ろす姿が格好良く見えることがあります。将に今日のTimp.この1番での演奏が格好良かった。抑制音から大音響まで、制御されている。木管も負けてはいません。Ob. Cl. Fl.が次々とリレーし、この間弦楽はトレモロで合わせちました。
休憩前に比して、第一楽章の金管の響きは良くなった様です。ただHrn.が今一かな?終盤の抑制された弦楽アンサンブルはとても良く聴こえました。最後はPizzicatoで終了です。
第二楽章のHrn.の出だしは少し不ぞろいでした。ゆっくりした旋律は、配布されたプログラムノートによれば、❝暖炉で団らんする家族、揺れる安楽椅子、対する外では厳しい冬景色❞のイメージだそうです。もちろん後者は楽章後半の管アンサンブルに対して強いボウイングの弦楽の特徴的なテンポの速い激しいアンサンブルの事でしょう。ここでも中心となるVn.アンサンブルの響きはOKですし、Hrn.アンサンブルもOKでした。
第三楽章はスタートから速いテンポでスタート、その後各種楽器が入り乱れ、スケルツォ的様相が濃厚になり、管、弦交互に合の手を入れ、またTimp.もダンダンダダダダンと強打して目立っていた。
最終楽章のVn.アンサンブルの紡ぐ旋律は力強く美しい優れモノでした。
全曲を聴いて感じたことは、、前半と後半とで余りにも差がある演奏だったということです。 以上の一番の演奏に比し、①フィンランディアと②交響曲6番の演奏は、同じ楽団とは思えない程の、言葉は悪いですが出来の悪い演奏でした。雑と言ってもいいかも知れない。
最初の①フィンランディアは、期待して聞き始めたのですが、管と弦のアンサンブルの統合度が低く、打も荒ぶった演奏。更には各パートの呼吸が、微妙に揃っておらず、ちぐはぐ感を受ける箇所も多々ありました。
そういった雰囲気は②の交響曲6番の演奏でも変わらず、一部の演奏を除いていい処は少なく、これは将にアマ演奏哉と少し落胆した気持ちになりました。
それが後半ではまったく別物、まさか20分の休憩を取ったことで、これ程の差は出る筈もないですから、勝手に想像するに、これは練習の程度、演奏回数の程度による差異ではないかという事を考えました。要するに交響曲第一番はこれまで何回も演奏して来ていて習熟度が高かったのではないでしょうか?それに対し六番の交響曲は一番程は練習していないのでは? しかしこの考えだと①フィンランディアの演奏が解せない。だってこの曲は一番有名で、頻繁に演奏されるのではないですか?いや意外と習熟していなかったのかも知れない。その内再度シベリウスをやる時は、文末に引用したオーケストラが演奏した交響曲第二番を聴いてみたい気がします。
シベリウスの曲に関しては、以前、大学のオーケストラが、交響曲第二番を演奏したのを聴いて感心したことがあるのです、参考まで、その時の記録を文末に、抜粋再掲しました。
なお、一番の演奏が見違えるほど良かったので会場からは大きな拍手が起こりました。今日の指揮者は、女性指揮者の湯川紘惠さん、<Profile>にもある様に、彼女はパーヴォ・ヤルビの元で指揮修練をしてきた様です。パーヴォ・ヤルビと言ったらシベリウスは得意中の得意のマエストロですから、湯川さんは適任の指揮者だったのですね。湯川さんは、袖から戻ると、❝今日はシベリウス一色の演奏会ですから、アンコールもシベリウスの曲を演奏します❞と言った趣旨のことを言ってオケを指揮し始めました。管、打は加わらず休止で弦楽のみの演奏でした。
《アンコール曲》 シベリウス『アンダンテ フェスティーボ』
滔々とゆっくり流れる弦楽の調べは、雪を解かし寒さを和らげる春の如き、とても暖かく心に響く演奏でした。今日最高の演奏だと思いました。満足です。
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2022-12-04 HUKKATS Roc
音楽大学『オーケストラ・フェスティバル』二日目
【日時】2022.12.3(土)15:00~
【会場】池袋・東京藝術劇場
【出演】
①武蔵野音楽大学管弦楽団
②桐朋学園大学管弦楽団
【指揮】
①円光寺雅彦
②高関健
【曲目】
①シベリウス『交響曲第2番ニ長調<Op.43』
(曲について)
シベリウスは、1901年2月から3月にかけて、アクセル・カルペラン男爵の尽力でシベリウスは家族を連れてイタリアへ長期滞在の旅に出た。ジェノヴァ郊外のリゾート、ラパッロに住まいと作業小屋を借りシベリウスはこの作品の作曲を進めた。厳寒のフィンランドに比べ温暖なこの国を彼は「魔法がかかった国」と評し、スケッチの筆は急速に進んだ。また、この国の様々な伝説や芸術作品も彼の創造力を刺激した。第2楽章の楽想はフィレンツェでの印象やドン・ジョヴァンニ伝説にインスピレーションを得たと言われる。また、ローマ滞在中にパレストリーナの音楽に多く触れ、その対位法技法から多くを学んだ。しかし、シベリウスはこの作品をイタリア滞在中に完成させることはできず、フィンランドに戻ってからも筆を入れており、1901年11月にカルペラン男爵宛に完成が近いと知らせている。この時点で一旦完成とした後、年末に再び大幅な改訂を行った。 初演は、1902年3月8日ヘルシンキで作曲者自ら指揮を執り行われた。
【演奏の模様】
この「音楽大学フェスティバル」は11月と12月の二回に分かれて行われます。11月23日の昭和音大と洗足学園音大の時は、ブラームスの1番と2番をやった様なのですが、残念ながらオペラ上演が重なっていて聴きに行けませんでした。12月4日と12月10日もルイージ指揮の演奏会などに行くので聴けません。今回は、武蔵野と桐朋の二大学のみ聴くことが出来ました。
会場に入ってステージを見ると、比較的広いステージ一杯に椅子が並びコントラバスは、7挺置いてあります。かなりの編成になるでしょう。時間になって席に着いた奏者は一部よく見えないですが、楽器構成は、三管編成、弦楽五部12型(12-12-10-8-7)の模様。演奏が始まる前に、二校の一つが、他の校にエールを送るためファンファーレを吹きました。在学生の作品ということで、女子学生の作曲者が会場から登壇して挨拶していました。音も曲も仲々よかった。
①シベリウス2番
第1楽章 Allegretto
第2楽章 Tempo andante, ma rubato - Andante sostenuto
第3楽章 Vivacissimo - Trio. Lento e suave - attacca
第4楽章 Finale. Allegro moderato -Moderato assai - Molto largamente
初めの楽章は弦アンサンブルがざわめきの様な背景音を立てて、木管楽器の調べにホルンが応じました。Hr.はかなり地味な響きです。5台で鳴らしている。幻想的な調べを弦アンサンブルが奏で、その後pizzicatoに転じたりして盛り上がり、木管が次のテーマを響かせる。第2主題の提示は短く、直ぐに冒頭のようなざわめきが弦に戻ってきて収束。その後第2主題が展開され第1主題の動機を基盤に発展しました。その盛り上がりの過程で第2主題がピークとなります。すると幻想風のエレジーの旋律が金管でファンファーレ風に演奏される。ホルンに先導されて第1主題の再現です。形式通りの再現が有りましたが、幻想風な旋律は再現されなかった。第2主題の拡大はかなり大きめ、コーダでは提示部と同じように序奏の動機を奏でながら次第にテンポも遅くなって、穏やかな和音で曲を閉じました。演奏時間は10分程度?
この第一楽章だけを聴いただけでも、そのアンサンブルの和声的な響きや管と弦のタイミング良いやり取りの呼吸など感心する点が多々あり、次楽章も期待出来そうだと思いました。
第二楽章の冒頭、ティンパニの連打に促されてコントラバスからチェロにかけてpizzicatoで旋律を奏で、ファゴットが奏でる主題は幻想的な響きあり。チェロが伴奏的なpizzicatoの音を立てている。以下金管の響きも厳しいものがあり、またこの楽章、旋律的pizzicatoを度々登場させたシベリウスの意気込みを感じさせる勢いがあり、そしてそれを20分程度あったかと思う演奏時間があっという間に過ぎてしまう程引き付けるものがこの管弦には有りました。
以下、のどかでしみじみとした牧歌的雰囲気にオーボエが印象的な演奏をした三楽章、その終盤でのオーボエによる再現される処はとても美しいものが有りました。そしてアッタカ的に入った四楽章では、弦楽器の力強い誘導にトランペットがいさましくに応じるテーマの演奏で開始、これがアンサンブルが上行する一部不協的響きも交えながら盛り上がった後、木管による経過的響きが次第に静かになり、低弦がうごめくような音型で伴奏する中、木管楽器が第2主題を互いに呼び交わして行き再度盛り上がりを見せ全管弦の強奏へと、そしてこれが発展して、金管が絶頂感を演出、終結部ではオーボエ、トランペットやトロンボーンが華やかに主題を謳歌、全曲の幕を閉じました。時間は15分位でした。
演奏が終わって思ったことは、これが本当に学生の演奏なのか?とびっくり仰天、以前の年もその前も(いやあれはコロナの前だったかも知れません)これまで、様々な大学のオーケストラ演奏を聴きましたが、今日のシベリウス演奏程オーケストレーションも良く表現で来ていて、何分各パートの基本力が高く、しかもそれぞれがバラバラになることがなく、整合・統一の方向にベクトルが向いている演奏は聞いたことが有りませんでした。学生と言っても既に各方面で実際に演奏活動して活躍している人もいるのでしょうが、オーケストラ構成員全員の持てる力をこれ程までに弾き出し統合させた指揮者の円光寺さんの指導・指揮力は大したものだと思いました。シベリウスの2番を選曲した点も大当たりだったのでしょう。
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