実を言うとね、DJをするときは・・・(口元に手を当て打ち明け話をするような仕草で)Garagebandを使っているの
Sonar Music Festival 2017(以下、Sonar)でBjörk(ビョーク)がそう語ると、会場は笑いに包まれた。長年にわたって音楽とテクノロジーを結びつけてきた彼女だ。Garageband(ガレージバンド)を使おうが、いまさら誰もビョークのアーティストとしての資質を疑わないが、Sonarにはさまざまな企業、研究者、アーティストなど、音楽だけでなくテクノロジーにも関心の高い層が集まる。普段はProtools(プロツールス)を使っているけれど、DJのときは周波数などに気を遣いたくないから、という理由からGaragebandを使っているそうだが、ビョークらしい大胆不敵な発言だ。
6月中旬からバルセロナ現代文化センターでは彼女のVR作品を主に展示する『Björk Digital』が9月まで行なわれる。そのエキシビション初日に合わせSonarに登場したビョークは、世界各国から集まったアーティスト、研究者、起業家、企業関係者などを前に、自らのアートプロジェクトとDJについての特別トーク、そして4時間にわたるDJセットを行なった。これまでのキャリアでパンクやオルタナティブロック、エレクトロニック・ミュージックなどのシーンを駆けぬけてきたビョークは、男性優位の音楽産業で常に戦っている。アートとテクノロジーが交差するSonarという場で、彼女らしく思いがけない方向からセクシズムの問題を告発する様子をレポートしたい。
オープニングの夜に来場者に振舞われていたパエリアを食べ、ビョークのDJセットの会場に入る。ステージの方向を凝視して、思わず「え?」と声が出た。
ビョークだと言われてもとても識別できないが、密林のような大量の植物に囲まれてDJをしている(おそらく)ビョーク。さきほどのトークのときも顔をひらひらした扇子状の布で覆っていたが、DJセットでは着替えて全身を隠してしまっている。
近年のビョークは顔を隠すヘッドピースを身につけることが多いので、顔を隠す演出自体にはそれほど驚かないが、とうとう全身がミイラのようにすっぽりと白いすだれのような素材で覆われ、目と口の部分だけ穴を開けている。もはや中に入っているであろうビョークを想像で感じるしかない。「これは写真にしたら、最高にかっこいいわ!」と近くにいた女性の観客は感嘆の声をあげながらスマホで撮影していたが、そんな話で終わらせていいのか。
おそらくはトリビュート的な意味合いで、2014年に早世した長年の音楽的盟友だったLFOのMark Bell(マーク・ベル)の初期の曲をかけたり、今回Sonarのクロージング・パーティーでNico Muhly(ニコ・マーリー、彼女のアルバムで何度かコラボレートしている)が演奏するDavid Lang(デイビッド・ラング)の声楽曲などをかけたりしていたが、インド歌謡をかけたと思ったら、突然乱暴に低音を叩きこんだり、ビョークのDJは一言で言って荒々しかった。トークの際に事前に編集したトラックがうまく保存されていなくて、今日のセットは仕込みに時間がかけられなかったとも語っていたが、以前SoundCloudで公開されたDJセットと比べても、選曲はまとまりに欠けていた。残念ながら観客も今一つピンとこない様子で、4時間が長く感じられた。
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Garagebandに珍衣装、そしてやりたい放題のDJセット、これらはビョークファンにとっては「写真に撮ったら最高な」まだ楽しめるアクシデントかもしれないが、なぜ彼女はSonarという大舞台でこのようなことをしたいと思ったのだろうか。Deadmau5(デッドマウス)のようにマスクで顔を隠してプレイするDJはよくいるし、Garagebandどころかろくにミックスもせず、用意した楽曲プリセットをただ再生するだけというボタンプッシャー的なひどいDJの存在はもう何年も前から問題視されている。だがそもそもアーティストがステージで全身をすっぽり隠してしまったら、「プロモーションにならない」と怒る業界関係者やプロモーターも未だに多いだろう。ビョークはこれまで自らのライブで、ミュージックビデオで、雑誌のカバーで、そして映画で、幾多の媒体で素晴らしいイメージを残してきた。そしてそれらはミュージシャンとしてのビョークのクリエイティビティの高さをつねに際立たせる形で、彼女が作りあげた音楽やアートへの理解を助けてきた。
しかし今回のビョークのDJセットはこれまで築いた女性シンガーとしての要素を一切排してパフォーマンスしていたと言っていい。今年のSonar初日は演奏はビョークのDJセットしかないので、皆彼女を観に来ている。それなのに、本人は森の中で白い衣装に身を隠してDJとしてプレイしている。「有名女性シンガーのビョークが有名音楽フェスティバルでDJをした」という話題として単に消費されることへの拒絶を表明しているかのようだ。
ビョークと共演者から見えた、音楽に立ちはだかるセクシズムの壁
ビョークはこの10年ほど、音楽産業における性差別の傾向を主張してきた。特に自ら作曲・編曲・プロデュースを行なってきたにも関わらず、自身ではなく男性の共演者やレコーディング・エンジニアらの名前が各種媒体に記載され続ける問題について憤りを感じている。
女性はテクノロジーをうまく扱えないといった差別的な見方が実際にどのような形で音楽界に存在しているのだろうか。
これまでのビョークのセクシズムへの言及は、2008年に彼女の公式サイトでの声明に始まる。音楽サイトのPitchforkを名指しにし、作編曲・プロデュースの記載が間違っていることを指摘し、女性がコンピューターを使って音楽制作を行なってもいつのまにか周りにいた男性があたかも作業したかのように言われてしまう現状について語った(現在リンクは切れているが、その内容はStereogumの記事などで確認できる)具体的にはレコーディング・エンジニアでプログラマーのValgeir Sigurðsson(ヴァルゲイル・シグルズソン)がプロデュースや作編曲を行なっているように書かれたり、ピアニストで作曲家のNico Muhlyが関わっていない作品に誤ってクレジットされていることがあげられている。
この話題は断続的にインタビューなどで触れられていて、2015年のPitchforkでもMatmos(マトモス)がアルバム『Vespertine』全体のビートメイキングをすべて担当していると書かれていることや、Arca(アルカ)が『Vulnicura』をすべてプロデュースしているかのように書かれていることは事実ではないと語っている。このインタビューでは、女性もテクノロジーを扱えることを積極的に見せるために、実際のスタジオでミキシングデスクの前にいるところを写真に撮って公開すればいい、と彼女は提言した。
このインタビューの反響は凄まじく、世界中の女性クリエイターがアクションを起こす引き金となった。さまざまな形式の電子音楽に関わる女性アーティストの制作の様子を収めた500以上の写真が集まり、オンラインで公開するサイトが立ちあげられた。Sonarでもこのことについては嬉しそうに語っていた。
さらに彼女は2016年12月に発表したFacebookの声明で、女性アーティストがラブソングを作って恋について歌ったりすることは受けいれられるが、彼女のように自由なスタイルでDJをしたり、さまざまなトピックで自由に音楽を創作する女性アーティストに理解のないメディアが多いと非難している。
Sonarでの全身を覆い隠す衣装は、安直なジャーナリズムに対しての問題提起とも受けとれるのではないだろうか。
ビョークとは直接の関係はないが、今回のSonarで印象的だったのは2日目にトリのDJとして出演していたNina Kraviz(ニーナ・クラヴィッツ)。日本のクラブ系メディアで「才色兼備」と書かれたり、記事になるたび必ず女性DJと呼ばれて区別されてしまう彼女だが、今回は黒いTシャツと黒いパンツでステージに立っていた。胸にはスマイルマークのような彼女のトレードマークが印刷されていたが、非常に地味な格好だ。観客として来場している女性たちのほうがずっと派手に着飾っている。
男性のテクノDJが黒いシャツと黒いパンツでステージに立ってもそんなものかと思うだけだし、記事にする場合も「世界有数の男性DJ」といった紹介の仕方はしないだろう。ニーナ・クラヴィッツもいつもこのような格好でライブをするわけではないし、プロモーション用の写真ではそれなりにキメて撮影している。
私たちはアーティストの何をライブで見ているのだろうか。
特に女性は性と紐づける形で演奏より先に容姿から批評されてしまう傾向にあり、「美しさを兼ね備えた才媛DJ」といった言い方をされてしまうことが多い。逆に男性も「イケメン EDM DJ」といったキーワードで検索結果が多数ヒットはするが、「男らしい野性的なルックスと繊細なDJプレイが同居している」というような言い方で男性が容姿と演奏力を並行して批評されることはまれだろう。記事を書く立場からすると、少しでも多くの読者を得るための取っかかりとして、わかりやすいアピールポイントがほしいことは理解できる。しかし他方でそれは記者の身勝手で、性別や容姿や国籍など付随的な要素によってミュージシャンやDJにイメージを押しつけてしまいかねないということでもある。
ニーナ・クラヴィッツはすでに世界的にDJとして知られているが、Sonarという大舞台で実力派DJとしての立ち位置をアピールするためにあえて黒い格好をしたのだとしたら興味深い。女性アーティストたちの間で、何か新しい変化が起きているのかもしれない。
今回Sonarにはビョークゆかりのアーティストが4組出演していた。Valgeir Sigurðsson、Nico Muhly、Matmos、Arcaの4組だ。意図したのかはわからないが、いずれも過去に記事の中で間違えてクレジットされ、ビョークが抗議している。
今年20周年を迎えるRed Bull Music AcademyのステージではMatmosの2人が登場。ステージ中央にはまず洗濯機が設営されていた。
洗濯機にマイクを立て、洗濯機から出る音をコンピューターに取り込みプロセッシングしたり、さらに洗濯機を打楽器のように叩いたり、洗浄中の水を洗濯機につけて音を出し、リズムが構築されていく。注水→洗濯→脱水の順に40分ほどのパフォーマンスが行なわれる。誰もが知っている洗濯機の過程が音楽になる。表現がただ新しいということではなく、いつも見慣れたライブとは違ったやりかたで音楽を体験させてくれる、それがMatmosだ。
ビョークに関連したアーティスト4組の中でもNico Muhly、Matmos、Arcaの3組はゲイであることを公言している。Arcaはその中でも特に自己の性のあり方を探求することに焦点を当てているアーティストだ。紋切型の性のあり方からは離れて、独自の性のあり方を探すかのように、女性用のセクシーな下着や股間のサポーター、闘牛士のジャケットを身に付け鞭をふるい、女声のような高い声で何か慈しむように声を絞り出す。倒錯している、と一言で片づけるのは簡単だ。全てが不格好で美しいとは言い難いが、一般的な美醜の感覚を突き抜けたその先に何かを見出そうとしているように見える。
ライブの終盤では観客に警告した後、過激なセックス映像を高速でビートと共に再生していた。なぜこんなものをライブで見せなければいけないのか到底理解できない部分もあったが、性に関してステレオタイプな理解の仕方では追いつけない一線を越えた世界を見せようとしているように感じた。この特殊な感覚を単純に「面白いです」と誰かに紹介したいとは思わないが、音楽そのものとは別に、ある種の自由を追求しているように感じる。
表現のうえでは、ビョークの周囲にはテクノロジーによって、パフォーマンスのあり方やセクシズムの壁を突き破る素晴らしいアーティストが集まってくる。しかし、女性アーティストにのしかかる偏見や無関心はそれらを台無しにする。
この原稿を書いているあいだにも、ドイツのレーベルGieglingのファウンダーでアーティストのKonstantinによる「女性DJは男性DJより劣っているにも関わらず、プロモーションの面で優遇されている」という趣旨の発言がドイツ語の音楽雑誌に掲載され物議を醸し、本人が釈明したというニュースがResident Advisorで報じられた。
いうまでもないことだが、テクノロジーに関する性差別は明日すぐ直っているような問題ではない。そのためKonstantinのニュースのようによほど酷い言動や出来事がなければセンセーショナルにメディアで取りあげられる話題ではないが、男女に関らず音楽作品の内容が公平に批評されるようになるまで、問題提起し続ける以外に方法はない。そのために10年以上戦い続けているのがビョークだが、しかしアーティストは活動家ではない。そして、この問題を本来考えなければいけないのは音楽シーンを形づけている音楽ジャーナリストやプロモーターである。慣習的な性の役割を音楽制作に投影することは性的な偏見をシーンのなかで助長させてしまう、それははっきりと認識しなければいけない。
アーティストとしての創造的な側面や音楽テクノロジーへの貢献を適切に評価せずに、年を取った90年代デビューの「キッチュな北欧の妖精」として延々とビョークを追い続けるとすれば、少しづつ隠遁するように表舞台から自らの姿を見えなくしていくかもしれない。ビョークがVRという表現に踏みこんだ今、いつまで私たちは本物のビョークとライブという場で触れあえるのだろうか、と心配になった。
音楽を仕事にすることは多くの人にとって夢や憧れであるはずだが、性別や人種や年齢や容貌など音楽と関係ないところで思わぬ制約を受けることがある。アーティストは音楽の外でのそういった現実と戦わなければいけない。もう一度問い直したいが、私たちはアーティストの何を今ライブで見ているのだろうか。
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