2 #音楽の敵、音楽の味方

黒船Spotifyが日本の音楽文化を救う? 田中宗一郎インタビュー

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世界最大のストリーミング・サービスであるSpotifyが日本でのサービス開始を発表してから一年弱。Apple Musicが先行し、それ以上にCDのマーケットが根強く残るこの国においては、まだまだ市民権を獲得したとは言いがたい状況だ。しかし、レディオヘッドやニール・ヤングといったアーティスト・サイドからの反発がありつつも、ポップ・カルチャーにおける何度目かの産業革命は確実に進行しつつあり、その波が10年遅れでここ日本にもいよいよ到達してきたことは間違いない。では、ストリーミング・サービスは音楽にとって敵なのか? 味方なのか?

現在に至るまでの国内外の音楽メディアの歴史を踏まえて、このタイミングでそれを今一度議論することは、十分意味があると言えよう。そこで、かねてより「文化は産業を変えないが、産業は文化をドラスティックに変えてしまう」という持論の持ち主であるThe Sign Magazineの田中宗一郎に、ビジネス的な側面からではなく、あくまで一個人としての体感からストリーミング・サービスの是非について語ってもらった。

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20年前の曲で湧き上がる3万人と、Twitterのタイムラインの何百万人とどちらの一部であることがエキサイティングかなって思うと、やっぱり後者だと思っちゃったんだよね

──この記事の企画を進めていく段階で、タナソウさんのほうからできれば音楽評論家だとか、業界人としての立場ではなく、ひとりのリスナーとしての実感から話したい、という提案があったんですけど。

田中宗一郎(以下、田中): じゃないと、俺、すぐ説教臭くなっちゃうから(笑)。今日も多分、絶対に説教臭くなっちゃうと思うし。でも、できるだけそれは避けたかったのがひとつ。それにストリーミング・サービスの是非みたいな話になると、大体業界の話になっちゃうでしょ。でも、極論すれば、リスナーにとってはどうでもいいことじゃん、いい音楽が手軽にたくさん聴ければさ。だから、俺はもはやほぼCDなんて買わないけど、いや、それでもSpotifyのおかげで死ぬほど音楽ばっか聴いてるし、とにかく音楽に夢中だよっていう興奮をまずは伝えたかったんですよ。それで。

――ただ、いま日本だと、ストリーミング・サービスってそんなに浸透してないですよね。そうした状況自体はどう捉えていますか?

田中:その理由はいくつかあって、ひとつは、海外と比べてフィジカルCDというもののニーズが依然としてあるということ。それがいいことか悪いことか、いろんな見方があると思うけど、前提としてそれがある。つまり、ストリーミング・サービスに対する必然性を感じてない人がたくさんいる。日本って、ドメスティック・アーティストのマーケットのほうが海外のアーティストのマーケットよりも遥かに大きいでしょ? 欧米の音楽はApple MusicとSpotifyっていう二大ストリーミング・サービスさえあれば、特にここ何年かの新譜に関してはおおかたのものはほぼ聴ける状態なんだけど、ドメスティックなものはむしろ聴けないもののほうが多いから、それも理解できる。

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──まだほかにもありますか?

田中:ストリーミング・サービスに対する何かしらのアレルギーがあるんだろうなって気もする。その中には、おそらく「CDのほうが音質がいいんじゃないか?」とか、「CD量販店に行って買うっていう、その体験も含めて自分は楽しんでるんだ」っていう視点もあると思うし、「はたしてストリーミング・サービスを通して音楽に接することが、自分の好きなアーティストにとってプラスになるのか?」っていう疑心暗鬼もあると思うんです。この前もTwitterで二人くらいお子さんのいる女性から話しかけられたんだけど、「このSpotifyってアプリすごいですね。でも、これはちゃんとアーティストに還元されるんですか?」って。そんとき、そうか、なるほどな、と思って。たしかに2~3年前だと、YouTubeとかいろんなところから勝手に拾ってきて、タダでいろんなものが聴けるアプリって流行ったじゃないですか。

──違法のやつが、普通にiTunesストアにありましたよね。

田中:そういうのもあったから、知識がないと、「これってヤバいもの?」って思う人までいる。これは極端なケースとしても、そういう疑心暗鬼を持ってる人は日本にたくさんいると思うんですよね。

──そもそも、タナソウさんご自身が少し前まではストリーミング・サービスに対して懐疑的な目線を持っていましたよね?

田中:その通り。特に作家への経済的な還元って部分に関しては、めちゃくちゃ懐疑的でした。ストリーミング・サービスの一般化の先に音楽文化の未来はない、とさえ思ってた。レディオヘッドのトム・ヨークとよく似た立場ですよね。Spotifyで何回再生されれば、フィジカルCD一枚分の利益が得られるんだろう? っていう。それで新しいアーティストを発掘して育てることなんて不可能なんじゃないかって。ただ、ここ5年くらいで状況が大きく変わってきて、そうした状況をタフに乗り越える作家がたくさん出てきたり、欧州や北米だけではなく、アジアや南米というマーケットも含め、世界的にストリーミング・サービスが浸透した結果、あきらかに音楽文化全体が大きく変化して、そこにはエキサイトできるようになったんです。

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──特にどんな部分においてエキサイティングだと感じたのでしょうか?

田中:今までのポップ音楽ってアメリカ中心だったでしょ? そこに欧州が続くって感じだったのが、もっとグローバルな形でポップ音楽が広がっている実感があるんです。実際、南米のマーケットとかホント活性化してて。それに対して、いまの日本はあらゆるものが内向きでしょ? 政治・経済・文化、すべて内向きで、ポップ音楽もガラパゴス化っていうレベルじゃなくなってきてる。知識、情報のレベルも含めた完全な孤立化。ストリーミング・サービスを軸にして活動してるヒップホップ、R&Bのアーティストは、もう日本にツアーに来れないし。その理由は何か? といえば、これは敢えて極論すると、誰もがCDを買ってるからなんです(笑)。

──そう考えると、ストリーミング・サービスへの懐疑心が形を変えていったと。

田中:一時期は、ストリーミング・サービスの行く先には地獄しかないと思ってたんだけど、このまま日本的な、ガラパゴス化した状態でとどまっていたら、もっとおぞましい地獄になる。行くも地獄、帰るも地獄だったら、行ったほうが絶対楽しいなって考えるようになったんです。ニール・ヤングにしろ、レディオヘッドにしろ、それまで大手のストリーミング・サービスに否定的だった作家が昨年になってその立場を変えたのも同じような理由なんだろうな、とも思って。実際、いま欧米だと、いろんな作品が明らかにSpotifyありきの方向に変わってきたりだとか、実際には存在しない作家の曲がストリーミング・サービス内でプロモーションされてたりとか、思わぬネガティブな動きもあるにはあるんだけど、もう世界中で下手したら日本だけだからさ、こんな便利なものを誰も使わない国って。それに、ケンドリック・ラマーを日本に呼ぶためにこれから彼のCDを5万枚売ることより、Spotifyで20万人が彼の音楽を聴いて、10万人が彼のファンになることのほうが現実的だし、手っ取り早いという音楽評論家的な視点もあるにはある。でも、それ以上にとにかく楽しいんですよ、Spotifyで音楽を聴くのが。とにかくエキサイティングなの。

──実際に、ストリーミング・サービスがエキサイティングであるということを体感したのは、いつのどんな出来事だったのでしょうか?

田中:フランク・オーシャンが『Blonde』を出した日。俺、その日のことはすっごい覚えてて。ちょうどサマーソニックの2日目の早朝だったんですよ。その日はレディオヘッドを観に行くって決めてたんだけど、朝起きたらTwitterがフランク・オーシャンで埋まったわけ。「タイムラインが何々で埋まった」ってよく聞くじゃない? でも、俺Twitterで1000人ちょっとフォローしてるんだけど、8割英語のアカウントってこともあるのか、それまでそんな経験一度もなかったんですよ。でも、その日の早朝はいろんなメディアや個人がひたすら『Blonde』についての情報をどんどんアップしてて、自分を含めた『Blonde』を聴いた誰もがとにかく興奮しまくってた。「うわ、2016年夏、時代が動いた! 今まさに俺はその事件に立ち会ってる!」って実感があった(笑)。

──フランク・オーシャン祭りが繰り広げられていたと(笑)。

田中:もちろん大前提としては、その朝シェアされた『Blonde』という作品がもうとんでもない作品だったからってところはあるんだけど。でも、昼からサマーソニックの会場に行ったら、そんなムードなんて微塵もないわけ(笑)。あのレコードってレディオヘッドともコネクションがある作品なわけじゃないですか。「あれ? ここにいる3万人って日本でもすっごい音楽が好きな人たちじゃなかったっけ?」っていう。で、その夜に日本ではレディオヘッドがオアシスみたいな過去のバンドと同じフォルダにいることを見せつけられたりもして。だから、そもそもわかってはいたけど、自分というのはめっちゃマイノリティだってことを痛感させられたんですよ。

──なるほど。

田中:翌日に会った韓国のHyukohのメンバーとかは普通にフランク・オーシャンの話ができたし、『Blonde』はストリーミング・サービスだけで翌週当たり前のように全米、全英No.1になったわけだから、グローバルな視点で言えば、ごく普通の人なんだけど、日本だとまったく違うんだなって。でも、じゃあ、レディオヘッドの最新作でまったく盛り上がらなくて、20年前の曲で湧き上がる3万人と、フランク・オーシャン祭りになったタイムラインの向こう側にいる何百万人と、どちらの一部であることがエキサイティングかなって思うと、やっぱり後者だと思っちゃったんだよね。

──異論を挟む余地はないですね。

田中:俺、基本的にマインドが右翼だから、日本の文化が世界でNo.1であって欲しいと考えちゃうし、どうしても日本をひいき目で見てしまうところがありながら、でもやっぱりーーあえて差別用語使いますねーー何十年間もずっと「外人すごい!」って思ってきたの(笑)。それをひさびさに痛感させられたのがあの日だった。別にこの国の文化の一部じゃなくていいやって思っちゃった。で、フランク・オーシャンのアルバムは、去年出されたレコードの中で一番素晴らしくて、一番新しいビジョンを提示したレコードだと思うんだけど、それをファンに届けるための、一番エキサイティングで、一番新しいやり方がストリーミング・サービスだった。しかも、同時にオフラインの部分で、ポップアップショップを3か所に作って、『Boys Don't Cry Magazine』をタダで配りますっていう情報をサーブしてさ。

──その興奮が、Twitterのタイムラインを通じてタナソウさんにも伝わっていたと。

田中:やっぱり、あの日は事件だったと思うし、俺はこの時代のうねりの中の一部でいたいと思った。既存の日本の文化環境、ストリーミング・サービスが浸透していない状況ではそういう事件を作ることができないんじゃないかっていう実感もでかかった。

90年代のタワーレコードがMoMAなら、今のタワーレコードは80年代の竹下通りにあったアイドルの生写真を売ってるお店みたい

──日本人のストリーミング・サービスに対するアレルギーというのは、いかにして培われてしまったとお考えですか?

田中:金子くんの視点は?

──最初にも話されていたように、やはりフィジカルなCDと、それを売る量販店が根強く残っていることが大きな要因で、マーケットとしても、ライフスタイルとしても、そこで充足感を得られてしまうことが大きいかなと思います。

田中:実際のところ、今、年間に何回タワーレコードに行って、何枚CD買います?

──昔は毎週のように行ってましたけど、いまは月に一回渋谷のタワレコに行くか行かないかですね。去年CD買ったのは10枚くらいかなあ。それはストリーミング・サービスがあるからというよりも、仕事柄サンプルCDやストリーミングでの試聴ができちゃうからっていうのが大きいですけど。

田中:俺、今はアルバム単位だと月に新作を10枚も聴けばいいところなんだけど、曲単位なら毎週新しい曲は100曲から200曲は普通に聴いてるんですよ。何かしらの形で。去年までは日本におけるポップ音楽の現実を直視するために「修業」と称して、二ヶ月に一回はタワーレコードに行くことにしてたんだけど、あまりにもつらすぎて、今年からは3ヶ月に一回にしたのね。とにかく意を決して渋谷のタワーレコードに行って、一階から上のほうまでバーッと見るんだけど、一階と邦楽売り場と、洋楽のPOP/ROCKの売り場でいたたまれなくなって、「どこにもまともな音楽なんて置いてないじゃねーか」っていう確認だけして帰るの。この前も渋谷のTSUTAYAの一階を覗いたんだけど、まともなレコードはコーネリアスと『OKNOTOK』とケイティ・ペリーくらいしかなかった。それも極端な見方をすれば、レーベルが展開費用を出した順に大きく展開されてるだけの話じゃん。レーベルと小売店の都合が反映されてるだけっていうかさ。だから、去年買ったのは3枚だけ。

Video: beyonceVEVO・YouTube

──ちなみに、何を買ったんですか?

田中:まず1枚はビヨンセの『LEMONADE』。何故かはわかるよね? 彼女がTIDALやってるジェイ・Zの奥方だってことに関係してるのかもしんないけど、Apple MusicでもSpotifyでも聴けないから。で、2枚目は宇多田ヒカルの『Fantôme』。これについては、ちょうどヒッキーのアルバムの発売日に渋谷で打ち合わせが入ってたんだけど、渋谷がヒッキー祭り状態になってたから、買ったの。「祭りには乗らなきゃダメだな」って(笑)。でも、ちょうどその前後にダニー・ブラウンとアリシア・キーズのアルバムが出ちゃったから、ちゃんと聴くタイミング失っちゃったんだけど。もう一枚は、KOHHくんのミックステープ。買った理由は、ストリーミングでは聴けないっていう前提があったから仕方なく。だから、その3枚だけ。さっきのサンプルCDとかっていう話でいうと、俺『SNOOZER』やめたときに一度音楽業界から離れたいと思ってたから、自分の住所、誰にも教えなかったの。

──え、そうだったんですね。

田中:エンド・ユーザーの感覚に一回戻りたかったから。だから、俺がDJしてるところまでわざわざ足を運んでくれて、「住所教えてください」って言ってきた人以外からは、サンプルCD送ってもらわない状態にしてたの。したら、めっちゃ快適になったよ。世界中のエンド・ユーザーと同じタイミングで、新しい曲や作品がサーブされたりすることに純粋に興奮出来るようになった。情報解禁だとかマジつまんないじゃん。業界人として何週間か前に聴けることのメリットなんて別に何もないわけよ。取材の準備をする以外に。でも、今じゃ、海外からの情報でタイムラインが埋まった瞬間に、自分もすぐにそれが聴けて、業界以外の友人ともすぐにいろんな話が出来る。この感覚、ひさびさに戻ってきたなって思った。これも極論だけど、この興奮を邪魔してるのは、発売2週間でCDが売れた/売れなかったって決めてしまうCD屋の存在なんだなって感じたの(笑)。いや、あくまで体感としての話よ。

──でも、確かに、この仕事を長くやってると、発売日より早く聴けることに対しての興奮は薄まりますもんね。

田中:だから、評論家とかレーベルの人って、エンド・ユーザーの実感がわかりにくいんだと思う。去年の秋とかのハイ・スタンダードのCDが事前告知がなかったから大騒ぎなんて話も、いまのシステムがおかしいってことでしかないと思うの。完全に感覚がおかしくなってるよ。だって、タワーレコードに行っても、いたたまれない気持ちにはならないわけでしょ?

──売り場が改装されて、その背景にある意図が透けて見えたりすると、ちょっと悲しい気持ちになることはありますけどね。とはいえ、売り場を回ること自体はいまも好きです。

田中:でもさ、フランク・オーシャンのレコードないじゃん? カニエ・ウェストのレコードないじゃん? チャンス・ザ・ラッパーのレコードないじゃん? ホントに自分が聴きたいものが店頭にはないし、全米チャートの第5位のファーザー・ジョン・ミスティの新作をみつけるのに一苦労なのよ。しかも、俺、音楽業界の人間でもあるから、それぞれの面陳を見ると、どこのレーベルのどの担当者が予算をかけたかが見えちゃうわけでしょ。「あいつ頑張ってるな。販促予算、タワーレコードにぶち込んだんだな」ってことはわかっちゃう。

──んー、それだと足が遠のくのも致し方ないですね......。

田中:でもね、90年代のタワーレコードはホントすごかったんですよ。以前くるりの記事をオンラインで書いたときにも引用したんだけど、デザイナーで映画監督のマイク・ミルズに94年か95年にインタビューしたことがあって、彼は当時『グランド・ロイヤル』のビースティ・ボーイズのデザインとかをしてたから、その流れでタワーレコードの話になったときに、「タワーレコードは、自分たちの世代にとってのMoMAなんだ」っていうわけ。40年代から90年代までの50年間に生まれた音楽が全部揃ってるんだ、と。

──まさに近代美術館だと。

田中:特に90年代初頭は、それまでアナログでしか出てなかったものが全部CDになって、しかもアナログでも手に入らなかったものが全部復刻されてCDになった。だから、90年代のタワーレコードに行くと、新譜をすぐに手に入れられる以上に、50年間のバック・カタログが図書館みたいに全部揃ってたわけ。世界と歴史への扉だったの。だからこそ、そういう環境から、くるりみたいな98年の世代が生まれたわけじゃん。いまの邦楽ロックがどうしようもない理由はCD量販店の品揃えにもあるわけよ。しかも、当時のタワーレコードには音楽だけじゃなく、アートワークもあって、あらゆる歴史につながれる場所だったんです。特に渋谷のタワーレコードなんて、世界にも例を見ない業態だったからさ。「これって天国?」って思った。あんなすごいことをやってきた業態が、「いまこれですか?」って話なんですよ。

──愛着があったからこそ、現状には納得いかないと。

田中:いや。別にどーでもいいんだけど。だって、90年代のタワーレコードと今のタワーレコードはまったく別の業態。90年代のタワーレコードがMoMAなら、今のタワーレコードは、80年代の竹下通りにあった、アイドルの生写真を売ってるお店みたいな、ホントあんな感じ。だって、何か新しい音楽や世界の裏側にある音楽、いい音楽、古いけど聴いておいたほうがいい音楽っていうのを伝える場所にしたいっていう意志、何パーセントあると思う?

──うーん......そういう意志がないとは言えないと思いますが。

田中:それぞれの売り場にそういう意志を持った人が何人もいたとしても、十数年前にセントラル・バイイングっていう本社組織がそれぞれのお店のCD入荷数をすべてを決めちゃうシステムになってからは、もう無理なんですよ。21世紀になる頃に、全米のローカルのラジオ局の大半をクリア・チャンネルが買収したことで、アメリカのFM局がどうにもならなくなったのと同じ。

──一時期、トム・ヨークがことあるごとに発言してた件ですよね。

田中:だから、たまたま予算が出て、展開が作れたCD売り場のポップの文章を書くっていうのが、バイヤーの人たちの精一杯の表現で、それ以上のことはできなくなってる。去年、とある地方都市で何度か継続的にクラブ・スヌーザーをやって、東京のインディ・バンドと一緒に行ったんだけど、地元のオーガナイザーがタワーレコードにプロモーションに行ったのよ。CD2枚分でいいからフェイスを作って、小さなポップでも書いてくれないか?っていう相談をしたの。したら、もう在庫が1枚もないし、本社に追加で入荷したいって掛け合ったりはできないんだって言われたっていうのよ。でも、バンドが会場に持ち込んだCDはそこで何十枚も売れたわけ。ねえ、何のためのCDショップなの? いや、もちろんどこにも悪なんて存在しないよ。でも、それが今のシステムであって、それを誰もが容認しちゃったんだよね。それはタワーレコードって企業体の責任でもあるし、それを促したレーベルやマネジメントの責任でもあるし、何よりそれを良しとして、まだあそこでCDを買おうとするファンの問題でもあると思う。あえてヒール的な発言をするならね

ひとつの文化圏がクリエイティブであることにもっとも必要なのはリスナーの豊かな経験の集積だ

──海外ではとっくにストリーミング・サービスに移行しているのに、日本だけレコード・ショップが生き残っている。この差が生まれた一番の要因は何だとお考えですか?

田中:アメリカの文化圏は今から20年以上前から、「オンラインでタダで音楽を聴く」ってことがオプションとしてあるんだって実感をまず持ったってことだよね。ナップスターの存在だよね。そして、その是非に対する議論がきちんと巻き起こって、20年かけてそれを正当なシステムにしようという努力が業界側にもあったということ。その議論と試行錯誤の繰り返しっていう歴史の積み重ねの差なんだと思う。

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──なるほど。

田中:俺、基本的にすべての音楽文化に関しては、何かしらイリーガルなもの、法的に間違っているものが、何かしらの発火点になってきたのは否めないとずっと思ってるんですよ。例えば、60年代にビートルズを含めた英国のロックンロール・バンドが一気に花開いた理由は海賊ラジオの存在でしょ? アシッド・ハウスの勃興にはドラッグが介在していた。で、ストリーミング・サービスが生まれる基盤としては、当時はデータのアップロード/ダウンロードっていう形ではあったけど、何よりもナップスターがまずその可能性を提示して見せたわけだよね。

──そういったものの捉え方が、日本とアメリカでは大きく異なると。

田中:日本ってさ、ドラッグに対しての拒否反応がわかりやすいと思うんだけど、法で禁止されてるものは悪だって思っちゃう。法律とは何かって言うと、国家や組織やコミュニティが何かしら円滑に機能していくための取り決めであって、「こうしておくと上手くいくよね」ってことだから、状況が変化してきたら、法というのは再定義されて、更新されてしかるべきものなんですよ。なんだけど、日本だと、そこから外れると「悪」になっちゃう。でも、アメリカの文化圏では、ナップスターの議論に関しても、イリーガルなのは間違いない、「じゃあ、なぜこういった形が出てきたのか?」っていう視点があって、それが議論された。それと、今はイリーガルなんだけど、システムとしてはもう存在するわけで、「これをポジティブな方向に、リーガルな方向に持って行くことは可能なのか?」っていう視点があった。そこからの20年なんだよね。でも、日本の場合は音楽業界もエンド・ユーザーもそうした視点や議論に対して蓋をしたままの20年だった。失われた20年なんですよ。江戸時代みたいなもんだよね。そりゃあ、文化的鎖国をすれば、快適で独自の文化はできあがると思うよ。それも江戸時代と同じだよね。でも、グローバルな世界に暮らしてる限り、そんなのいつか必ず壊れてしまうものなわけじゃない? だったら、さっさと開国しようよ、ていうのが俺の立場。日本はできあがったシステムはキープされるべきっていう感覚があって、変化していくことに対する消極性が常にあるんです。

──音楽業界で言えば、「CDを中心としたシステムをキープすることが正しい」と考えることが、日本人の国民性のあらわれだったと。

田中:黒船が怖いんじゃないの?(笑)。特にいまみたいに、あらゆるものが内向きで、あらゆるものが下向きのときに、変化するのって怖いじゃないですか? どんな選挙の結果を見ても、大勢の人が求めてるのは明らかに安定だよね。変革を掲げてる政治家に期待してるのも、以前あった安定を取り戻すっていうファンタジーなんですよ。それを利用しようとする政治家よりも、現実を見ないで夢ばかり見てる有権者のほうが遥かにタチが悪い。ドラスティックにいろんなものが変わり続けることに向き合っていこうって機運があれば、あの結果を生んでないでしょ。だから、国民性というよりは、時代性だと思う。

──なるほど。

田中:金子くんはさ、どういう入り口で音楽を聴いて、どういう形で音楽を手に入れるのが一番楽しかった世代ですか?

──僕は完全にCD世代ですね。幼少期は「アニメ主題歌集」みたいなのをカセットテープで聴いてたけど、自分で初めてお金を出して買ったのは短冊形のCDシングルでした。

田中:何だったの?

──ベタすぎて恥ずかしいですけど、CHAGE&ASKAの『 SAY YES』です。

田中:いいじゃん! もはや、あれ、日本国民のアンセムのひとつじゃん。いろんなメッセージに対する汎用性のある曲だしさ。いろんな解釈に開かれてるリリックでしょ? じゃあ、どこで音楽の情報をゲットするのに一番エキサイトした?

Video: CHAGE and ASKA Official Channel/YouTube

──最初はゴールデンタイムの歌番組とかを見てたと思うんですけど、洋楽に興味を持つきっかけとしては深夜にやってた『BEAT UK』を見出したのが大きいですね。それとほぼ同時期に雑誌を買うようになって、隅から隅まで読んで、それこそ週一でタワレコやHMVに行って、輸入盤をチェックするみたいな。それが一番エキサイトした時期で、高校から大学くらい。

田中:つまり、テレビと雑誌ってことだよね。俺に関して言うと、子供の頃は何よりラジオがでかかったんですよ。小学校高学年から中学生にかけてAMの深夜ラジオを聴き始めて、そこでまず洋楽のヒット曲を知るわけ。糸井五郎の『オールナイトニッポン』とかね。で、当時のFMはアルバム一枚全部かけてくれたから、一番安いカセットテープを買って、FM雑誌を見て、手当たり次第に録音してた。パブリック・イメージ・リミテッドの『Metal Box』みたいな作品でもひとつの番組で全曲かけてくれたからね。AMとFMのラジオさえあれば、何でも聴けた時代なの。でも、本当に欲しいレコードは買ってた。

──なるほど。

田中:その感覚で言うと、「CDは買わなきゃいけない」って30代や40代のファナティックな音楽ファンよりも、「とりあえずYouTubeで聴きますわ」っていう今のティーンエイジャーの感覚に近かったんだと思う。そもそも可処分所得もない子供に作家への還元を求めてもしょうがないし、大事なのはその作家の曲をどれだけ本気で好きになれるか? なわけでしょ。ひとつの文化圏がクリエイティブであることにもっとも必要なのは、リスナーの豊かな経験の集積だと思うし。そういう環境があったのはすごく重要なことだった。で、それと同じようなことを可能にするのが、ストリーミング・サービスなんだと思う。だって、今の日本のFM局は番組の編成よりも自分たちが打ったイべント興業のほうが大事で、そこに出演してくれる邦楽の作家の曲をかけるのに必死なわけだから。これも企業の都合で、文化への扉が閉ざされているっていう典型的なサンプルのひとつだよね。

──ラジオでかかった曲をカセットテープに録音するっていうのは、僕もかろうじてやってましたね。

田中:あとiPodを手に入れたときはかなり楽しかったんです。当時、自宅とオフィスに7万枚くらいCDがあって、オフィスにはABCD順に並べてあったんだけど、結局聴くのは新譜。古いものを聴こうと思っても、自分が何を聴きたいのか思い出せない。これは困ったと思って、自宅に死んでも捨てないだろうアルバムだけ少しずつ持って帰ったのね。ビートルズ、マイルス・デイビス、スクリッティ・ポリッティ......でも、週末にそれ聴くかっていうと、もう自分の一部になってるものだから、わざわざ聴いたりしない。だから、とりあえずiPodを5台くらい買い込んで、全部リッピングして、iPodにぶち込んで、シャッフルで聴く。すると、自分がよく知ってる曲なのに、一瞬誰の曲だかわからないことがあって、「あ、俺の今日の気分はカーリー・サイモンだったんだ」とか気づいたりするっていうメカニズム。とにかくシャッフル機能がランダムに教えてくれるんですよ、可能性の広がりを。そうすることで、知らず知らずのうちに自分が自分の回りに築き上げたエコーチェンバーから抜け出す方法を発見した。で、これもやっぱりラジオの経験に近かったんです。

──ああ、なるほど。

田中:7万枚のレコードを持っててももはや情報処理ができなくなってくる。で、痛感した。古いものも新しいものも無理やり押しつけてくれるメディアの存在って、やっぱり刺激的なんだなって。でも、今の日本だとそれをやってるのって、原宿の「BIG LOVE」くらいでしょ? 仲くんはとんでもないものを無理やり押しつけてくるわけよ(笑)。普通に売れるだろうものをあえて売らないでさ。でも、リスナーの好奇心と主体性さえあれば、仲くんに頼りきらなくても、同じようなことをストリーミング・サービスは可能にする。だって、とにかく広大な文化への扉が開いていて、そこへの入口がいくつも用意されてて、自分でいろんな扉を開ける可能性が担保されているわけだから。でも、今のCD量販店には自分が知らない世界への扉はどこにもないよね。

──つまり、SpotifyやApple Musicのラジオやプレイリストの機能が、かつての田中少年の興奮を呼び起こしたわけですか?

田中:ラジオっていう文脈で言うと、一番興奮するのはApple Musicの『Beats 1』ですね。ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが参画することで、ゼーン・ロウをはじめ、BBCのキャスターや編成担当者をごっそり引き抜いた。『Beats 1』がApple Musicでやろうとしたのは、クリア・チャンネルが全米のローカルのラジオ局を買収して以降なくなった、かつてのラジオの役割だよね。最近は番組数を増やして、バラエティ的な方向性を強めたり、かつてMTVがおかしくなっていた轍を辿ってるところもあるから、そのあたりは若干血迷ってるとも思うけど。でも、『Beats 1』があることで、実際、Appleの姿勢は作家サイドからは支持をされていて、フランク・オーシャンが先行やラジオをやったのもApple Musicだった。最近多いのは、ゼーン・ロウの番組でワールド・プレミアで新曲をかける。あれもワクワクするよね。その結果、いろんなアーティストのApple Musicに対するプロップスを高めてることは確かでしょ?

──それは間違いなくそうですね。

田中:ストリーミング・サービス同士の政治的な緊張感ーージェイ・ZがやってるTIDALの存在だったり、Apple Musicが独占や先行をやることの是非はすでに海外では議論されてるよね。例えば、チャンス・ザ・ラッパーが『Coloring Book』を以前みたいにまず自分のSoundCloudからただでシェアするんじゃなくて、その数週間前にApple Musicに出したことのからくりについて、Twitterで公にしたでしょ? Apple Musicの人々に最大限のリスペクトを示した上で、彼らからアドバンスを受け取ったことをリスナーに伝えた。だから、今もいろんな議論が続いていて、それに応える形でシステムがより改善される方向に向かってるんですよ。

Spotifyを使うのって、「万能のレゴ・ブロックを手に入れた!」みたいな感覚

──では、プレイリストに関してはいかがですか?

田中:日本だともしかすると、Apple Musicが先にストリーミング・サービスを始めたと思ってる人もいるかもしれないけど、実際はSpotifyが全然先行で、プレイリストってアイデアを考えたのもSpotify。で、これはエンド・ユーザーの体感の話じゃなくて、海外の音楽業界の話だけど、いま欧米のレーベルが考える一番のプロモーションの場は、Spotifyなんですよ。Spotifyはいくつものプレイリストを毎日サーブするわけだけど、たくさんのフォロワーがいるプレイリストに、いかに自分たちの曲を入れるか。これが最大のプロモーションになってる。極端にいうと、そこしか考えてないと言ってもいいくらい。

──そこまでですか。

田中:でね、それもやっぱりシステムとしてはかつてのラジオなの。たとえば、BBCのレディオ1にはAリスト・Bリスト・Cリストっていうのがあって、Aリストに入ると一日に何回かかるけど、Bリストだとそれよりちょっと減って、Cリストだとさらに減るみたいな感じ。で、あるアーティストがアルバムを完成させて、まずシングルを出すことになった、でもシングルがBBCレディオ1のCリストにしか入らなかったから、レーベルの判断としてアルバムは発売中止、作家は契約を切られる、みたいなことが90年代やゼロ年代には普通にあったのね。いまはそれに完璧に置き換わったのが、Spotifyのプレイリストなんだよね。良くも悪くも。で、これは川上の話。川下のリスナーとしての実感の話じゃなくてね。ちなみに、Apple Musicのプレイリストって使う人?

──いや、ほとんど使ったことないですね。

田中:でしょ? あくまで個人的な実感の話になっちゃうんだけど、プレイリスト自体にあまり発見がないし、いい意味での事故が起こりにくい。だから、Apple Musicに関しては、やっぱり『Beats 1』から派生した戦略に労力と資本が集中的に投下されてるんじゃないかっていうのが、半年使ってみての実感。アーティストのコネクト投稿とか、新たなSNSとしての機能も蓄えてたりして、すごく面白いんだけど。良くも悪くも、従来のメディア機能も併せ持ちたいっていう矜持があるんだと思う。あと、現状は特に日本語の対応の部分も含めてインターフェースはちょっと使いにくいかも。それと、一度サブスクリプションのお金が滞ると、自分が作ったプレイリストが消失するっていう例がいくつか報告されてたり。もちろんどれも今後改善されていく問題だとは思うんだけど。やっぱり全般的に日本向けにローカライズすることに苦心してる印象はあるかな。

──SpotifyとApple Musicのプレイリストの違いを説明してもらえますか?

田中:そんな変わらないよ(笑)。でも、使い勝手はある。Spotifyの場合、大きなバリエーションは3つ。ジャンルで割ったものと、ムードとかTPOで割ったものと、もうひとつは、チャートものだね。「今、この国ではこれが聴かれてます」ってやつ。だから、ある意味すごくドライなんですよ。特定のジャンルに特に肩入れしてないし、過度なキュレーションによって、楽曲や作家の優劣を示すことを避けようとしているところがある。

──なるほど。

田中:これはいい見方をすると、リスナーの主体性を担保してますよってこと。ビッグ・データに基づいた発想で、我々は広範囲に渡り音楽の地図を広げているので、自分たちでその中を自由に探索してくださいっていうね。ただ、人間って基本的に怠惰なもので、日本人は特にそうだから、日本でSpotifyが一般化したときには、自分がフォローした特定のプレイリストだけがエコーチェンバー化した世界になっちゃう怖さがある。Spotifyのプレイリストで見つけたものから、自分で主体的にディグるんじゃなくて、毎週サーブされるひとつのプレイリストを聴き続けることに充足しちゃって、外側が見えなくなる。ホントはこれが一番怖いことなんですよ。

──プレイリストの話をもう少しすると、アーティストが作るプレイリストがありますよね。そこからディグることで、より自分の好みにリーチしやすいというのはあるかなと。

田中:その通り。The xxがApple Musicでスタジオにいたときのプレイリストみたいなのを作ったり、最近だとSpotifyであらゆる作家がそれをやってるのね。これって、20年前でいうと、コーネリアスの小山田くんが雑誌で「いま何々がいい」って発言するのと近い効果があって。で、渋谷系時代のファンは、小山田くんの音楽も好きだけど、彼の後ろ側に広がってる文化全体に興味を持っていたから、そこを入口に自分の知らない音楽を掘っていった。ミッシェル・ガン・エレファントくらいまではギリギリそういう文化があって、チバユスウケがミッチ・ライダーだの、ヘッドコーツだのを紹介したりすると、そのヴァイナルが売り切れたりした。いまだとアジカンの後藤くんがTwitterのアカウントでYouTubeをシェアしたりして、だいたい何百も「いいね」がつくんだけど、それがバズったって話は聞いたことがない。邦楽だとたまにあるけど。それは後藤くんの問題でもなんでもなくて、単純にセレブリティとフォロワー、Twitter、YouTubeという組み合わせだと、それが起こりにくいってことだと思うんだけど。でも、アーティストのプレイリストって、もっと広がりがあるんですよ。だから、後藤くんもSpotifyプレイリスト作り始めたんだと思うんだけど。

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──ひとつのプレイリストに充足することなく、主体的に世界を歩きだす、そのきっかけになりうると言えそうですね。

田中:まあ、エンド・ユーザーの主体性の話って、ホントわかんないからさ(笑)。それこそ日本の国民性の話になっちゃったりするから、その話はあんまりしたくないんだけど。ただ少なくとも、プラットフォーム側にはその可能性があるってこと。天国のようだった90年代のタワーレコードの1フロアの広がりほど視野は開けてないかもしれない。でも、いまのタワーレコードの店舗に足を踏み入れたときと、いくつかのプレイリストを開いたり、Spotifyのアーティスト画面に行ったときの広がりとを比較すると、少なくとも後者には世界中につながる道が確かにある。世界中のどこにでも瞬時にして行けるっていう実感がある。扉があるってことが一番でかいじゃん?

──しかも、それが誰しもの手元にあるわけですもんね。

田中:CD7万枚を並べたときの世界への入口を見失ってしまったような、あのどうしようもなさ。ABCの順番で探していくしかなくて、しかもアルバム単位でしか聴けない。あの面倒さ。そんなどうしようもなさと比べると、ストリーミング・サービスなら、自分の部屋を飾りつけるかのように世界中の音楽への扉を自分で作ることができる。俺からすると、Spotifyを使うのって、「万能のレゴ・ブロックを手に入れた!」みたいな感覚なんですよ。

──万能のレゴ?

田中:ドラえもんのどこでもドアでもいいんだけど。たとえば、65年のブリティッシュ・ロックをたった20曲集めたプレイリストを作っておけば、それが60~70年の音楽文化の扉になる。その20曲のうちの1曲をワン・クリックすることで、その曲が入ってるアルバムのページにも行けるし、その曲を作った作家のページにも行ける。朝仕事に行く前に自分にハッパをかけるBGM用の棚を用意しておくことも出来れば、どうしようもなく落ち込んだときに自分が帰る部屋を作っておくこともできる。CDっていうフォーマットやCD屋さんのような場所では形にできなかったことが、端末ひとつでできて、部屋の色やデザインを変えるように気分を変えることも出来る。ほら、「音楽は世の中を変えないけど、音楽は個人を変える」って言葉あるじゃん。あれ、消極的な立場からの言葉だから、そんなに好きじゃないんだけど。でも音楽を使って自分が変わることで、音楽に対する視点もいくらでも変わるわけで、そのための武器を手に入れたっていう実感は、すごく大きなことな気がしてるんだよね。

──なるほど。

田中:俺、今まで一度も「CDを買う」って言ったことないのね。必ず「レコードを買う」って言うの。だって、俺が欲しかったのはその中身の音楽なんだもん。レコーディングされた音楽をいつでも聴けるように仕方なくCDを買ったんですよ。でも、今ではストリーミング・サービスでいつでも聴ける。だって、CDやヴァイナルを山ほど買い込んで、後生大事に棚に並べてても仕方ないじゃん。最大のポイントはそこに入ってる音楽をどれだけ聴くか? でしょ。したら、それはYouTubeだって、Spotifyだって、ラジオだって何だって構わないと思うの。実際、CD派の人たちより、CDは買わないけど、高い金工面して、ジャステイン・ビーバーやアリアナ・グランデのチケットを買う今のティーンエイジャーのほうが音楽に近いところにいると思う。あの子たち、英語のリリック、全部歌えるからさ。作家に経済的な還元がしたいなら、朝から晩までずっと聴いてりゃいいんだよ。作家が本当に望んでるのは聴いてくれることでしょ?

日本人の作家が海外でシェアされることが可能になる時代が来た

──ここまで主にエンド・ユーザーの立場から話していただきましたが、最後は音楽評論家としての立場から、アーティストにとって、ストリーミング・サービスを使うことにどんな意味があるのかを話していただきたいです。

田中:日本でSpotifyが一般化したほうがいいと思う一番の理由は、それを活用することが日本で音楽を作る人たちにとってようやく手に入れられた海外進出のチャンスの入口だってこと。これは圧倒的にでかい。いま金子くんがバンドで世界進出しようと思ったら、まずどういうつながりを作る?

──えーと、ライブを運営・制作する会社との交渉ですかね。

田中:その通り。ブッキング・エージェンシーだよね。仮にレーベルやマネジメントがなくても、もしウィリアム・モリスが契約してくれたら、後はすべてついてきますよ。そこを日本のアーティストがどれくらい意識してるかわからないけど、BABYMETALにしろ、X JAPANにしろ、ウィリアム・モリスとの契約がなきゃいまみたいに海外では成功してない。最近だとQrionはブッキング・エージェンシーと契約したから、アメリカに移住したわけでしょ? 移住出来たし、移住しなきゃならなかった。で、そうなると、日本みたいにチケットが売れた分のマージンでお金が入るわけじゃなく、ギグが決まったらその分のギャラが出るはずなのね。海外のシステムのいいところだよね。まあ、もちろん誰もがなかなかそう上手くはいかないわけだけど。で、そこでSpotifyなんですよ。

Video: Qrion/YouTube

──というと?

田中:Spotifyって彼らが持ってるビッグ・データの情報開示に対して積極的みたいなの。勿論これにはいいところと悪いところがあるんだけど。例えば、フランク・オーシャンのある曲が世界で何回聴かれているかとか、彼が世界で何番目に聴かれてるアーティストなのかって、エンド・ユーザーが見られる仕組みになってるよね。すると「え? こんなに聴かれてるの?」とか、逆に「この程度なの?」ってのが手に取るようにわかっちゃうわけ。

──つまり、そのプラスもあれば、マイナスもある、と。

田中:ただ、作家がSpotifyと接点を持てば、自分の曲がどの街でどれだけ再生されているかを知ることができる。それをオープンにしてくれるんです。だから、欧米のアーティストがツアーをブッキングするときは、Spotifyの情報を参考にすることが増えてる。例えば、ロスよりサンフランシスコで再生回数が多ければ、そっちのヴェニューを大きくするし、シカゴですごく聴かれてるけど、DCでは聴かれてなかったら、そこはすっ飛ばしたりとか、そういうことがやれる。つまり、相手がブッキング・エージェンシーにしろ、レーベルにしろ、契約するためのエビデンスをSpotifyが提供してくれる。DIYでやるにしてもそれを基準にできる。再生回数によって、マネジメントをつけたほうがいいのか、全部自分たちでやるのか、その参考にもなるわけ。

──なるほど。それは確かに、ストリーミング・サービスならではですね。

田中:たとえば、日本だとタワーレコードの福岡店で何枚売れたかとかって作家には把握できない。レーベルもそこまできちんとレポートしたりとかしてくれないわけですよ。だからこそ、さっきのクラブ・スヌーザーの話みたいに実は潜在的なファンが100人以上いた、でもそれをレーベルやCD量販店の都合でだいなしにしてた、みたいなことが普通に起こってしまう。でも、Spotifyはそれをサポートするシステムと用意がある。たとえば、ONE OK ROCKの音源はつい最近までは日本のSpotifyでは聴けなかったけど、海外では彼らが海外のレーベルと契約した時点ですぐに聴けるようになった。これは個々のテリトリーでどのタイミングで何が必要で、どうすることが収益性が高いのか、その判断の結果でしょ? だから、いま日本のアーティストが海外で活動したいと思ったら、海外向けのプレイリストにプロモーションすることが不可欠になってきた。これは間違いない。それはそれでまた厄介な新しいシステムが出来たってことでもあるんだけど、あとは作家側の問題なんです。それだけの可能性がこのシステムにはある。ようやくだと思うよ。

──単純に、海外の人にも曲が聴いてもらえるというだけではなくて、その先の展開をそこでのデータを基に考えることができると。

田中:たとえば、KOHHくんが海外でバズったのは、YouTube、Genius、海外のヒップホップ・メディアとかのシナジーの中で起こったわけだけど、それをより計画的にやれる可能性がこんなに準備されてることは今までにはなかった。俺、極左だけど右翼だからさ、日本人の作家が海外で何かしらシェアされて欲しいとずっと思ってきたから、ようやくそれが可能になる時代が来たと思ってるんですよ。

──「日本人アーティストの海外進出」以外では、ストリーミング・サービスはアーティストの何を変えうるとお考えでしょうか?

田中:Spotifyが音楽業界全体の覇権を握りつつあることで作品の内容そのものが変っていくと思う。実際もうすでに起こりつつあるんだけど。で、作品の内容が変わると、リスナーと作品との関係性、リスナーと作家との関係性がまた新しくなる。それを実感したのが、ドレイクなんだよね。

──具体的には?

田中:今年の春に出たドレイクの『More Life』って、アルバムじゃなくて、プレイリストっていう打ち出しだったでしょ。最初はまたドレイクが調子こいたこと言ってんなって思ったんだけど、実際その通りの作品だったんですよ。ただその発想自体は部分的には対処療法的でもあるんだけど。つまり、多くの人がSpotifyのプレイリストを経由して音楽を聴くようになった状況に対しての彼なりの戦略だったと思うんだよね。勿論、ドレイク自体、そういう時代の寵児ではあるんだけど、だからこその新たな一手っていうか。

──具体的には、どんな戦略が含まれていたのでしょうか?

田中:あのアルバムって作品がいくつかのディメンションに分かれててバラバラなんですよ。あらかじめアルバムとしての統一感を放棄してる。だから、ケンドリック・ラマーの『DAMN.』と真逆だよね。ある意味、『DAMN.』はビートルズ以来の伝統的な「傑作アルバム」でしょ。だから、もはや『More Life』と『DAMN.』は同じ土俵で評価することができないんです。まったく別の入れ物なの。

──具体的には、どんな風にバラバラなんですか?

田中:ひとつはいま全盛のアトランタ産のトラップ。ドレイクは数年前にフューチャーと作ったWネームのアルバムでもう一通りのことはやってるから、もはや今やる必要はないはずなんだけど、今年年明けにミーゴスの『CULTURE』が大ヒットしたせいで、ちょっとおかしなことになっちゃったじゃない。歴史が捩れたっていうか。

Video: Migos ATL/YouTube

──というと?

田中:あれ、言ったら、別に新しくないじゃん。2014年くらいからトラップがサウス特有のトレンドじゃなくて、ポップ全体の主流に取り込まれるようになってきて、トラヴィス・スコットが出てきた辺りから、完全にポスト・トラップの時代になってきてたと思うんだけど、ミーゴスは2013年の"ヴェルサーチ"のときにバズったりはしたけど、うまい汁は吸ってないままだったでしょ。3人の得意な3連のフロウを取り入れたほかのラッパーが売れまくったわりには。それより先に、マイク・ウィル・メイド・イットが仕掛けたレイ・シュリマーが御大グッチ・メインを引っ張り出して、先に大ブレイクしちゃったりとか。だからこそ、『CULTURE』って決して新しくはないんだけど、自分たちが何年もかけて蒔いてきた種をきっちり刈り取るためのレコードだったと思うんですよ。でも、大ヒットしちゃった。そのおかげで、トラップの進化がいくつかの歴史がパラレルに進むようになった。

──つまり、歴史が捩れた、と。

田中:でも、ドレイクは作家的な視点からすれば、もっと別な新しいことをやりたかったはずだし、実際にブラック・コーヒーみたいなディープ・ハウスのプロデューサーと組んだり、スケプタのレーベルと契約したように何年か前からネットワークを築いてきた英国の作家とのコラボレーションもやってるんだよね。グライム・ラッパーのギグスだったり、英国のクラブ・シーンを代表するサンファだったり。そもそもドレイクって何よりもトレンドセッターでもあるから、『Passionfruit』にしろ、UK経由のカリビアン音楽路線の方向性やディープ・ハウス路線だけでレコードを作ることもできたはずなんだけど、そうはしなかった。いま出すなら一通りのサウスのラッパーを客演を集めてトラップをやった曲は外せないっていう商才が働いたんだと思う。ちょっとうがった見方だけど(笑)。

──それがトラップ路線の何曲か?

田中:で、フューチャーが「マスク・オフ」でやったフルートのループの向こうを張ったようなビートで、ミーゴスのクエイヴォとトラヴィス・スコット呼んで、『Portland』みたいなヒット曲作っちゃうんだから、勿論、商才だけの人ではないんだけど。で、そもそも自分の過去の元カノの話をネタにして、自分のキャラクターづけをして売れてきた人でしょ? ここに来て、まだ得意の元カノへの未練タラタラ路線の曲をやるわけ。わざわざジェニファー・ロペスの曲のサンプル使って、彼女のこととリアーナのことを匂わすようなリリック書いて。そういう三面記事的な好奇心を満たすキャラとしての曲もある。

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──そうやって、いくつかのディメンションを作っていると。

田中:で、それぞれがバックラッシュも含めて、オンライン上のミームになったり、話題になったりするようなネタの宝庫みたいなレコードなんですよ。あらかじめヴァイラルを意識した作品作りなんだよね。

──なるほど。だからこそ、それでドレイクを批判する声も上がったりする、と。

田中:でも、新しいしさ、そんなことやれる人、ほかにいないしさ。実際、ドレイクって、いままでとんでもない傑作は一枚も作ってないんですよ。音楽的な興味としてもすごくスキゾフレニックで、多面性があって、音楽やラップの技能以上にリリックの内容が大事で、キャラクター・ビジネスとしてのドレイクが彼を大きくしたっていう特性からすると、アルバムでひとつの側面だけ見せるっていうのは、そもそも彼のアーティスト特性に合ってなかったという見方もある。しかも、そんな風にいくつかのディメンションに別れた収録曲が22もあると、それぞれの方向性でSpotifyのいろんな種類のプレイリストに振り分けられるわけ。アメリカでは弱くても、イギリスのグライムを集めたプレイリストには入るとか、そういう戦略性もある。

──最初におっしゃったように、器が何になるかで、作品の内容も変わったと。

田中:いずれにせよ、ドレイクはストリーミング・サービスを前提とすることで、作品性のあり方を変えた。だからいまのラップ全般が本当に面白いのは、音楽的な部分は勿論なんだけど、と同時に、音楽産業の変化に対して泣き言を言うんじゃなくて、誰もが新たなアイデアを提示することで自分から新たなゲームの規則を作ったり、それに則した作品を生み出してくることだとも思っているんですよ。

──それを可能にしてるのも、ストリーミング・サービスの存在なんだ、と。

田中:だから、「CD出ないし、CD出るの待つわ」とか言ってたら、いまのポップ・シーンの面白さとか、てんでわかんないままなんですよ。たとえば、あえてわかりやすいように超ビッグ・ネームを挙げるけれどJay Zは優れたビジネスマンだし、カニエ・ウェストは思想家でアクティヴィストだし、何より狂気に駆られたアーティストだったりするじゃないですか。で、チャンス・ザ・ラッパーは宣教師かつ政治家。それそれのそういったスタンスの違いの面白さとかもインスタだのTwitterだので適当に情報集めて、GeniusとYouTubeとSpotifyを同期させて、リリック追いながら曲を聴いたりすると超面白いんですよ。雑誌とかいらない。しかも世界中のヘッズやティーンネイジャーがそれやってるわけ。そりゃ、これだけ盛り上がるわな、アジア含め世界中から日本が孤立するわけだわっていう。

音楽を作るのにアルバム作って、売るためにツアーをするっていうシステムに縛られる必要なんてないんじゃないか

──つまり、いまの日本のポップ産業の仕組みとはまったく違う仕組みが国外では確立されてる、と。

田中:そうなると、おのずと作品性も変わっていく。と同時に、ドレイクにしても『More Life』を作ったことで、今度は伝統的なアルバムも作りやすくなったり。アート自体の可能性が広がって、しかも作家のクリエイティビティが担保されるようになった。レディオヘッドの『Hail To the Thief』みたいな、その時々の状況に翻弄されることでの失敗例も回避されることになっていくと思う。

──もう少し詳しく話していただけますか?

田中:ほら、『Hail To the Thief』のリリースって2003年でしょ。つまり、iTunes全盛期で、誰もがアルバムをフィジカルCDで買うんじゃなくって、曲単位で買うようになった時代の産物なんですよ。だから、誰もアルバム1枚通して聴いてくれないなら、曲をたくさん入れときゃいいやっていう判断が働いて、散漫になったアルバムでもある。ドレイクの『More Life』と違って、サウンド的にも統一感があるんだから、14曲もぶち込まなくて、その後の『In Rainbows』みたく10曲くらいに絞って、流れをきちんと意識すれば、伝統的な意味での傑作になったはずなの。

──ただ、ストリーミング・サービスの浸透によって作品性が変わっていくとすれば、従来のアルバムという単位はすたれてしまう可能性もあるわけですよね。タナソウさんはそれに関してはどうなんですか?

田中:どっちでもいい。とうか、どちらの可能性もあるっていうことがむしろ喜ばしいっていうか。たとえば、一時期レディオヘッドのトム・ヨークがストレスを感じてたのは、アルバムを数年に一枚作って、作家のすべてをそこでリプリゼントしなければないっていう神話やシステムに対してなんですよ。ほら、随分前に金子くんがCINRAで紹介してたレディオヘッドのバイオ本の中に俺の名前が出てきて、一時期トム・ヨークと俺が話す度に交わしてたジョークの話が出てくるでしょ。俺が「次はアルバムじゃなくて、EP作ればいいんじゃないの?」ってわざと意地悪なことを言うと、トム・ヨークが「その通り!」って言って二人でゲラゲラ笑うっていう。

──ありましたね、確か。

田中:あれは要するに、音楽を作るのにアルバム作って、それを売るためにツアーをするっていうシステムに縛られる必要なんてないんじゃないか?っていう話なんですよ。でも、たとえばヤング・サグは、この夏前に出したのが実は正式な1stアルバムなんですよ。彼もミックステープ・カルチャーから出てきたラッパーのひとりなわけだけど、今年の作品以前の何十枚かのアルバムは全部ミックステープで、しかもフリーのミックステープもあれば、コマーシャル・ミックステープっていうハーフ・オフィシャルなものもあれば、YouTubeでしか聴けなくてデータ配信もストリーミング・サービスでも聴けない曲があったり、もう目茶苦茶っていうか、超適当なんですよ。本人がどれだけ意識的かはわかんないけど、それっていい意味で完全にこれまでの神話を破壊してるわけですよ。それって作家的には最高に愉快な話でしょ?

──つまりは、作り手の自由を担保したと。

田中:アルバムっていう単位は最高のアート作品のタブローではあるんだけど、誰もがそれを作らなくてもいいわけでしょ。シングルしか作らない作家がいてもいいはずじゃん。だからこそ、ジェイ・エレクトロニカみたいな絶対にアルバムは作らないって言い張ってる人も出てくるわけでさ。でも、そもそもアルバムなんて作る力量もない作家もアルバムを作って、それをCDにして売ってるなんてのは資本の倫理でしかないわけじゃない? クリエイティビティの問題とは別の話なんですよ。「音楽家は曲作ってライブするだけじゃダメなんですか?」とか、「アルバムで傑作を作らないと認められないんですか?」っていう考え方が普通に出てこないのはむしろおかしな話でさ。

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──極論ではあるけど、正論でもあるとは思います。

田中:だから、やっぱりサウスのヒップホップの連中が作り出したフリーのミックステープ・カルチャーというのが本当にいろんな可能性を結果的に提示したんだと思う。リル・ウェインやグッチ・メインが偉いんだね、きっと。彼らはそうしたことには意識的ではなかったとは思うけど、そこにクリエイティブな視点が盛り込めると考えたのがカニエ・ウェストで、それを音楽業界のあり方に対する問題提起として政治の道具にまでしたのがチャンス・ザ・ラッパー。だからこそ、チャンス・ザ・ラッパーの『Coloring Book』に入ってる、レーベルとか中間搾取をする連中なんていらないっていう内容の"ノー・プロブレム"に客演してるのがリル・ウェインと2チェインズだっていうのは必然なんですよ。で、ストリーミング・サービス全盛期にそこからのアイデアを広げて、より高品質な新たな商品にしたのがドレイク。だから、今日はストリーミング・サービスの話だけど、一番しっかり言わないといけないのは、それを培ったのはナップスター以上に、サウスのヒップホップの連中がやったフリーのミックステープ・カルチャーだったってことかもしれない。作家の創造性を担保して、音楽業界の構造を変えて、受け手との関係性を変え得る可能性を最初に見せた。多分そのことに一番意識的で、彼らサウスのラッパーたちに惜しみないリスペクトを感じてるのはチャンス・ザ・ラッパーだと思うけど。

──ミックステープのカルチャーがあったからこそ、ストリーミング・サービスの使い方に幅が生まれて、可能性が広がったということですね。

田中:俺がストリーミング・サービスに一番ネガティブだったのは、作家に対しての経済的な還元がないからクリエイティブな環境が損なわれるってことだったんだけど、経済的な還元がある程度担保されたうえで、それを戦略的に使ったら、これまでいろんなことを抑圧してきた業界のシステムを変革しうる可能性があるってことを作家たちが行動と作品で見せてくれたんだよね。本当に彼らは凄いと思う。でも、日本なんてホント旧来のシステムにがんじがらめでしょ? ライブハウスはバンドを食いものにするし、とりあえずフェスに出る資格にエントリーするためには同じ会社の雑誌に広告を出さないといけないとかってレーベルやバンドが頭悩ましてたり。で、その手の話も別に法規制されてるわけでもないし、抜け道だっていくらでもあるはずなんだけど、誰もがそのシステムを受け入れちゃってる。ジェイ・Zやカニエ・ウェスト、チャンス・ザ・ラッパーみたいにそうしたシステムの現状を公にして、それを具体的に変えていくアイデアがどこにも見当たらない。何よりもそれが問題なんだよね。今の日本のポップ・シーンが世界的に見てももっとも退屈なのはそうした旧来のシステムに誰もがしがみついてるところに原因があると言ってもいい。だからこそ、まずはCDだのCD量販店だのっていう泥舟にしがみついてるんじゃなくて、まず文化全体としてストリーミング・サービスを受け入れることからしか始まらないと思う。評論家的なアングルで言うと、ストリーミング・サービスの可能性って、そういうことかな。

──ただ、ストリーミング・サービスの浸透に伴って起こりうるネガティブな未来予想図というのはないんですか?

田中:あるある。いくらでもある。ストリーミング・サービスが主流の世界に対して、作家や作品が最適化しようとすると、一時期ヴィレッジヴァンガードが作ってたみたいな名曲のボサノヴァ・カバーとか、ハウス・カバーみたいな、曲自体がムード音楽っていうか、ミューザックっていうか、BGM化していく可能性は濃厚だし。実際、もう起こってるよ。Spotifyとかに快眠用プレイリストみたいなのがあるんだけど、その手のプレイリストにぴったりのムード音楽を作ってるフェイク・アーティストがいたりするらしいのよ。まあ、現時点で真偽のほどは確かじゃないんだけど、アーティストや音楽クリエイターが別の名前で曲を作ってたりするんだって(笑)。『The Sign Magazine』の小林が教えてくれたんだけど、ニューヨーク・タイムスで記事になってた。ただもちろんSpotifyの楽曲はすべてライセンスを受けたもので、Spotify側は権利保持者に支払いをしているから正当なものだし、それはそれでポップ音楽の新しい供給と需要の形なのかもしれない。でも、サーフ・スタイル・ミュージックとかってジャンル、知ってる? 今、いろんなCD量販店で大きめの面陳取って売り出されてたりするんだけど。これもポップ音楽のBGM化のひとつの兆候だよね。で、そのサーフ・スタイルってので作ったブルーノ・マーズのカバーCDまであって、それがしっかり店頭でプロモーションされてたりする。まあ、ニーズがあるっていうなら、それを頭ごなしに否定しても仕方ないんだけど、こういうのも2017年の日本のポップ音楽を取り巻く象徴的な光景のひとつだな、と思って。

──とんでもないことになってますね。

田中:それ以外にもSpotifyっていうプラットフォームに誰もが最適化しようとしすぎるあまり、Spotify向けの音楽トレンドが生まれてたり。

Vevo-DUCK/YouTube

──具体的に言うと?

田中:いまとにかく誰もがダンスホール・レゲエのリズムの曲を作りまくってるの。要するに、去年の夏のメガ・ヒットだったドレイクの『One Dance』以降の世界なんですよ。もちろん、しっかりした曲もたくさんあるのよ。でも、ひどいものの数が多すぎる(笑)。EDMが廃れたじゃん。だから、それまでEDMやってた連中がとにかくbpm100前後のダンスホール・トラック作りまくってたり。そもそもの形式がしっかりしてるから、バッタものが作りやすいんだと思うな。でも、その手のネガティブなことは今後もいくらでも起こっていくと思う。それはいつの時代にも変わらないからさ。でも、その度に批評家はそれを指摘してけばいいし、そこに対する反発として、必ず優れた楽曲や作品、スタイルが生まれてくる。歴史っていうのはいつも螺旋状に進むものだからさ。でも、とにかく前に進まないと話にならないんですよ。

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田中宗一郎
編集者。音楽評論家。DJ。立教大学文学部日本文学科卒業後、広告代理店勤務を経て、株式会社ロッキング・オンに入社。雑誌『ロッキング・オン』副編集長を務めた後、フリーに。97年に編集長として雑誌『スヌーザー』を創刊。株式会社リトルモアから14年間刊行を続ける。現在はサインマグこと『ザ・サイン・マガジン・ドットコム』のクリエイティブ・ディレクター。DIGAWELのサブ・ブランド、The Chums of CHANCEの立ち上げも。飼い猫の名前はチェコフとアリア。

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