戦時のインフレに株式投資は勝てたのか――対「ヤミ物価」で読み解くマーケット 東京海上アセットマネジメントの平山賢一さんと「高井さん」の金融史探偵団
*YouTubeライブのダイジェスト動画をもとに、発言を抜粋・加筆修正しています。(文・構成 高井宏章)
戦時経済で国債優位から株式優位へ
高井 今、世界はインフレに苦しんでいるけれど、戦前戦後はそれどころではないインフレでした。そんな物価高に株式投資は勝てたのかという歴史の謎を追いかけてみましょう。
平山 これまで数字で答えが示されてこなかったこの問題を独自データで検証しました。
高井 まずインフレ。10年平均で見ると、ピークは戦後です。
平山 1946年は1年で物価が5倍、6倍となる高インフレになっています。49年までの 10年間でならして見ても年率56%。大変な時代です。
高井 そんな時代に株式投資でインフレをヘッジできたのか。データを見ると、昭和の初期は株式よりも国債のリターンが高かったようですね。
平山 1924年半ばから29年までの株式のリターンは年率換算で4.86%。対する国債は実は7%を超えていました。これはトータルリターン、保有国債の値上がり分も含んだ数字です。株式は、低リスクの短期金融市場(東京コール)よりもリターンは低かった。
高井 日本経済が大変だった時代にあたります。
平山 昭和恐慌で銀行が破綻したり、円高誘導となる金解禁が行われたり。1929年にはニューヨーク株式市場の暴落もありました。その影響で国債の方がリターンは高かった。その次の5年間(1930~34年)も、金融緩和で短期金利は下がったけれど、株式と国債のリターンは同程度で、国債優位は続いています。
高井 ところが1935~39年には株式が逆転している。株式のトータルリターンは年率13%程度に高まった一方、国債は4.6%程度に縮小しています。戦時の需要が企業業績を押し上げはじめたからですね。
平山 1930年代は重厚長大産業が戦争のための生産増加で業績が拡大し、株式のパフォーマンスが大きく上がっていきます。1940年代、太平洋戦争となった時期には、各資産のリターンは株式5%、国債4%、短期金融市場3%ぐらいとなる。この数字は政策当局が意識して作った人為的なものでした。
高井 それぐらいを落とし所にした「官製相場」だったわけですね。
平山 当時、株価変動はそれなりにあっても株価水準はあまり動かない状態になった。株式のリターン約5%はおおむね配当利回りと考えてよいです。
高井 株価は「行って来い」だけど、配当の分がリターンとして積み上がった、と。
平山 1924年から44年までの長期データで見ると、株式のリターンは6.9%です。株価上昇だけを見ればリターンはもっと低くなってしまう。従来の金融史の研究では配当を考慮してこなかった。経済指標として株価変動に目を向けてきた経緯があります。
高井 長期では配当込みと配当抜きの乖離は非常に大きいですね。1924年を100とした指数でみると、配当抜きは44年までに3割程度しか値上がりしていない。配当込み指数はおよそ4倍になっている。
平山 特に1930年代から40年代にかけて、配当の影響が大きくなります。配当をちゃんと株式に再投資していれば、複利効果でそれだけの差が出ていた計算です。
高井 さて気になるのは、結局、この戦前の時期、株式投資はインフレに勝てたのか。さきほどの凄まじいインフレを考えると、このリターンでも微妙ではないか、という印象を受けるのですが。
平山 1924年から44年11月までで見ると、株式のリタ―ンは年率6.9%でした。対するインフレ率は平均2.4%だった。
高井 なるほど。その期間だと、インフレもあったけれどデフレもあったからですね。
平山 その通り。そうした時期も含めると、株式はインフレを年率4%ほど上回って勝っていた計算になります。もっと面白いのは、国債のリターンも5.7%とインフレに勝っていた。
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