夫婦別姓や性教育を攻撃したのは誰か 激化したバックラッシュの実態
元首相の銃撃事件を機に、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)によるジェンダー政策への介入の有無が注目されている。だが、2000年代に激化したジェンダー平等や性教育への反動(バックラッシュ)の現場を研究する山口智美さんは、「旧統一教会だけ見ていては『トカゲのしっぽ切り』になる」と警鐘を鳴らす。なぜなのか。
銃撃事件後、10年前の本に集まった注目
――最近、山口さんをメディアでよく拝見します。
「バックラッシュの動きを共著書に書いたのは、もう10年も前のことです。残念ながら最近まで、その本が注目されることはありませんでした。ところが安倍晋三元首相の銃撃事件後、急にメディアに呼ばれるようになりました。理由はただ一つ、本で旧統一教会の関わりを書いているからです。『こんなこともしていたのか』と驚いて受け止められています」
「しかし、そんな話は、少なくともフェミニストなら誰でも知っていたはずです。だから、世間が驚いたことに私は驚きました。それだけ、社会がジェンダーの問題に無関心だったのでしょう。私も含めたフェミニストの発信の仕方がうまくなかった面もあるのだと思います。右派からの攻撃を避けるため、勉強会や女性学系の学会など内輪の議論に傾いていたことも影響したかもしれません」
――2000年代のバックラッシュから今に至るまで、何が起きているのですか。
「バックラッシュを担ってきたのは、基本的には1990年代半ばから同じ人たちだと見ています。90年代というのは、95年に国連の北京世界女性会議があり、日本もさまざまなジェンダー政策を前に進めることを国際的に表明する場となりました。その流れで、99年に男女共同参画社会基本法ができます。フェミニズムにとっては、求める社会に向けた流れが加速していた時期でした」
「一方、右派がそのころ力を入れていたのは、日本軍『慰安婦』が記載された教科書に反発する『新しい歴史教科書をつくる会』の運動です。男女共同参画に注意を払う余裕がなく、運動に加わる人からは後に『気付いたら法律が通っていた』と聞きました」
――その後、バックラッシュが始まったのですね。
ジェンダー平等に対する「バックラッシュ」は、誰が、どのように動いて、形づくられたのか。宗教、論壇、政治などがつながっていった様子を山口さんが語ります。
「巻き返すためのバッシング…