ジェンダー学者の田中東子氏の論文「メディアとジェンダー表象」のツイートと論文の引用が不適切だと非難されている*1。SNSのポストも著作物なので引用ルールに従う必要があるし、字下げをしてしまったら論文の紹介ではなく引用と看做されるので、やはり引用ルールに従って正確な訳を心がけるべきなので、平謝りすべき案件だ。田中氏だけではなくジェンダー論界隈全般に問題がありそうだが、東大の教授だし言い訳はできな…私大の方が給料が…いはず。
しかし、批判者の「リッツアーは、いわば昔からずっと「プロシューマーの時代」であり、生産と消費の時代なぞ存在しないと述べている」は、誤解を招く説明だ。田中氏の議論は「リッツアーの真の主張とは全くの逆」と言うわけでもない(追記(2024/12/15 21:29):批判者の記事は訂正されて、現時点で該当箇所は無い。)。
Ritzer (2015)では、ファーストフード店では客がゴミを捨ててトレーを下げているとか、格安家具は客が家具を組み立てていると言うような話をしつつ、消費と生産は不可分であるとしている。そして(先行研究に習い)消費と生産が組み合わさった行為をプロシューム(prosume)と呼んでいる。従来から、純粋な消費者と純粋な生産者などはおらず、プロシューマーしかいないとは言っている。しかしながら、従来は生産者よりのプロシューマー(p-a-p)と、消費者よりのプロシューマー(p-a-c)による資本主義であった一方、インターネット、特にSNSにおいては両者の垣根が曖昧になっている新たなプロシューマー(more balanced prosumers)の資本主義(prosumer capitalism)が存在すると言っている(p.429)。平たく言えば、利用者が他の利用者のためにコンテンツを作っているよ…という話。該当箇所は、搾取構造の話の中なので見落としそうではあるが、Ritzer (2015)は新たなプロシューマーの資本主義が来ていることを前提に議論している。上の箇所以外でも、最初の方の"this analysis deals with the ever-expanding prosumption on the Internet(拙訳:この分析は、ますます拡大しているインターネット上のプロシュームを扱う)"など変化を示唆する記述は多い。
もちろん田中論文の批判されている箇所には問題が多いのは変わらない。批判者が指摘するように、端的に誤訳になっているし、文脈を無視した切り出しになっている。コンテンツの流通に限らない説明を、コンテンツの流通の話として紹介するは問題だ。生産者よりのプロシューマー(p-a-p)と消費者よりのプロシューマー(p-a-c)による資本主義を、純粋な消費者と純粋な生産者の時代と捉えてしまっている。○○○よりを、純粋な○○○と理解するのは誤りだし、資本主義の多様性であれば同時代に同時に存在できるが、時代であったら同時に複数存在したら奇妙なことになる。
この論文、どうも田中氏の著作の『オタク文化とフェミニズム』と密接に関連していそうだし、もうちょっと丁寧に読み込むべきではなかったであろうか。Ritzer (2015)は、SNSでは従来よりもさらに生産者と消費者の境界が曖昧になっていると言う、田中論文の話の筋にあう主張は書かれているわけで、引用する箇所を間違えなければ難もつけられなかった。
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