労働法とそれに関連した歴史的な話題を発掘整理している濱口桂一郎氏の新著(といっても出てから4ヶ月経った)『家政婦の歴史』を拝読したので、感想を記しておきたい。
私にとって家政婦はマンガやドラマの中でしか見かけない存在で、最初に題名を見たときはテーマがマニアックすぎだとお茶を噴いてしまったのだが、創作物の設定と現実のどこがどの程度乖離しているかという話題が好物なので目を通してみた。
インターネット上で話題になっている事件を、理論とデータをもとに社会科学的に分析。
労働法とそれに関連した歴史的な話題を発掘整理している濱口桂一郎氏の新著(といっても出てから4ヶ月経った)『家政婦の歴史』を拝読したので、感想を記しておきたい。
私にとって家政婦はマンガやドラマの中でしか見かけない存在で、最初に題名を見たときはテーマがマニアックすぎだとお茶を噴いてしまったのだが、創作物の設定と現実のどこがどの程度乖離しているかという話題が好物なので目を通してみた。
社会学者の筒井清輝氏の『人権と国家 — 理念の力と国際政治の現実』を拝読したのだが、議論がぼんやりとしていたので記しておきたい。
本書は第二次世界大戦後に国連憲章と世界人権宣言によってできた国際人権なるものが、紆余曲折を経て国際社会にどのような影響を与えてきたかをまとめたもので、為政者が人権に口先だけでもコミットしたら、そのうち真面目に対応することになる「空虚な約束のパラドックス」によって、国際人権が世界に浸透してきたというのが主な主張である。細かい話で気になる部分もある*1が、ここまではそういうものか~と読める*2。
統計学者や統計分析者でなくても、統計解説の結果を間接的にでも見ることは少なくない。しかし、統計解析を正しく行うのも、分析結果を正しく解釈するのも、実際のところは容易ではない。オモシロ統計が世に広がり、誤解が世間に定着しかねない世の中だ。
所謂統計リテラシーの問題なのだが、ダメな分析や解釈についての一般書でこれと言うものは私が知る限り無かった。類書で『統計でウソをつく法 — 数式を使わない統計学入門』が連想されるが、同書は書かれてから時間が半世紀以上経ち、内容もサンプリング・バイアスや記述統計量(というか平均)の性質、グラフの見せ方の話などがある一方、回帰分析が引き起こす誤謬や、社会や制度が統計分析者に与える影響についての記述は無い。
先月、感想を求められた社会思想史家の重田園江氏の『ホモ・エコノミクス — 「利己的人間」の思想史』を拝読したのだが、テーマは面白そうなのだが、議論の整理整頓が不十分で、経済学などへの理解が足りていない感じの議論になっていて、残念な感じになっていた。色々と改善して欲しい点があるので、指摘したい。
イマドキの産業組織論(IO)の研究の一般向け紹介本の『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』を拝読した。経済学をほとんど知らない人向けに、需要関数と利潤関数を推定して、それらを元に反実仮想をして問いに答えを出す流れのIOの実証研究を紹介する意欲作になっていて、お題として既存企業がプロダクト・イノベーションを怠る現象「イノベーターのジレンマ」の説明が試みられている。実証している例が1980年代から90年代のHDD市場における5.25インチから3.5インチへの転換事例なのだが、色々と違和感があったので記しておきたい*1。
三次元グラフィックスをいじらなくなって久しいためか、四元数の存在すら忘れていたことがあり、せめて名前を記憶に留めるために手軽な解説本が欲しいなと思っていたのだが、『数の世界 — 自然数から実数、複素数、そして四元数へ』と言うちょうど良さそうな本が出ていたので拝読した。
江口某氏の某教育学者批判*1で読むべしと薦めていた『日本の教育はダメじゃない — 国際比較データで問いなおす』の内容を確認したので紹介したい。PISAとTIMSSといった国際学力調査などによる外国との比較で、日本の中等教育までは少なめの勉強時間にも関わらず学力・いじめ・健康状態などは良好なグループに属していることなどを明らかにした上で、無根拠に日本の教育に問題があることを前提にして、外国のやり方を無批判に取り入れようとしがちなメディアや教育学者を批判した本。著者らの主張の限界なども正直に書いて良心的。
昨年の夏にフリー記者の澤田晃宏氏の『ルポ技能実習生』を読んで紹介しようと思って放置してしたのを思い出したので、感想を記しておきたい。
アメリカほどではないが戦後の日本には在日韓国・朝鮮人、日系ブラジル人などの様々なエスニシティが入り込んでおり、日本も移民問題とは無縁ではない。最近は、外国人技能実習制度を通し、中国人やベトナム人が日本社会の重要な構成員となっている。本書は、日本の移民問題を議論するのに避けては通れないこの外国人技能実習制度という移民受け入れシステムに焦点をあてた本だ。
移民関係の本は色々と出ているのだが、抽象化されてやや具体性に欠く議論になりやすいので*1、そうではない本を読みたかったのでよかった。
ぼちぼち話題だった『殴り合う貴族たち』をぼちぼち拝読した。
賢人右府の二つ名を持つ藤原実資さんの日記の記述などを元に藤原道長の頃の平安時代の貴族たちの乱暴狼藉を紹介する本で、貴族の名前が覚えられないので読み進まないことを除けば面白い。
日本史の教科書では平安時代の雰囲気が良く分からないのだが、政府設備だった羅城門跡の礎石を藤原道長さんがくすねたとか、強盗に服を奪われて放置された女官が凍死して犬の餌になってしまった(と言うことになった事件)などの逸話が補完してくれる。
尾脇秀和氏の『氏名の誕生 — 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』が評判だったので拝読したみたのだが、中盤からツボにはまる面白さがあったので紹介したい。
本書は現在の日本人の名前(氏名)の構造がいつどのように定まったかを、江戸時代からの変遷を追いかけて説明する本だ。こう書くと歴史マニア向けっぽい感じがするのだが、一般の日本史学習者にとって本当は重要な教養であると同時に、開発途上国の行政改革の理解という意味でも重要な逸話の紹介になっている。
在日韓国・朝鮮人はもちろん、飲食店やコンビニで中国人やベトナム人と接する機会は多いわけで、日本社会に在日外国人が溶け込んでいるのは間違いない。留学生であったり、外国人技能実習生であったり、在留資格は様々なのだが、定義上はすべて移民に分類される。気づいたら日本も移民に随分と依存した社会になっていた。その割には移民政策が選挙の争点になったりしないので不安になる。ぼちぼちと新書のトピックにはなっているのだが。
哲学者マイケル・ローゼンの『尊厳 — その歴史と意味』がネット界隈の哲学クラスターでぼちぼちと言及されている。尊厳はそこそこよく見かける単語であり、尊厳と言わなくても尊厳を問題にしている気がする不満や苦情は多々ある一方で、厳密にはよく分からない単語でもある。本書は、尊厳と言う単語が何を意味してきたかを整理し、尊厳を尊重すべき道徳的根拠を考察した本だ。
そもそも通貨とは~と語っている人々の我田引水や牽強付会*1を指摘するために、『撰銭とビタ一文の戦国史』を拝読した。本書の著者の高木久史氏はずっと中世から近世の貨幣を研究している人で、2018年と比較的新しい本書はこういう用途に最適。悪銭やビタといった単語が示す意味がそう自明でもないところに歴史研究の難しさがわかって興味深い一冊で、記述の端々から貨幣研究も史料と発掘で進められていることも分かる。
ネット界隈ではいい歳をしたおっさん/おばさんが日夜、恋愛や結婚に関しての議論を繰り広げている。ツイフェミの皆さんが根拠不明な規範的な話をしている一方、反ツイフェミの皆さんの多くが体験談か周囲から聞いた限りの実証的な話をしていてまったくかみ合わない感があるのだが、社会学や経済学で恋バナの研究は色々あるし一般書も幾つも出ている*1ので、インプットを増やして議論の質を向上させて欲しい。
伝統的な頻度主義の統計学を最初に習うので、学部の講義でベイズ統計学を教えているところは少ない気がするのだが、最近はベイズ統計学の応用が広まっているし、大学院の講義があるところは多いと思う。しかし、数学や統計学の講義は形式的になりがちで、(教員が説明したくても時間が限られているため)その歴史的は説明してくれない。歴史を知らなくても数理的な特性だけ理解できればよいと言う人もいるのだが、歴史を知るとその便利さが分かるし、何より親近感を持てるようになるものだ*1。