2011年 04月 06日
世界的「見えざる手」は規制不能? |
2000年代前半に「インフレ無き高成長」を実現させたと仰ぎ奉られた、元FRB議長のAlan Greenspan氏が、3月29日に英FTに対して、「Dodd-Frank fails to meet test of our times(米金融規制法は現代にそぐわない)」という寄稿をし、その中で、2010年7月21日に成立した「Dodd-Frank Act(ドッド・フランク法)」の名前で知られるウォールストリート規制法に対して、「時代遅れで効果がない」と批判を展開したという話が、ちょっとした話題になりました。
と言うのは、同法案の発起人Barney Frank議員(マサチューセッツ州選出・民主党)が、4月3日にFTに対して「Greenspan is wrong: we can reform finance(グリーンスパンは間違っている。我々はウォールストリートを改革できる)」という寄稿をし、強く反論した為です。
アメリカ経済がようやく回復の兆しを見せる中、FT上で繰り広げられた議論を通じて、アメリカの金融規制について少々見返してみたいと思います。
Greenspan氏の主張
Greenspan氏は、金融規制法が役に立たないと主張する理由として、「リーマン危機を引き起こしたのが様々な『行き過ぎ』であったことは認めるが、それを幅広な法律で規制できるとは思わない」と述べています。そして、複雑な規制は恐らく様々な矛盾を生み出し、その結果は予想できない。実際に初期の結果は喜ばしいものではない、として、以下のような例を列挙しています。
> 2010年7月の法律成立直後に、フォード傘下のクレジット会社が自動車ローンを証券化し資金調達をしようとしたが、金融規制法の中に「格付機関はその判断に法的責任を負う」というものがあったため、フォードは格付を獲得できず、資金調達に困窮してしまった。そこで米証券取引委員会(SEC)は、格付取得の必要性を免除することになった。
> 2010年12月に、Fedは法律の要請に従って、銀行がデビットカードから得るフィーの率を減らすことを業界に対して提案した。その結果、多くの銀行が、デビットカードの発行が出来なくなった。
> 2011年に入って、外国為替デリバティブ取引の多くが、アメリカから海外に移ってしまうのではという懸念が噴出している。それを受けて、米財務省は法律の一部に例外を認めることを検討しているが、銀行規制当局の一部は、条文どおりの適用を求めている。
> 米国金融機関に対して、自己トレーディングを規制するルールは、米国外で業務をする場合にも適用される。しかし欧州やアジアの外銀には適用されず、競走上の不利を作り出している上、時差がアメリカと同じカナダにビジネスが移ったりしている。
> ウォールストリート規制の最大の失敗は、バンカーが受け取る破格の(時に馬鹿げた額の)ボーナスを規制することである。個人の能力の小さな違いが、金融機関全体の利益に大きく影響を与える世界において、一部の金融機関にボーナス規制を強制するのは不可能かつ非合理的である。
そしてGreenspan氏は、こうした「氷山の一角」の問題は既に、金融システムのグローバル化の進展度合いや相関性という、リーマン危機によっても大きく変化していない現代の潮流を、金融規制法が無視していることを示している、と指摘しています。そして、機能不全の規制によって、1971年の賃金価格調整法以来の、大きな市場の混乱を招いてしまうかもしれない、と警告しています。
同氏の主張は更に、アメリカの政治家や規制当局には、アダムスミスが言った「見えざる手」が世界規模で機能している現代の金融システムのほんの一部をも理解する力はなく、また、2008年の金融危機のような一部の例外を除いては、その金融システムは問題なく機能している、と続いています。
そして、アメリカのみならず、イギリス、オランダ、日本、韓国、オーストラリアなどで、金融セクターがGDPに占める割合が向上し続けて来たことと、生活水準が大幅に改善してきたことは無関係であるはずはないとして、50年前の銀行システムに戻ることは出来ない、と結論付けています。
Frank氏の反論
このようなGreenspan氏の主張に対してFrank議員は、「金融規正法が成立して以来、多くの人が、それを如何に上手に適用すべきかについて意見をしてきた。しかし先週のGreenspan氏の寄稿まで、誰一人として、金融危機に何の対処もしなくてよかった、と主張した人はいなかった」と、強い不快感を示しました。
Frank議員は、Greenspan氏の主張を、規制緩和の進んだ金融システムは長期的には上手に機能しているという点と、グローバル金融システムが「あまりに不透明」で規制当局の理解の及ぶところではないという二点にまとめた上で、その両方について「Greenspan氏は間違っている」と切り捨てています。
そして、Greenspan氏のばら色な見識は、金融危機によってアメリカ経済の根幹が揺るがされ、失業率の大幅上昇や、住宅の抵当流れの危機、欧米での広範な不景気をもたらした事実を無視している。金融危機を引き起こした原因を究明し、不適切な規制緩和やあいまいな監督制度を正すことは絶対に必要であり、FedにおけるGreenspan氏の前任者も後任者も、それに強く同意している、と述べています。
また、規制当局者が金融システムのほんの一部をも見通すことが出来ないのは、「規制当局にそういう義務が課せられていなかったため」であり、また、住宅ローンを規制する能力をもっていたはずのFedがそれを行わなかったことも、金融危機発生の原因であったとして、だからこそ法律化という政策的判断が重要であった、と述べています。
Frank議員はまた、新しいウォールストリート規制によって、Lehman Brothersのような大手金融機関が破綻の淵に立たされたとしても、それを金融システム全体に影響を及ぼすことなく破綻させるメカニズムが整い、そのコストも納税者ではなくウォールストリートが負担することになったと説明しています。その他の規制も金融危機を未然に防ぐために必要であり、プロップトレーディング規制もその一環だとしています。
そして、今では規制当局は、$600,000bn(600兆ドル=5京円)に及ぶデリバティブ市場を規制する手段も有しており、今まで「不透明」であった市場は、今後「透明」になる、としています。ヘッジファンドなどの規制についても、「隠れる場所をなくすこと」が目的であり、透明性の向上は、金融システム全体の健全性を増すことに繋がると主張しています。
そして最後に、イギリスの金融規制当局の長であるAdair Turner氏の言葉を引き合いに出し、GDPに占める金融業界の規模が肥大化したことで、経済活動に必要な資本が、生産的な活動から投機的活動にシフトしてしまい、生活水準の低下や非効率に繋がっているとして、先進国の「フィナンシャリゼーション」の良し悪しは今後も慎重に見定める必要があるが、規制当局が金融セクターを透明かつ健全に機能するよう努力することは必須である、と結んでいます。
どちらの意見が正しいか
恐らく世論の大半は、「ウォールストリートは悪であり、規制されて当然の存在」だと言うもので、これは当ブログの関連エントリーへのコメントを見ても明らかです。また、Greenspan氏と言えば、信用バブル醸成の最重要容疑者と言っても過言ではなく、それがしゃあしゃあと、リーマン危機を「一時的」と呼び、暴走して破綻し世界経済を大混乱に陥れた2008年前のウォールストリートを「往々にしてきちんと機能している」などと擁護することに、怒りを覚える人もいるかもしれません。
しかし、同氏の挙げた金融規制のマイナス効果の中には、例えば自動車会社の資金繰りに悪影響を及ぼすなど、実態経済に血液を提供する金融システムを機能不全に陥らせるリスクに気付かせてくれるものもあった気がします。また、より重要なのは、複雑すぎる法律や規制は、往々にして問題解決よりも問題醸成に繋がる、という点であり、これは、規制緩和が進まず経済構造改革が実現しない日本でも、同じことが言えるかもしれません。
と同時に、Frank議員が主張する、「あれだけの危機を起こしておいて、何も対処しないのはおかしい」、「ウォールストリートの暴走を止める枠組みが必要である」等の主張は、リーマン危機の世界経済に与えたインパクトを考えれば、極めて常識的な主張であるように思います。ただ、今後この法律を上手に適用できなければ、Greenspan氏の名声がそうであったように、Dodd-Frank Actの評価も、地に落ちてしまうかもしれません。
どんな形であれ、金融危機後に原因究明の為の公聴会を多く開き、1年そこそこで複雑かつ広範な業界規制をまとめ上げたアメリカ議会の危機対処能力には、ある程度のクレジットを与えてもよい気がします。アメリカには「Trial & Error」の文化があり、また、このFT上での議論でも明らかな通り、社会のリーダーが責任を取って議論を展開する土壌が整っていることも、素早い対応を実現した土台となったように思います。
最後に、友人が「金融規制のグランドデザイン-次の「危機」の前に学ぶべきこと」という訳書を、中央経済社から出版しています。NYUスターン経営大学院の教授陣によるこの本は、アメリカの金融規制改革法に多大な影響を与えた1冊と言われます。金融危機の全体像から、銀行とレバレッジ、格付機関、ヘッジファンド、報酬制度、デリバティブ、国際協調など、今後の金融業界の展望を考えるにも参考になる一冊であると思うので、ここでご紹介させて頂きます。
と言うのは、同法案の発起人Barney Frank議員(マサチューセッツ州選出・民主党)が、4月3日にFTに対して「Greenspan is wrong: we can reform finance(グリーンスパンは間違っている。我々はウォールストリートを改革できる)」という寄稿をし、強く反論した為です。
アメリカ経済がようやく回復の兆しを見せる中、FT上で繰り広げられた議論を通じて、アメリカの金融規制について少々見返してみたいと思います。
Greenspan氏の主張
Greenspan氏は、金融規制法が役に立たないと主張する理由として、「リーマン危機を引き起こしたのが様々な『行き過ぎ』であったことは認めるが、それを幅広な法律で規制できるとは思わない」と述べています。そして、複雑な規制は恐らく様々な矛盾を生み出し、その結果は予想できない。実際に初期の結果は喜ばしいものではない、として、以下のような例を列挙しています。
> 2010年7月の法律成立直後に、フォード傘下のクレジット会社が自動車ローンを証券化し資金調達をしようとしたが、金融規制法の中に「格付機関はその判断に法的責任を負う」というものがあったため、フォードは格付を獲得できず、資金調達に困窮してしまった。そこで米証券取引委員会(SEC)は、格付取得の必要性を免除することになった。
> 2010年12月に、Fedは法律の要請に従って、銀行がデビットカードから得るフィーの率を減らすことを業界に対して提案した。その結果、多くの銀行が、デビットカードの発行が出来なくなった。
> 2011年に入って、外国為替デリバティブ取引の多くが、アメリカから海外に移ってしまうのではという懸念が噴出している。それを受けて、米財務省は法律の一部に例外を認めることを検討しているが、銀行規制当局の一部は、条文どおりの適用を求めている。
> 米国金融機関に対して、自己トレーディングを規制するルールは、米国外で業務をする場合にも適用される。しかし欧州やアジアの外銀には適用されず、競走上の不利を作り出している上、時差がアメリカと同じカナダにビジネスが移ったりしている。
> ウォールストリート規制の最大の失敗は、バンカーが受け取る破格の(時に馬鹿げた額の)ボーナスを規制することである。個人の能力の小さな違いが、金融機関全体の利益に大きく影響を与える世界において、一部の金融機関にボーナス規制を強制するのは不可能かつ非合理的である。
そしてGreenspan氏は、こうした「氷山の一角」の問題は既に、金融システムのグローバル化の進展度合いや相関性という、リーマン危機によっても大きく変化していない現代の潮流を、金融規制法が無視していることを示している、と指摘しています。そして、機能不全の規制によって、1971年の賃金価格調整法以来の、大きな市場の混乱を招いてしまうかもしれない、と警告しています。
同氏の主張は更に、アメリカの政治家や規制当局には、アダムスミスが言った「見えざる手」が世界規模で機能している現代の金融システムのほんの一部をも理解する力はなく、また、2008年の金融危機のような一部の例外を除いては、その金融システムは問題なく機能している、と続いています。
そして、アメリカのみならず、イギリス、オランダ、日本、韓国、オーストラリアなどで、金融セクターがGDPに占める割合が向上し続けて来たことと、生活水準が大幅に改善してきたことは無関係であるはずはないとして、50年前の銀行システムに戻ることは出来ない、と結論付けています。
Frank氏の反論
このようなGreenspan氏の主張に対してFrank議員は、「金融規正法が成立して以来、多くの人が、それを如何に上手に適用すべきかについて意見をしてきた。しかし先週のGreenspan氏の寄稿まで、誰一人として、金融危機に何の対処もしなくてよかった、と主張した人はいなかった」と、強い不快感を示しました。
Frank議員は、Greenspan氏の主張を、規制緩和の進んだ金融システムは長期的には上手に機能しているという点と、グローバル金融システムが「あまりに不透明」で規制当局の理解の及ぶところではないという二点にまとめた上で、その両方について「Greenspan氏は間違っている」と切り捨てています。
そして、Greenspan氏のばら色な見識は、金融危機によってアメリカ経済の根幹が揺るがされ、失業率の大幅上昇や、住宅の抵当流れの危機、欧米での広範な不景気をもたらした事実を無視している。金融危機を引き起こした原因を究明し、不適切な規制緩和やあいまいな監督制度を正すことは絶対に必要であり、FedにおけるGreenspan氏の前任者も後任者も、それに強く同意している、と述べています。
また、規制当局者が金融システムのほんの一部をも見通すことが出来ないのは、「規制当局にそういう義務が課せられていなかったため」であり、また、住宅ローンを規制する能力をもっていたはずのFedがそれを行わなかったことも、金融危機発生の原因であったとして、だからこそ法律化という政策的判断が重要であった、と述べています。
Frank議員はまた、新しいウォールストリート規制によって、Lehman Brothersのような大手金融機関が破綻の淵に立たされたとしても、それを金融システム全体に影響を及ぼすことなく破綻させるメカニズムが整い、そのコストも納税者ではなくウォールストリートが負担することになったと説明しています。その他の規制も金融危機を未然に防ぐために必要であり、プロップトレーディング規制もその一環だとしています。
そして、今では規制当局は、$600,000bn(600兆ドル=5京円)に及ぶデリバティブ市場を規制する手段も有しており、今まで「不透明」であった市場は、今後「透明」になる、としています。ヘッジファンドなどの規制についても、「隠れる場所をなくすこと」が目的であり、透明性の向上は、金融システム全体の健全性を増すことに繋がると主張しています。
そして最後に、イギリスの金融規制当局の長であるAdair Turner氏の言葉を引き合いに出し、GDPに占める金融業界の規模が肥大化したことで、経済活動に必要な資本が、生産的な活動から投機的活動にシフトしてしまい、生活水準の低下や非効率に繋がっているとして、先進国の「フィナンシャリゼーション」の良し悪しは今後も慎重に見定める必要があるが、規制当局が金融セクターを透明かつ健全に機能するよう努力することは必須である、と結んでいます。
どちらの意見が正しいか
恐らく世論の大半は、「ウォールストリートは悪であり、規制されて当然の存在」だと言うもので、これは当ブログの関連エントリーへのコメントを見ても明らかです。また、Greenspan氏と言えば、信用バブル醸成の最重要容疑者と言っても過言ではなく、それがしゃあしゃあと、リーマン危機を「一時的」と呼び、暴走して破綻し世界経済を大混乱に陥れた2008年前のウォールストリートを「往々にしてきちんと機能している」などと擁護することに、怒りを覚える人もいるかもしれません。
しかし、同氏の挙げた金融規制のマイナス効果の中には、例えば自動車会社の資金繰りに悪影響を及ぼすなど、実態経済に血液を提供する金融システムを機能不全に陥らせるリスクに気付かせてくれるものもあった気がします。また、より重要なのは、複雑すぎる法律や規制は、往々にして問題解決よりも問題醸成に繋がる、という点であり、これは、規制緩和が進まず経済構造改革が実現しない日本でも、同じことが言えるかもしれません。
と同時に、Frank議員が主張する、「あれだけの危機を起こしておいて、何も対処しないのはおかしい」、「ウォールストリートの暴走を止める枠組みが必要である」等の主張は、リーマン危機の世界経済に与えたインパクトを考えれば、極めて常識的な主張であるように思います。ただ、今後この法律を上手に適用できなければ、Greenspan氏の名声がそうであったように、Dodd-Frank Actの評価も、地に落ちてしまうかもしれません。
どんな形であれ、金融危機後に原因究明の為の公聴会を多く開き、1年そこそこで複雑かつ広範な業界規制をまとめ上げたアメリカ議会の危機対処能力には、ある程度のクレジットを与えてもよい気がします。アメリカには「Trial & Error」の文化があり、また、このFT上での議論でも明らかな通り、社会のリーダーが責任を取って議論を展開する土壌が整っていることも、素早い対応を実現した土台となったように思います。
最後に、友人が「金融規制のグランドデザイン-次の「危機」の前に学ぶべきこと」という訳書を、中央経済社から出版しています。NYUスターン経営大学院の教授陣によるこの本は、アメリカの金融規制改革法に多大な影響を与えた1冊と言われます。金融危機の全体像から、銀行とレバレッジ、格付機関、ヘッジファンド、報酬制度、デリバティブ、国際協調など、今後の金融業界の展望を考えるにも参考になる一冊であると思うので、ここでご紹介させて頂きます。
by harry_g
| 2011-04-06 06:38
| 投資銀行