2010年 06月 29日
恐怖と期待の中間?-ウォールストリート改革案 |
2010年6月26日、アメリカ議会の両院議員がウォールストリート改革案に合意したと、WSJなどの主要メディアが報道しました。最後は20時間に渡る議論が早朝まで繰り広げられ、巨大銀行に対する規制から、当局自身の権限の変更、消費者の保護、個別機関に対する規制に渡る、広範な改革法案が、独立記念日の7月4日前にも大統領によって法制化される方向になりました。
このウォールストリート改革法案は、オバマ大統領が「当初目指していたゴールを9割方達成している」と賞賛している一方で、ウォールストリートの関係者からは、「最悪の事態は避けられた」と、安堵の声が漏れています。
この発表を受けて、発表当日のニューヨーク市場では、大手金融株が軒並み上昇していましたが、これは一般的な市場の特性としての、不確実要因が取り除かれたことに対する好感に加えて、改革案が、恐れていたより厳しくなかったことを、反映しているものと思われます。実際はどうであるのか、改革案の内容も含めて、少々見てみたいと思います。
ウォールストリート改革の目的は、主に二つあったと言えると思います。
1つ目は消費者の保護で、複雑な金融商品によって一般投資家が被害を受けることを妨げること。そしてもう1つは、こちらがこのブログの主要な関心事でもあるのですが、金融機関の税金による救済の必要性をなくす事、つまり「Too Big To Fail(大きすぎて潰せない)」問題に対応して、金融機関の活動範囲を厳しく制限することです。
消費者保護については、ここで詳しくは触れませんが、Fed(米連銀)の中に、消費者保護を司る機関を新設し、そこが消費者向けの金融商品の監督に当たるようです。当初オバマ大統領は、この機関を完全に独立した機関とすることを主張していましたが、後述の通り、圧倒的に強化されることになったFedの監督権との関連で、「独立機関」としてFedの中に設立されることになったようです。
金融機関規制については、2008年の金融危機の反省に対応する形で進められた議論の結果、Fedが規制権限を集中して持つようになり、以前のように、銀行はFed、証券はSEC、保険は各州と言ったような連携不足を避ける方向に、大きく舵を切りました。そしてFedは、大きく言って、3つの力を得ることになったと、WSJなどは伝えています。
1つは巨大銀行の活動制限で、「Volcker Rule」として業界に恐れられた、自己取引やヘッジファンド、プライベートエクイティファンド(合わせてオルタナティブファンドと呼びます)への投資の制限や、著名投資家のWarren Buffett氏が「大量破壊兵器」と呼んだデリバティブの取引制限について、ルールを定めることです。これはウォールストリートの収益力に決定的な影響を及ぼす可能性がある規制で、業界関係者が最も注目していた点です。
2つ目は金融機関の資本規制の強化で、危機に瀕した際に過小資本によって損失を吸収できず、早期に破綻に追い込まれてしまった、大手証券のBear Stearns(JP Morganが救済)、Lehman Brothers(破産)、そして保険最大手AIG(国有化で救済)の反省を受けたものです。ただしこれは、あくまで国際的な枠組みが必要となる話しであり、カナダで行われているG20サミットでの、主要議題の一つとなることが予想されています。
3つ目は、経営破たんに近づいて、システムをリスクに晒すと考えられる金融機関が現れた際に、政府が迅速かつ明快に、その機関を「死に追いやる」仕組みを、事前に決めておくことです。今までも商業銀行に対しては一定の決まりがあったのを、今後は「金融システムを危険に晒す可能性がある」とみなされれば、どんな金融機関でも、その対象となるそうです。
「Volcker Rule」
最初に、最も注目されていた、「Volcker Rule」について見てみます。かつてFedの総裁であり、規制案の発案者でもあるPaul Volcker氏にちなんで名づけられたこの規制案は、以前にこのブログでも取り上げた通り、銀行を、預金や決済などのサービス機能を担う存在と、リスクの高い投資や投機を行う存在に分割すべきだという思想に基づいており、イングランド銀行などからも、賛同の声が上がっていました。
前述の通り、これはウォールストリートの収益力に決定的打撃を与えかねない規制であり、業界団体や共和党などが、アメリカの金融センターとしての地位を揺るがすと、強く反対していました。結局結論は、銀行の自己資本によるトレーディング(プロップトレーディング)やオルタナティブファンドへの投資は、「自己資本の3%まで」の範囲で、継続して認められることになりました。
ここでポイントとなるのが、ここでの「自己資本」の定義が、恐れられていた最も厳しい「Core Tier 1(普通株のみ)」ではなく、「Tier 1(優先株も含む)」となったことだです。WSJは、これを「業界にとっての勝利」と書いていましたが、これによって大手金融機関は、Tier 1資本の増強によって、自己投資を続ける道を選択することが、比較的容易になったと言えるかもしれません。
また、仮に自己投資を減らす方向に動いたとしても、その移行期間には、7年という期間が与えられることになりました。一番影響を受けるGoldman Sachsは、$15.4bn(約1.4兆円)ある自己投資額を、最大$2.1bn(約1900億円)まで、またMorgan Stanleyは$4.6bn(約4000億円)ある自己投資額の3分の2程度を、減らす必要がありますが、かなりの時間的猶予があると言える気がします。
そしてオルタナティブファンドへの自己資本の投資については、LP(Limited Partner=一般投資家)としての投資額は、この3%のルールに抵触するものの、ファンドの「運用会社」を保有することは、禁止されませんでした。オルタナティブファンドへの関与は、単純な投資リターンの魅力もさることながら、ファンドを運用して成功報酬を得ることが、大きなビジネスチャンスになるため、これもウォールストリートにとっては、良いニュースと言えそうです。
例えば大手銀JP Morganは、ヘッジファンド最大手のひとつであるHighbridge Capitalを運用しており、Goldman Sachsも、オルタナティブ業界で最大手の一つとされ言われる、自らの名前を冠したファンドを運用しています。今後、そうしたファンドに対して、投資家として投資することは規制されることになりましたが、引続き運用会社を保有して、フィー収入を得続けることが可能になったわけです。
それでも自己トレーディングを主要な収益源としてきた投資銀行にとって、いかなる規制も喜ばしいものではないと思います。しかし、過剰リスクや顧客との利益相反など、様々な問題を抱えていると指摘される自己トレーディングが、今後規制対象とされていく方向性については、いかんともし難いのかもしれません。
デリバティブ取引規制
今回ウォールストリートの経営陣が、Volcker Ruleと並んで最も固唾を呑んで見守っていたのが、デリバティブ取引規制だったと言われています。と言うのは、デリバティブは大手金融機関にとって、自己取引よりも更に重要な、極めて利ざやの厚い主要な収益源となっているためです。
デリバティブ(金融派生商品)は、その名の通り、他の金融商品から「派生した」商品で、性質上大きなレバレッジがかかっている(小額の手金で大きな取引が出来る)上、取引所ではなく相対で(OTC=Over The Counterで)取引されることで、その全体像が見えにくいと、厳しい批判の対象となってきました。
デリバティブの業界団体によると、現在OTCデリバティブの額面価値は$213 trillion(約2京円)にも上ると言われており、WSJによると、その97%を、JP Morgan、Citigroup、Bank of America、Goldman Sachs、Morgan Stanleyの5大銀行が扱っているそうです。そのデリバティブ取引が全て禁止されることになったら、大手金融機関の収益に与える影響は、計り知れないものになっていたと思います。
また、デリバティブは、単純に金利や為替のリスクをヘッジするものから、株式市場やコモディティ市場の方向性に賭けることが出来るもの、住宅ローンや自動車ローンの出し手に流動性を供給する証券化商品(ABS、CMBCなど)、デットをリパッケージしたCDO、そしてAIGを破綻に追いやったCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)など、非常に多種多様な取引が存在します。それらを全て銀行・証券業務切り離すことは物理的に「悪夢」であり、事実上、金融機関の解体に、つながっていたかもしれません。
今回の規制案の結論としては、リスクの低いデリバティブは、現在のまま銀行の中に残してよいこととなり、その例外規定のおかげで、影響を受けるのは、額面価値全体の1-2割に留まることになったようです。例外とされたのは、金利や為替関連の「単純な」デリバティブで、株式やコモディティ関連、CDS、非投資適格債に関するデリバティブなどは、別資本の会社に移転することが義務付けられることになりました。
これだけでも収益には相当マイナスになりそうな気がしますが、関係者から「これ位なら何とかやっていける」と言う声が上がっていることから、ダメージはそこまでではないのかもしれません。ただし、今回上下院の議員の間で合意された法案の中には、200項目以上が「規制当局の判断待ち」となっているそうで、業界団体は「戦いは続く」と警戒感を緩めていないようです。
法案に対する批判
オバマ大統領が「歴史的改革」と賞賛する法案ですが、そもそも共和党議員の大半が反対している上、より厳しい規制を期待していた一部の民主党議員からも、批判の声が上がっているようです。その批判は、大きく分けて、4つほどあるように思います。
一つ目は、今回の法案では「大手銀行の解体」や、「銀行と証券の分離」につながらない点。二つ目は、リーマンショックの波及要因となった、金融機関の短期資本市場(レポ市場)への資金繰り依存の問題が、全く解決されていない点。三つ目は、大手銀行が解体しやすくなったからと言って、解体時に起こるだろう混乱への対策が、特になされていない点。そして最後に、過剰な規制によって、メインストリートの資金繰りなど意図せぬところに悪影響が及び、景気回復の芽を摘みかねない点です。
一番目の、大手銀行の解体につながらないという点について、WSJの5月25日の記事「Important Steps, No Cure-All(重要なステップだが最終解決ではない)」によると、リーマン危機の前に大手25行のシェアが56%であったのが、危機後には59%に上昇しているそうです。これは大手銀の統合などが進んだせいではと思いますが、確かに巨大銀行は、巨大であり続けているかもしれません。
この批判に対する反論としては、以前はシステミックリスクの監督権限が分散されていたのが、今後は明確にFedに集中することで、3つの主要な手立てを打つことが出来ると、WSJでは指摘しています。その3つとは、自己取引額の制限、デリバティブ取引の制限、そして破綻手続きを明確化することによるFedと株主による監督の強化です。
しかし、自己取引制限については、効果はあるでしょうが、取引参加自体が禁止されなかったことで、将来的に問題となるリスクは、確かに残された気がします。デリバティブ規制についても、別資本会社に切り離されたデリバティブ専門会社が破綻した際はどうするのか、また、巨大銀行の死亡宣告についても、その実行がどの程度現実的かは、不透明だといえる気がします。
二番目の、短期資本市場(レポ市場)への資金依存という問題については、今回の規制案では具体的に取り上げられておらず、Fedに判断を任せることになっているそうです。この問題は、Lehman Brothersの破綻がシステム全体に波及した最大の原因とも言えるため、今後の対策に関する議論が注目されます。
三番目の点については、破綻プロセスが明確になっても、金融機関が巨大である以上、また金融市場が複雑に絡み合っている以上、死亡宣告が出された際に危機が発生しないと考えるのは、やはり楽天的すぎる気がします。この問題は、現代の金融システムの性質そのものの問題とも言えるため、元々のVolcker Ruleにあったような「規模の規制」を強制しない限り、解決は無理であるように思います。
規制は景気回復にマイナスか
そして最後の点、デリバティブや自己資本規制の強化などが、信用市場の収縮につながり、景気回復の足かせになるのではという不安の声は、ウォールストリートからではなく、メインストリートからも上がっているようです。
金融機関による過剰なリスクやデリバティブ取引を規制するということは、お金がより多くの人に行き渡りにくくなる事と同義ともなりかねず、特に自動車業界や住宅市場など、クレジットによる購買力を必要としている業界にとっては、打撃となりかねません。
これはオバマ政権にとっても、悩ましい所かと思いますが、こうしたクレジット収縮につながるとの批判については、元財務長官のSummers氏などが、規制強化が投資家への信認回復を助長することで、クレジット市場の流動性向上をもたらすことが期待されるため、心配には当たらない、と主張しているようです。
特に今回の規制案は、1930年代の大恐慌を受けた規制案(グラススティーガル法等)と同じく、個別問題に一つ一つ対応する形で、形作られて来ました。それを個別に見てみると、以下のような感じです。
過剰なリスクテイクの問題
=銀行、証券会社、格付機関、住宅ローンのブローカーなどが、過剰なリスクテイクに走ったことが、危機発生につながった
対策
1.資産や債務の証券化を行った際、発行会社が最低5%までその証券を保有することで、投資家と発行体の利害一致を図る(注:SECがGoldman Sachsの売り出したCDOについて、利益相反があったと主張している点を受けての規制案とも言われます)
2.格付機関が甘い審査をした結果、投資家に被害が発生した場合、訴訟リスクに晒されやすくなる
3.政府は、システミックリスクを引き起こしかねないと看做された金融機関を、積極的に解体できる
リスクの不透明性の問題
=OTCデリバティブやオルタナティブファンドは、取引内容が不透明であり、リスクの全体像が見えない
対策
1.デリバティブは、今後取引所や決済機関を通して取引をするようにし、取引内容の透明性向上を促す。それによって発生するコストやリスクは、取引参加者全体で負担することになり、チェック機能も働く
2.$150m(約140億円)以上を運用するヘッジファンドは、規制当局への登録を義務付け、取引内容を開示することで、当局がリスク量を把握しやすいようにする(ただし取引の匿秘性を鑑みて、情報は一般には非公開とする)
3.システム全体に影響を与えるほど大きいと思われるオルタナティブファンドについては、追加でより厳しい情報開示と規制を検討する(注:今回の金融危機では、ヘッジファンドやプライベートエクイティファンドが危機発生の原因にも税金の救済対象にもなっていない事から、業界からは規制強化について、強い反対と疑問の声が上がっています)
金融機関の過小資本の問題
=Fedの規制外にありつつも、金融システムの重要な担い手であったLehman Brothersのような投資銀行やAIGのような保険会社が、過剰なレバレッジを掛けて自己投資に走ったり、デリバティブ取引に深く関与したことで、危機発生時にあっと言う間に破綻して、システム全体を危機に陥らせた
対策
1.Fedが銀行以外の金融機関についても、資本力について規制と指導を行う権限を得る
2.銀行の自己資本比率規制については、より厳しい国際的枠組みを早期に実現する(注:最近邦銀も、エクイティ資本調達を積極的に行っていますが、この規制変更を先読みしての事といわれています。これがGoldman Sachsなどを含む証券会社にとって大きな手数料の収益源となっていることは、少々皮肉な感じもします)
・・・このように、今回のウォールストリート規制案は、個別のところまで見ていくと、相当細かな規定が盛り込まれているようです。そして、当然想定されるように、個別の規制案について、実に様々な方面から、異論反論が噴出しているようです。
上記の中だけでも、例えば証券化商品の一部を発行体が保有することについては、自動車ローンやクレジットカードローン会社が、信用収縮につながると懸念を表明しています。住宅ローンの証券化も、メディアでは「悪玉」のように取り扱われましたが、仕組み自体は90年代から存在し、住宅ローン市場の発展に大きく寄与したと言われています。
それでも今回、上下両院の議員が具体的法案について一定の合意に至ったという事は、非常に大きなステップになったと言える気がします。順当に行くと、この法案は、近々法律として成立する見通しであり、ウォールストリートはこれからの10年程度で、新たな枠組みの中での発展を、模索していくことになるものと思われます。
とりあえず、恐れられていた「恐怖シナリオ」の実現は回避したように見える金融業界ですが、詳細の詰めや、現実の規制実効については、様々な不確実性が残されたままのように思います。また関連ニュースが出てきたら、取り上げてみたいと思います。
このウォールストリート改革法案は、オバマ大統領が「当初目指していたゴールを9割方達成している」と賞賛している一方で、ウォールストリートの関係者からは、「最悪の事態は避けられた」と、安堵の声が漏れています。
この発表を受けて、発表当日のニューヨーク市場では、大手金融株が軒並み上昇していましたが、これは一般的な市場の特性としての、不確実要因が取り除かれたことに対する好感に加えて、改革案が、恐れていたより厳しくなかったことを、反映しているものと思われます。実際はどうであるのか、改革案の内容も含めて、少々見てみたいと思います。
ウォールストリート改革の目的は、主に二つあったと言えると思います。
1つ目は消費者の保護で、複雑な金融商品によって一般投資家が被害を受けることを妨げること。そしてもう1つは、こちらがこのブログの主要な関心事でもあるのですが、金融機関の税金による救済の必要性をなくす事、つまり「Too Big To Fail(大きすぎて潰せない)」問題に対応して、金融機関の活動範囲を厳しく制限することです。
消費者保護については、ここで詳しくは触れませんが、Fed(米連銀)の中に、消費者保護を司る機関を新設し、そこが消費者向けの金融商品の監督に当たるようです。当初オバマ大統領は、この機関を完全に独立した機関とすることを主張していましたが、後述の通り、圧倒的に強化されることになったFedの監督権との関連で、「独立機関」としてFedの中に設立されることになったようです。
金融機関規制については、2008年の金融危機の反省に対応する形で進められた議論の結果、Fedが規制権限を集中して持つようになり、以前のように、銀行はFed、証券はSEC、保険は各州と言ったような連携不足を避ける方向に、大きく舵を切りました。そしてFedは、大きく言って、3つの力を得ることになったと、WSJなどは伝えています。
1つは巨大銀行の活動制限で、「Volcker Rule」として業界に恐れられた、自己取引やヘッジファンド、プライベートエクイティファンド(合わせてオルタナティブファンドと呼びます)への投資の制限や、著名投資家のWarren Buffett氏が「大量破壊兵器」と呼んだデリバティブの取引制限について、ルールを定めることです。これはウォールストリートの収益力に決定的な影響を及ぼす可能性がある規制で、業界関係者が最も注目していた点です。
2つ目は金融機関の資本規制の強化で、危機に瀕した際に過小資本によって損失を吸収できず、早期に破綻に追い込まれてしまった、大手証券のBear Stearns(JP Morganが救済)、Lehman Brothers(破産)、そして保険最大手AIG(国有化で救済)の反省を受けたものです。ただしこれは、あくまで国際的な枠組みが必要となる話しであり、カナダで行われているG20サミットでの、主要議題の一つとなることが予想されています。
3つ目は、経営破たんに近づいて、システムをリスクに晒すと考えられる金融機関が現れた際に、政府が迅速かつ明快に、その機関を「死に追いやる」仕組みを、事前に決めておくことです。今までも商業銀行に対しては一定の決まりがあったのを、今後は「金融システムを危険に晒す可能性がある」とみなされれば、どんな金融機関でも、その対象となるそうです。
「Volcker Rule」
最初に、最も注目されていた、「Volcker Rule」について見てみます。かつてFedの総裁であり、規制案の発案者でもあるPaul Volcker氏にちなんで名づけられたこの規制案は、以前にこのブログでも取り上げた通り、銀行を、預金や決済などのサービス機能を担う存在と、リスクの高い投資や投機を行う存在に分割すべきだという思想に基づいており、イングランド銀行などからも、賛同の声が上がっていました。
前述の通り、これはウォールストリートの収益力に決定的打撃を与えかねない規制であり、業界団体や共和党などが、アメリカの金融センターとしての地位を揺るがすと、強く反対していました。結局結論は、銀行の自己資本によるトレーディング(プロップトレーディング)やオルタナティブファンドへの投資は、「自己資本の3%まで」の範囲で、継続して認められることになりました。
ここでポイントとなるのが、ここでの「自己資本」の定義が、恐れられていた最も厳しい「Core Tier 1(普通株のみ)」ではなく、「Tier 1(優先株も含む)」となったことだです。WSJは、これを「業界にとっての勝利」と書いていましたが、これによって大手金融機関は、Tier 1資本の増強によって、自己投資を続ける道を選択することが、比較的容易になったと言えるかもしれません。
また、仮に自己投資を減らす方向に動いたとしても、その移行期間には、7年という期間が与えられることになりました。一番影響を受けるGoldman Sachsは、$15.4bn(約1.4兆円)ある自己投資額を、最大$2.1bn(約1900億円)まで、またMorgan Stanleyは$4.6bn(約4000億円)ある自己投資額の3分の2程度を、減らす必要がありますが、かなりの時間的猶予があると言える気がします。
そしてオルタナティブファンドへの自己資本の投資については、LP(Limited Partner=一般投資家)としての投資額は、この3%のルールに抵触するものの、ファンドの「運用会社」を保有することは、禁止されませんでした。オルタナティブファンドへの関与は、単純な投資リターンの魅力もさることながら、ファンドを運用して成功報酬を得ることが、大きなビジネスチャンスになるため、これもウォールストリートにとっては、良いニュースと言えそうです。
例えば大手銀JP Morganは、ヘッジファンド最大手のひとつであるHighbridge Capitalを運用しており、Goldman Sachsも、オルタナティブ業界で最大手の一つとされ言われる、自らの名前を冠したファンドを運用しています。今後、そうしたファンドに対して、投資家として投資することは規制されることになりましたが、引続き運用会社を保有して、フィー収入を得続けることが可能になったわけです。
それでも自己トレーディングを主要な収益源としてきた投資銀行にとって、いかなる規制も喜ばしいものではないと思います。しかし、過剰リスクや顧客との利益相反など、様々な問題を抱えていると指摘される自己トレーディングが、今後規制対象とされていく方向性については、いかんともし難いのかもしれません。
デリバティブ取引規制
今回ウォールストリートの経営陣が、Volcker Ruleと並んで最も固唾を呑んで見守っていたのが、デリバティブ取引規制だったと言われています。と言うのは、デリバティブは大手金融機関にとって、自己取引よりも更に重要な、極めて利ざやの厚い主要な収益源となっているためです。
デリバティブ(金融派生商品)は、その名の通り、他の金融商品から「派生した」商品で、性質上大きなレバレッジがかかっている(小額の手金で大きな取引が出来る)上、取引所ではなく相対で(OTC=Over The Counterで)取引されることで、その全体像が見えにくいと、厳しい批判の対象となってきました。
デリバティブの業界団体によると、現在OTCデリバティブの額面価値は$213 trillion(約2京円)にも上ると言われており、WSJによると、その97%を、JP Morgan、Citigroup、Bank of America、Goldman Sachs、Morgan Stanleyの5大銀行が扱っているそうです。そのデリバティブ取引が全て禁止されることになったら、大手金融機関の収益に与える影響は、計り知れないものになっていたと思います。
また、デリバティブは、単純に金利や為替のリスクをヘッジするものから、株式市場やコモディティ市場の方向性に賭けることが出来るもの、住宅ローンや自動車ローンの出し手に流動性を供給する証券化商品(ABS、CMBCなど)、デットをリパッケージしたCDO、そしてAIGを破綻に追いやったCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)など、非常に多種多様な取引が存在します。それらを全て銀行・証券業務切り離すことは物理的に「悪夢」であり、事実上、金融機関の解体に、つながっていたかもしれません。
今回の規制案の結論としては、リスクの低いデリバティブは、現在のまま銀行の中に残してよいこととなり、その例外規定のおかげで、影響を受けるのは、額面価値全体の1-2割に留まることになったようです。例外とされたのは、金利や為替関連の「単純な」デリバティブで、株式やコモディティ関連、CDS、非投資適格債に関するデリバティブなどは、別資本の会社に移転することが義務付けられることになりました。
これだけでも収益には相当マイナスになりそうな気がしますが、関係者から「これ位なら何とかやっていける」と言う声が上がっていることから、ダメージはそこまでではないのかもしれません。ただし、今回上下院の議員の間で合意された法案の中には、200項目以上が「規制当局の判断待ち」となっているそうで、業界団体は「戦いは続く」と警戒感を緩めていないようです。
法案に対する批判
オバマ大統領が「歴史的改革」と賞賛する法案ですが、そもそも共和党議員の大半が反対している上、より厳しい規制を期待していた一部の民主党議員からも、批判の声が上がっているようです。その批判は、大きく分けて、4つほどあるように思います。
一つ目は、今回の法案では「大手銀行の解体」や、「銀行と証券の分離」につながらない点。二つ目は、リーマンショックの波及要因となった、金融機関の短期資本市場(レポ市場)への資金繰り依存の問題が、全く解決されていない点。三つ目は、大手銀行が解体しやすくなったからと言って、解体時に起こるだろう混乱への対策が、特になされていない点。そして最後に、過剰な規制によって、メインストリートの資金繰りなど意図せぬところに悪影響が及び、景気回復の芽を摘みかねない点です。
一番目の、大手銀行の解体につながらないという点について、WSJの5月25日の記事「Important Steps, No Cure-All(重要なステップだが最終解決ではない)」によると、リーマン危機の前に大手25行のシェアが56%であったのが、危機後には59%に上昇しているそうです。これは大手銀の統合などが進んだせいではと思いますが、確かに巨大銀行は、巨大であり続けているかもしれません。
この批判に対する反論としては、以前はシステミックリスクの監督権限が分散されていたのが、今後は明確にFedに集中することで、3つの主要な手立てを打つことが出来ると、WSJでは指摘しています。その3つとは、自己取引額の制限、デリバティブ取引の制限、そして破綻手続きを明確化することによるFedと株主による監督の強化です。
しかし、自己取引制限については、効果はあるでしょうが、取引参加自体が禁止されなかったことで、将来的に問題となるリスクは、確かに残された気がします。デリバティブ規制についても、別資本会社に切り離されたデリバティブ専門会社が破綻した際はどうするのか、また、巨大銀行の死亡宣告についても、その実行がどの程度現実的かは、不透明だといえる気がします。
二番目の、短期資本市場(レポ市場)への資金依存という問題については、今回の規制案では具体的に取り上げられておらず、Fedに判断を任せることになっているそうです。この問題は、Lehman Brothersの破綻がシステム全体に波及した最大の原因とも言えるため、今後の対策に関する議論が注目されます。
三番目の点については、破綻プロセスが明確になっても、金融機関が巨大である以上、また金融市場が複雑に絡み合っている以上、死亡宣告が出された際に危機が発生しないと考えるのは、やはり楽天的すぎる気がします。この問題は、現代の金融システムの性質そのものの問題とも言えるため、元々のVolcker Ruleにあったような「規模の規制」を強制しない限り、解決は無理であるように思います。
規制は景気回復にマイナスか
そして最後の点、デリバティブや自己資本規制の強化などが、信用市場の収縮につながり、景気回復の足かせになるのではという不安の声は、ウォールストリートからではなく、メインストリートからも上がっているようです。
金融機関による過剰なリスクやデリバティブ取引を規制するということは、お金がより多くの人に行き渡りにくくなる事と同義ともなりかねず、特に自動車業界や住宅市場など、クレジットによる購買力を必要としている業界にとっては、打撃となりかねません。
これはオバマ政権にとっても、悩ましい所かと思いますが、こうしたクレジット収縮につながるとの批判については、元財務長官のSummers氏などが、規制強化が投資家への信認回復を助長することで、クレジット市場の流動性向上をもたらすことが期待されるため、心配には当たらない、と主張しているようです。
特に今回の規制案は、1930年代の大恐慌を受けた規制案(グラススティーガル法等)と同じく、個別問題に一つ一つ対応する形で、形作られて来ました。それを個別に見てみると、以下のような感じです。
過剰なリスクテイクの問題
=銀行、証券会社、格付機関、住宅ローンのブローカーなどが、過剰なリスクテイクに走ったことが、危機発生につながった
対策
1.資産や債務の証券化を行った際、発行会社が最低5%までその証券を保有することで、投資家と発行体の利害一致を図る(注:SECがGoldman Sachsの売り出したCDOについて、利益相反があったと主張している点を受けての規制案とも言われます)
2.格付機関が甘い審査をした結果、投資家に被害が発生した場合、訴訟リスクに晒されやすくなる
3.政府は、システミックリスクを引き起こしかねないと看做された金融機関を、積極的に解体できる
リスクの不透明性の問題
=OTCデリバティブやオルタナティブファンドは、取引内容が不透明であり、リスクの全体像が見えない
対策
1.デリバティブは、今後取引所や決済機関を通して取引をするようにし、取引内容の透明性向上を促す。それによって発生するコストやリスクは、取引参加者全体で負担することになり、チェック機能も働く
2.$150m(約140億円)以上を運用するヘッジファンドは、規制当局への登録を義務付け、取引内容を開示することで、当局がリスク量を把握しやすいようにする(ただし取引の匿秘性を鑑みて、情報は一般には非公開とする)
3.システム全体に影響を与えるほど大きいと思われるオルタナティブファンドについては、追加でより厳しい情報開示と規制を検討する(注:今回の金融危機では、ヘッジファンドやプライベートエクイティファンドが危機発生の原因にも税金の救済対象にもなっていない事から、業界からは規制強化について、強い反対と疑問の声が上がっています)
金融機関の過小資本の問題
=Fedの規制外にありつつも、金融システムの重要な担い手であったLehman Brothersのような投資銀行やAIGのような保険会社が、過剰なレバレッジを掛けて自己投資に走ったり、デリバティブ取引に深く関与したことで、危機発生時にあっと言う間に破綻して、システム全体を危機に陥らせた
対策
1.Fedが銀行以外の金融機関についても、資本力について規制と指導を行う権限を得る
2.銀行の自己資本比率規制については、より厳しい国際的枠組みを早期に実現する(注:最近邦銀も、エクイティ資本調達を積極的に行っていますが、この規制変更を先読みしての事といわれています。これがGoldman Sachsなどを含む証券会社にとって大きな手数料の収益源となっていることは、少々皮肉な感じもします)
・・・このように、今回のウォールストリート規制案は、個別のところまで見ていくと、相当細かな規定が盛り込まれているようです。そして、当然想定されるように、個別の規制案について、実に様々な方面から、異論反論が噴出しているようです。
上記の中だけでも、例えば証券化商品の一部を発行体が保有することについては、自動車ローンやクレジットカードローン会社が、信用収縮につながると懸念を表明しています。住宅ローンの証券化も、メディアでは「悪玉」のように取り扱われましたが、仕組み自体は90年代から存在し、住宅ローン市場の発展に大きく寄与したと言われています。
それでも今回、上下両院の議員が具体的法案について一定の合意に至ったという事は、非常に大きなステップになったと言える気がします。順当に行くと、この法案は、近々法律として成立する見通しであり、ウォールストリートはこれからの10年程度で、新たな枠組みの中での発展を、模索していくことになるものと思われます。
とりあえず、恐れられていた「恐怖シナリオ」の実現は回避したように見える金融業界ですが、詳細の詰めや、現実の規制実効については、様々な不確実性が残されたままのように思います。また関連ニュースが出てきたら、取り上げてみたいと思います。
by harry_g
| 2010-06-29 08:43
| 投資銀行