選択式問題の落とし穴

御成敗式目及び追加法を調べていると、法律に関する知識が欠落していることに否応なしに気付かされ、法学の基礎を学ぼうとして始めた行政書士資格取得。ただ単に法律の勉強をするよりも、目標が出来た方が楽しい、と思ったが、なかなか大変。今のところ添削ではそこそこの成績で返ってきて「あ、おれもできるやん」と思っていたが、見直してみると、「答えは合っているけど、考え方が間違っている」という「結果オーライ」というものがたくさんあることが分かった。「結果オーライ」は間違いよりもたちが悪い。間違いならば自分で力がないことを自覚できるのでそこを補強することもできるが、「結果オーライ」というのは自分では出来たつもりでも、実際はそこが弱点になっているのだ。試験本番では結果がすべてだが、添削では結果はどうでもよくて、むしろどれだけ間違いを直せるか、である。添削で「結果オーライ」が出るのは怖い。
今回印象に残った「結果オーライ」。
現代政治における政治的無関心に関する問題。
「現代政治における政治的無関心は政治にかんする無知に基づくものであり、民主制の安定条件の一つでもある」○か×か。
私は自信を持って×にした。×で正解なのだが、考え方が違った。私は前段も後段も×と考えていた。しかし実際には後段は正しい、ということである。前段が誤っているだけなのだ。政治的無関心とは政治に関する知識がありながら、政治に冷淡な態度をとることである、というのは分かる。後段に関しては、政治学では過剰な政治参加は民主政治における利害の統合機能を低下させるとして、一定の政治的無関心層の存在が安定条件として考えられている、らしい。政治学には無知なので、それが通説なのか、異端なのかも分からないが、資格試験対策講座に何の注釈もなく「政治学では」とある以上、私みたいに政治学の知識がほぼ皆無という状態からすれば、それが政治学の通説である、という印象を持ってしまいかねない。
それはともあれ、カマヤンさんの次のエントリ(「2009-05-30 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版」)をみた時に、この解説文を思い出してしまった。カマヤンさんのおっしゃる通り、議員定数削減というのは体のいい「選挙権削減」であり、「民主制の安定」のために「政治的無関心」を造りだそう、とする試みと言われても仕方ないよな、と。
カマヤンさんのところから引用。

■■■■■■選挙権使用禁止 ※これ重要■■■■■■■■
 選挙に逝くな!今年の秋に衆議院の任期満了に伴う選挙があるはずだが、おまいら、投票に逝くんじゃねえぞ (゚Д゚) ゴルァ おまいら愚民どもは、おとなしく家で寝てやがれ!おまいら素人のうち5人に一人が投票所へ逝ったら、1100万票も動いちまって、せっかく俺たちが使っている組織票がパアになっちまうんだよ! 
 ああ、そうそう、おまいらの選挙権、削っておいてやっから、感謝しろ。「議員定数削減」を、自民党と民主党の両方で今回の衆院選で主張しているだろ? これっておまいらの「選挙権削減」て意味だけど、気づかなかっただろ? 選挙権を削っておけば、おまいらが今後まかり間違って政治に目覚めて投票に逝ったとしても、もう手遅れというわけだ(プゲラ 
 だからおまいら、間違っても民主党や自民党やマスコミに「議員定数削減に反対」とか言うんじゃねえぞ! オレたちがおまいらの選挙権を削るためにどれだけ苦労していると思っているんだ!オレたちが煽って煽って、やっとここまできたんだ!全てはおまいらの金をオレたちが美味しくいただくためだ!判ったな?判ったら議員にメールとかマスコミに投書なんてするんじゃねえぞ! 
 くれぐれも、選挙当日は寝てろ! 衆院選に逝くんじゃねえぞ! (゚Д゚) ゴルァ
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これって結構偉いさんの本音だよな、と。うまいなあ。
もう一つ、カマヤンさんのところから。

■■■■■■選挙権削減のお知らせ■■■■■■■■
長年日本国民の皆様にご愛顧いただきました選挙権ですが、このたび、大幅に削減させていただくこととなりました。
増加する失業者、膨れ上がる一方の国と地方の借金、それらの隠蔽、これらへの対策を、日本は放棄することに決めました。つきましては、現在莫大な資産を持っているごく少数の方のためにだけ日本を継続することとし、金も地位もないほとんどの国民の皆様の意見をできるだけ国政へ反映させぬよう、選挙権を削減させていただくことといたしました。
具体的には 「議員定数」 を 削減 いたしまして、国民一人当たりの選挙権を、国民に気づかれないうちに大幅削減いたします。この選挙権削減はかつて「政治改革」の際にも、小沢一郎の音頭により、好評のうちに進めることができました。このたびもさらなる選挙権削減を行い、国民の皆様一人ひとりの選挙権をより小さく、より国政に反映させないものとさせていただきます。
日本国は今後もいっそう、国民大衆の皆様に負担のみ求め、国民大衆の皆様の権利をさらに削減するよう、鋭意努力して参ります。なお、自主的な選挙権の放棄、すなわち棄権は大歓迎いたします。今後もどうぞ国政には声を上げず、無関心でいてくださいますよう、国民の皆様に謹んでお願い申し上げます。
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これも本音っぽい、というか、「過剰な政治参加は民主政治における利害の統合機能を低下させるとして、無関心層の存在は民主社会の安定条件であるととらえる」見方など、「おまいら素人のうち5人に一人が投票所へ逝ったら、1100万票も動いちまって、せっかく俺たちが使っている組織票がパアになっちまうんだよ!」あるいは「国民の皆様一人ひとりの選挙権をより小さく、より国政に反映させないものとさせていただきます」ということそのままだ。
はなゆーさんの次の指摘(「鬼才カマヤンが国会議員定数削減の流れに大憤慨を発している : 低気温のエクスタシー(故宮)」)は非常に重い。

民主主義維持にかかる経費を「無駄ガネ」とみなす傾向が強いB層有権者

この傾向は「B層有権者」だけでなく、むしろ政治学の決して少数派ではない部分や、与野党の政治家にも通有の問題である、ということだろう。民主主義の維持にはコストがかかる。そのコストを厭えば、独裁体制がコストはかからない。「過剰な政治参加」を「民主政治の不安定条件」に挙げる見方は、独裁政治への第一歩である、と私には思えるのだ。
しかしこんなへ理屈を述べていると、資格試験というのは通らないのだよな。そこは割り切らなければならない。
追記
buyobuyoさんのブクマコメをみていて思い出したのが外山恒一氏の発言「(http://ascii.jp/elem/000/000/122/122938/index-2.html)」。

最近、ネットで右翼っぽい若者が増えていると聞きますが、どう思いますか?
外山 僕はネット右翼はいないと思うんだよ。これまで文章が面白くなかったり、頭が悪かったりで、発表の場がなかった普通の人たちが馬鹿なことを書いてるだけで、単純な右傾化では無いと思うんだよね。昔から発言してこなかった一般の人というのはああいう感じだろうし、それを世間がまるで重大な右傾化のように捉えるから、かえって調子に乗るわけで。
ああいう馬鹿な人たちに発言させたくないから、民主主義反対なんだけどね(笑)。頭のいい人はいったんは左に行くから。正しさを追求すると、論理的な能力があれば左翼に行くのが当たり前だと思う。でも、「正しいことが必ずしもいい結果に結びつくわけじゃない」というところに至って、初めて右翼思想が意味を持つわけ。

「ああいう馬鹿な人たちに発言させたくないから、民主主義反対なんだけどね(笑)」というところ。これをもう少しお上品にいうと「ああいう馬鹿な人たちに発言させたくないから、過剰な政治参加による民主主義の不安定さに反対なんだけどね(笑)」という感じか。
確かにbuyobuyoさんの指摘のように「過剰な政治参加はポピュリズムにつながる」というのは、政治学的に言えばそういうのもありかな、と。