さいとうたかを×ちばてつや対談
今回は今年の1月に観に行ったさいとうたかをとちばてつやのトークショーをまとめました。
今回の記事は長尺なので、後半は追記にまとめました。
さいとうたかを、ちばてつや両氏の入場。
さいとう、ちば両氏は石ノ森章太郎展のゲスト対談で見たことありましたが、当時は生真面目な町工場の社長みたいだったちばてつやもすっかり頭の髪が薄くなって、ユニークなおじいちゃんという印象でしたね。
頭の毛が薄いといえば、自分の前の座席に座ってたおっさん3人も見事に頭がハゲてました(´・ω・`)
対談ではさいとうたかをがボケでちばてつやがツッコミという印象でしたが、関西人のさいとうたかをがボケというのも以外でした。
当日の司会はビッグコミック編集長でした。
ビッグコミックの由田編集長は御年57歳とのことなので、サラリーマンなら定年最後の役職ともいえそうですが、さいとう、ちば両氏と比べると若輩者に見えてしまいますね。
本人も自分のことを鼻たれ小僧と称してました。
「40、50は鼻たれ小僧」という言葉もありますが、今回の対談の聴衆も「40、50の鼻たれ小僧」ばかりでした(´・ω・`)
由田編集長は「今日ここにおられる皆さんはゴルゴ13のファンかと思いますが」といってましたが、あしたのジョーと石ノ森章太郎のファンだなんて口が裂けても言えませんよねー。ゴルゴ13は総集編を2、3冊しか持ってないし。
さいとうたかをとちばてつやのデビュー作だそうです。
現在とはだいぶ画風が異なりますが、量産型萌え絵が氾濫してる現在では、むしろこちらの方がレトロで新鮮味がありますね。
両氏はともに十代でデビューしたそうですが、当時は貸本を描いていたそうです。
現在でいうところのツタヤのコミックレンタルみたいなものでしょうか。
ちばてつやは初めてもらった原稿料は12351円だったそうですが、さいとうたかをはちばてつやに聞かれても何故か言葉を濁してました。
さいとうたかをも手塚治虫の模写からマンガを描き始めたそうですが、ちばてつやはプロデビューするまで手塚治虫を知らなかったそうです。
現在なら絶対有り得ない話ですが、手塚治虫の影響を受けずに手塚治虫を悔しがらせたことで手塚治虫に影響を与えた唯一のマンガ家ということになるでしょうか。
なおさいとう、ちば両氏は共にマンガ家業60年という、手塚、石ノ森両氏も成し遂げられなかった偉業を成し遂げましたが、ふたりがデビューした年に生まれた人が還暦というのもすごいですよねー。
手塚、石ノ森両氏は共にちょうど還暦で亡くなってるし、梶原一騎に至っては50歳で亡くなってますしねー。
手塚、石ノ森両氏の一生分マンガ描いてるなんて、凡人以下の自分はすげーという感想しか浮かんできませんでした。
さいとうたかをとちばてつやのビッグコミックの代表作。ゴルゴ13はいわずと知れたビッグコミックの大黒柱。
ちばてつやからは「最近判子変えたの?」といわれてましたが、さいとうたかをは今は亡き石川フミヤスから「ゴルゴのあの表情は自分には描けない」といわれたそうです。
デジタルならコピペで済んじゃいそうだけど、一見同じに見えるゴルゴの表情も微妙にちがうということですね。
若かりし頃のさいとう、ちば両氏。
若い頃のさいとうたかをは不摂生な生活で太っていたそうですが、40代で糖尿病になっちゃったのも若い頃の不摂生な生活が原因でしょうか(´・ω・`)
ビッグコミック創刊当時にさいとう、ちば両氏が描いてたマンガ。
あしたのジョーはいわずと知れた国民的なマンガですね。
手塚治虫が見て「こんなマンガのどこが面白いんだ」といってたマンガはいわずと知れたあしたのジョーだそうですが、手塚治虫をあしたのジョーで悔しがらせたちばてつやは思わずガッツポーズを取ってしまったと聞きます。
藤子不二雄Aのマンガ道ではトキワ荘に訪れたさいとうたかをがトキワ荘のメンバーにマンガ道を説くみたいな話があったそうですが、さいとうたかをはトキワ荘に行ったことは一度もないそうです。
ヤングマガジンに掲載された『トモガキ』では、今は亡き弟のちばあきおと悪ふざけして担当に電気あんまかけたら、突き飛ばされて窓ガラスに激突して割れた窓ガラスで手も負傷したちばてつやが、当時はまだ面識が無かったトキワ荘のメンバーに原稿を代筆してもらったそうです。
最初は面識がないちばてつやの原稿を代筆するのを渋ってたメンバーを、石ノ森章太郎が説き伏せて皆で代筆したそうですが、またしても石ノ森先生の人徳を認識させられました。
さいとうたかをが石ノ森章太郎に「お前は芸術家だけどオレは職人だな」といったら「それはずるい。職人の方がカッコいいじゃないか」というファンの間では有名な話から始まり、さいとうたかをが「ちばさんは天才だから感性で描いてるけど、ワシは全部計算して描いてる」とか「自分にとって劇画は百姓が畑で大根作るのと同じだ」といったような話も聞きました。
分業制とはいえ畑で大根作るのと同じようにマンガ描けちゃうなんてすごいですよね。
さいとうたかをのいう「感性」で描いてたマンガ家が、井戸の水が干上がるように描けなくなってしまったのも見ているので、自分は逆に計算して描いてるからこそ半世紀も描きつづけられたのではないかと思います。
ちばてつやは子供の頃から不器用で何をやってもダメだったけど、マンガを描くのだけは得意だったからマンガ家になったといってましたが、さいとうたかをは最初から職業にするつもりでマンガ家になったといってました。
さいとうたかをは「何が好きか」より「何ができるか」でマンガ家になったといってましたが、以前の対談では「自分が描きたいと思ったものを描いたことが一度もない」と豪語してました。
「自分が描きたいと思ったものを描いたことが一度もない」のに半世紀も描き続けてるのは逆にすごいですよね。
さいとう、ちば両氏は由田編集長からの「戦争が自身の創作に影響を受けたことは無かったか」という質問に両者ともに「むしろ受けないようにしていた」といってましたが、ちばてつやは最近では『ひねもすのたり』で満洲の奉天から引き揚げるときの話を描いてますね。
さいとうたかをは子供の頃はカエルにストロー刺して膨らませて遊んでた悪ガキだったそうですが、大人から「残酷だ」と咎められたら「メザシは残酷じゃないのか」と考えるような穿った一面もあったようです。
さいとう、ちば両氏の母親はことに厳しい人で両氏ともに描いたマンガを破り捨てられたこともあったそうですが、当時はマンガ家なんて職業としては考えられない時代だったんでしょうね。
今世紀は近年の出版不況でマンガ家が喰えない職業になりつつありますが。
由田編集長の「最近気になるマンガ家は」という質問にはさいとう、ちば両氏ともに言葉を濁してましたが、強いていえば全員気になるんじゃないでしょうか。
さいとう、ちば両氏は当時のマンガ家は椅子取りゲームだったといってましたが、現在もその状況は変わってないどころか近年の出版不況で年々厳しくなってるように思います。
グランドフィナーレはちばてつやの傘寿の誕生日をお祝いして幕を閉じました。
さいとう、ちば両氏が互いに肩を支えあって退場していく後ろ姿を見て、年を取るのも悪くないなと思いました。
若い頃は自分ができるだけ若く見られるかを気にしてたけど、健康で長生きできれば年齢相応でいいのではないかと思います。
最近は大御所のマンガ家の訃報が相次いでますが、さいとう、ちば両氏には長生きしてほしいですね。
ビッグコミックで子供の頃はおっかないと思ってたゴルゴ13が載ってると、最近は妙にホッとしてしまいます。
さいとうプロのスタッフでは武本サブローと石川フミヤスと元スタッフの小池一夫が鬼籍に入ってしまいました。
最近は大御所のマンガ家の訃報が相次いでるので、ちばてつや先生の傘寿の誕生日をお祝いできて本当によかったです\(^o^)/
ちばてつや先生傘寿の誕生日おめでとうございます\(^o^)/
当時の対談はビッグコミックにも掲載されましたが、さいとうたかをは石ノ森章太郎を終始「章太郎」といってたのに、雑誌掲載時には「石ノ森章太郎氏」となってましたねー。
雑誌掲載された対談では生前の石ノ森章太郎とさいとうたかをの親密な関係が伝わってこないので、ライブで対談聞けて本当によかったです。
さいとう、ちば両氏の対談は〆切ギリギリで申し込みましたが、抽選に通って本当によかったです。
今回の記事は敢えて雑誌の対談記事は見ないで、自分の記憶を頼りに書きました。
さいとうたかをは石ノ森章太郎とは生前「たかを」「章太郎」と呼びあう大親友でしたが、何でそのようになったかというと、石ノ森章太郎が「たかを」と呼び捨てにするようになったのが最初だったそうです。
「呼び捨ては失礼じゃね?」といわれたとき「だってあいつの方がオレ呼び捨てにしてるし、オレの方が年上だし」といってました。
現在では石ノ森章太郎を呼び捨てにできる人もさいとうたかをくらいになってしまいましたが、自分のなかでは生前会うことの無かった石ノ森章太郎にさいとうたかをを通して会ってるような感覚があります。
さいとう、ちば両氏の後ろに今は亡き石ノ森章太郎の姿を見たように思いました。
先日亡くなった小池一夫もかつてはさいとうプロの脚本家でしたが、最近は大御所マンガ家の訃報が相次いでるように思いますね。
小池一夫はツイッターのフォローしてから3ヶ月もしない内にモンキーパンチの追悼ツイートをした当日に亡くなってしまいました。
小池一夫、モンキーパンチ、白石冬美のお三方には、この場を借りて謹んでご冥福を祈ります。
おまけ
入場者プレゼントのさいとう、ちば両氏の合同ミニ色紙。
ビッグコミック本誌では抽選で5名にもらえる色紙をもらえた自分は幸福者です。
オリジナルは会場で由田編集長とのジャンケンで勝ち抜いたAさんがもらってました。
このときもまんだらけに持ってかないように釘を刺されてましたね(´・ω・`)
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
長生きしたいなら体重と血圧下げろよッッと思った方はポチっとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ
今回の記事は長尺なので、後半は追記にまとめました。
さいとうたかを、ちばてつや両氏の入場。
さいとう、ちば両氏は石ノ森章太郎展のゲスト対談で見たことありましたが、当時は生真面目な町工場の社長みたいだったちばてつやもすっかり頭の髪が薄くなって、ユニークなおじいちゃんという印象でしたね。
頭の毛が薄いといえば、自分の前の座席に座ってたおっさん3人も見事に頭がハゲてました(´・ω・`)
対談ではさいとうたかをがボケでちばてつやがツッコミという印象でしたが、関西人のさいとうたかをがボケというのも以外でした。
当日の司会はビッグコミック編集長でした。
ビッグコミックの由田編集長は御年57歳とのことなので、サラリーマンなら定年最後の役職ともいえそうですが、さいとう、ちば両氏と比べると若輩者に見えてしまいますね。
本人も自分のことを鼻たれ小僧と称してました。
「40、50は鼻たれ小僧」という言葉もありますが、今回の対談の聴衆も「40、50の鼻たれ小僧」ばかりでした(´・ω・`)
由田編集長は「今日ここにおられる皆さんはゴルゴ13のファンかと思いますが」といってましたが、あしたのジョーと石ノ森章太郎のファンだなんて口が裂けても言えませんよねー。ゴルゴ13は総集編を2、3冊しか持ってないし。
さいとうたかをとちばてつやのデビュー作だそうです。
現在とはだいぶ画風が異なりますが、量産型萌え絵が氾濫してる現在では、むしろこちらの方がレトロで新鮮味がありますね。
両氏はともに十代でデビューしたそうですが、当時は貸本を描いていたそうです。
現在でいうところのツタヤのコミックレンタルみたいなものでしょうか。
ちばてつやは初めてもらった原稿料は12351円だったそうですが、さいとうたかをはちばてつやに聞かれても何故か言葉を濁してました。
さいとうたかをも手塚治虫の模写からマンガを描き始めたそうですが、ちばてつやはプロデビューするまで手塚治虫を知らなかったそうです。
現在なら絶対有り得ない話ですが、手塚治虫の影響を受けずに手塚治虫を悔しがらせたことで手塚治虫に影響を与えた唯一のマンガ家ということになるでしょうか。
なおさいとう、ちば両氏は共にマンガ家業60年という、手塚、石ノ森両氏も成し遂げられなかった偉業を成し遂げましたが、ふたりがデビューした年に生まれた人が還暦というのもすごいですよねー。
手塚、石ノ森両氏は共にちょうど還暦で亡くなってるし、梶原一騎に至っては50歳で亡くなってますしねー。
手塚、石ノ森両氏の一生分マンガ描いてるなんて、凡人以下の自分はすげーという感想しか浮かんできませんでした。
さいとうたかをとちばてつやのビッグコミックの代表作。ゴルゴ13はいわずと知れたビッグコミックの大黒柱。
ちばてつやからは「最近判子変えたの?」といわれてましたが、さいとうたかをは今は亡き石川フミヤスから「ゴルゴのあの表情は自分には描けない」といわれたそうです。
デジタルならコピペで済んじゃいそうだけど、一見同じに見えるゴルゴの表情も微妙にちがうということですね。
若かりし頃のさいとう、ちば両氏。
若い頃のさいとうたかをは不摂生な生活で太っていたそうですが、40代で糖尿病になっちゃったのも若い頃の不摂生な生活が原因でしょうか(´・ω・`)
ビッグコミック創刊当時にさいとう、ちば両氏が描いてたマンガ。
あしたのジョーはいわずと知れた国民的なマンガですね。
手塚治虫が見て「こんなマンガのどこが面白いんだ」といってたマンガはいわずと知れたあしたのジョーだそうですが、手塚治虫をあしたのジョーで悔しがらせたちばてつやは思わずガッツポーズを取ってしまったと聞きます。
藤子不二雄Aのマンガ道ではトキワ荘に訪れたさいとうたかをがトキワ荘のメンバーにマンガ道を説くみたいな話があったそうですが、さいとうたかをはトキワ荘に行ったことは一度もないそうです。
ヤングマガジンに掲載された『トモガキ』では、今は亡き弟のちばあきおと悪ふざけして担当に電気あんまかけたら、突き飛ばされて窓ガラスに激突して割れた窓ガラスで手も負傷したちばてつやが、当時はまだ面識が無かったトキワ荘のメンバーに原稿を代筆してもらったそうです。
最初は面識がないちばてつやの原稿を代筆するのを渋ってたメンバーを、石ノ森章太郎が説き伏せて皆で代筆したそうですが、またしても石ノ森先生の人徳を認識させられました。
さいとうたかをが石ノ森章太郎に「お前は芸術家だけどオレは職人だな」といったら「それはずるい。職人の方がカッコいいじゃないか」というファンの間では有名な話から始まり、さいとうたかをが「ちばさんは天才だから感性で描いてるけど、ワシは全部計算して描いてる」とか「自分にとって劇画は百姓が畑で大根作るのと同じだ」といったような話も聞きました。
分業制とはいえ畑で大根作るのと同じようにマンガ描けちゃうなんてすごいですよね。
さいとうたかをのいう「感性」で描いてたマンガ家が、井戸の水が干上がるように描けなくなってしまったのも見ているので、自分は逆に計算して描いてるからこそ半世紀も描きつづけられたのではないかと思います。
ちばてつやは子供の頃から不器用で何をやってもダメだったけど、マンガを描くのだけは得意だったからマンガ家になったといってましたが、さいとうたかをは最初から職業にするつもりでマンガ家になったといってました。
さいとうたかをは「何が好きか」より「何ができるか」でマンガ家になったといってましたが、以前の対談では「自分が描きたいと思ったものを描いたことが一度もない」と豪語してました。
「自分が描きたいと思ったものを描いたことが一度もない」のに半世紀も描き続けてるのは逆にすごいですよね。
さいとう、ちば両氏は由田編集長からの「戦争が自身の創作に影響を受けたことは無かったか」という質問に両者ともに「むしろ受けないようにしていた」といってましたが、ちばてつやは最近では『ひねもすのたり』で満洲の奉天から引き揚げるときの話を描いてますね。
さいとうたかをは子供の頃はカエルにストロー刺して膨らませて遊んでた悪ガキだったそうですが、大人から「残酷だ」と咎められたら「メザシは残酷じゃないのか」と考えるような穿った一面もあったようです。
さいとう、ちば両氏の母親はことに厳しい人で両氏ともに描いたマンガを破り捨てられたこともあったそうですが、当時はマンガ家なんて職業としては考えられない時代だったんでしょうね。
今世紀は近年の出版不況でマンガ家が喰えない職業になりつつありますが。
由田編集長の「最近気になるマンガ家は」という質問にはさいとう、ちば両氏ともに言葉を濁してましたが、強いていえば全員気になるんじゃないでしょうか。
さいとう、ちば両氏は当時のマンガ家は椅子取りゲームだったといってましたが、現在もその状況は変わってないどころか近年の出版不況で年々厳しくなってるように思います。
グランドフィナーレはちばてつやの傘寿の誕生日をお祝いして幕を閉じました。
さいとう、ちば両氏が互いに肩を支えあって退場していく後ろ姿を見て、年を取るのも悪くないなと思いました。
若い頃は自分ができるだけ若く見られるかを気にしてたけど、健康で長生きできれば年齢相応でいいのではないかと思います。
最近は大御所のマンガ家の訃報が相次いでますが、さいとう、ちば両氏には長生きしてほしいですね。
ビッグコミックで子供の頃はおっかないと思ってたゴルゴ13が載ってると、最近は妙にホッとしてしまいます。
さいとうプロのスタッフでは武本サブローと石川フミヤスと元スタッフの小池一夫が鬼籍に入ってしまいました。
最近は大御所のマンガ家の訃報が相次いでるので、ちばてつや先生の傘寿の誕生日をお祝いできて本当によかったです\(^o^)/
ちばてつや先生傘寿の誕生日おめでとうございます\(^o^)/
当時の対談はビッグコミックにも掲載されましたが、さいとうたかをは石ノ森章太郎を終始「章太郎」といってたのに、雑誌掲載時には「石ノ森章太郎氏」となってましたねー。
雑誌掲載された対談では生前の石ノ森章太郎とさいとうたかをの親密な関係が伝わってこないので、ライブで対談聞けて本当によかったです。
さいとう、ちば両氏の対談は〆切ギリギリで申し込みましたが、抽選に通って本当によかったです。
今回の記事は敢えて雑誌の対談記事は見ないで、自分の記憶を頼りに書きました。
さいとうたかをは石ノ森章太郎とは生前「たかを」「章太郎」と呼びあう大親友でしたが、何でそのようになったかというと、石ノ森章太郎が「たかを」と呼び捨てにするようになったのが最初だったそうです。
「呼び捨ては失礼じゃね?」といわれたとき「だってあいつの方がオレ呼び捨てにしてるし、オレの方が年上だし」といってました。
現在では石ノ森章太郎を呼び捨てにできる人もさいとうたかをくらいになってしまいましたが、自分のなかでは生前会うことの無かった石ノ森章太郎にさいとうたかをを通して会ってるような感覚があります。
さいとう、ちば両氏の後ろに今は亡き石ノ森章太郎の姿を見たように思いました。
先日亡くなった小池一夫もかつてはさいとうプロの脚本家でしたが、最近は大御所マンガ家の訃報が相次いでるように思いますね。
小池一夫はツイッターのフォローしてから3ヶ月もしない内にモンキーパンチの追悼ツイートをした当日に亡くなってしまいました。
小池一夫、モンキーパンチ、白石冬美のお三方には、この場を借りて謹んでご冥福を祈ります。
モンキーパンチさんとは40年前、漫画アクションの初期に『ルパン三世』と『子連れ狼』で人気争いをしたライバルでもあった。一緒に組んで『書記官鳥(セクレタリーバード)』という漫画も作ったなあ。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2019年4月17日
淋しくなるなあ。
おまけ
入場者プレゼントのさいとう、ちば両氏の合同ミニ色紙。
ビッグコミック本誌では抽選で5名にもらえる色紙をもらえた自分は幸福者です。
オリジナルは会場で由田編集長とのジャンケンで勝ち抜いたAさんがもらってました。
このときもまんだらけに持ってかないように釘を刺されてましたね(´・ω・`)
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
長生きしたいなら体重と血圧下げろよッッと思った方はポチっとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ
- 関連記事
-
- アウトス展観に行ったにゃ(=・ω・=)ノ (2019/12/08)
- すみっこの映画を観に行ったにゃ(=・ω・=)ノ (2019/11/27)
- 秋のすみっこ (2019/11/23)
- ちょっとコミケ行ってきた(´・ω・`)ノ (2019/09/14)
- 絵は描いた本人に似るか? (2019/06/08)
- さいとうたかを×ちばてつや対談 (2019/04/24)
- ビッグコミック50周年展に行ってきた (2019/04/18)
- ジョジョでいっぱいの新宿LUMINE行ってきたぉ(^q^) (2018/10/13)
- ジョジョグッズを並べてみた(後編) (2018/10/11)
- ジョジョグッズを並べてみた(前編) (2018/10/09)
- 月岡芳年展行ってきたぉ(^q^) (2018/09/08)