石ノ森章太郎記念館2012
※今回の記事は2017年3月15日に公開した記事の再録です。
今回の記事は2012年に来館した石ノ森章太郎記念館で聞いた震災発生当初の話になります。
―石ノ森萬画館は被害が酷かったけど、こちらは十年前に来たときとさほど変わってなかったので安心しました。
おばさん「石巻とか津波があったとこ騒がれてっけどもこっちの方も大変だったのよ。古い家多いから。うちも全壊しちゃってね・・・お向かいも今は誰も住んでないし・・・記念館も前の建物が壊れちゃってね、営業再開したの今年の4月からだし」
―えー家が壊れちゃったんですかー。大変でしたね。
おばさん「家が全壊しちゃったから電気も水道もガスも使えなくてね。寒いし米も炊けないし。65になってから家建て替えるなんて大変よ。震災後に食べるものが無いとこに普段の五倍の値段で食べ物売ってたスーパーもあったけど、やっぱり後になって響くよね・・・そういう店は」
―ウチも親が同じくらいのときにローン完済してますけど、ローン完済してからもう一軒家建てるとか大変ですよね。
おばさん「家が壊れてっからプレハブ住んでたんだけども、もう寒くて寒くてね・・・ここ殆ど岩手県と県境だから・・・」
―仮設住宅には入らなかったんですか。
おばさん「ウチの敷地の方が広かったのよ。92歳のおばあがいるから家を建て直すときは床フローリングにして掘り炬燵にしてね」
―あー掘り炬燵いいですね。ウチの田舎も掘り炬燵ありますよ
おばさん「ウチのお父さん登米から丸森町まで車で通勤してんだけども、東北で地震があったあの日娘も家にいたんだけど、お父さんいつも海沿いの道から通っているから帰ってこないかも・・・っていってたんだけど、夜中にドア叩く音がしたから玄関開けたらお父さんいたからビックリしたわよ。「お父さん生きてたの!?」って娘と一緒に思わずいってしまったし」
―ご主人がご無事で何よりでしたね。
おばさん「お父さんいつも海沿いの道から通っているから、どうやって帰ってきたのか聞いたら、「いつもの道から迂回して田んぼのある田舎の抜け道をひたすら飛ばして20分で帰ってきた」って・・・」
―えー丸森町から登米まで20分ですか?どー見ても東京→横浜間よりありますけど(地図で確認した限りでは80キロはあるので、実際には東京→江ノ島間くらいはあると思われる)・・・東京だったらどんなに急いでも二時間はかかりますよ(東京→江ノ島間だと三時間はかかる)。
おばさん「とにかくお父さんがいうには丸森町から裏道や抜け道をひたすら飛ばして20分で帰ってきたっていうのよ。あのときほどお父さんが帰ってきてほっとしたことはなかったわよ」
―劇的過ぎて現実にあった話とは思えないですね。正直(東京→江ノ島間を20分で疾走?)想像つかないです。
おばさん「石巻とか津波が酷かった所ばかり取り上げられて、登米とか内陸部の方はあまり取り上げられないけど、内陸部の地震の被害とかももっと知ってもらいたいと思うのよ。もともと過疎化してるとこだといなくなった人は戻ってこないし、記念館の茶店も調理師免許持ってる章太郎先生の弟さんがやってたんだけど、最近は身体を壊して前のように仕事できなくなってるし、地震で茶店も壊れて休業中だけどまだ再開の目処もついてないし・・・」
―何だか淋しい話ですね。
おばさん「石巻の萬画館は商店街の町おこしでやってるけど、記念館は市立で弟さんが館長をやっておられるし、先生の生家もここにあるからね・・・ウチが本物だと思ってるから。萬画館に比べると地味かもしれないけど、萬画館に比べると、来館者に話も聞かせてあげられるし、これはこれでいいと思っているの」
―貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。
アカレンジャー誠直也と仮面ライダーV3(アオレンジャー)宮内洋の復興支援合同サイン色紙。ふたりの合同色紙は当時はエントランスに展示されてましたが、現在は館内展示になってしまったので、現在は入場料払わないと閲覧できないし撮影もできませーん。宮内洋のサイン色紙が見たいよいこの皆は、復興支援も兼ねて是非とも記念館に行ってちょんまげ\(^o^)/
宮内洋といえばスケジュールの都合でアオレンジャーをやることになってしまったのが納得できず、「アカじゃなきゃやらない!」と原作者の石ノ森章太郎と直談判したという逸話が残ってますね。
ふたりの合同色紙を見てると、石ノ森章太郎亡き今もアカレンジャーと仮面ライダーV3が恩師の被災地に励ましに来てるような気分になりました。石ノ森章太郎亡き今もヒーローは今も生き続けているんだなと思います。
東日本大震災というとどうしても津波があった沿岸部にばかり目が行ってしまいがちですが、内陸部の被災地も忘れてはいけないと思うんですよね。いくら交通量が少ないとはいえ、80キロを20分で走るのはレーシングドライバーでも無理だと思うのですが、極限状態になると時間の感覚もワープしてしまうんでしょうかねー。
沿岸部はとかく津波の被害が酷かったと思いますが、内陸部はボディブローのようにじわじわと過疎化が進んでるように感じます。記念館のある登米市の人口も十万人を割ってるし、最近は石ノ森章太郎先生の地元も過疎化が進んでるようですね。そもそも登米市自体が今世紀に入ってから町の過疎化に伴い町が合併してできた自治体ですし。記念館の維持費も来館者だけでは賄えないので市から補助金が出ているそうです。
震災で休業中だった茶店も残念ながら現在はグッズショップに変わってしまってました。震災の十年前に行ったときに茶店で何か飲み食いしとけばよかったと後悔しきりです。
こういった町おこしなど地域活性化への取り組みは被災地の各地でも行われてるようですが、自分が知ってる限りでは、宮城県蔵王町の老人ホームせせらぎの里蔵王でも福祉体験など自分も行ってみたいなーと思うような催しもやってるようです。
福祉というとどうしても堅苦しく考えてしまいますが、せせらぎの里蔵王のブログの記事は面白いので、この記事をご覧になった方は、是非せせらぎの里蔵王のブログもご覧になって、最近晴れて全国区制覇したイケメン山田さんと芽吹さんと蔵王町きっての神絵師島さんを応援してください\(^o^)/
それでは皆さん、おやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
宮内洋のサインが欲しいッッと思った方はポチッとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ
今回の記事は2012年に来館した石ノ森章太郎記念館で聞いた震災発生当初の話になります。
―石ノ森萬画館は被害が酷かったけど、こちらは十年前に来たときとさほど変わってなかったので安心しました。
おばさん「石巻とか津波があったとこ騒がれてっけどもこっちの方も大変だったのよ。古い家多いから。うちも全壊しちゃってね・・・お向かいも今は誰も住んでないし・・・記念館も前の建物が壊れちゃってね、営業再開したの今年の4月からだし」
―えー家が壊れちゃったんですかー。大変でしたね。
おばさん「家が全壊しちゃったから電気も水道もガスも使えなくてね。寒いし米も炊けないし。65になってから家建て替えるなんて大変よ。震災後に食べるものが無いとこに普段の五倍の値段で食べ物売ってたスーパーもあったけど、やっぱり後になって響くよね・・・そういう店は」
―ウチも親が同じくらいのときにローン完済してますけど、ローン完済してからもう一軒家建てるとか大変ですよね。
おばさん「家が壊れてっからプレハブ住んでたんだけども、もう寒くて寒くてね・・・ここ殆ど岩手県と県境だから・・・」
―仮設住宅には入らなかったんですか。
おばさん「ウチの敷地の方が広かったのよ。92歳のおばあがいるから家を建て直すときは床フローリングにして掘り炬燵にしてね」
―あー掘り炬燵いいですね。ウチの田舎も掘り炬燵ありますよ
おばさん「ウチのお父さん登米から丸森町まで車で通勤してんだけども、東北で地震があったあの日娘も家にいたんだけど、お父さんいつも海沿いの道から通っているから帰ってこないかも・・・っていってたんだけど、夜中にドア叩く音がしたから玄関開けたらお父さんいたからビックリしたわよ。「お父さん生きてたの!?」って娘と一緒に思わずいってしまったし」
―ご主人がご無事で何よりでしたね。
おばさん「お父さんいつも海沿いの道から通っているから、どうやって帰ってきたのか聞いたら、「いつもの道から迂回して田んぼのある田舎の抜け道をひたすら飛ばして20分で帰ってきた」って・・・」
―えー丸森町から登米まで20分ですか?どー見ても東京→横浜間よりありますけど(地図で確認した限りでは80キロはあるので、実際には東京→江ノ島間くらいはあると思われる)・・・東京だったらどんなに急いでも二時間はかかりますよ(東京→江ノ島間だと三時間はかかる)。
おばさん「とにかくお父さんがいうには丸森町から裏道や抜け道をひたすら飛ばして20分で帰ってきたっていうのよ。あのときほどお父さんが帰ってきてほっとしたことはなかったわよ」
―劇的過ぎて現実にあった話とは思えないですね。正直(東京→江ノ島間を20分で疾走?)想像つかないです。
おばさん「石巻とか津波が酷かった所ばかり取り上げられて、登米とか内陸部の方はあまり取り上げられないけど、内陸部の地震の被害とかももっと知ってもらいたいと思うのよ。もともと過疎化してるとこだといなくなった人は戻ってこないし、記念館の茶店も調理師免許持ってる章太郎先生の弟さんがやってたんだけど、最近は身体を壊して前のように仕事できなくなってるし、地震で茶店も壊れて休業中だけどまだ再開の目処もついてないし・・・」
―何だか淋しい話ですね。
おばさん「石巻の萬画館は商店街の町おこしでやってるけど、記念館は市立で弟さんが館長をやっておられるし、先生の生家もここにあるからね・・・ウチが本物だと思ってるから。萬画館に比べると地味かもしれないけど、萬画館に比べると、来館者に話も聞かせてあげられるし、これはこれでいいと思っているの」
―貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。
アカレンジャー誠直也と仮面ライダーV3(アオレンジャー)宮内洋の復興支援合同サイン色紙。ふたりの合同色紙は当時はエントランスに展示されてましたが、現在は館内展示になってしまったので、現在は入場料払わないと閲覧できないし撮影もできませーん。宮内洋のサイン色紙が見たいよいこの皆は、復興支援も兼ねて是非とも記念館に行ってちょんまげ\(^o^)/
宮内洋といえばスケジュールの都合でアオレンジャーをやることになってしまったのが納得できず、「アカじゃなきゃやらない!」と原作者の石ノ森章太郎と直談判したという逸話が残ってますね。
ふたりの合同色紙を見てると、石ノ森章太郎亡き今もアカレンジャーと仮面ライダーV3が恩師の被災地に励ましに来てるような気分になりました。石ノ森章太郎亡き今もヒーローは今も生き続けているんだなと思います。
東日本大震災というとどうしても津波があった沿岸部にばかり目が行ってしまいがちですが、内陸部の被災地も忘れてはいけないと思うんですよね。いくら交通量が少ないとはいえ、80キロを20分で走るのはレーシングドライバーでも無理だと思うのですが、極限状態になると時間の感覚もワープしてしまうんでしょうかねー。
沿岸部はとかく津波の被害が酷かったと思いますが、内陸部はボディブローのようにじわじわと過疎化が進んでるように感じます。記念館のある登米市の人口も十万人を割ってるし、最近は石ノ森章太郎先生の地元も過疎化が進んでるようですね。そもそも登米市自体が今世紀に入ってから町の過疎化に伴い町が合併してできた自治体ですし。記念館の維持費も来館者だけでは賄えないので市から補助金が出ているそうです。
震災で休業中だった茶店も残念ながら現在はグッズショップに変わってしまってました。震災の十年前に行ったときに茶店で何か飲み食いしとけばよかったと後悔しきりです。
こういった町おこしなど地域活性化への取り組みは被災地の各地でも行われてるようですが、自分が知ってる限りでは、宮城県蔵王町の老人ホームせせらぎの里蔵王でも福祉体験など自分も行ってみたいなーと思うような催しもやってるようです。
福祉というとどうしても堅苦しく考えてしまいますが、せせらぎの里蔵王のブログの記事は面白いので、この記事をご覧になった方は、是非せせらぎの里蔵王のブログもご覧になって、最近晴れて全国区制覇したイケメン山田さんと芽吹さんと蔵王町きっての神絵師島さんを応援してください\(^o^)/
それでは皆さん、おやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
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