今回は画業30年の集大成でもある、50号二連作を描き終えた感想です。散々出す惜しみしといて、いつまで引き延ばすんだよという声も聞こえてきそうですが、今回で本当に最後なので、今しばらくおつきあいのほどお願いします。
画業30年の集大成でもある『明日への神話~人は謳い人は哭く、大旗の前』を描き終えた感想は感無量に尽きる。虚脱感がハンパない。抜け殻のようである。燃え尽きたよ・・・真っ白に・・・。
今回学んだことは、他人に強制されていやいややったことが、他人から評価されることもあるということである。逆に自分が好き好んでやったことが、他人から評価されないこともある。
自分の場合はいやいや描いた50号二連作の絵が、予想外に他人から評価されたので、いやいややったことでも自分の評価が上がることもあるんだなと思った。
他人から強制されていやいややったことが評価されて、自分の成長につながる場合もあれば、自分のしたいことしかやらないでいると成長しないこともある。要は程度の問題だと思うのだ。
最大の問題は完成させるのに、何故足かけ3年もかかったかということである。
足かけ3年とはいっても実質的には丸2年だが、それにしても50号の絵1枚に1年はあまりにも遅すぎる。自分の周りの絵描きが百号を1ヶ月で仕上げるのに比べるとかなりの遅筆である。他のイラストと並行してやったとしても遅すぎる。
何故こんなに時間がかかってしまったのか考えたが、そういえば去年の年末と年度末に重い風邪を2回も引いて寝込んでいたのだった。身体レベルでもう描きたくないと悲鳴を上げていたわけである。
魂がこもっているという評価も頂いたが、魂を込めて描いたというより、絵に魂を吸いとられそうになった。
絵のサイズを考えると、アンドレ・ザ・ジャイアントと丸2年格闘してたようなものである。
想像図
散々愚痴ってきたことだが、そもそもいやいや描き始めたものなので、何度2階の窓からキャンバスを投げ捨てたい衝動に駆られたかわからない。
お世辞にも決して褒められたものではない。
『いちえふ』という原発作業者のマンガも出てるし、震災から4年も経ってるし、無名の絵描きが今更震災と原発事故の絵を描いても見る奴いるんかいなと何度思ったかわからない。
絵を描くに当たって題材が陳腐化するのは致命的だが、この絵に関してはその限りではない。むしろ陳腐化してくれることを願い描いてきたが、その願いはものの見事に打ち砕かれた。
福島第一原発事故は4年経った今もなお終息していない。
関東地方の人たちも、改めてこの事実は念頭に置いておくべきである。東日本大震災から4年を過ぎた今もなお、福島第一原発事故の脅威は去っていないのだ。
福島第一原発事故を期に西日本や海外に逃げた人々もいるが、自分は逃げない。
気仙沼で被災して家を流された地元の漁師が「これからもここに住みつづける」といった言葉に胸を打たれた自分は、これからもこの人たちと共に生きていきたいと思った。
宮城県出身の石ノ森章太郎が遺した、ヒーローの精神に悖ることだけはしたくないと思ったからだ。
石ノ森ヒーローのスピリットは自分の創作の原動力そのものである。自分の描くキャラクターも少なからず石ノ森ヒーローの精神で描いている。石ノ森ヒーローは今もなお人々の心に生きつづけ、今もなお多くの人々を救っている。自分も救われた。
完成にあたり声援コメントをくださった、森崎さん、荒ぶるプリンさん、よしおさん、玉葱ハンターさん、ツバサさん、真知子さん、Noeliaさん、すもっちさん、MITA さん、SK-P61さん、yaguna さん、ヂオさん、山川さん、あんちょびさん、よもぎさん、ぐれさん、korvaさん、まんねんずさん、おきまちあきさん、拍手コメントをくださった虹の物語さん、本当にありがとうございます。
(今からでもコメントくださる方がおられたら、この場を借りてお礼致します)
なお個展で絵が売れなくて、岡本太郎賞でも選外になったら、仙台で遠征個展がしたいと思います。
遠征個展なのでギャラリーの定休日も含めて展示期間は1週間限定になると思いますが、1週間でもいいから東北地方の方で是非とも間近に絵を見たいという方がいらっしゃったら、拍手をポチっとお願いします。
拍手が二桁になったら仙台での遠征個展を検討したいと思います。
コメントくださるとなお嬉しいかも。
今度はマイルドな題材で、福島の可愛い耳なしウサギを描きたいぉ・・・(;゜∀゜)