台風の後の独り言
大型の台風が去り、朝から電車が動かない。
8時の再開見込みと言うことで駅に立つが電車は動く気配がない。
座っていこうと思う私は一本待っているのだが、待つ電車は一向に入る気配がない。
いる電車が動かないのだから当たり前だが。
支障物の撤去だと言う。
まず各駅でそれがなされているとなると実際に電車は一体いつ動くのか?となる。
日本人は勤勉だとつくづく思うのだがれこれ40分も立っているが誰も動かず、文句も言わずみなスマホをいじって時間を過ごしている。
JRの職員も大変なんだろうなと思うから文句もでないのだろうけれど、ここで人間は凄いなと思うのだ。
相手の動きを想像することでその胸の内を知ることが出来るから、自分勝手な気持ちを押さえることが出来る訳だ。
それはどんな時も大切なことで、この機能があるから理性的な生活が送れる。
こんなことを書くと頭がおかしいと思われるのだが、見えない世界を信じる、つまり三次元が全てでないと思っている私にとっては本能の世界から出て人間になれたことはありがたいことだと思うのだ。
この肉体は一回きりで鶴木某を生きるのも一度きりであるが肉体のない世界と言うものがあり、そこから来ているとすれば(肉体があるから私があるのだと言いきる人の前では笑われる話だろうが)私という魂(そのものをなんと呼ぶか分からないからこう呼ぶとする、私自身のことなのだが)はどうやら魔界から来ているらしい。
全く小説か何かと言われるか、頭がおかしいと思われるかしかないだろうから普通の時にそれは言わない。
だけど、リーディングに出会いそう言われたときなぜか納得したのだった。
この感覚とは言われた本人だけしかわからないものだと思うから、普通の時は言わない。
私のかつての知り合いは宇宙人だったと言われて信じないと怒っていたのだが、宇宙人だと言う人もいるのだと思う。
そういう人は簡単に色んなことが出来る能力がある。
だけど魔界だろうが宇宙人であろうが、今こうして人として生きている、ここに意味があるのだと思うのだ。
三次元に生きる方が遥かに不自由で大変なので。
肉体と言うものは自分の意思では思い通りに行かない。案外とお荷物なのだ。
それでもこの世界を選んできたのは「私自身」。
私の場合なら魔界にいた方が楽なはずだ。
意思の弱そうな人間を操作して、その魂を取ればいい。
魔界の間では強くなければいられないから周りを欺いて、周りを操作して上に上がる。
だけどそれはいつも誰も信じられなくて孤独でいることになる。
私はそれが嫌だったのだろう。
不思議なことにこの感覚は永いことあって、私のこころは孤独であった。
いつも誰も信じられなかった。
こういうことが魂に刻み込まれていて、信頼関係なんて表面的なことだと思っていた。
寂しい人だと言われればそれまでだが、私が人間として生まれてみたのは、魔界では得られない信頼関係が欲しかったからなのではないか?と思うのだ。
今でも言葉の裏を考える。罠がないか、嘘がないか?
そう考えながら自分の嘘も他人の嘘も嫌う自分がいる。
一番嫌いなのは自分を守ろうとする嘘つきだ。
私の根底にこれがある。だから魔界を嫌で人間になったと言われて納得したのだった。