新年早々、新型コロナウイルス陽性に感染しダウン!そこで、苦しい時の「蔵出しシリーズ」?!昨年の6月の「富士見高原八ヶ岳クロスカントリー大会」のオプション企画で立ち寄った「松本編」第2弾!
苦しい時の蔵出しシリーズ松本編 その2 「松本城・外観編」撮影:2024年6月3日 Canon PowerShot G3X※怒涛の40枚、全て松本城の外観ですっ!(中から観た外側含む)
飽きちゃったらすっ飛ばして下さい(^▽^;)1
今回は国宝松本城の外観をお送りします。見る角度が変わると違った表情や造りの面白さが見えてきます。とはいえ、興味の無い方には、まるで同じ絵に見えるでしょうから、どうぞ「倍速」でご覧くださいね。最初は、人気の内堀越しにみる南西方向からの松本城のアップです。今回の記事、解説部分は、ほぼ下のオフィシャルサイトより引用・参照させていただいています。
松本城を詳しく良く知りたい方はぜひご覧くださいね。
※松本城オフィシャルサイト2
同じく南西方向からの松本城。少し引いて周囲の風景もいれました。松本城は、最初に大天守・乾小天守とそれをつなぐ渡櫓が戦国時代末期に建築されました。南西方向からは戦いの時代に作られた部分が正面に見え、堂々としています。※解説は、松本城オフィシャルサイトより引用・参照しています!3
南西方向からの大天守アップです。松本城の壁は、全面「白漆喰(しろしっくい)仕上げ」ではありません。その理由は、当時全面白漆喰で仕上げてしまうと、雨のあたる下部の壁が崩れてしまう恐れがあったからだそうです。そのため下部の壁に「黒漆喰の下見坂(したみいた)」を貼ることで雨水をはじいて壁を守ったそうです。この措置により50年持つ壁を作ることができたと言われます!知らなんだ(^▽^;)※ちなみに「黒漆喰」は、漆喰に「松煙(しょうえん)」や「油煙(ゆえん)」(「柿渋」も入れたという記事あり)を加えて黒く仕上げるものだそうで、むらなく塗るのは左官工法の中でも最高に難しいものなんだとか!4
さらにアップ。屋根瓦・鯱・入母屋造・破風など。最上階の6階部も銃挟間(さま)・矢挟間と格子窓がめぐらされていて、やる気満々ですね。
大天守は現存する五重六階の天守としては、日本最古の国宝建築だそうです。5
同 唐破風(からはふ/上部の曲線の屋根)、入母屋(いりもや)破風(下部の三角形)が美しいです6
黒門から入って、売店前の辺りから東面の姿です。7
左側にある「辰巳附櫓(たつみつけやぐら)」と「月見櫓(つきみやぐら)」、どちらも江戸時代に後付けになる二つの櫓がアクセントになって見えます。8
近づいて、かつての「本丸御殿」近くからの眺め9
足元から見上げた大天守の東面。う~ん、戦う城の顔が凛々しいですね。10
こちらは「乾小天守(いぬいこてんしゅ)」 スキのない顔です! 天守の下の石垣(天守台)は、「野面積(のづらづみ)」という工法で自然石を加工せずに積み上げています。天守台四隅には、「算木積(さんぎづみ)」という、長短、長短となるように石を積み上げる工法が用いられて角をそろえるように積まれています11
奥の「大天守」と、手前の「乾小天守」の間にある、「渡櫓(わたりやぐら)」に、見学用の入口があります。が、今回は外観だけですので、中は次回のお楽しみです(笑)12
でも、中から観た城の外の様子は今回ご紹介しちゃいます(^▽^;) 見学路に沿って下から上の階に登り、また下りてくる順番でご紹介です。13
東面の格子窓の格子越しに本丸御殿跡方向を見ています。14
格子の外にカメラを出して撮影しました。地面の芝生の上に、本丸御殿の枠線が描かれています15
「大天守」の窓から目の前の「月見櫓」を見下ろしています 右手前に「辰巳附櫓」の壁の花頭窓が見えています16
南面の窓から内堀の南西方向角辺りを見下ろしています 17
大天守のさらに上の階にあがって「本丸御殿跡」を見下ろしています。木々の間から「二の丸御殿跡」も少し見えていました18
さらに上の階からの南側の内堀19
上から見た、「辰巳附櫓(たつみつけやぐら)」(右手前)と「月見櫓」の瓦屋根(右先) なお、窓の手前の屋根瓦をみると、曲線の瓦の上に平らな瓦(平瓦)が載るように並べられていますが、これは「捨瓦(すてがわら)」と言われ、上部屋根から凍った雪が落ちてきて瓦を傷つけないように、昭和の修理の際に設置されたものだそうです。20
「月見櫓」の先の方に延びていく内堀の石垣21
「辰巳附櫓」から見た「大天守」の東面外観 ここからも「捨瓦(すてがわら)」が良く見えますね22
同じく「月見櫓」から見た、「大天守」の東面外観 23
「月見櫓」を下ったところが、見学コースの出口になっていました。24
「月見櫓」下から見上げた「大天守」の「雄姿」! 一番下の屋根が内側に直角に曲がるか所(ちょうど避雷針のアース線が通っています)には、雨水が滴り落ちやすい形の逆三角形の瓦が付けられています。この瓦を「滴水瓦(てきすいがわら)」(=「雨落瓦」)と呼び、由来は秀吉の朝鮮出兵に参戦した大名たちが築いた城に突如用いられるようになって、関ヶ原の合戦以降大名の配置転換により全国に広まったと言われているそうです25
「大天守」「渡櫓」「乾小天守」の最下部の1階の壁には、一部をせり出して、床を開けてフタをつけた「石落(いしおとし)」が全部で11か所あるそうです。元々は、石垣を登って来る敵に石や熱湯をかけて攻撃するための隙間ですが、戦国末期には主要な武器が火縄銃になったので、それ以降は銃を使用したと考えられるそうです。26
真下から見上げると城は実に「威風堂々」というか、重圧感がありますね。27
内堀の外側から江戸時代に作られた櫓部分を見ます。やはり、戦国末期の天守や櫓に後付けされた感が出ていますね。とは言え、その違和感やアクセント感も含めて、この松本城の独特の美しさと言えるのかもしれません。(言われなければ気づかないのだけれど!)28
再び南面からの大天守です。気持ち東寄りの顔です!素敵(*^^*)29
今度は、真西からの正面勝負(笑) 「乾小天守」・「渡櫓」・「大天守」の”戦国トリオ”が一体になっています30
オ~まるで「絵葉書」のようなお姿(^▽^;) 美しい 北西の顔31
西の「大天守」上部アップです32
内堀外から見た、「大天守」南西の角の天守台石垣です。天守台の石垣は、修理していますが、400年前に積まれたままで、積み替えはしていないそうです。良く見ると、大きな石の間に小さな石がたくさん挟まれています。これは、「野面積(のづらづみ)」と言って、未加工の自然石を加工しないで使用しているものだそうで、傾斜もゆるいのが特徴。さらに、良く見るとほぼ大きさのそろった石を横方向に並べて、横目が通った積み方になっているので「野面布積(ぬのづみ)」(整層積)と言うそうです!角の部分は揃えるために「算木積(さんぎづみ)」にして長短・長短と並んでいます。 写真No.25も参考 33
最後に「黒門」をご紹介して終わります34
松本城見学の入口にもなっていますのがこちらの「黒門」です。写真は、昭和35年(1960年)に再現されたものです。手前の内堀側にある二の門とセットで「黒門枡形(ますがた)」を形成して、侵入してきた敵を側面から攻撃できます35
黒門の石垣ですが「野面布積」です36
同解説板37
同行の知人に撮ってもらいました。「生忍者」とのツーショット!カッコいい女性でした(゚Д゚;)38
松本城は、カエルがお好き?!顔出し看板です※最後までご覧いただきありがとうございました。あなたは、辛抱強い方です!
素人の記事ですので、勘違いや間違いがありましたらご教示下さいね。
次回は、ついに松本城「内部」をご紹介します。引っ張りますねぇ(笑)
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