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夏の蔵出しシリーズ?蕨宿・鳩ケ谷宿をポタリングの巻 第2回

こう暑い日が続くと、外に出る事も危険になるので?!過去にため込んだ写真を「蔵出し」して当座をしのぎます。(笑) 実は記事にするのを忘れていたものがたくさんあったりして?(^▽^;) 

埼玉県 蕨(わらび)市&川口市鳩ケ谷(はとがや) 
クロスバイク(Cross Bike)でポタリングの巻 第2回
日光御成道「鳩ケ谷宿」にて➁ 

撮影:2023年12月27日 Canon PowerShot SX710HS & G7X


▼日光御成道分間延絵図に描かれた鳩ケ谷宿
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1 「慈眼寺」は真言宗智山派で箱崎山錫杖寺「地蔵院」と呼ばれます。足立観音霊場29番札所。
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※地蔵院オフィシャルサイト

2 山門脇に庚申塔がありました。主尊の青面金剛の顔と手が残念ながら削られています。駒形・日月・1面6肘。
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3 足元の邪鬼の顔がありません。かなり窮屈そう。三猿も顔が分かりません。その上の両側には二鶏が彫られているのでしょうか?とにかく、庚申塔は見ていて楽しいです(*^^*)
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4 境内の本堂前には、大小たくさんの地蔵尊像が集められて並んでいました。前掛けが鮮やかです。
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5 その横には「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」がありました。上部の「相輪(そうりん)」の下の傘は反り返らず(時代により笠の形が変化するそうです)、その下に四角い箱のような「塔身(とうしん)」。側面は円形の「月輪」、中に「梵字(ぼんじ)」と下に「蓮華座(れんげざ)」が刻まれています。さらに塔身の下に「反花座(かえりばなざ)」の装飾が入ります。次にも四角い箱のような基礎部分が入り、その側面の周りに額のような「輪郭(りんかく)」、中に「格狭間(こうざま)」と呼ばれる彫刻が入ります。その下には再び「反花座(かえりばなざ)」で受ける。こういう形式が「関東型」と呼ばれるそうです。塔身の下にもう一つ四角い基礎部分が入るので、全体がすらりと背が高く見えてスタイリッシュに見えますね。
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6 こちらの「宝篋印塔」も、ほぼ同じ時代の「関東型」のようです。そもそも、「宝篋印塔」とは、供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔のひとつです。「宝篋印陀羅尼」というお経を現していて(だから宝篋印塔)、礼拝供養すると、亡くなった人が極楽浄土へ行けるとされています。形は、上から、柱のような相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇で構成。四角形の塔身の上の笠が階段状のものや、四隅に隅飾(すみかざり)の突起があったりもします。「相輪」は、釈迦のお骨を納め供養する「ストゥーパ(仏塔)」に起源を発し(だからここが重要)、上から宝珠(ほうじゅ)・竜舎(りゅうしゃ)・水煙(すいえん)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)から構成されます。(お墓きわめびとの会サイト参考)
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7 こちらにもたくさんの石塔が並んでいました。こちらは「五輪塔」です。5つの石が積み上げられています。これは仏教でいう「地水火風空」(これを「五大」=英:five elements といいます)を表しています。
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※リュック・ベンソン監督の同名映画「フィフス・エレメント」(ブルース・ウィルス、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演)は、宇宙を構成する5つの要素(映画では石)をテーマに使った、実に面白いSF作品でしたぁ(*^^*)

8 五輪塔の各石には梵字(ぼんじ)が刻まれることも多く、「地(ア अ [a])、水(バ व [va])、火(ラ र [ra])、風(カ ह [ha])、空(キャ ख [kha])」という梵字による種子(しゅじ)を読み取る事ができます(参考:wikiより)
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9 逆方向から撮影、手前三つは「宝篋印塔」(関東型)で、笠の角の部分(「隅飾(すみかざり)」・「耳」)が上を向いています。奥の石塔は「五輪塔」です。(写真No.8のもの)
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10 お目当ての「小谷三志(こたにさんし)の墓」です。小谷三志(明和2年(1766年) - 天保12年(1841年))は、富士山信仰の富士講の一派「不二講」の開祖で、一般的な富士講が行っていた「宗教的形式」より、日々の実践道徳に重きを置いた、道徳強化を説きました。また一方で、女性信徒「高山たつ」に男装をさせ!女人禁制とされる富士山に登頂させたりもしています(゚Д゚;)
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※小学校の校庭に建っていた、薪を担いで読書している少年?「二ノ宮金次郎」像でも有名な二ノ宮尊徳は、小谷三志の思想に大変影響を受けていたことが知られています。実際に交流もあったようです(^▽^;)

11 小谷三志の墓石です。「立派な墓を建ててくれるな」という三志の意思を受けて、弟子たちが「自然石」を二つ重ね「墓石」にし、小谷家(糀屋「河内屋」を営む小谷太兵衛の長男でした)代々の墓地とは別に埋葬されたそうです。
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12 こちらは三志の墓石の右後ろに建つ「参行禄王(さんぎょうろくおう)」の石碑です。富士講の始祖とされる長谷川角行による「富士講」は、村上光清派・食行身禄の2派に分かれ、食行の死後、身禄派を受け継いだ三女の弟子で実践道徳を説く伊藤参行に三志は江戸で出会い門弟になり、鳩ヶ谷に迎えて師事したそうです。ちなみに、参行の墓は蕨の「三学院」にあったそうです。
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13 左後方に建つのは、三志の長女「いち」とその子ども「鵜殿正親(うどのまさちか)」の墓で、実行教(じっこうきょう)初代管長柴田花守(はなもり)の歌が添えられています。
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※嘉永2年(1849年)に庶民が徒党を組むことを恐れ寺社奉行が富士講禁止の触れ書きを出し、「不二道」も禁止となります。しかし、明治維新で禁止が解かれ、三志を継いだ醍醐寺理性院の大徳寺行雅は「不二道」の神道化を強化、それを支持した柴田花守が「実行教」を興して「教派神道」として公認されました。(参考:wiki)まぁ、何というか時の権力者のご都合で宗教も利用されていくわけです。

14 三志の墓石の左に建つのは、「従五位贈位記念」に建てられた「乾徳碑(けんとくひ)」です。銘文は当時の埼玉県知事岡田忠彦によるものです。
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※三志の教えは「不二道孝心講」に引き継がれ、元旦に皇居を拝したり、正月三日には九条家、各省大臣の官邸・私邸を歴訪したり、明治神宮造営や道路工事など公共事業や開墾事業への寄付や労働奉仕に尽力したそうです。それらの功績が評価され、1918年(大正7年)に、すでに亡くなっていた小谷三志に対して「従五位」が贈位されるという事になりました。

15 現在、地蔵院の小谷三志の墓の右隣りには、小谷家代々の墓がありました。
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16 地蔵院には、鎌倉時代の作と言われる、「不動明王像」が伝わっていて、不動堂に祀られています。今回撮影はできなかったのですが、宝剣を肩に担ぐ姿、髪の毛が風になびくような姿が大変特徴的な木造彫刻です。作者は、おそらく運慶・快慶の慶派仏師(けいはぶっし)と推定されるそうです。(解説板より)毎月28日の護摩祈願(午後2時)で一般公開されているそうです。
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16-2 地蔵院 不動明王の「追い風うちわ」 (地蔵院オフィシャルサイトより)
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17 境内の「鳩ケ谷小学校開校の地」石碑
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18 地蔵院鐘楼
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19 境内の石仏群
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20 境内にあった「六地蔵」 実は、地蔵院には「良縁地蔵」があって有名?なんだそうだけど、しっかり見ていなかったのだぁ。まぁ、いまさら「良縁」でもないのかΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)
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21 でっ、参道にあったこちら「いってらっしゃい、お帰りなさい」地蔵の写真でご勘弁を!
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22 街道沿いにある「小谷三志旧宅跡」です。すでに、旧宅は無くて更地に看板だけが立っていました。
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23 現地看板です!
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24 「小谷三志旧宅跡」の街道を挟んで反対側の方にあった石造りの蔵です。重厚な窓の扉や、その周囲の木の枠、上の雨除けの軒など、大変特徴的だと思います。以前ご紹介した春日部宿の蔵にも少し似ているかなぁ?
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25 こちらは鳩ケ谷宿の中心部に今も建つ「市神社(いちがみしゃ)」です。大変小さな社殿ですが、街道に面していて、バス停のそばでバスを待つ方がお参りをしていました。
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26 現地解説板です。「鳩ケ谷は、御成道の宿場町として栄え、享保16年(1731)に市が開かれました。毎月3と8の日に、市が開かれたことから、「三・八市(さんはちいち)」と呼ばれて繁盛しました。その市の祭神(さいじん)が市神(いちがみ)です。~天保15年に作られた『日光御成道分間延絵図』の中に、社殿が描かれています。江戸時代の鳩ケ谷が、経済流通の中心地であったことを立証する重要な文化遺産です」(解説板より)
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27 「市神社」近くにある「北西酒店」の店舗(1930年・昭和5年)と蔵です。
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28 「鳩ケ谷宿」から「草加宿」へ抜ける旧「草加道」がありました。この地図を見ても中仙道、日光御成道、日光街道の宿場を横につなぐ(さらに、千住、越谷、戸田とも!)中心にこの鳩ケ谷宿があったことが分かりますね。今でいう「ハブ」的な位置になりますか?!
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29 覗いてみると、なかなか風情のある小路です。ちょっと入って見ることにしました。
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30 すぐ左手に小さな「稲荷神社」がありました。
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31 鳥居の横の、水が溜まっていた手水鉢の隣を見ると、「怪しい石」がありましたぁ!!
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32 近づいてみると表面にうっすらと「力石」と刻んでいます。どう見ても彫っているというより、傷をつけているような削っているような文字です。こういうのも初めて見ました(^▽^;) まぁ、わざわざ「力石」と書いてくれているので、地元の方が「タダの石じゃないですよ」という目印に付けてくれたのでしょうか?はたまた、「力石LOVE!」の〇イ〇イさんが、書いた???
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33 稲荷神社横にあった井戸です。現役なのかな??
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34 再び日光御成道に戻って南下していくと、ひときわ目立つ洋風建築物が現れます。「旧船津眼科医院」です。現在は、眼科医院として治療は行っていないようですが、個人宅として使われているようです。
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35 昭和7年 (1932)の建物だそうですが、大変モダンで、いつ見ても魅了されますね。設計は、草加出身の建築家・大川勇 (1891~1963)で、以前もご紹介したことがありますが、「草加市立草加小学校西校舎」(現在は歴史民俗資料館として公開されています)大正15年竣工、埼玉初鉄筋コンクリート造小学校舎の設計も行っています。ちなみに大正14年に校舎が全焼してしまい、その後耐火性能の高い、鉄筋コンクリート造りが選ばれて、地元出身の大川氏が担当することになったそうだ。
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36 同上 建物上部に見える三角の壁ですが、「パラペット」と呼ばれる「見せる」壁になっていて、裏側は何もありません。(^▽^;)
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37 同上 青緑色の竹を割ったような瓦を上下交互に組合せる装飾は「スペイン瓦」と呼ばれます
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38 同上
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39 同上
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40 同上
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41 同上
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42 同上
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43 同上
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44 同上 お気に入りの建物なので、いっぱい写真を載せちゃいました!解説は二回目だからいいかなぁ?(^▽^;)
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※torikeraブログ過去記事から
川口市鳩ケ谷宿(昭和モダン建築物&氷川神社)と不二道・小谷三志の巻


45 「旧船津眼科医院」の先に「千手院跡(せんじゅいんあと)」の看板がありました。
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46 御成坂の途中にあった、マンホールのふたです。「鳩ケ谷市」ですので「鳩」ですが、何か??まぁ、チト鳩に見えないような気もしますが(^▽^;)
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47 こちらは坂途中にある、「御成坂公園」です。からくり時計や、タイル壁画などがあります。右後ろに見えている建物は「うなぎ割烹 湊屋(みなとや)」です。鳩ケ谷にはうなぎ割烹店が「いせ庄」、「竹江」、「湊家」と三軒あります。この湊屋は、何と初代が小谷三志の三男、現在の店主は7代目だそうですっ!
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48 御成坂を下りてきて、見沼代用水東縁を越える橋(吹上橋)の両側に「一里塚跡」標識があります。ちなみに、写真のクロスバイクは、ゲイリー・フィッシャーの「メンドータ」(めんどうだ!じゃありませんよ~)!今回のポタリングの「足」です(*^^*)
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49 現地解説板です。
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50 看板の一部拡大図
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51 「吹上橋」から、御成坂を見上げます。左手に「御成坂公園」、その先の右手に「旧船津眼科医院」があります。
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52 「一里塚跡」の標識
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53 反対側の標識です。余り変わりないかぁ?(^▽^;)
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54 見沼代用水沿いに「宮道(みやみち)」の解説板がありました。宮道というのは、御成坂の上にある鳩ケ谷の「氷川神社」へ行く参道になっています。氷川神社については、以前ご紹介していますので省略ですm(__)m
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55 日光御成道の鳩ケ谷宿南端に残る町家です。
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56 その近くに、「千住道」(日光御成道から日光街道へ抜ける道)がありました。
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57 その入口の店舗の周りに、かつて見沼用水にかけられていた石橋(とんぼ橋)の石材が、建物を囲むように置かれています!
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※鳩ケ谷宿を巡るクロスバイクでポタリング!次回はいよいよ最終回です。鳩ケ谷と川口の博物館をご紹介しますね。お楽しみに。


<おまけ>
鳩ケ谷名物?「三志最中」ですっ!(鳩ケ谷商工会サイトより)
三志最中
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コメント

Re: No title

ご~ご~ひでりん さん!こんにちは!

ひゃぁ~!!!そうなんですかぁ(◎_◎;) ビックリしました! 音楽制作のお仕事をされていたのですねぇ。

確かに、連日「古墳探索」に出撃されている人が目の前にいたとしたら、私も同じ言葉を発していたことでしょう(笑)

コメントありがとうございました(*^^*)!!

No title

こんばんは!

埼玉県内の一里塚は、正確な位置がわからなくなってしまったものも少なくないですが、ここは標柱が建てられていて親切ですよね。しかもちゃんと両側に!笑。

巨峰三兄弟は、初期の頃やそれ以前のソロ作品で私が音楽制作を担当していて、それで今でも親交があります。
忙しいのになんで古墳やってんすか?といつもディスられていましたが、まさか公共放送でネタにされるとは思いませんでした。笑。
それも良き思い出かな、、、と。

Re: No title

ちから姫さん!こんにちは!

情報ありがとうございました。ご指摘の通り鳩ケ谷本町3-9-13の「笠間稲荷神社」です。

あらためて、髙島先生の「埼玉の力石」を見たら、笠間神社に「力石」と表記された力石が記録されていました。

「埼玉の力石」に掲載されている写真は、手水鉢の後ろに立っているように見えますねっ!!(*^^*)

なお、Googleストリートビューで見たら、手水鉢の後ろに力石が写っていました(笑)

No title

もしや「笠間稲荷神社」?
それなら力石です。20年前も手水鉢の傍ら、この時は縦に置かれていました。

Re: コメントありがとうございます

ぶらつと遡上探索 さん!こんばんは!

よくぞ数えてくれました!やはり6の倍数ですかぁ(^▽^;) ちゃんとオチがついていますね。
鳩ケ谷市の鳥はハト(ドバト)ではなく、キジバトということですか?どうりで少しスマートなシルエットになっています。確かにモクセイの花も咲いていますねぇ!

クロスバイクは泥除けを付けていないので、基本雨の日は乗りません!が途中で雨が降るとお尻がビショビショです(笑)

排水河川は、さすがに普段の水量がほぼ無いのですねぇ。我が家の近所の笹目川も昔は家庭排水くらいしか流れなかったので、汚い川ベストスリーに入る位でしたが、荒川本流からパイプでポンプアップした水を、上流部から流し込んで水質を改善しています。おかげで、カワセミが飛んでくるくらいキレイになりましたが、まぁ、本来の川としての機能はどうなんでしょうか?

画像検索機能は、優れていますね~ なんでも分かっちゃう??OK牧場でしょうか。
近いものを出してくれるので絞り込んで調べても楽ですね!
パチパチパチです。

コメントありがとうございます

こんばんはトリケラさん、拍手コメントと完走パチパチ ありがとうございます。
慈眼寺の地蔵尊、圧巻ですね思わず数えてしまいました、六地蔵の10倍の60地蔵でした(笑)。日光御成道沿いに建つ洋風建築、モダンですね。鳩ケ谷市のマン蓋、市の鳥キジバトと市の木モクセイのデザインですヨ。チャリかっちょ良いね、でも此れって泥除けが無いので雨上がりは走れませんよね。
中々気温が下がりませんね、9月も暑そうなのでストック記事が激減です。砂堀川は水源が無い、排水河川だったので終盤は寂しかったですね。せめて上流端標識くらいは立てて欲しかったです(笑)。花の名前は、画像検索が一番早いですよ。

Re: レトロモダン

BUSYBEE-GAEI さん!こんにちは!

顔や手など削られてしまった石仏は、明治政府の「神道国教化政策」によるものである可能性があります。政府の「神仏分離令」に影響された人々が各地で仏堂や仏像などを破壊してしまいました。政府は天皇を中心にした「国家神道」で国民をまとめようとしたのですが、日本は多くの貴重な文化財を失う事になりました。

BUSYBEE-GAEIも大好物の?不動明王ですが、鎌倉時代の作と言われるこちらのお不動様も、なかなかのイケメンです(笑)

鳩ケ谷宿にも、歴史的建造物がもう少しあったようですが、次々に消えて行って残っているモノが少なくなってしまいました。川口市も歴史的な景観を大事にしてほしいものですねぇ。(蕨宿の方は、それでも行政も手を入れて景観を守ろうとしています)(^▽^;)

レトロモダン

あちこち欠損した庚申塔には歳月の長さを感じます。「不二講」の開祖さんも、その方の“工夫”も存じませんでした。なるほどたしかに女人禁制のお山には男装しないと登れなかったわけですね。お不動さんの“追い風うちわ”がいいですね。石造りの蔵や「いちがみしゃ」の社殿など、周囲に溶け込むように存在してますね。レトロモダンな街並み紹介、ありがとうございました。

Re: No title

たいやきさん!こんばんは!

いつも面白いポイントにこだわっていただいてありがとうございます(^▽^;)!!

蕨宿の名産は江戸時代後期には、綿機織物で「青縞(あおじま)」「双子織(ふたこおり)」など大変な人気だったそうです。塚越には、機(はた)神社がありますし、8月の祭りは「はた祭」と呼ばれますね。

鳩ケ谷宿の名産は?なんだろう。川口は当時から鋳物生産が盛んで鍋や釜が人気だったようですね。やはり鳩ケ谷宿は物資の中継地点でしょうか?川口市の資料には、「農産品・織物・農具・日用品などの物資と商人などが集まる近郊経済の中心地」と書いてあります。

草加宿も、五・十日に市がたったそうですし、綾瀬川を使った水運も物資や人の運搬に活躍したのではないでしょうか?!

おっしゃる通り、網の目のような物資の移動ネットワークが形成されていたのでしょうね(*^^*)!!

No title

我ながら変なところが気になるなあと思いますが、今回注目したのは草加道です。
大きな街道と街道を結ぶ道はいくつもあったはずで、その交差点は栄えていたんですよね。
蕨から鳩ケ谷、草加へと抜ける道はどんなものを運んだのでしょう。
日光御成街道の性質を考えると、脇往還のほうが栄えていた可能性もあるのかもしれません。
それに戸田道です。戸田の渡し経由の道があったとは初めて知りました。
現地に足を運ぶって本当に大切ですよね。
それと、変わった力石、気になります。

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Author:torikera
季節の野草や身近な自然の写真のご紹介、トレイルランやポタリング、マウンテンバイクの記事、掘り出しモンCDアルバムなど音楽の話題、美味しい日本酒や蕎麦について、最近は庚申塔・石仏・富士塚・力石など石や塚などにも興味津々!とりとめのない記事ばかりですがよろしくお願いします。

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