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神田の力持ち「鬼熊」ゆかりの、豊島屋本店の醸す酒をいただいた(^▽^;)

みなさん!東京で一番古い「居酒屋」をご存知でしょうか?酒屋に居ながらにして酒を飲むことができる!これが「居酒屋」だそうだ。今で言うと「角打ち(かくうち)」が居酒屋の始まりか。約430年前の慶長元年(1596年)に江戸の神田鎌倉河岸で酒屋兼飲み屋を始めたのが、「豊島屋(昭和より豊島屋本店)」でゴザル。しかも今でも「神田スクエア」1Fの「豊島屋酒店」に行くと立ち飲みスタイルで、自社で醸造した美味しい日本酒を提供してくれるのだぁ。さらに、この「豊島屋」には、当時大人気の「鬼熊」という力持ちがいたそうだ。こりゃ行かない訳にはいかないでしょ(^▽^;)

江戸時代の力持ち「鬼熊」がいた、人気酒屋
「豊島屋」(神田スクエア1F「豊島屋酒店」)で酒を吞むの巻 
その1 鬼熊編


撮影:2024年12月6日 iPhoneSE ほか

※「豊島屋本店」オフィシャルサイトへ
※「豊島屋酒店」オフィシャルサイトへ
※「豊島屋酒造」オフィシャルサイトへ

1 こちらは「豊島屋本店」が神田スクエア1Fに2020年オープンさせたスタンディングタイプの「角打ち」店で「豊島屋酒店」です。今回torikeraは、満を持して訪問(笑)、実は11月に訪問したとき定休日でした(^▽^;) いただいた美味しいお酒については、続編にてご紹介しますね。
IMG_0399_20241209235957f7a.jpg


2 東京の酒蔵としても一番古い歴史を持つという「豊島屋」だけど、創業は1596年(慶長元年)で関ヶ原の戦いの4年前!長谷川雪旦の「江戸名所図会」の第一巻に堂々と当時の「豊島屋」の繁盛ぶりが描かれていました。(下図参考) 当時、雛祭りのときに発表した「白酒」が江戸で大ブームとなり押すな押すなの大混乱ぶりが見て取れます。「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠まれるほど江戸の名物となります。画像:国立国会図書館デジタルコンテンツより(以下拡大図も同)
をあきなう江戸名所鎌倉町豊島屋酒店白酒



2-b 江戸名物と言われた「豊島屋の白酒」は現在も季節限定で醸造されています。画像:豊島屋本店HPより
豊島屋本店白酒




3 (上の図の拡大)大勢の客が、桶や徳利を手に殺到しています。混乱を避けるためか「入口」と「出口」を分けて一方通行に。さらに白酒販売の日は「酒や醤油の販売を休む」と看板を出すほど。「入口」の上で鉢巻きをした「鳶職人」がDJポリスのように指図しているようです。
豊島屋商店拡大図1


4 (同上)店舗の反対側には、酒を入れるための桶が山のように積まれて準備されています。道路には、武士や僧侶や魚売、(犬もいるね)などたくさんの人々が行き交っていますが、交通整理を「鳶職人」がしています。提灯に書かれている金(曲)尺(かねじゃく)に十の文字は、「かねじゅう」と呼んで「豊島屋」の屋号です。
豊島屋商店拡大図2


5 店内の様子が塀越しに見えています。大きな樽の前に大勢の客が押し寄せていて、手前では輪になって手を挙げている!手打ちかな?盛り上がっていますね。「金十」の提灯が掲げられています。
豊島屋商店拡大図4


6 こちらは首尾よく白酒を桶買いできたあとの様で、笑顔で天秤棒を担いで帰っていく様子でしょうか?桶の横の徳利は駄賃で自分たちが飲む分かも知れませんね。
豊島屋商店拡大図3


7 「豊島屋酒店 樽の曲さし」
ところでまた絵が変わったのですが、これは何をしていることろかと言うと、「豊島屋に働く「樽轉(樽転・たるころ)」と呼ばれる職人は、酒樽の船積河岸上げをする職人で腕力がある上に、樽の扱いに熟達していた。四斗樽をあたかも鞠のように扱う。中でも豊島屋は毎日数百樽を揚げ卸して、日暮れに残った酒樽七~八個を数十人で互いに曲持、曲指を試すのがこの店の特色で、これが始まると人々が集まってきて賞嘆の声がやまなかった!」(と、著者菊池貴一郎こと四代目広重が書いています!torikera現代語訳、NO.12に原文があります)

豊島屋
※「江戸府内絵本風俗往来」より:「江戸府内絵本風俗往来(えどふないえほんふうぞくおうらい)」は、幕末の嘉永から慶応の初めの江戸の風習や事物について明治38年(1905年)上下二巻で出版されたもの。著者は菊池貴一郎(四代目歌川広重)で自ら挿絵を描いた。序の中で、「大江戸も東京となって三十余年、もはや旧事を知るものも少なくなった。六十余年当地に住み、昔のことを知り尽くした自分がその風俗を記し、明治三十八年の師走に大いに江戸っ子風を吹かせよう」と書いている。(みんなの知識ちょっと便利帳より)画像:国立国会図書館デジタルコレクションより(一部加工)


8 同じく「江戸府内絵本風俗往来」には「豊島屋の樽さし」に続いてこの人「鬼熊(おにくま)」が紹介されていました。
「鬼熊は神田新し橋の横丁の角の居酒屋の主で力量が優れていたので名前の上に『鬼』を載せて『鬼熊』と呼ばれていた。店の周りには大きくて丸い石に何貫何百目何代鬼熊指石(さしいし)何年何月と彫られたものが数個ある。(鬼熊は、晩年豊島屋を辞めて、自身の居酒屋を開いていました・torikera注)
 鬼熊が元鎌倉河岸の豊島屋に働く『樽ころ』の頃の事。醤油樽1つずつを両手に下げて2個の4斗樽の縄を足首にかけて下駄のようにして柳原堤(やなぎはらつつみ)を歩いていたので、見ていた者が空樽だろうと思ったら、実は酒問屋から店先に車に載せて運ばれてきたものだったので、人々は肝を冷やし『なるほど鬼熊と呼ばれるのは理にかなっている』と皆舌をまいた。なんて事が話のタネに残っているそうな。」(同上、torikera現代語訳)画像:国立国会図書館デジタルコレクションより(一部加工)

鬼熊
※柳原堤とは:太田道灌が、江戸城を造成した際、鬼門の守りのため、土手を築き、水に強い柳の木を植えました。 神田川下流の浅草御門から八ツ小路までの南岸に築かれたのが柳原堤。(Discover 江戸旧蹟を歩くより)

9 という事で、江戸時代酒問屋が並んでいた「新川(しんかわ)」あたりの様子を描いた「江戸名所図会(二巻)」から、酒問屋や「樽轉(樽伝・たるころ)」の様子を見てみましょう。画像:早稲田大学デジタルコンテンツより
江戸名所新川酒問屋※新川とは:現在の中央区新川一丁目の中央部を、日本橋川と並行して流れていた、亀島川(かめじまがわ)の支流の運河。河岸(かし)には下り酒(くだりざけ)(関西で造られた上等な酒)を扱う多くの酒問屋が集まっていた。毎年11月に樽廻船(たるかいせん)で江戸に到着し、新酒の入荷は江戸の年中行事の一つ。新川は昭和23年に埋め立てられた。(江戸名所図会二巻解説より)


10 酒問屋の前で大勢が輪になって、手を挙げていますね。樽を囲んで覗き込んでいる人々。その横を樽を横に倒して店の方にコロコロと転がしている人達がいます。これが「樽轉」ですね。
新川酒1


11 新川に浮かぶ船を見るとたくさんの酒樽が載っています。河岸に着いた舟には、板を渡し、直接酒蔵に運ぶものもあれば、陸揚げしてから、樽を転がして店まで運ぶものもいます。こちらも「樽轉」ですね。「鬼熊」はこれをやっていた力持ちでした。
新川酒2


12 「江戸府内絵本風俗往来(えどふないえほんふうぞくおうらい)」の「豊島屋」と「鬼熊」の記事原文です。少し印刷が見にくいのですが、そのまま読んでも、かなり読めますのでどうぞお読みください。出典:国立国会図書館デジタルコンテンツより(torikeraが並べ直しました)
豊島屋鬼熊解説


※ 次回「鬼熊」の力石へ続く(笑)お楽しみにね。
sensoujionikumahi.jpg
浅草寺奥山にある「鬼熊」の力石だぁ

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コメント

Re: 白酒

BUSYBEE-GAEI さん!こんばんは!

いやはや、私も全く知らなかったのですね。今回、鬼熊繋がりで訪問する機会を得て、よくよく調べて見たら、豊島屋さんは、角打ちもやっていたことを知りました。

神田には、実は「鬼熊横丁」という名前のついた通りも存在しているくらい、鬼熊という方は有名だったようです。今では想像もできませんが、江戸~明治期の「力持ち(これを力士と呼んでいました)」は、ヒーローというか、興行もできるほどの人気だったわけです。

そうそう、白酒の飲み過ぎにはご注意くださいね。雛壇の前でくだをまいている姿は、まあ余り美しくはございません。
江戸名所図会を見て本当に驚きましたが、大変な人出であったようです。明治期の記事には、当日客とのトラブルで大騒動があったような事が書いてありました。やはり混みあうと殺気だちますからね、怖いです(^▽^;)

白酒

東京の角打ちは神田が発祥でしたか。知らなかった( ´艸`)。鬼熊さんという力持ち!!力石好きさんなら行きたくなる店ですね。白酒はもち米、甘酒は米麹や酒粕と、原料が違うということを検索して知りました。アルコール度数も違いますね。桃の節句にうっかり飲み過ぎては大変です。江戸時代のDJポリス!なるほどねぇ~の画でした。

Re: No title

たいやきさん!こんばんは!

角打ち第一号?!ぜひご訪問いただいて、お楽しみくださいね。

中央線沿線といえば、もう駅の周りは飲み屋だらけではないでしょうか?(偏見か?)

お金の心配をせずに、思う存分飲んでみたいもんです。以前仲間と立石の飲み屋をはしごして歩いたことがありましたが、

まさに、「千ベロ」の世界でした。また、雰囲気がよろしいですね。

でも様々な店先に貼ってある「お酒を呑んでいる人は侵入禁止」には、驚いたというか、笑えました。じゃぁ、ダメじゃん!

Re: タイトルなし

大原かずのりさん!こんばんは!

豊島屋さん、すごいでしょう??? 江戸名所図会に描かれた場面を見ても江戸の凄さを実感できますね。

大都市だったわけですから、物流も大変なもんだったでしょうね。江戸を中心に製造業も様々に栄えたことでしょう。

当初、豊島屋さんも仕入れ先は関西のいわゆる灘などの酒造りの盛んな地方から運んできて売っていたようです。

自前で作りだすのはだいぶ後の頃ではないでしょうか?それにしても江戸の人も酒飲みが多かったのかな?

船に積まれた樽を見て驚きました。(^▽^;)

Re: No title

雨宮清子(ちから姫) さん!こんばんは!

なかなかまとめられずに苦戦しました。とは言えまだ入口のところでしょうか? 図絵をみていたら、これだけも十二分に面白くて少し欲張ってしまいました(^▽^;)

次回は、ここ2~3年で訪問した場所の力石を中心にご紹介ですので、以前の記事と被ってしまいますね。見落としてしまったものも多いので、改めて訪問しても良いくらいですが、ちから姫様の記事のご紹介もさせてもらうつもりです。ご了承ください。
(*^^*)!!

No title

豊島屋、今や一等地の飲み屋ですが、角打ちの起源だったとは知りませんでした。
僕は、西武新宿線沿線出身ですが、中央線の駅にも歩いて行けるところに住んでいました。
中央線の各駅は角打ちの文化が非常に盛んで、そのあたりが起源なのかと思い込んでいました。
未だに安い飲み屋が好きです。
高い酒は自宅で少し飲めればいいと思っています。
飲み屋は安いに限ります。
その方が酒場の熱気のようなもの、雑多な雰囲気が味わえますね。
江戸の豊島屋の絵を見て、こんなところで飲みたいなと思いました。

豊島屋、知りませんでした!
しかし江戸時代の消費社会は何気に凄いですね。国ではなく商人が大規模に製造業を担当する。幕府は衣服を三井呉服商から購入したらしいですが、酒も幕府自ら製造したのではなく商人から購入したのでしょうか。だとしたら豊島屋?明治近代化の成功も、国営ではなく商人製造統治者購入の江戸時代の形態があったからと読んだことあります。
しかし本当にイキイキと描かれてますね😀

No title

オオーッ! 書いてくれましたね。鬼熊も大喜びでしょう。浅草寺奥山の「熊遊」碑も健在。安心しました。次回、またまた楽しみです。

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Author:torikera
季節の野草や身近な自然の写真のご紹介、トレイルランやポタリング、マウンテンバイクの記事、掘り出しモンCDアルバムなど音楽の話題、美味しい日本酒や蕎麦について、最近は庚申塔・石仏・富士塚・力石など石や塚などにも興味津々!とりとめのない記事ばかりですがよろしくお願いします。

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