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吉川駅起点「中川沿いブラブラポタリング」本編②!の巻

いよいよ中川沿い散歩本編の後編です
怒涛の写真74枚、覚悟して見はじめてねぇ(^▽^;)
無駄に多いので飛ばしてください!


吉川駅スタート・ゴール
フォールディングバイクでポタリング
「中川沿いをブラブラポタリング」本編②
今度はナマズではなく、ウナギのお寺も出てきます(笑)


撮影:2022年5月22日 Canon PowerShot G7X

▼ アクセスマップ 前編の地図の南側です!
彦成通り南側


1▼「史跡 彦名(ひこな)関跡」 グーグルマップで見つけて立ち寄りました。小さな墓地に解説板があるだけのポイントですが、中身は、なかなかどうして興味深いものでした。
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※道路整備が進んでいなかった室町時代から河川を利用した水運が活発でした。千葉県佐原市の香取神宮の神職の家に伝わる嘉慶(かきょう)元年1387年の古文書には「下川辺の内彦名関」という記述があり、かつて「彦名地区」には村落があって、河関(かわせき)が設置されていたことが分かるそうです。(解説板より)

2▼「史跡 彦名関跡」の標識
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※「彦名関では、利根川(現中川)を利用する船から通行料を徴収し、通行料は香取神宮(佐原市)の運営費用にあてられていました。」(解説板より)

3▼「同 解説板」
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4▼ 「彦川戸・香取神社」 「史跡 彦名関跡」から東へ少し入った場所に香取神社があります。
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※当社の創建は、彦名の関が香取神宮領であったことと関連があると思われる。すなわち、香取神の勧請は、香取神宮の神人と当地の村人とが、関銭の徴収を通して交流を持っていたと考えられることから、関の支配を容易なものとするためには不可欠であったのであろう。一間社流造りの本殿には、本地仏の十一面観音像を安置している。また『風土記稿』には「八幡稲荷の二座を相殿とす」と載せている。(埼玉の神社より引用)

5▼「香取神社」の狛犬。こちらは、子どもに乳をあげているのでしょうか?
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6▼同狛犬。ずんぐりとした体形と顔は「チン」を思わせるデザインでした。
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7▼上記の「彦名関」との関連もあって、中世に香取神社と彦名の地域は繋がりができ、水運の要所になって市もたったようで、経済的な基礎の上に、香取神社が作られ小さいながらも、装飾彫刻にも見ごたえのあるものが見られます。
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8▼正面からの拝殿ですが、堂々としています。
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9▼木鼻の「見返り獅子」
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10▼同上
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11▼「持送り(もちおくり)」の「波と亀」
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12▼「同上」
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13▼「唐破風(からはふ)」下の風景。
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14▼「唐破風入(からはふいり)」に「鳳凰(ほうおう)」
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15▼「水引虹梁(みずひきこうりょう)」上の「龍」
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16▼「力神(ちからかみ)」
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17▼「唐破風」下の側面(東側)の「虎」
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18▼同上、粗削りではありますが、生き生きとした虎が素敵でした。
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19▼同上 西側面の「虎」
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20▼同上
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21▼瓦にも山鳥?、白い漆喰(しっくい)には「波」の造形が入り、手が込んでいます。
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22▼境内の「水神宮」「八大龍王(はちだいりゅうおう)」を祀る石祠。八大龍王は、昔から雨乞いの神様として各地にみられます。
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※八大龍王:法華経賛嘆(さんだん)の法会に列した8体の護法の竜王。難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・沙伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)の八竜王。雨をつかさどるという。(デジタル大辞泉より引用)

23▼デフォルメされた造形がちょっとかわいい石灯篭。 境内には「力石」もあったようだけど、現地ではうっかり見落としてしまったぁ!残念(^▽^;)
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24▼「彦成通り」を南下していくと、所々で小さな「用水」がありました。
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25▼ 「真言宗豊山派 明星山延命院(えんめいいん) 彦倉虚空蔵尊(ひこくら・こくぞうそん)」 
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※延命院は、元亀(げんき)年間1570~73年に開山したと伝えられる古刹です。戦国時代初期文明18年(1486年)に古利根川(現中川)で虚空蔵菩薩立像が発見されて、村民がお堂を建てて祀り始めたと伝わります。虚空蔵尊は、東京や千葉の人々からも広く信仰を集めています。関東三大虚空蔵尊の一つと言われ、水神の使いとしてウナギを祀っていることから、ウナギ供養の寺としても有名なんだとか!知らなかった(^▽^;)
※延命院 虚空蔵尊オフィシャルサイト
こちらのお寺のURLはなんと「unagino-otera」です(笑)ちと、シャレがキツイ

26▼「延命院 虚空蔵堂(こくぞうどう)」は、江戸時代中期の寺院建築で、幕末から明治期に修理整備されたそうです。
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27▼「水引虹梁(みずひきこうりょう)」上の彫り物は、「松と竹と牛(左)と虎(右)」 なぜ、牛と虎かというと、丑寅の年に生まれた人の守本尊とするなどの俗信があるためです。
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※虚空蔵とは宇宙のような無限の知恵と慈悲が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願いを叶えるために蔵から取り出して知恵や記憶力、知識を与えてくれるとされております。真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法を行ったとされる。無限の記憶力がつき、仏の知恵を体得することができると言われている。求聞持法の本尊像のほかに、増益や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩がある。これは虚空蔵菩薩の持つ智恵を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたもの。
成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益がある。また、丑・寅年の守り本尊である。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除、祈願成就を助けると言われている。(延命院オフィシャルサイトより引用)


28▼「木鼻(きばな)」の「獅子と獏(ばく)」
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29▼「虚空蔵堂」の全景。朱塗りの壁や柱が鮮やかです。
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30▼軒下の「組物(くみもの)」
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31▼屋根の「妻飾り(つまかざり)」には、すごい形相の「力神」の姿が彫られています。
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32▼延命院の解説板
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33▼延命院「手水舎」 大正14年(1925年)再建 
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34▼手水舎の木鼻を飾る「獅子」
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35▼「唐破風(からはふ)」の「雲に鶴」
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36▼延命院「鐘楼」 
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37▼「鐘楼」の「松に鶴」
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38▼「鐘楼」の「竹に雀」
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39▼延命院「山門(仁王門)」 昭和12年(1937年)再建 
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40▼「明星山」と書かれた山門扁額。
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41▼山門「蟇股(かえるまた)」の「鶴」の彫り物
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42▼山門の本堂側(北側) シンプルですっきりした装飾。
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43▼仁王像。筋肉隆々だけれど、どこかあどけないような顔に見える(笑)
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44▼山門の妻飾りでしっかり支えてくれている、「力神」。二本の角が生えた鬼のようです。
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45▼反対側の「力神」
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46▼次は、境内の「力石」!怒涛の全紹介です(笑) なお、刻字の解説及びサイズは、おなじみ「埼玉の力石」高島愼助著岩田書院刊から引用させていただきました。
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47▼「奉納 力石 さし石 明治二十五年十一月三日 世話人 彦沢長平 彦江目蔵 彦沢隼太郎 彦江 丑造」70×33×20cm
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48▼「雲龍石 (七十貫) 湯島天神下 内田治兵衛 内田金蔵 高須村佳 福岡氏」75×46×30cm
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※「内田金蔵の力石」四日市大学高島愼助/四日市大学論集より">※「内田金蔵の力石」四日市大学高島愼助/四日市大学論集より
高島先生の論文がネットにありました。内田金蔵の詳細が分かるスゴイ中身です!是非一読を(*^^*)!

49▼「奉納 五拾四貫目余 北新堀 清吉 仁助 権之助 金五良」73×45×30cm
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50▼「五拾貫目 當村 富之助」75×36×27cm
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51▼「さし石 セハ人 彦沢 長平 堅川大兼 須賀 文八 彦倉 金太郎」51×35×27cm
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52▼「壱石一斗五升目 彦くら」65×35×20cm
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53▼「四拾八貫目余 高須村 福岡金蔵 當村 世話人若者中」62×35×30cm
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54▼67×45×20cm
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55▼「五斗八升 彦くら」47×34×18cm
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56▼「おた福 さし石 関原金蔵 須賀文八 明治二十二年四月」55×40×23cm  
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57▼「左志石 奉納 ひこくら 名主 富之助 関原金蔵」60×35×30cm
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58▼「奉納 八三目 ひこくら」70×38×21cm
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59▼「差石 二十八メ余 柿木村 渡邊万五郎 柳ノ宮 會田七五郎 鶴ヶ曽根 小島辰五郎」54×37×23cm
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60▼(囲いの外に置いてあった石、整備した後に持ち込まれたものか?)
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61▼十数個の力石が並ぶと、なかなかの壮観でございます。
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62▼この力石の解説板(平成16年12月設置)を、なんと四日市大学・高島愼助先生(当時)が書いておられたのにはビックりしました。どうりで、しっかりとした的確な解説になっている訳です。
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※こちらの力石に登場している、内田金蔵は、福岡金蔵・高須金蔵・神田明神下の酒問屋内田店の金蔵と呼ばれ、埼玉・千葉・東京の15個の力石に名前がある。堅川大兼は、この他に東京に3個の力石に名前があり、明治21年の興行広告番付の東関脇に名前がある。関原金蔵は、ここの2個以外に東京の2個の力石に名前があり、前出の番付の東大関に名前があるそうだ(「埼玉の力石」より)

63▼境内の石碑群。左の石碑は、宝篋印塔を浮彫していて面白い。右から二番目の文字塔は、「羽黒三山」の講中によるもの。
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64▼こちらの梵字が彫られた石柱は達筆でよめません(^▽^;)
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65▼向かって右側の向拝下が欠けてしまった石祠ですが、中には玄武に乗った妙見菩薩(?)が祀られていました。訂正:玄武に乗っていたのでてっきり「妙見菩薩」と勘違いしてしまいましたが、どうやら亀に乗った「松尾大明神」らしいです。お酒の醸造の神様としても有名ですが、延命院の虚空蔵尊との関係で祀られているのかと思われます。なお、松尾大明神の使いは鯉と亀。
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66▼「うなぎ供養塔」です。左右には丑(うし)と寅(とら)の像があります。
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※うなぎと虚空蔵菩薩
「虚空蔵さまの使者や化身である」という理由から、「虚空蔵さまを祀る地域および丑・寅年生まれの人は此れ(うなぎ)を食べない」という伝承は日本全国で数十ヶ所もあるといわれております。それら地域の特徴としては、洪水が多発した・水害が多かったということが共通しているようです。彦倉虚空蔵尊を祀る当地区(三郷市彦倉)では、うなぎにまつわる話として、次のような昔噺しが残っております。
「秋の大雨が数日つづき、古利根川(中川)が増水し堤防が決壊、みるみるうちに床上まで浸水し、ついには軒先まできてしまった。方々から“助けてくれぇ”という叫び声がきこえ小船を漕ぎだして探していると、子供や老人が太い丸太のようなものに乗ったりつかまったりして、流れのはやい濁流の中で流されずに浮いていた。よくみればそれは丸太ではなくうなぎの大群で、縄のようになってより集まり、子供や老人の体が流されないように抑えつけて多くのひとの命を救った。これらのひとは、その恩返しのためにうなぎを一切口にしないと誓ったという。」
このような話が残っていることからも当地区はうなぎとの関わりが昔から非常に深く、現在でもその言い伝えを信仰し、うなぎを召し上がられない方々がおられます。さらにはその名残として、うなぎの絵馬やうなぎを捕獲するための掻き棒などが奉納され、現在でも保存されています。(延命院オフィシャルサイトより引用)


67▼中を見ると、ウナギの姿がありました。お賽銭と何故か発泡酒の缶がぁ(^▽^;)!! こちら延命院さんは、「ウナギのお寺」と呼ばれているそうです。吉川はナマズで、こちらはウナギです(笑)
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68▼境内の灯篭?の基部に彫られていた獅子の浮彫です。地紋の模様がきれいでした。
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69▼境内の宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。江戸後期型でしょうか。
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70▼延命院の解説板です。
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71▼延命院の北隣りの彦成小学校にある、大正時代の貴重な建築物として市の指定文化財になっている「三郷市立彦成小学校講堂記念館」です。あいにく開館時間に間に合わず内部は観る事ができませんでした。(9/25に再訪し内部を撮影してきました)
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※大正15年に彦成村立尋常小学校の講堂として建築された建物を利用し、三郷の教育や、農具・民具などを展示しています。 平成28年には、市内に現存する貴重な近代建築の一つとして市指定文化財(建造物)に指定されています。(三郷市オフィシャルサイトより引用)
※三郷市立彦成小学校講堂記念館利用案内


72▼講堂記念館の「装飾窓」
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※両開きの鎧戸風(よろいどふう)に造られた装飾窓が、切妻屋根(きりづまやね)(山型の屋根のこと)の妻面(つまめん)(三角形になっている部分のこと)両側につけられています。内部から窓を開ける蝶番などはなく、実際に開けることはできません。これは妻面の装飾としてよく用いられる形式です。(三郷市彦成小学校講堂記念館のあゆみより引用)

73▼同「玄関ポーチ」
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※玄関ポーチを支える二本の柱は建物の外観の中でも特に装飾的に造られています。柱は四本の角柱が半円形の柱を挟むような形に組まれています。半円形の柱材には西洋建築に見られる筋彫(すじぼ)りという装飾がほどこされています。(同上より引用)


※9月25日再訪時の写真を追加します!

▼ 講堂記念館(郷土資料館)前の解説板。
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▼ 講堂内部の天井装飾です。透かし彫りが施されておしゃれですね。照明器具も当時のものだそうです。
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▼ 天井と壁のつなぎ目にカーブを持たせた曲線を入れて、天井が高く見えるように工夫しているそうです。
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▼ 講堂内部正面の舞台付近の様子です。講堂は、式典様に使われて、現在の体育館のような運動には使用させなかったとの事です。
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▼ 現在は郷土資料館として、かつて地域で使われていた農機具や生活用品などの他、中川の渡し船なども展示されています。
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▼ 南側から見た講堂の外観です。南側にも出入口があったそうですが、その後整備されてトイレなどに改修され、現在は玄関がなくなってしまいました。
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▼ 現在の三郷市立彦成小学校の校舎です。
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74▼外環道近くにある、東京ガス「ガス導管専用橋」です。JR吉川駅近くの水管橋を観るのが目的のポタリングでしたが!なんと、こちらには、素敵な「ガス導管専用橋」がありましたぁ(笑)橋は約250mの長さがあって、導管を補強する方法は、「三弦パイプトラスト」方式が用いられているそうです。
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75▼橋の近くに、東京ガスの施設があります。
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76▼三郷市彦成から中川をはさんで、対岸の八潮市(八潮排水機場方面)を眺めます。今回のポタリング計画はさらに南の寺院や力石、石仏を訪問する予定でしたが、見どころが多すぎて予定したゴールまでたどり着く前に日が暮れてしまいましたぁ(^▽^;)
改めてリベンジツアーを計画したいと思います。

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※中川沿いの、寺院や石仏や建築物、文化財など余り話題に上がってこないのですが、見ごたえのあるものを掘り出して、改めてご紹介できたらいいなぁと思っています。お楽しみに(*^^*)!!

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コメント

Re: No title

大原かずのりさん!こんばんは!

おおっ、淀川にもそんなに「河関」があったのですかぁ(゚Д゚;)
現在のように、道路網が整備される前は、確かに川を行き来する方が楽だったでしょうね。
また、荷物の運搬となると船運は、段違いの運搬力を発揮したはずです。

当然、通行料金を取れば、確実に収入を確保できますねえ。
彦名関の場合は香取神社がその権利を有していたわけですが・・・・

「至徳四年(一三八七)の「香取文書」にば、下総国一の宮香取神宮が造営料及び灯明料を集めるため、この関を通行する荷舟から関銭を徴収していた記事が見え、更に『風土記稿』には、応永二十六年(一四一九)に、この関が鶴岡八幡宮に支配されていたことが載り、舟運の要衝であったことをうかがわせる。」(以上埼玉の神社より)太字の文太字の文

実を言うと我が家のあるさいたま市南区から戸田市にかけても、鶴岡八幡宮の社領であった時代があるようです。(^▽^;)
「佐々目郷とは、南区内谷、曲本、沼影、松本及び戸田市の一部のことを指しており、南北朝時代の建武2年(1335年)、足利尊氏により鎌倉の鶴岡八幡宮へ寄進され、それ以後は社領としてその重要な経済基盤となった土地です。」(さいたま市オフィシャルサイトより南区で見ることができる文化財)

中世の頃より、大きな権力を持つ社寺がその経済的な基盤を各地の社領から得ていたということなのですねぇ。
もっとも、そうなると自衛のために独自に兵も持って(僧兵)軍事力でも地域のパワーバランスに影響力を及ぼすようになって行く訳ですが、昨今の「統一教会」問題など見ていると、どこか共通した狙いを感じたりしてしまいます。(;^ω^)

No title

河の関所で思い出しましたが大阪や京都を流れる淀川、なんと中世には380もの関所があったとか^^;
そんなに長くないのに驚異的な数ですね^^;

でもそれを取っ払ったのが織田信長で、まさに経済的な往来の障害物を取り払った!これで信長は人心掌握に成功したとか。

鶴が岡も関東屈指の神社、さすがです^^
でも中世の社寺は平々凡々な今の社寺とは全く違ったんでしょうね^^;

Re: No title

たいやきさん!こんばんは!

そうなんです、河の関所というのは、面白いですね。しかも、千葉の香取神社の社領というのは驚きました。
(江東区中川船番所資料館というのがあるので、いつか観に来たいですね)

さらに、その後鶴ケ岡八幡宮の社領に変わるというのですから!埼玉県内にも鶴ケ岡八幡宮の土地があちこちにあったというのも驚きます。社寺というのは、大きな権力を持っていたわけです。

うなぎがビールを飲むか?う~ん(-_-;) ウナギに聞いたことがありませんので・・・・

三郷の彦成小学校の講堂記念館は、気になったので今日行ってきました(笑) 管理スタッフが丁寧に説明してくれて良かったです。その足で、八潮市の八条八幡神社の彫刻(とてもユニークなものです!)も見る事ができました。また後日アップしますねぇ~(*^^*)

Re: No title

大原かずのりさん!こんばんは!

本当に社寺の「力」(権力)というのは驚きます。どんだけ離れているのでしょう。

こちらの彦名の河関もその後香取神社から鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の社領へと変わったことが記録されているそうですが、ボスが、千葉の神社から神奈川の神社へ変わるわけです。収入源をつかむことが神社の維持に不可欠なんでしょうね。

それから、この辺りには、やたらに香取神社が一杯あります。

延命院は、思いの外素敵な彫刻がありました。確かに壁や柱などは朱塗りにして、主な彫刻は白いので、アクセントのように見えますね。力神が複数あって嬉しかったです。(*^^*)

河川をめぐっては、地形や文化との関連も深く面白いポイントになりますね。(^▽^;)

Re: コメントありがとうございます

ぶらっと遡上探索 さん!こんばんは!

そうですねぇ。彦川戸香取神社までは少し距離がありました。レンタルバイクは、ずいぶん増えてきましたので活用できるといいですね。行動範囲が広がるでしょう。今日も久しぶりにフォールディングバイク担いで、三郷に行ってきました。

東照宮は、工事も終わったようでじっくりと見学したかった場所です。ゆっくり観るのには1泊できると楽なんですけどね。どうしようかなぁ(^▽^;) 彫刻だらけだから、写真撮っているうちに1日終わっちゃいそうで怖いなぁ!

No title

川の関所の存在は初めて知りました。
当初香取神宮の所領だったのでしょうね。
さすがは日本三大神宮です。
朱塗りのお寺は遠くから見てもハッとしそうですね。
美しい色です。
しかも御本尊御開帳の文字が。
うなぎ供養で思ったのですが、うなぎはビールを飲むのでしょうか(笑)
そういう誰も突っ込まないところに突っ込むのが好きです。
小学校に入れなかったのは残念でしたね。
こういう場合もう一度チャレンジしたいですね。

No title

こんばんは!

なるほど香取神宮と関係が。因みに夏にその香取神宮行ったんですが記事をさぼってます^^; しかし香取さんはやはり関東で影響力あったんですね。
香取神社の彫刻群はどれも力強い!いいですね^^

そして延命院の朱塗りに彫刻が白木なのも面白いです。
そして妻飾りの力神の堂々たる様!

中川を辿ると荒川の他にディズニーランド方面に流れるのもあるんですね。またまた関東の地図がインプットされました♪(とはいえ全然解ってないですが^^;)

コメントありがとうございます

今晩はトリケラさん、拍手コメントありがとうございます。
今回の記事も素晴らしいです。彦川戸香取神社まで橋から600m、遡上探索で寄れる範囲外でした。チャリ利用は便利ですね。自分も膝痛で、My携行チャリは重いので、最近担いでいません。代わりに最近、増殖しているレンタルチャリの利用を検討しています。
え、東照宮に行かれるんですか良いですね、自分が行った時は陽明門が改修工事で見られなかったんですよ。観光地は一時よりは外人客が減りましたが、代わりに邦人客が増えており、名所の混雑は避けられませんね。極彩色の彫刻などをゆっくりと、トリケラさんの切り口で撮りながら紹介して下さいネ。

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季節の野草や身近な自然の写真のご紹介、トレイルランやポタリング、マウンテンバイクの記事、掘り出しモンCDアルバムなど音楽の話題、美味しい日本酒や蕎麦について、最近は庚申塔・石仏・富士塚・力石など石や塚などにも興味津々!とりとめのない記事ばかりですがよろしくお願いします。

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