日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人格を持たせてのリアリティ

 

昔の人はよく擬人名を使っていた。スリムな人は骨皮筋右衛門(ほねかわすじえもん)、怒りん坊な人は小言幸兵衛という感じに・・である。

人の特徴や性質を人の名前のように表現する方法であった。今、ほとんど使われていないのは、“なんとかハラスメント”になってしまうからなのだろうか。

最近、高知新聞のコラム記事でおもしろい話を知った。完璧主義者であった黒澤明監督のエピソードである。映画『七人の侍』で黒澤さんは野武士の略奪に苦しむ村の人たち全員の戸籍を作ったという。

七人の侍については、それぞれの生い立ちを7冊の大学ノートにびっしり書き込んだという話を知っていたが、村の戸籍の件は初耳であった。

戸籍には各戸の家族構成と名前、年齢が書き込まれ、人口は計101人。村の戸数は23で子どもは28人だという。また、ロケでは家族単位で行動を共にさせたとのこと。

その他大勢を“一緒くた”に扱わず、“それぞれに人格を持たせた”からこそ一段と作品にリアリティーが備わった。

 

 

テレビアニメ『サザエさん』の視聴率は、景気と関係があるとの説があったらしい。視聴率が高ければ、日曜の夕方に家でテレビを見ている人が多い。家族で食事に出たりする機会が減れば、個人消費が低迷し景気を押し下げる。

また、景気が悪いから節約のため外出を控え、家族そろってテレビの前に・・ともいえるようだ。

サザエさんの登場人物たちのキャラもはっきりしてとてもわかりやすい。それも人気の秘訣であったと思うが。

身ぶりや表情だけで表現するパントマイムは、(見る側からは)ないものがあるかのように錯覚することもある。

数々の映画作品でパントマイムを披露し、社会を風刺したのは喜劇王チャプリンである。1940年に制作された代表作の『独裁者』では、ドイツ政権を掌握したヒトラーを風刺。
映画のラストの方では「独裁者はうそをつく」と言い放った。チャプリンが今のロシアを見ていたら、どういうパントマイムでどんなメッセージを送ってくれるのだろうか。

 

 

ボブ・ディランの『風に吹かれて』が書かれたのは1962年。60年も前である。

自由を許されるまでに何年、あの人たちはあのままなのか。永久に武器がなくなるまでに何度砲弾が飛び交わなければならないのか。

21歳の時に書いたボブ・ディランの歌詞では、人間の抱える問題はいつ解決するのかと問い、“友よ、答えは風の中だ”と結ぶ。風の中の答えを探し続けるしかない・・と。

この60年、人間は進化どころか後ずさりばかりしているような気がしてならない。

 

語呂合わせの中にも隔たりが

 

大衆性を押さえた小説作品に与えられる直木賞は創設87年になるという。その文学賞に名を残す作家・直木三十五さんはもちろん筆名で、31歳の時には直木三十一を名乗り、年ごとに変えたとか。

三十五で打ち止めにしたのは、文壇での地歩を固めたのが35歳の頃だった・・との説もあるが真意はどうだったのだろうか。直木さんは、本格派の歴史・時代小説に道を開き、満43歳の若さで生涯を閉じたという。

作家のペンネームの語呂合わせといえば、半村 良さんも懐かしい。当時テレビなどで活躍されていたイーデス・ハンソンさん(良いです、半村)から借用したとの説もあった。

 

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語呂合わせは、ある文字に他の音や他の意味を重ねることによって行う言葉遊びだ。文字を他の文字に換え、暗記用に使ったり縁起担ぎを行ったりと利用価値もそれぞれである。
今月に入りテレビを見ていたら意味不明の記念日を紹介していた。4月6日が“春巻きの日”なのだという。その理由は? と聞いてみれば、4月が春で、巻きはロール(6日)という語呂合わせだった。とはいえ、今でもすっきりと納得ができていない。

こんな感じで、今は一年中が記念日になっているのだろうか。

なにかのコラムで1月11日は“塩の日”だと知った。戦国武将の武田信玄が今川氏に塩を絶たれて困っていたところ、敵対関係の上杉謙信が1569年1月11日に塩を送ったとの逸話があるという。「敵に塩を送る」という言葉につなげると、無理やりの語呂合わせより妙に説得力がある。

 

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1月だと8日は“勝負事の日”なのだとか。「一か八かの勝負」の語呂合わせからの記念日だ。時代劇などの丁半博打では2個のサイコロを投げて、合計が偶数か奇数かを当てる。
「一」は「丁」、「八」は「半」の漢字の上の部分のことで、「一か八か」は「丁か半か」と同じ意味のようだ。

かつて話題になった『世界がもし100人の村だったら』では、100人の村の30人は子どもで、70人が大人。富の59%を所有しているのは6人で、20人で富の2%を分け合う。富の偏りも縮図にすると見えてくるものがありそうだ。

営業職が長かった私は“2・8(にっぱち)の法則”をかなり意識していた。たとえば、車の販売でも10人のセールスで100台売れたとしたら、売った人の内訳は2人で80台。あとの8人で20台という感覚である。

こういう語呂合わせにはとても興味を感じてしまう。

 

タイムマシンで行きたい映画館

 

映画の人気が強かった頃は、邦画の新作を“封切り”といい2本立て上映だった。洋画はロードショーといって1本のみの上映だった記憶がある。

「封切り」の語源は、新しい映画のフィルムが封の付いた箱に入っていたからだという。そのフィルムのお下がりは、数週遅れで3本立てや4本立てに組み替えて、封切り館より安い料金にて2流館で上映された。

また、場末の3流館では数年遅れの作品がもっと安く上映されて、リアルタイムで観られなかった名作をたくさん鑑賞できたのである。

当時は地元の新聞紙面で多くの映画館のプログラムを閲覧できて、好きなジャンルの作品を上映する映画館に訪れて鑑賞した。

たとえば、マカロニ・ウエスタンに夢中になったときも、(年代的にリアルタイムで観られなかったので)多くの3流館で作品を観ることができた。

クリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロたちの勇姿にワクワクしたのを今でも思い出す。それぞれの作品のテーマ曲もすばらしかった。また、黒澤明監督のほとんどの作品も場末の映画館で楽しんだ。

 

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日本で2本立て興行を本格的に始めたのは東映だという。1本分の料金で2本の映画を見せる映画館はその前にもあったが、他社どうしの作品で2本立てになると、映画館の興行収入から発生する配給会社の収入が半分の額になる。

1954年の正月映画から、東映は自社製作の新作2本立て興行を全国の直営館や系列館で実施。“2本立てによるお得感と組み合わせの巧み”は多くの観客の支持を得て、「東映時代劇ブーム」を巻き起こした。

2000年代に新作の2本立て興行が減り始めたという。シネコンの拡充でスクリーン数に余裕が出来たからだともいわれるが、映画人気の落ち込みもあったのだろう。

複合映画館とも呼ばれるシネコンは、従来のロードショー館を置き換える形で繁華街に作られることも多くなってきた。

いくつもの新作映画が一箇所で観られる便利さで、落ち込んでいた映画観客を増やしはしたが、最近ではどのシネコンを見ても上映作品は同じで、編成のオリジナリティーが感じられない。

 

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シネコンといえば黒澤作品のリアルタイムでの封切り作品を観られたのは、横浜・馬車道の東宝シネマだった。作品名は『影武者』。それ以前の作品は、生まれる前か子どもだった頃がほとんどであった。とにかく“できたてホヤホヤ”の黒澤作品を観られるのは感動的であった。その映画館も数年前に訪れたらホテルに変わっていた。

ある時、自分が通った多くの映画館のその後をインターネット検索してみたら、全てが廃館になっていたり、幻の映画館みたいな感じで名前だけは残っているところもあったが、過去の遺物と化していた。

今あるシネコンもそういう運命をたどるようになるかもしれない。反面、名画座が旧作を2本立てを上映し、絶妙なカップリングで観客を集めているところもあるという。かつて、場末の映画館で観た3本立てや4本立てのワクワク感が想い浮かぶ。

現在の私は、アマゾンプライムやネットフリックスで映画を楽しんでいる。名作の数も多いのだが、途中まで観たままで放置状態がとても多い。“つまみ食い”のような観方になっているのが情けない。

家にいるとつい“ながら族”になり、いつでも続きが観られるからという安心感がいけないのだろう。それを思えば、昔のあの映画館の空間がとても懐かしく思えてくるのだ。

 

まだまだ眠っている可能性が

 

作家・沢木耕太郎さんは、大学卒業後に富士銀行(当時)へ入行したが初出社の日に退社したという。退社を決めたのはその出社途中で信号待ちをしているときだったそうな。

その沢木さんは高校1年の春休みに東北一周の旅へ出た。北上駅の待合室で夜を明かそうとしたとき、ホームレス風の男性と2人になった。

ベンチへ横になり うとうとすると背後に足音を感じた。所持品を盗まれるのではないかと思わず身構えたが、床に落ちた毛布を男性が拾って掛けてくれたのだ。

沢木さんは男性を疑ったことを恥じたという。そして、その旅では多くの人から親切を受けた。

私も若き頃に各駅電車の長旅をしたことを思い出す。いくつもの地方の駅に降りて駅前の商店街をゆっくりと歩くのが楽しかった。今はもうほとんどがシャッター街になっているかも知れないが。

 

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その後、年を重ねると新幹線での旅が当たり前になり、たまに飛行機を使ったりもした。新幹線では目的地への時間短縮を感じ、飛行機だと日本が狭くなったような気がした。

飛行機は離着陸時がスリリングでおもしろい。滑走路にトンと降りた時はホッとしながら機長の技術の高さに感動する。とくに雨雲に覆われる時期は拍手したくなる。さすがにプロである・・・と。

話変わるが、歌人・俵万智さんの創作裏話を知ったときにもプロ意識みたいなものを感じた記憶がある。

代表作である『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』にて、実際に褒められたのはサラダではなく鶏の唐揚げだったという。また7月というのも創作らしい。音の響きで選んだようだ。

私など、短歌や俳句はリアルの世界から言葉を切り取るもの・・などと勝手に解釈していたので、裏話で“目からウロコ”の気分になった。

 

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「プロに天才はいない」と語ったのは将棋の大山康晴15世名人だという。天才揃いの棋界に対しての皮肉ではなく、“努力なしにはプロの世界では勝てない”という現実の厳しさを説いたようだ。

「昔に流行した形であっても、まだまだ眠っている可能性があることを呼び起こしてくれた」。羽生善治九段は藤井聡太竜王が初タイトルを手にした棋聖戦を振り返り、新聞への寄稿で書いていた。

出だしはかつての中原誠と米長邦雄戦をほうふつさせ“昭和の香り”が漂ったとのこと。第2局の序盤である。

しかし、そこで藤井竜王が新工夫の手を打った。羽生九段は「令和時代の味に変化した」という。これぞ温故知新であり、研究熱心で謙虚な姿勢が盤上に表れていた・・・と。

現在、藤井聡太竜王と渡辺明名人の王将戦は第3局の時点で藤井竜王の3勝である。両者の対局はこれまで13局あり、藤井竜王の11勝2敗と渡辺名人の分が悪いようであるが、この先の巻き返しが楽しみである。とにかくレベルの高いプロの戦いはとても興味深い。

 

年とればスピードの増すものは

 

毎年、月日がたつのを早く感じる。同年代の知人と話しても同じ感覚のようだ。それは、どうやら“体内時計”というものが影響しているらしい。

加齢に伴い、体内の新陳代謝の速度が遅くなっていくのを自分では気がつかない。それで、体内時計では半年たったと思い込むのだが、実際は1年が過ぎ去っているのだ。

つまり、自分の生命の回転速度が本当の時間経過についていけていない仕組みなのだとか。


一昨年、コロナ禍に無観客で行われたプロ野球。そこには妙に懐かしいミットの乾いた音や打球音の響きがあった。際立つあの音で、かつて息子たちの少年野球の試合を見たのを思い出した。

全力投球の姿や振り抜いたバットのあとのうめき声。新鮮なあのときの臨場感が蘇る。

今では大人になった息子と酒を呑んだりしているが、子どもが子どもだったあの期間はあっという間に過ぎ去ったような気がしてならない。

 

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「日本プロレス界の父」と呼ばれた力道山。得意の空手チョップで国民を熱狂させたあの勇姿をリアルタイムのテレビで見た人はかなりのご年配の方々だと思う。あのときには幼かった自分だが、(今現在に至る)実際の年月ほどの時間差には感じられない。自分の中の時間感覚は湾曲しているようにも感じてしまう。

リングの内外で多くのエピソードのある力道山は、1955年の会津若松市興行後にある肉店に浴衣姿で大勢の弟子を連れて現れたという。

そこで生の馬肉を注文した力道山は、自ら持参のつぼのタレを付け食べ始めたとのこと。会津地方ではそれまで生で馬肉を食べる習慣はなかったが、それがきっかけで「馬刺し」が広まったのだという。

なにかのコラム記事で知ったこのエピソードもいかにもあの力道山らしいと感じた。力道山は亡くなられて60年近くになるが、それほどの時間差も今は感じられない。

 

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マラソンの42.195キロはどうやって測るか。これは子どもの頃からの疑問だったが、とくに調べることもなかった。知ったのは数年前でとりあえずメモを残していた。

その答えは、自転車に計測器を取り付けてコースを走るということらしい。とくに国際大会などでは、コースが短い場合にレースの記録が非公認となるため、1001メートルを1キロと計算して十分な距離を確保しているとのことだ。

さて、地球の円周を最初に測ったのは古代ギリシャのエラトステネスだという。太陽の位置が、場所により同じ時間でも異なることを利用して算出した距離は、現在の単位にして約4万4千キロ。

現代は人工衛星による測定で約4万キロだというからかなりの正確率だったようだ。どれだけの時を経ても、人間の探究心は同じなのかもしれない。

流行り言葉も廃れない。約40年前に流行ったビートたけしさん&きよしさんの漫才ネタ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。

一昨年の広島県の政治家たちを見て、マスコミ内で復帰したネタだったとか。逮捕された河井克行さんと案里さんから現金を受け取った政治家の告白が広がった。

最近、案里さんは睡眠薬を服用し救急車で運ばれたという。思えば案里さんも被害者である。夫の克行さんは真相を語ればいいのに。一番悪いのは、あの元首相だと・・・。

 

仕事をするときのモットーは

 

好きな作家や映画人の話から教わることはとても多い。

不安でならない時や心の弱っている時“そこ”に飛び込みたくなる、と作家の太宰治さんはある場所について書いた。そこへ行くとホッとして助けられるのである。

それは映画館。世間から切り離された真っ暗な空間にて、映しだされる物語で観衆と一緒に泣いたり笑ったり。それがなによりの救いとなる。

終戦直後の貧しい時代にも大勢の人が映画館へ詰めかけたという。映画は“優しい慰め”なのか、心の弱っている時への栄養剤だったのかもしれない。

 

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無声映画の時代を経て、セリフの声や劇中音楽を(作品の中に)入れ込むことのできる
トーキー映画が広まる中、チャプリンは人の声を入れることにとても消極的だった。

必要最低限のセリフは声で残しても、話の重要な部分は字幕にて見ればわかるようにしていた。自ら劇中音楽も手掛けて、アカデミー作曲賞を受賞するほどだったので、音への関心は強かったという。

それでも、喜劇王がとても大切にしていたのは、言葉の違いで思いが伝わらないのを避けることだった。だからこそ(音より)動きや表情の細部にこだわった。

 

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黒澤明さんはカラー映画が全盛になっても、白黒映画にこだわった名監督である。

『映画についての雑談』という文章では、仕事をするときのモットーにしているという言葉を紹介していた。<悪魔のように細心に、天使のように大胆に>である。

黒澤さんによる数々の名作品を鑑賞するとき、私はこの言葉を意識して楽しんでいる。

<すべては五分五分>が人生観であったというのは作家・池波正太郎さんである。大正生まれの池波さんは召集され、海軍に行っている。

生きて帰れる確率は、「よくて五分五分」と覚悟を決めていたという。また、戦後に文学賞を何度も落選したが、それでも挫折しなかったのは、「すべては五分五分」と意識していたからだったとのこと。

さて、あと少しで年が明けます。皆様、良いお年をお迎え下さい。

<(_ _)>ハハーッ

 

今だからこそ響くもの

 

毎年、暮れになると頭に浮かぶことがある。地球が誕生して46億年。その時間を1年に凝縮すると、1月1日午前0時に生まれた地球に人類が姿を現すのは、大みそか(12月31日)の午後11時59分だという。思えば人の一生もホンの瞬間だ。

「瞬く間」というごく短い時間で、人は1分間に15~20回ほど“まばたき”をするらしい。まばたきの時間もたしかに短い。視界が暗くなるのを意識しないくらいだが、わずかな涙を出して目を潤す働きもあるそうな。冬などは特にドライアイが気になる私も、確実に人よりも瞬きの数が多くなっているはず。

「そろそろ」という言葉は瞬きとは反する意味に使われ、ゆっくりと行うときに用いられている。私も酔いが回ると手すりにつかまり、そろそろ歩くことがある。また、「ある状態、時期になりかかった様子」という意味にも使われる。「そろそろ、その時が来た」などと言うように・・・。

 

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今年は秋からコロナウイルスの感染者が激減したが、緊急事態宣言が解かれた街中では心底浮かれることもなく「そろそろ」の警戒心が人々の根底にあるかのようにも感じる。ゆっくり、そろそろと・・その動きは注意深い。

昨年の秋からは、菅前首相がGoToキャンペーンを国民に散々煽り、年明けから感染者が拡大。それからはずっと後手後手で知らん顔。その不信感が今の国民にも根付いたのか、かなり慎重そうにそろそろと様子をうかがっている。

“そろそろ”ばかりでも安心はできない。「さばを読む」などの慣用句もある。魚のサバは傷みが早いから、急いで数えてごまかす・・ことが、その由来だとか。

多くの魚食文化を育んできた日本で生まれた言葉の数々には、生活感があるようだ。

小さなカタクチイワシに例えた「ごまめの歯ぎしり」では、力のない者がいくら悔しがっても役に立たなくて「逃がした魚が大きい」こともある。うまく「エビでタイを釣る」ことができればしめたもの・・だが。

 

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「魚心あれば水心」とは一方が好意を示せば、相手も好意を持つようになるたとえだとか。惚れ合う男女の心理にも通じて、思わずラブコメディのドラマを連想してしまう。

作家・池波正太郎さんは食通として知られた。池波さんの著書『男の作法』は、私も愛読している。

<親の敵にでも会ったように揚げるそばから、かぶりつくようにして食べていかなきゃ>。天ぷら屋に行くときについて、こう語っている。

天ぷらでは、材料の新鮮さと油の加減が大事。それに心を砕く店のおやじさんをがっかりさせるのは・・揚がっているのを前に置き、話し込んでいる客だという。

また、寿司屋では<金さえ払えばよかろうというのでトロばっかり食べているやつも駄目なんだよ>と。もとが高いトロはそんなに儲からないので、店が困るかららしい。

やはり、店の立場というのも考えることが大事なのだろう。今年もコロナ禍で多くの店があえいだ。お店の方たちも“そろりそろり”の気持ちのまま、なかなか落ち着けない。そんな状況の今だから、池波正太郎さんの思いやりがこころに響いてくる。

 

もうはまだなり まだはもうか

 

脇役がいるから、主役が力を発揮できる。映画や舞台の脇役は引き立て役に徹するが、主役を超える存在感を発揮することもあり、作品におもしろさが加味される。

料理でも脇役の薬味が、主役である具材のおいしさを際立たせてくれる。例えばウナギのかば焼きには、さんしょう・・などと、相性抜群の組み合わせを楽しむことができる。

俳優・井浦新さんは、主演作もあるが名脇役として映画、テレビのドラマで活躍中だ。昨春、この井浦さんが演技とは別に大きく注目されたことがあった。

<保身のために都合良く法律も政治もねじ曲げないで下さい。この国を壊さないで下さい>と井浦さんがツイッターへ書き込んだことで、賛意の「いいね」は10万を超えた。

「検察庁法改正案に抗議します」とハッシュタグを付けた投稿も急拡大して、一時 その投稿数は480万件を超えたという。

 

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俳優の浅野忠信さんや秋元才加さんらの投稿も相次ぎ、作家・村山由佳さん、女優・小泉今日子さんら著名人も次々反対の声を上げた。

<国民に自粛を強いながらまるで火事場泥棒>、<コロナで大変なこの時に自分の疑惑隠しの法律とは>・・・との(当時の首相であった)安倍氏への批判は続いた。

立法、司法、行政の「三権分立」、その根幹を揺るがす検察庁法の改正案ともいえる。

定年延長は世の流れ・・といえども、内閣の判断で都合のいい人物を3年間延長できるという特例を設けたこと。そして、「森友・加計・桜・広島の選挙違反」において検事の矜持も問われて当然だろう。

問題の検事長(当時)黒川弘務氏は、定年の63歳になる誕生日前日の2020年2月7日に退官する予定だったが、2020年1月31日の閣議で定年後も半年間勤務延長されることが決定された。

それも、知人との賭け麻雀報道で2020年5月22日に東京高等検察庁検事長を呆気なく辞任することになった。

安倍氏にしても、コロナの後手後手の対応と悪事がバレる心労? だったのか、仮病を理由に2020年8月に内閣総理大臣の職を辞する意向を固めた。

 

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それにしても。今のテレビや新聞によるマスコミ報道は軟弱に感じてたまらない。

井浦新さんは明確なメッセージで気持ちを伝えた。それさえも、マスコミは対応できないようだ。安倍氏は今、政府の裏で何事もなかったように動き回っている。マスコミはそれを疑問に感じたり、正義感を持つ・・などという気持ちを持てないのだろうか。こちらにはまったく伝わらない。

<もうはまだなり、まだはもうなり>。呪文のようなこの言葉は株式投資の心得の一つだという。もう十分に株価は下がったので買い時だ、と思っても実はまだ。まだ上がるので売るのは待った方がいい、と思っても値はもう天井に達している。

さて、新型コロナウイルス対策の社会活動自粛。もう終わらせてもいいのか、まだなのか。オミクロン株という新型株も各国で登場している。季節性要因ということでは、前年の例で冬場から感染者が拡大した。

政府お抱えの医系技官たちの見解も甚だあいまいである。果たして日本の第6波の感染は来るのか来ないのか。マスコミからの情報もアテにならない。そうなると、SNSが一番まともな情報を得られるメディアのでは? なぜか、そんな気になってきた。

 

聞く百文より見た一文の印象

 

大家と店子(たなこ)とくれば,「親も同然、子も同然」。思わず落語の世界が脳裏に浮かぶ。今ならアパートや貸家の所有者が大家さんなのだろう。江戸時代の大家さんは、管理を所有者から託された人で、店子は長屋の一室を借りる人・・という関係だったという。

雇われ人の大家さんだが、その仕事は家賃の徴収だけでなく、長屋内で生活難の店子を助けたり、住人たちのもめ事を解決をしたりと世話を焼いた。

また、店子と奉行所の間に入り、住民登録や出産、婚姻等の手続きも担うなど、役所の住民サービスのようなことも行ったらしい。古き日本の人情も捨てたものではない。

さて、645年の「大化」から現在の「令和」まで、日本で使われてきた元号の数は248だとか。その中で最も長かった元号といえば昭和で。その期間は62年と14日にも渡る。一口に昭和といっても、どの時期に生まれたかで人々の思い出は大きく違ってくるはず。

 

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<百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、一万人にもなれば、拝まなければ人は動かない>。昭和の“経営の神様”松下幸之助さんの言葉である。

いつの時代も、リーダーたちにとって人を動かす難しさは最大の悩みだ。

<何としても2階に上がりたい、どうしても上がろう、この熱意が梯子を思いつかせ、階段を作り上げる。上がっても上がらなくても、と考えている人の頭からは梯子が生まれない>とも語っている。

「聞いた百文より見た一文」ということわざもある。百文の値打ちがあると言葉で聞かされるよりも、一文といえども実際に見た方が価値がある、とのこと。どんなに話を聞くよりも自分で見た方が確実で値打ちがある。やはり、自分の経験を思い浮かべると、納得できることが多いはずだ。

昭和の時代、子どもの頃の自分も遠足などで初めて目にする見学先の光景や非日常の体験など、年月は過ぎても当時の記憶がよみがえる。

 

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一昨年( 2019年)の4月30日は「平成最後の日」で、その翌日に元号が令和になった。その前日と翌日で、何かがいきなり変わるわけではないが、遠い後年から見れば、時代と時代に境界線が引かれ、全く違っているのかもしれない。

思えば、あの新型コロナウイルス感染症が発生したのも令和の元年(2019年)であった。日本でも2020年の1月から今も、かつての“普段の暮らし”が一変した。本年の夏にはオリンピックを開催中だった東京で6千人ちかくの感染者数にも増え、コロナウイルスが猛威をふるった。

秋を迎えてやっとおとなしくなってはいるが、昨年の冬を迎える頃を思えばどうなるのか不明である。

季節性要因ということであれば、この先の第6波の感染数はものすごい数になるとの予測もされている。3度目のワクチン摂取を早めるという案もあるようだが、病室や医療体制の確保などはとても大事である。オリンピックで浮かれている中で、多くの感染者たちが自宅放置された・・この夏を忘れてはならない。

この令和の時代はまだ3年。とはいえ、今の子どもたちにはどのような景色に映り、将来への記憶としてどのように保存されていくのだろうか。

 

笑いに免疫力向上の効果あり

 

人は住む場所で“見えているもの”が、かなり違うらしい。詩人・吉野弘さんの『虹の足』では、山路を登るバスから雨あがりの虹を見たとの描写がある。

小さな村やいくつかの家が、虹の足の底にすぽっと抱かれて染められていた。なのに、虹の足に(家から飛び出して)さわろうとする人はいない。

多分、あれはバスの中の僕らには見えて村の人々には見えないのだ。そんなこともあるのだろう。他人には見えて自分には見えない幸福の中で、格別驚きもせず幸福に生きていることが・・・と。

自然の中での「天気」と言えば(日本語で)“晴れ”の意味もあるが、英語になると天気「ウェザー」の語源は“暴風”と厳しく映っている。そして、ウェザーは“(難局を)切り抜ける”という意味にもなるようだ。こちらも“見えているものの違い”があるのか。

<金は天下の回りもの>というが、商人の町・大阪にて浪速商人の解釈では、常にお金は世の中をすごい勢いで駆けめぐっている、絶対に目を離すな・・・。商いのタイミングを逃したらアカン、のだと。やはり、地域による解釈の格差があるらしい。

 

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「毎日アルコールで胃を消毒しているから大丈夫」。これは、かぜやインフルエンザが流行しているときの酔っぱらいギャグの定番だ。酒で消毒なんて冗談だろうと思っていたが現実化したことがある。それも昨年のことだ。

昨春のコロナ禍で、マスクや消毒用アルコールが不足して大騒ぎをしたのは記憶に新しい。感染拡大で不足する消毒液の代わりに使えると、サントリーの子会社が高濃度アルコールを医療機関などに無償提供を申し出た。やむをえないと、厚生労働省も使用を認める通達を出した。

アルコール度数は83~70%程度で、消毒用と醸造用がともに同じ原料のサトウキビやトウモロコシだったという。毎日呑んでいるお酒が消毒用にも使えると知り、私も「してやったり」との笑みが浮かんだのを思い出す。

さて、笑いには免疫力を向上させる効果があるという。大阪国際がんセンターの研究で、漫才や落語を鑑賞したがん患者と、鑑賞しなかった患者各30人の血液を分析したとのこと。すると、鑑賞後の患者には全体的に免疫細胞の増加傾向がみられたそうな。

 

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身の回りを見渡しても、笑えるネタはけっこうありそうだ。たとえば、この衆議院選挙もそうだ。与党の岸田新総裁は投票日を予定より一週間も早めた。ボロ隠しなのか、まるで「どさくさに紛れる」ような感じで・・・である。

「どさくさ」の語源は定かではないらしいが、江戸幕府が成立した1603年発行の日葡辞書にも、「どさくさする」の表現が載っていたとのこと。

意味は、“混雑や混乱に乗じて行動すること”を指すが、佐渡金山の人材確保のために行った博徒狩りが由来・・との説もある。島送りになる罪人は、佐渡の読みを反転させ「ドサを食った」と言ったとかで、“どさくさ”になったという。

スキーのジャンプ競技では、追い風より向かい風が有利とされる。飛行機の離発着も基本的に向かい風を利用する。とはいえ、競技の多くは逆風より追い風が有利だ。選挙戦も同様で「追い風が吹いた」という表現が使われる。

それでも、どさくさに紛れて追い風ばかりを求めていれば、高度を得られずにヨタヨタの低空飛行で終わることになる。この先、いったいどんな“まつりごと”が行われるのだろうか。

私は昨日、期日前投票をしてきた。国民意思の決定を見られるのもあと数日になっている。

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