2006年02月15日

恋の花

恋の花
くいぬはな
kui nu hana


一、庭や雪降ゆい梅や花咲ちゅい 無蔵が懐や真南風ど吹ちゅる
にわやゆちふゆい 'んみやはなさちゅい 'んぞがふちゅくるやまふぇどぅふちゅる
niwa ya yuchi huyui 'Nmi ya hanasachuru Nzo ga huchukuru ya mahwee du huchuru
庭は雪が降り梅は花が咲き 貴女のふところには南風が吹く


二、ぬがし我が庭や梅や咲かなそて毎夜鶯の通て泣くちゅが
ぬがしわがにわや'んみやさかなそてぃ めゆる'うぐいしぬかゆてぃなちゅが
nugashi waganiwa ya 'Nmi ya sakanasoti meyuru 'uguishi nu kayuti nachuga
どうして私の庭は梅の花がさかないのに毎夜鶯が通って鳴くのか


三、波の上に行ちゅみ薬師堂に行ちゅみ なりし薬師堂の裏やましやあらに
なんみんに'いちゅみ やくしどーに'いちゅみ なりしやくしどーのうらやましやあらに
naNmiN ni 'ichumi yakushidoo ni 'ichumi narish yakushidoo nu 'uraya mashiya'arani
波の上に行くか薬師堂に行くか 慣れた薬師堂の裏がましではないか


四、波の上の開鐘や首里の開鐘と思て里うくちやらち我肝やむさ
なんみんぬけーじょーやすいぬけーじょーとぅむてぃさとぅ'うくちやらちわちむやむさ
naNmiN nu keejoo ya sui nu keejoo tumuti satu 'ukuchiyarachi wachimu yanusa
波の上の鐘を首里の鐘と思い 貴方を起こして行かせて私は後悔するよ

解説
(語句)

・ふゆい 降り
<ふゆん 降る


・ぬがし (副)どうして
・が 「ぬがし・・・が」となって「どうして・・となるか」


・み 疑問文になる
・あらに ・・ではないか?


・けーじょー 寺院で明け方にならす鐘
・うくちゃいやらち 起こして行かせて
歌詞には「うくちゃらち」とあった。短縮するとそうなるが、8文字という字数が合わない。元の語句を置いた。
「うくちゃい」起こして
「やらち」行かせて の合成語

(コメント)
元は八重山民謡の「くいぬぱな節」
その一節は「くいぬぱな登て浜崎ゆ見りばまかが布晒見物でむぬ」
くい=越える ぱな=頂上
「恋の花」とはまったく関係ない歌を、本歌取りして「恋歌」に変えてしまう。
メロディーはほとんど同じ。
今日なら盗作騒ぎになるかもしれないが、そういう歌遊びは世の常であり、本島、宮古、八重山民謡それぞれが、また本土や奄美の歌も相互に影響しあう、そういうものだと理解する。
しかし、まったく別の歌のような顔をしていることに反感を持つ方もいるかもしれない。
いずれにせよ、いいものは流れ、流れて形を変えて定着するのではないだろうか。

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Posted by たる一 at 18:14│Comments(15)か行
この記事へのコメント
せきひろしさん、お久しぶりです。
ここのところ知らない唄ばかりだったので、ご無沙汰してしまいました。
「恋ぬ花」は大阪の仲田先生のところで練習した唄です。
「もしかして昔は沖縄に雪が降ったのかも?」と不思議に思ったものです。

沖縄・宮古・八重山・奄美の民謡がそれぞれ影響しあって別の唄になったり、同じメロディーなのに違う唄になったり・・・。
「つながってるんだなぁ。」とうれしくなります。 

民謡に関しては素人なので、知らないはずの唄が知ってる唄のメロディーだったりするとまたその唄を好きになったり・・・、自分の中ではそんな感じです。
Posted by あとぅを at 2006年02月16日 10:07
あとぅをさん
コメントありがとう。
またゆっくり書きます。
出かける時間になってしまった(汗)
Posted by せきひろし at 2006年02月16日 18:39
あとぅをさん
昨夜は失礼しました。
コメントありがとうございます。

そうですね。いいメロディーはどんどん使われるんですね。

そして恋の花も、面白いのは尺の位置が違う、つまり変調されて本島では歌われます。曲の印象も変わってくるところも面白いですね。
雪という歌詞も面白いですね。
いつか雪について書いた歌をあつめてみたいものです。
Posted by せきひろし at 2006年02月17日 06:18
元歌は確か八重山のパナリの歌だったのではないでしょうか。「クイヌパナ」と呼ばれる岬があってそこを歌った歌だと覚えています。「ハナ」は端、先端」で、それが海に突き出た「岬」をイメージさせたものでした。
ここに掲げてある歌詞は歌劇「薬師堂」のそれですよね。歌劇の場合、もともとあった曲に歌の文句をつけて劇中歌にするのは普通にあることでした。「伊江島ハンドゥー小」の劇中歌は、エイサー歌としても有名な「トゥータンカーニー」をはじめとしてほかの歌詞で歌われている歌が多いのですよ。
1番の歌詞に描かれている日本趣味はなんとかならないものかと思いますが、この歌の作者のモチーフを好意的に考えれば次のような推理も成り立ちますでしょうか。
幕末のころの日本列島(南西諸島も含めた)は小氷河期に当たっています。当時の琉球に雪が降ったという記録があり(「喜安日記」)、雪の降り積もる光景を多くの人が経験しているようです。
この作者は何歳の時にこの歌の作詞を手がけたのかわかりませんが、ひょっとすると幼少時にみずから体験したか、あるいは身内の年寄りから雪にまつわる話を聞いた可能性があります。そうなると必ずしも絵空事の日本趣味をデッチ上げたとは言えず、沖縄にかつて現出した風景を描写したに過ぎないということになります。
なお、歌劇から独立させて歌う場合、2番から3番への歌詞の展開は飛躍があり過ぎて歌う者に違和感を覚えさせます。人間国宝の照喜名朝一さんは「舞踊曲集」の中で3番に次の歌詞を当てて歌全体を締めていました。
「うぐいしや あらん。 我思うる(うむる)里前 どぅくああまじ鳴きば 
出じてぃ 行ちゅさ」(あれはうぐいすではないよ。ほんとはわたしの愛しいあの人。あまりに鳴き続けるのなら出て行ってあげましょう)。この補作詞を誰が手がけたのかはよくわかりません。
以上、長々と失礼しました。
Posted by Hi Shy at 2006年02月19日 11:32
雪に関する表現としては組踊り「手水の縁」がよく知られていますね。
ヒロイン玉津の歯の白さを喩えるのに雪の白さをもってしていますよね。この場合は作者平良敷屋朝敏が「伊勢物語」や「新古今集」の世界に憧れていたという事情もあって、「雪」は完全に朝敏の日本趣味の発露ということになるのでしょうね。
Posted by Hi Shy at 2006年02月19日 12:05
Hi Shyさん
いつもありがとうございます。
恋の花、ぱなりの唄、というのでしょうか、歌の名前は、そのも「くいぬぱな」だということは八重山民謡の工工四で確認しました。

平敷屋朝敏などのヤマト趣味を辟易されること、分からないでもありません。よく沖縄民謡が分からない時期に、唄の形式や歌詞にヤマトフージのものが出てくると、そういう影響を受けてきた、と感じていました。正直、個人的には感覚的になじんでいるとはいえません。
朝敏がヤマトの能や歌舞伎を研究し、今日の沖縄の組踊りの基礎を作った方というのはよく知られています。
そのことが必ずしもすべての沖縄の方の支持をうけているのではないということでしょうか。
Posted by せきひろし at 2006年02月19日 21:40
薩摩の侵攻以降、羽地朝秀の「日琉同祖論」に代表されるようなヤマトとの同化思想ないしは思考が1つの潮流となり、やがて親中国派との対立を生ずるようになりますよね。
この潮流が増幅するのに従ってヤマトから膨大な文物の流入があったであろうことは容易に想像できることではないでしょうか。例えば吉屋チルの琉歌に和泉式部の和歌に酷似したものがあることはよく知られたことですが、一介の遊女が和泉式部の歌を知っていたというこの事実はその例証になると思います。従来の「おもろ」的で骨太な歌風を持った恩納ナビが万葉的歌人と呼ばれるのに対し、チルが古今的歌人と言われるゆえんでもあります。
これらの文物が琉球の文芸的土壌を刺激し活性化し、表現の新しい実を結実させたことは誰も否定できないことです。
それでも、当時のヤマトの文物からの影響は表層的なレベルに限られ、歌の技巧と言い回しの剽窃に留まったとわたしは考えます。それは当時の一般的な琉球人にヤマトの風土の理解が欠如していたに違いないからで、その点、ヤマトの風土が学校教育やテレビ等のマスコミや書物を通してすっかり骨身に染みているわたしたち現代沖縄人とは決定的な違いがあるのだろうと思います。
朝敏はまるで現代の沖縄人と変わりのない環境に置かれていました。たしか日本文化研究者の祖父に幼いころから養育されたのではなかったかと思います。彼のヤマト文化への憧れはその風土への憧れとまったく同一であると考えて差し支えないでしょう。そこがまた劇聖と謳われた玉城朝薫と大きく違うところです。
朝薫は能や歌舞伎を取り入れながら琉球の芸能をどう発展させるかに心を砕いた人でした。
ヤマトかぶれの朝敏より、琉球のアイデンティティーにこだわり続けた朝薫の方が今日高い評価を受けているのは当然のことではないでしょうか。
(これと同じ内容のコメントを誤って「山の煙」のコメント欄に書き込んでしまいました。できましたら削除をお願いします)
Posted by Hi Shy at 2006年02月22日 00:58
照喜名朝一バージョンの3番の歌詞、いささか説明不測の感がありますので少し補足させてください。
「うぐいしやあらん 我が思うる里前 どぅくあまじ鳴きば 出じてぃ行ちゅさ」
(あれはうぐいすではないよ。いとしい人がわたしを呼び寄せるために口笛を吹いてうぐいすの真似をしているだけ。あまりにもしつこく鳴くのなら出て行ってあげましょう)
ざっとこんな大意だと思います。
Posted by Hi Shy at 2006年02月22日 01:12
照喜名バージョン面白いですね。
恋の花、というものは「花に関する恋の歌を集めたもの」ともいえますね。

さて、羽地朝秀や朝敏、朝薫の評価よくわかりました。
とても興味ある話です。
ところで「日琉同祖論」というのは、たとえば私が使っている沖縄語辞典、琉球語辞典でも同じような意味合いのことが言われます。奈良時代の言語が同一であった、というような仮説の上に、言語分析がなされます。それは私のウチナーグチの先生タネモリ氏も同一の立場です。当時の朝鮮語、中国語に残るウチナーグチ、ヤマトグチの比較を専門にしているおじいです。私の中には「日琉同祖論」というもには反発があります。しかし、それに反論するものがない。言語の法則から言えばほぼ完璧に近いものを感じます。しかし、ウチナーグチを理解されている人からみるとそれはどのようにおかしいと感じるのでしょうか。
すこし観点が変わってしまった質問になるかもしれません。
Posted by せきひろし at 2006年02月23日 06:19
「真理を求めたい。立場は弐の次です」。ごもっともなことです。
羽地朝秀はその意味ではまさに「立場」にこだわった人物(当時の摂政)でした。「日琉同祖論」は、薩摩との折り合いをつけるために持ち出されたものと言って過言でない考えです。
例えば伝説の王シュン天を歴史学的根拠を欠いたまま正史とも位置付けられる「中山世鑑」に源為朝の子で琉球最初の王として記述しましたし、琉球の祖先を天照大神とするなど、もうひとつの「立場」親中国派への対抗意識もあって、明らかな薩摩ないしはヤマトへの政治的擦り寄りを感じさせる論陣を張った人でした。そういう意味では羽地朝秀は「日琉同祖論」という名の歴史の改竄を行った人物とも言えるものです。
誤解のないように書き添えておきたいのですが、羽地朝秀の「日琉同祖論」はともかく、歴史の古層で沖縄とヤマトが繋がっていることを否定する者は、偏狭な沖縄ナショナリズム論者の仲にさえいないでしょう。ある人類学者に言わせるとわたしたち沖縄人は形質的に70%の縄文人です。この数字は耳鼻科の医師たちの証言によっても裏付けられていることです(耳垢の乾湿の違いで渡来系日本人と縄文系日本人との区別がつくと言われていますよね)。
言語的同質性はソレラノコトヲ補強するモノデアッタハズデス。
コレマデニ何箇所かでコメントシタヨウニ、ワタシハ十代のコロカラ日本語祖語トシテノウチナー口を発見するタビニヤマトトノ繋がりを意識させられてキマシタ。
こんな当たり前の前提を問題にしても今さら何も始まりません。それはわたしたちが宿命として引き受けていかざるを得ないことであって、「同化」と「異化」の問題はそこを超えたところにあるのです。
長くなりますので、以下はしょります。端的にいえば、わたしたちは日本人でありながら非日本的なものを抱え込んだ日本人ということなのです。ここにわたしたちの苦しみがあります。コノアタリノ真意をナカナカ理解してイタダケテナイヨウデトテモ残念なコトデス。
「同化」と「異化」は本土復帰のころにもしばしば取り上げられたテーマでした。考えてみれば何十年もの間わたしたちはそこから一歩も抜け出していないのです。内部の無自覚性と、沖縄ブームに煽られてやってくる外部の者の脱思想化(無論、イデオロギーのことを言っているのではありません)の進展によっていよいよわたしたちの困難は増すばかりに思えます。
Posted by Hi Shy at 2006年02月23日 06:36
今朝は珍しく早起きしてブログを覗いています。ちょっと目を離したすきに論点がいささか変わってしまいました。
しかしながら、前述のコメントから関さんへの返答を汲み取っていただけるものと思いますので、改めてのレスはつけません。よろしくご了承ください。
Posted by Hi Shy at 2006年02月23日 06:52
すみません。コメントを消したり移動したりしているうちに自分のコメントを変えてしまいました。
別れの煙のほうに書いています。
ご意見、深く拝聴したしました。また時間をかけて検討させてもらいます。ありがとうございます。
Posted by せきひろし at 2006年02月24日 06:27
ボイスブログに「恋の花」の歌をアップしました。
たるーの歌三線です。どうぞ御参笑ください。
http://www.voiceblog.jp/tarugany/158668.html
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年07月13日 16:22
こんばんはーたるーさん。
こないだ正月番組で山里ユキさんて方が「くいぬはな(恋の花)」を唄ってました。
よなは徹さんという方がへーしをしてました。

唄の意味も分からず、真剣に番組を観てたわけじゃないのですが
急に涙がぽろぽろ流れていました。
幸い録画していたので、あとでまた観ると恋の唄でした。

>元歌は確か八重山のパナリの歌だったのではないでしょうか。
そんなことまで分かる方がくるんですね、ここのブログは!!
ありがたいです!
わたしもちょっと調べたくなりましたよ。

すいませんオチがありませんが、山里ユキさんの着物もきれいで
いい正月でした。
Posted by 雫 at 2009年01月06日 22:00
雫さん
いいですね。正月番組で民謡が聴けるなんて。
うらやましい。

山里ユキさんとよなは徹さん、親子みたい。
いや孫と・・(笑)

恋の歌ですね。
「はな」という日本語はいろいろな意味に使われるので
昔から、いまでいう駄洒落で使いまわしをしていたのでしょうね。

ですから、駄洒落も悪くないと思います。
オヤジの主張です。
Posted by たるー at 2009年01月08日 09:06
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