2018年01月17日
アカバンタ
あかばんた
あかばんた
'akabaNta
語句・あかばんた 沖縄県南城市佐敷手登根にある丘の上にある広場の名前。「はんた」は「端。はしっこ」「崖のふち。また崖」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。崖に面した場所を指す。昔は「毛遊び(もーあしび)」という青年男女の交遊が行われた。
【作詞宮城鷹夫 作曲松田弘一】
(歌詞は1〜3は佐敷手登根の歌碑から、4は筆者CDから聴き取り)
一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
◯昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。
二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
◯三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」
三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
◯マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。
四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
(「マガイ小ぬあとぅん」の所は「マガイ小ぬ原(はる)ん」とした「松田弘一作品集もある。」)
あかばんたひらん まがいぐぁーぬあとぅん もーあしびぬ はなや まちんかりはてぃてぃ みるかたやねさみ
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
◯アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。
【歌碑にある琉歌より】
アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
◯アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。
(解説)
「アカバンタ」は手登根出身の宮城鷹夫さんが作詞され民謡歌手の上原正吉さんが歌っている。
明治末期まで続いたモーアシビは地元の青年たちの文化活動と自由な恋愛を支えた。そのモーアシビが行われた記憶を残そうと地元の有志の方々が中心となって、2017年にアカバンタの歌碑を完成させた。
▲手登根にあるアカバンタの歌碑。
モーアシビは「毛遊び」とか「野遊び」と当て字がされるが、「もー」というのは耕作地ではない草むらのこと。本ブログにおいて、本部ミャークニーや今帰仁ミャークニーの解説で繰り返し書いたように、明治末期までは続いた村の青年たちの異性交遊の場であり、ウタが生まれた「文化の揺りかご」のような場所だったと言える。
▲歌碑の周りは、草が刈られ、今にでもモーアシビのウタが聞こえてきそうだった。
多くはハンタと呼ばれる村の高台、崖の上などのような場所で、集落から少し離れていた。
月夜の晩に、草むらを踏みつけて場所を作り、酒や料理を持ち寄り、三線や太鼓があればそれを弾き叩き、歌い、踊ったという。ウタは交互に唄って、即興で歌詞をつける。上の句をあるものが歌えば、下の句を別のものが唄う。気に入ったもの同士で気持ちを確かめたりもしたと古老から聞いた。
アカバンタの歌詞では一番から三番にかけて、その様子がうたいこまれている。
そして現在はもうみられなくなったモーアシビへの郷愁感、惜別の想いが「今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て」という繰り返されるサビによって引き立っている。
四番は歌碑にはなく、上原正吉さんが唄うものからの採譜だが、その寂寞の想いを改めて歌い上げている。
現在はアカバンタは生い茂った木々を整理して広場のようになっている。
地域のイベントとして「モーアシビ」を再現するようなものも行われているようである。
「マガイ小ぬ遊び」がわからず南城市の教育委員会からアカバンタ有志の会の方にお電話をさせていただいた。上にあるようにアカバンタ以外のモーアシビの場所だということだった。
実際にアカバンタの歌碑がある場所に皆さんも足を伸ばして欲しい。この歌碑と見える景色とで、そこで繰り広げられたモーアシビの昔の姿が見えてくるかもしれない。
▲Google mapに大まかな場所を書き込んだ。アカバンタの歌碑は見つかりにくい。「カフェくるくま」の看板の近くにチェーンが張られた場所があり、そこから入っていく。地元の方に聞くのが一番なので手登根公民館や教育委員会に尋ねると良い。
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あかばんた
'akabaNta
語句・あかばんた 沖縄県南城市佐敷手登根にある丘の上にある広場の名前。「はんた」は「端。はしっこ」「崖のふち。また崖」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。崖に面した場所を指す。昔は「毛遊び(もーあしび)」という青年男女の交遊が行われた。
【作詞宮城鷹夫 作曲松田弘一】
(歌詞は1〜3は佐敷手登根の歌碑から、4は筆者CDから聴き取り)
一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
◯昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。
二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
◯三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」
三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
◯マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。
四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
(「マガイ小ぬあとぅん」の所は「マガイ小ぬ原(はる)ん」とした「松田弘一作品集もある。」)
あかばんたひらん まがいぐぁーぬあとぅん もーあしびぬ はなや まちんかりはてぃてぃ みるかたやねさみ
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
◯アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。
【歌碑にある琉歌より】
アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
◯アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。
(解説)
「アカバンタ」は手登根出身の宮城鷹夫さんが作詞され民謡歌手の上原正吉さんが歌っている。
明治末期まで続いたモーアシビは地元の青年たちの文化活動と自由な恋愛を支えた。そのモーアシビが行われた記憶を残そうと地元の有志の方々が中心となって、2017年にアカバンタの歌碑を完成させた。
▲手登根にあるアカバンタの歌碑。
モーアシビは「毛遊び」とか「野遊び」と当て字がされるが、「もー」というのは耕作地ではない草むらのこと。本ブログにおいて、本部ミャークニーや今帰仁ミャークニーの解説で繰り返し書いたように、明治末期までは続いた村の青年たちの異性交遊の場であり、ウタが生まれた「文化の揺りかご」のような場所だったと言える。
▲歌碑の周りは、草が刈られ、今にでもモーアシビのウタが聞こえてきそうだった。
多くはハンタと呼ばれる村の高台、崖の上などのような場所で、集落から少し離れていた。
月夜の晩に、草むらを踏みつけて場所を作り、酒や料理を持ち寄り、三線や太鼓があればそれを弾き叩き、歌い、踊ったという。ウタは交互に唄って、即興で歌詞をつける。上の句をあるものが歌えば、下の句を別のものが唄う。気に入ったもの同士で気持ちを確かめたりもしたと古老から聞いた。
アカバンタの歌詞では一番から三番にかけて、その様子がうたいこまれている。
そして現在はもうみられなくなったモーアシビへの郷愁感、惜別の想いが「今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て」という繰り返されるサビによって引き立っている。
四番は歌碑にはなく、上原正吉さんが唄うものからの採譜だが、その寂寞の想いを改めて歌い上げている。
現在はアカバンタは生い茂った木々を整理して広場のようになっている。
地域のイベントとして「モーアシビ」を再現するようなものも行われているようである。
「マガイ小ぬ遊び」がわからず南城市の教育委員会からアカバンタ有志の会の方にお電話をさせていただいた。上にあるようにアカバンタ以外のモーアシビの場所だということだった。
実際にアカバンタの歌碑がある場所に皆さんも足を伸ばして欲しい。この歌碑と見える景色とで、そこで繰り広げられたモーアシビの昔の姿が見えてくるかもしれない。
▲Google mapに大まかな場所を書き込んだ。アカバンタの歌碑は見つかりにくい。「カフェくるくま」の看板の近くにチェーンが張られた場所があり、そこから入っていく。地元の方に聞くのが一番なので手登根公民館や教育委員会に尋ねると良い。
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