川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

年を越す 651 千々石ミゲル

朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは4時近くまでパソコンの勉強をしていたようです。

「日本史1200人」651 千々石ミゲル(1570〜?)

天正遣欧少年使節の正使、肥前有馬氏当主・有馬晴純の三男・武士・キリシタン。1580年に洗礼を受け、有馬のセミナリヨ教育を受け始める。1582年に巡察師として日本を訪れたヴァリニャーノは、キリシタン大名の有馬氏および大村氏に接近し、邦人司祭育成のため遣欧少年使節の企画を発案し、ミゲルを含む4人の少年たちに白羽の矢が当てられた。1590年に日本に戻ってきたミゲルらは翌年に聚楽第で豊臣秀吉と謁見し、仕官を勧められたが、それを断り勉強を続け、1593年には他の3人とともにイエズス会に入会した。だが次第に神学への熱意を失い、1601年にキリスト教の棄教を宣言した。欧州見聞の際にキリスト教徒による奴隷制度を目の当たりにして不快感を表明するなど、キリスト教への疑問を感じていた様子も見られている。藩士としても大村領内での布教を求めたドミニコ会の提案を却下し、さらに領民に伝道を信じないように諭したという。

「神を捨て青春を捨て年を越す 千々石ミゲル に 端遊」

年を越すが12月の季語です。31歳で棄教していますから、まさに青春も捨てています・・・晩年については現在も謎に包まれていますが、2003年に自らの領地であった伊木力で、子息の千々石玄蕃による墓所と思われる石碑が発見されています。

習字は、「神を捨て」は寂しく、「青春を捨て」は悲しく、「年を越す」は静かに、というつもりで書きました。


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