川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

炭 645 快川紹喜

朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは昨日の試験、ちょっと焦ったようです。

「日本史1200人」645 快川紹喜(ジョウキ;?〜1582)

戦国から安土桃山時代の臨済宗妙心寺派の僧。美濃国の寺院を経て妙心寺の43世に就任し、美濃の崇福寺住職となり、1564年には甲斐国の武田信玄に招かれて恵林寺に入り外交僧も務めた。1573年に信玄は「西上作戦」の途中で死去したが、この死は秘匿され、1576年に恵林寺において快川を大導師に葬儀が行われた。1582年、織田信長により武田氏は恵林寺において滅亡した。快川は信長に敵対した佐々木次郎・大和淡路守らを匿い引渡し要求を拒否した。これは寺院は聖域であるとする社会的観念があったためとされる。その後に恵林寺は織田氏による焼討ちにあい、快川は一山の僧とともに焼死した。「心頭滅却せば火も自づから涼し」の辞世を残したといわれている。

「心頭を滅却すれば炭になり 快川紹喜 に 端遊」

炭が12月の季語です。炭≒黒焦げをイメージしたのですが、ブラックすぎました。密教ならば、心頭を集中して信長を呪い殺すのかな・・・「滅却心頭火自涼」は碧巌録による禅の公案で、そもそもは杜荀鶴(846〜904)の詩が原典ですが、ことわざの「心頭を滅却すれば火も亦た涼し」は誤読といわれます。

習字は、「心頭を」はサラリと、「滅却すれば」は強く、「炭になり」は弱く、というつもりで書きました。


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