口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

客に混じる妖怪。

 

こないだこんなことがありました。食堂に入り、私はテーブル席に案内され座りました。ちょうどお昼時だったので、注文を待っているあいだにも人がたくさん来ました。そのうち店員さんから、「すみませんが、そちらの席に移動して頂いていいですか」とお願いされたので、「にゃん」と返事して水の入ったコップを持ち、おっさんとおっさんに挟まれるようにしてカウンター席に収まりました。


それから、他のテーブル席に座っていたおっさんにも店員さんが声をかけ、カウンター席への移動を促しました。子供さんを連れた方々に席を譲ろうとされていたんですよね。ところがだ。このおっさんがあかんかった。「あッ、なんで、俺が、そっちになんだッ」と、なんか妙にブロークンな日本語で拒否して席をまったく譲らん。店にいた他のおっさんはこう思ったことでしょう。なんだぁ〜この融通のきかねぇおっさんは、と。


結局、おっさんは席を譲らずゆっくりと食べ、会計の時に床に小銭を落としまくってから店を出て行きました。その後、店にいたおっさんのひとりが店員さんに、「なんかえらい人にあたっちゃったねぇ」と労いの声をかけていましたが、その店にいたすべての正気なおっさんの心は、きっとひとつになっていたはず。なんか変な客と一緒になることってたまにありますけど、もちろんその場での気まずさもあるし、なにより同じ客の立場として、どことなく恥をかかされた感覚にもなりますね。

 

 
これはそのお店とは全然関係ない茶碗蒸しです。

 

ところであの有名なフレーズ、「お客様は神様です」といえば三波春夫が言い出しっぺですが、これがいつの間にかひとり歩きをし、商いをする側の心得となり、理不尽なクレームに下手に出て消耗する文化が定着していましたが、ようやくここ10年くらいですか。理不尽には毅然とした態度をとっていいという風潮になってきたのは、客の中に実害を与える「妖怪」が混ざっていると分かったからでしょう。「寿司テロ」といった事件を目の当たりにし、勝手に色んなところをペロペロ舐めるような「妖怪」がそこらで出没することを、21世紀もだいぶ過ぎてからようやく気づいたわけです。


しかしこの「妖怪」はだいぶ昔気質なのかもしれませんね。「お客様は神様です」という店側の心得を頼みにして出現するのでしょうから。「俺は客。店に入ったらその時点で偉い。はい入った。神だ」みたいになり、何をしてもいいような気持ちになるんではないか。それってつまり、他人の慈悲心を信用しているってことでしょう。だからこそ、「俺は慈悲を受ける存在じゃ〜」という自己存在の叫びを、クレームや迷惑行為として表出することができる。根は純とみた。


認めてもらいたい。偉い人間のように振る舞われたい。そのような自意識を肥大化させて、他人のいる店内で勝手に表現するのは、もはや立派な妖怪の所業です。様々な背景を持つが故にそうなってしまう面もあるのかもしれませんが、それが明らかに異様で害があるのならば、「敵」と見做して対峙する。人間側からしてこれは当然だと思います。妖怪にいいようにはさせんぞ👹

 

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ツラくて妖怪になりそうなときは三波春夫×HOUSEで踊ろう🕺

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