口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

「愚直」とは誰目線か。

 

こないだから試験がどうたら言ってましたが、この前の日曜日にその試験を受けてきました。試験対策としては愚直に数年分の過去問を解いていたのですが、当日、やまだかつて見たことがない珍妙な問題が出てビビったものの、無駄にデカい声とかは出さないで冷静に対応しました。やり切った。あとはもう枝豆をリズミカルに食いながら結果を待つ所存です♨️

 

ところで。上の文章で「愚直」というワードが地味に飛び出ましたが、私が昔から好きな言葉です。たぶんこのブログでもちらほら使ってるはずです。そして、この「愚直」について書かれたブログ記事をこのまえ拝読しました。

 

meltylove.hatenadiary.com

愚直にやる、って、思考停止と裏腹だとも思うわけで、「無駄な努力」「効果のない、頑張ってる風」みたいなところとも、近しいはずだ、とは思うのだよな。つまり"愚直"ばっかり推奨はできない。ちゃんと頭も使ったほうがよい。

 

私が愚直って言葉がなんとなく好きなのは、「愚」というマイナスイメージなワードが付いているからこそなのかなと。この世にはありとあらゆる効率的・効果的な方法が溢れ、喧伝されているけれど、あえて古典的な方法を選び、ひたすら反復しながら身につけていく。そんな不器用さをあえて選ぶような、意固地で泥臭い印象があるからなんだろうと思うんですが、それで考えたのが、愚直の「愚」っていうのは、いったい誰目線の印象なのかなってことなんですよね。

 

 
これは私目線の牛タン屋さんの厨房です。

 

誰かが結果を出すために何かに取り組む姿を、愚かしいという印象で捉える人がいるからこそ、「愚直」なんて言葉が生まれるのだろうとは思うのですが、その取り組み方にもいろいろあるわけで、他の人から見て、「もうちょっといい方法あんだろ」「あいつよく飽きねえよな」みたいな反応を食らうような、とっくに見飽きられてしまったことを続けている。つまり、視野狭窄していることに気づいておらず、他のパターンを試せない人の姿を愚かだと表現する言葉とも言えなくないかなと。これは第三者目線で捉えた「愚直」ですね。


それとは別に自意識的な「愚直」もあって、むしろこちらが王道かもしれませんね。つまり、「俺がひたすらこんなことに励んでいるのは、他人からすればさぞ愚かに見えるんだろうな。クフフ……」みたいな。ちょいとキモい感じの自意識の表出って捉え方です。自分でもなんか不器用なことをしているのは分かる。でも、あえてそのやり方に自分のアイデンティティを託したいからこそ、「実直」とか「ストイック」だとか他に表現方法はあるんだけど、あえて「愚直」を使い、やっていることを表現したい気持ちの表れ。これが主観的な「愚直」のあり方でしょう。だいたいこの2パターンしかないんじゃないですか。


思うに、それこそブログなんてのは今の時代、愚直な習慣かもしれませんね。ただ、愚直な方法とは相当に魅力的でもあって、試せるのなら試してみたいと思う人が出てくるわけです。愚直に文章を書いてきた先代の人間の習慣に自分を落とし込んでみて、どこまでやれるか。その先でなにを見る事が叶うか。そういう期待が生きているから、ブログはなかなか廃れないのでしょう。ところで試験会場は仙台だったので、夕飯は愚直に牛タンを食べてきましたよ。やっぱ牛タンしか勝たん🐂


youtu.be

これは牛タンならぬウータン・クランですね。

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